metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

JEM-日本福音宣教会-での公開セミナー『100万回生きた猫』のはなし

2008-04-25 20:11:02 | クリスチャンとしての私
毎週木曜日にソウルのイスという所の近くで日本福音宣教会という団体が礼拝をささげて日本のために祈ったり、日本宣教に必要なあれこれを学んだりしています。

また、この団体派遣で宣教師も日本に行っています。
とても尊い働きをしている団体だと思います。
神学校~家がかなり私の場合はなれていますが、ちょうどイスが通過点なので、木曜日はなるべく、この礼拝に参加するようにしています。

昨日の礼拝は長崎から来た友納靖史先生が公開セミナーをしてくださいましたが、とてもとても感動的で、途中から涙がとまらなくなり、困りました。
こんなセミナーで私みたいにワンワン泣いてる人はいないのでもっと恥ずかしいです。


「セミナー」なので、何か知識を得るとか、方法論であるとか、そういう方向を予想しつつ、それでも「学ぶ」だけを目的に聞くのではなく、自分の霊が新しくなるようなひと時になるように、祈って行きました。

何が感動的だったのか、涙が出てとまらなかったのか。
それを正確に文字で書くことができるかわかりません。
けれど、人間のなかに神様を求める霊があるということを、聖書から解き明かしてくださった上で、今日本人が感動を受けているいくつかのポイントを挙げてその具体的な表れを説明してくださいました。

Jニュートンという、アメイジンググレイスを作った人は、自分の中に神を求める思いがあるということにある日気がつきました・・・。
奴隷船の船長だったけれど、嵐に遭い、初めて神に祈る、それが、神を知る知識のはじめ、人間の中にもともと与えられていて、眠っていた「神が与えた霊、神を知りたい知識」の目覚めだそうです。

人は気がついても気がつかなくても、霊と魂と体があり、今日本人を特別に見てみると、その霊の部分に痛みを抱えているということが分かるといいます。

歌「千の風になって」
絵本「100万回生きた猫」
そして、歌「世界で一つだけの花」
また、「君は愛されるため生まれた」

死へ答えを出す事ができなかった私達は、「輪廻」や、「その他の答え」で自分や人々を納得させようとしました。。。(輪廻は仏教の釈迦が話したことではなく、ヒンズー教やラマ教の影響だそうです。ごちゃごちゃと混じって日本の仏教の中に入ってきました。)
これは友納先生のセミナーででた事ではありませんが、以前私は職場の先輩とこんな会話をしたことを思い出します。
親戚の中で誰かがなくなり葬式に参列したそうです。幼い姪っ子が「人は死んだらどこに行くの?」と先輩に聞いたそうです。先輩は「幼いから人が死ぬ事が分からないんだなとおもって『お空の星になるんだよ』って答えたんだ~」と言ってました。

私は聞きながら「年をとったら分かりますか?」と思いました。
そして、幼い子供がそれをそのまま受け取るのに、「その場しのぎの答え」を自信を持って言わなければならない姿になんとも疑問や不思議を感じたものでした。

人はみんな死んだらどうなるか、分かりません。
千の風になって、という曲は、お墓にいません、風になって自由に飛んでいるんだと、死んだ人がお墓の前にいる人に向かって語りかける歌です。
これがいい歌だと思われるのには、「死」や「お墓」の持つ束縛性や暗い思いを自由に解放する歌詞だと人々が思って、感動するから、なのでしょう…。

そして、絵本「100万回生きた猫」も、生まれ変わる虚しさよりも、人を心から愛して自分よりも、その人を愛して死ぬ、一度きりの人生の意味深さを語ります。

今まで私達日本人が「死んだらこう」と無言の内に考えてきた死生観が、とても悲しくて、また、切実にそこから抜け出たいと思っている悲痛が分かるような気がして、私は泣きました。

そして、いまだ「その他の答え」に霊的痛みの解決を見出したと思っているところも悲しかったです。

痛みがあれば、病気があることが分かります。
痛みがあるから、その存在が分かると思いました。
心が痛いから心の存在が分かるように、
霊が痛むから、霊的な必要に気がつきます。

その必要に気がついていることを、「光のはじめ」と思います。
そこに、「その他の答え」じゃなくて
本当の光があてられることを願わされます。


・・・
私は、、、
天国に行く希望のために、死ぬ事を暗く考えたりはしません。
でも、結婚しようと思ってるから、長生きしたいと最近思ってます。

私の父が早く亡くなりました。
だから、いつも、愛する人がいついなくなるか分からないと考えています。
それが絶対的な終わりじゃないことが、恵みに満ちた希望ですが、事実は事実で、地上から一人の人間のいのちが無くなる時、肉体が死ぬ時、私達は一次的に別れるのです。

結婚も、地上でいる間婚姻関係の中にいますが、どちらかが死んだら、婚姻関係が終わります。
天国に行って、彼に会ったら、私達が地上で結婚式を挙げていても、夫としての彼に会うのではありません。

地上の人生は一瞬のように短いので、なおすばらしい希望ですが、彼と長く結婚していたいと思います。

そういう意味でも、「100万回生きた猫」は私の心を打ちました。

何度も生まれ変わって、全ての人生に不満足だったどらねこが、
100万回死に、生まれ変わります。
100万回目の「猫生?」で愛する猫にめぐり合って、結婚します。
100万回目にして始めての幸せでした。
子供の猫ちゃんたちもいっぱい生まれました。
でも、妻の猫が先に死にました。
自分もいっぱい泣いて死にました。
そして二度と生まれ変わらなかった。

そういう話だそうです。

私達の信仰には「生まれ変わる」という考えがありませんが、自分より妻を愛した猫は初めて本当に地上のいのちに死にました。

私は地上でいる間、どれくらいの人と、どれくらいの人間関係を築けるだろう?
ましてや、婚姻関係という深くて強いつながりの中で、これからどれ位の月日を彼と一緒にいることができるだろう?
100万回のいのちよりも、一回のいのちに満足するくらい、愛することができて、その日が一日でも、一秒でも長いといいと思います。

まだ結婚もしてない私にとって、結婚自体も、その日までお互いが地上にいれば結婚するだろうということに過ぎません。
いのちの短さ、はかなさをいつも考えるのです。

私が長く生きる事と、彼が長く生きることを、
いつもいつも願っているのです。






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3 コメント

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Unknown (こめんと)
2008-04-25 22:13:05
願わくは、生みの親を超越し、充実した日々をすごされんことを。

とこしえにぶどうの木からはなれず枝につながり、豊かな実をむすばれることを、心から、祈ってます。

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愛する人と長くいたい (metch)
2008-04-26 00:28:21
肉体のいのちを与えてくれてありがとう!
お母さんにも長生きして欲しいです。

なぜなら、私が彼と一緒に長く地上でいることを望むように、お母さんとも地上でたくさんのものを一緒に見たいとおもうからです。

マゴ・ヒマゴを見るまで、彼のお母さんと一緒にうちのお母さんも長く生きてくれるのが、いまの私の祈りです。
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Unknown (こめんと)
2008-04-26 07:06:32
祝福の実をこの目で、みさせていただけるよう、祈ってくらします。
それを、お父さんに報告しに行かなければなりまへんよってにな。
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