勇者の大局観

ヘボ投資とつれづれなる日々・・・
(投資に関する投稿は私感に基くものです)

映画『LUCY/ルーシー』を観た。

2015年02月07日 | 映画
人間の体なんて無意味。
全ては人間が作った過去の産物。
重要なのは「時」。
時が全てを支配する・・・

この映画、ラストは『2001年宇宙の旅』のごとく究極の全知全能の表現に変わっていきます。そこんところが「なんじゃこりゃぁ」てな感じで訳が分からなくなって評価がイマイチ低いのではないかと思います。私は完全にツボでした
あらすじを簡単に言いますと、突如として運び屋にされてしまったルーシー(スカーレット・ヨハンソン)はお腹に「薬」を入れられて運ぶ羽目に。しかし途中で囚われの身となりますが、ここでお腹の中の薬が漏れて体に取り込んでしまいます。この薬というのが麻薬ではなく、通常10%しか使えていない人間の脳を極限まで使い切れる恐ろしい代物!そしてルーシーはとんでもない力を得る事になる訳です。もう無敵状態
100%使い切った彼女は「時」をも操る事が出来るまでに・・・。そして究極のラストを迎えます。

人間は何のために生まれてくるのか。そして何のために死んでいくのか。生命の起源とは・・・そこいら辺りまで言及していく内容となっていて、掴みどころのないテーマでもあります。しかし、究極まで覚醒した主人公をうら若き女性にしてバカな人間(凡人)どもをマフィアに換えて上手く表現できていたのではないかと思います。『トランスポーター』や『96時間』など過激なアクション映画を作ってきたリュック・ベンソン監督にしてはアクションが少なくて物足りない方もおられたのではないでしょうか・・・

大昔(古代)の人間は自らの生命を危険から守る為に遥か遠くの物音はもちろんの事、目の前の大きな岩の裏側に潜んでいる敵まで透視出来ていたとも言われるように本来持っている力は凄いのではないでしょうか。現代人にとってそんな能力は必要なくなり退化してしまったのでしょう。そんな事を考えているとこの映画はラストでのルーシーの究極の姿は無いとしても、我々の能力の限界は自身が考えるよりもっと深い所にあるのだという事を教えてくれます。
そして我々の(生きる)目的を再確認させてくれる作品だと感じました・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きていれば。

2015年02月07日 | Weblog
いつものように朝起きて・・・しかし今日はゆったりと土曜の朝。

テレビを見ながら食後のコーヒー。

BSで「世界ふれあい街歩き ちょっとお散歩」を眺めていると・・・

今日はニューカレドニア島のヌメアをぶらり散歩のようで。

街の一角でブレイクダンスの練習をしていた若者が言った言葉が印象的だった。

「ブレイクダンスの大会に出るんだ」

「内気な自分を克服したい」

出れそうですか?の問いかけに・・・若者は

「希望はあるさ、生きている限り」と答えた。


思わず「その通り!」と頷いた私の背中をズシンと押されたような感覚。

小鳥のさえずりも、ラジオから流れる心地よい音楽も、屋根を打つ雨音も

聴くことが出来ないのよね・・・生きていなければ。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする