「お母さん、チョット、チョット」
お姑さんの部屋の前を通りかかった時、ドアを開けて顔を出したお姑さんがそう言って手招きした。
部屋の中に入ってみると、テーブルの上にはたくさんの仏具とお線香が燃えた後の灰があった。
「お母さんに教えておこうと思って。仏具を磨く時は、こうして灰を使って磨くのよ」
そう言いながらお姑さんは古布に灰をつけて、灰で指先を白くしながら金属の仏具を磨いて見せてくれた。
「私が死んだらもう教えられないから、今のうちにお母さん(私のこと)に教えておこうと思って。こうやって磨いて頂だいね」
「はいはい。分かりました。灰で磨くんですね」と答えると、お姑さんは「お願いね」と言ってにっこり笑う。
この会話、前もしたような・・・というか灰で仏具を磨くということをお姑さんが教えてくれたのは、もう数えきれない。
お姑さんは香炉の灰が増えてきた時に仏壇にある仏具を磨いているのだが、ほとんどその度ごとに私か孫の誰かを呼んで先と同じ会話をする。
認知症で少し前のことを忘れてしまうことが多いのだが、同じことを繰り返すのは、それがお姑さんにとってこだわっている部分だったり気になっていたりすることなのだ。
だから信心深いお姑さんにとって仏具を磨くことは、非常に大切なことなのだと思う。
それにしても灰で手を白くしながら仏具を磨かなくても、今は良い金属クリーナーが売っているのだが、お姑さんは頑として灰で磨くことにこだわっている。
子どもの頃からお寺のお手伝いをして育ったお姑さんだが、仏具を灰で磨くのはその時に習ったのだそうだ。
そして90に手が届きそうな年になっても、それを守り続けている。
たしかに細かい粒子の灰は金属に傷をつけることなく磨けるのだろうと思うのだが、私はできれば市販のクリーナーを使いたい。
新聞紙を広げ、いちいち灰をつけて磨くのは後始末が大変そうだから・・・なんてことはお姑さんには決して言えないので、いつも「はい、分かりましたよ」と返事をしている。
ところでお姑さんの部屋から戻ると、私もそろそろMy香炉の掃除をしなければいけなかったことを思い出した。
毎日お線香を焚いていると中に燃え残りが溜まってくるので、定期的に灰の中に残った小さなお線香の燃えかすを取り除いている。
実は私はこの作業がとても好きなのだ。
割り箸を使い、灰の中から小さなお線香の残りをつまみ出していく。
割り箸で一つずつつまみ出さなくても、網目になっていて一度に沢山の燃えかすを取ることのできる道具があるのは知っているのだが、私はあくまでも割り箸を使うことにこだわっている。
箸で灰の中を探ると、こつんと箸先に当たる感触がする。
「あった、あった」
灰をかき分けながら割り箸で小さなお線香をつまみ出す。
「もう無いかな」と最後に香炉の中をお箸でぐるっとかき混ぜる。
そして、無いと思っていたのに隠れていた最後の一本を見つけた時の嬉しさ。
やはり箸に勝るものはない・・・
まぁ暇だからこのようなことをやっているのですが、ひとり静かにじっくりとお線香の残りを取り出している時間がこの上なく好きなのです。
その時に何を考えているのかと言うと、数を数えているので何も考えていないです。
「ひと~つ、ふた~つ・・・」と頭の中で取り出したお線香の数を数えている。
だから「便利なものがあるよ」と誰かが教えてくれたとしても、今のところ私は割り箸を使うことにこだわっている。
あっ、これって灰を使うことにこだわっているお姑さんと同じかもしれない。
長く一緒に住んでいるとお姑さんとも似てくるのかな~
お姑さんの部屋の前を通りかかった時、ドアを開けて顔を出したお姑さんがそう言って手招きした。
部屋の中に入ってみると、テーブルの上にはたくさんの仏具とお線香が燃えた後の灰があった。
「お母さんに教えておこうと思って。仏具を磨く時は、こうして灰を使って磨くのよ」
そう言いながらお姑さんは古布に灰をつけて、灰で指先を白くしながら金属の仏具を磨いて見せてくれた。
「私が死んだらもう教えられないから、今のうちにお母さん(私のこと)に教えておこうと思って。こうやって磨いて頂だいね」
「はいはい。分かりました。灰で磨くんですね」と答えると、お姑さんは「お願いね」と言ってにっこり笑う。
この会話、前もしたような・・・というか灰で仏具を磨くということをお姑さんが教えてくれたのは、もう数えきれない。
お姑さんは香炉の灰が増えてきた時に仏壇にある仏具を磨いているのだが、ほとんどその度ごとに私か孫の誰かを呼んで先と同じ会話をする。
認知症で少し前のことを忘れてしまうことが多いのだが、同じことを繰り返すのは、それがお姑さんにとってこだわっている部分だったり気になっていたりすることなのだ。
だから信心深いお姑さんにとって仏具を磨くことは、非常に大切なことなのだと思う。
それにしても灰で手を白くしながら仏具を磨かなくても、今は良い金属クリーナーが売っているのだが、お姑さんは頑として灰で磨くことにこだわっている。
子どもの頃からお寺のお手伝いをして育ったお姑さんだが、仏具を灰で磨くのはその時に習ったのだそうだ。
そして90に手が届きそうな年になっても、それを守り続けている。
たしかに細かい粒子の灰は金属に傷をつけることなく磨けるのだろうと思うのだが、私はできれば市販のクリーナーを使いたい。
新聞紙を広げ、いちいち灰をつけて磨くのは後始末が大変そうだから・・・なんてことはお姑さんには決して言えないので、いつも「はい、分かりましたよ」と返事をしている。
ところでお姑さんの部屋から戻ると、私もそろそろMy香炉の掃除をしなければいけなかったことを思い出した。
毎日お線香を焚いていると中に燃え残りが溜まってくるので、定期的に灰の中に残った小さなお線香の燃えかすを取り除いている。
実は私はこの作業がとても好きなのだ。
割り箸を使い、灰の中から小さなお線香の残りをつまみ出していく。
割り箸で一つずつつまみ出さなくても、網目になっていて一度に沢山の燃えかすを取ることのできる道具があるのは知っているのだが、私はあくまでも割り箸を使うことにこだわっている。
箸で灰の中を探ると、こつんと箸先に当たる感触がする。
「あった、あった」
灰をかき分けながら割り箸で小さなお線香をつまみ出す。
「もう無いかな」と最後に香炉の中をお箸でぐるっとかき混ぜる。
そして、無いと思っていたのに隠れていた最後の一本を見つけた時の嬉しさ。
やはり箸に勝るものはない・・・
まぁ暇だからこのようなことをやっているのですが、ひとり静かにじっくりとお線香の残りを取り出している時間がこの上なく好きなのです。
その時に何を考えているのかと言うと、数を数えているので何も考えていないです。
「ひと~つ、ふた~つ・・・」と頭の中で取り出したお線香の数を数えている。
だから「便利なものがあるよ」と誰かが教えてくれたとしても、今のところ私は割り箸を使うことにこだわっている。
あっ、これって灰を使うことにこだわっているお姑さんと同じかもしれない。
長く一緒に住んでいるとお姑さんとも似てくるのかな~