metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

祈りの生活

2008-09-01 09:00:43 | クリスチャンとしての私
最近、よく祈っています。
祈るのがすごく難しく感じることもあれば、そうでないときもあるんですね。

祈りの味をしめた?というのか。。。
辛い境遇が祈りへ導いたことがきっかけなのか。。。
とにかく、これは、断然健康なことであり、また、花嫁準備でもあるので、大変喜ばしいことです。
自分に喜ばしいと同時に、神様との祈りの時間、ひとりで礼拝をする時間が良くて、学校始まるのが惜しいです。
ひっそりと人に見えないところで力を受けて出かける生活。
この時間を金のように大切にしたいと思います。


実はあることをきっかけに心は傷つきましたが、それが健康な祈りの生活を引き出してくれたので、感謝です。

傷つく、というのは、一回で起こることではないような気がしています。
心の、あるポイントに、ひそやかに衝撃を受ける。
二度目、もう一度パンチを受ける。あざになる。
あざの上に、さらにもう一発!
心の骨が折れます。
ギブスをつけます。
さわらないで、そ~っとそ~っとしようと思ってるところに、さらにもう一発!

なーんてことがあれば、傷そのものの痛みよりも、傷つけられた人に対する恨みまで(転移?)生じます。

心の健康と、霊的信仰生活の健康を目指しつつ、今日から秋学期がスタートです。
修練会でお泊りします。
何とかいい時になるよう祈ります^^

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (こめんと)
2008-09-01 12:27:03
祈りの原動力か。ほんとにそう。
傷を受けたとき、つぶやかない、うらまない、悪口をいわない、これ、祈らないとできないことだから。

うらみなど、口にのぼらせてしまうと、その言葉が、自分を支配し、ますますくらいサイクルにはいってしまう。

私たち勝利の行列にならんでいたいね。

どんな環境におかれても、祈っていたいって思えることが、「ちょんまるちゅっぽく」。

3日間充分に養われますように。



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^^ (トッポッキ)
2008-09-01 18:00:22
 なんだか、メッチさんが言ってることわかるような気がします。 私は大学を離れてからお祈りする機会から離れていますが、大学にいた時は礼拝にも時間が許す限り出席しました。そこど、礼拝に出席しないと聞けないお話しをいっぱい聞いて、心が穏やかになったことをおもいだしました。 私もほんの少しの祈りから、また初めてみたいと思ってます。
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Unknown (いしころ妻)
2008-09-02 02:49:11
お祈りっかぁ。

私はいしころ夫と出会うまで、結婚するまで、
「御心をなしてください!」とか、神様に委ねる祈りをしてきました。

でも結婚願望が芽生えたころ、ある先生に、
「結婚相手に対する、自分の理想や条件を、具体的にあげて祈りなさい!」って言われました。
めっちゃ具体的に!!
そこで、あれこれと事細かに自分の思いを祈っていいんだ!って気付きました。

そしていしころ夫と結婚。
そしていしころ夫から、
「自分の思いを押し殺して、御心を…って言ったって、自分を飾ってるだけやん!一番近しい神様に、なんてよそよそしい!全部言ったらえぇねん!」って。

いしころ夫は一人の時は、
「神様、あの人消して下さい!!!!
でも…あなたの思いがなりますように。
そのために、私の心に赦しをください。」
て、祈ったりするそうです。

消して欲しいって、思ってしまったのは人間だから仕方ない。
そんな姿も神様はご存じ。
だから恨み、悪口は神様に!

ある友達は、お祈りで「パパ!」って呼びかけてました。

そんなこんながあって、もっともっと神様を近く感じるようになりました。
すべてを見せられるからこそ、平安が与えられる。そして解決が与えられる。
それこそ祝福、幸せだと思います。

結婚すると、なんやかやで、神様と一対一の時間をとることは、今より難しくなりますよ!

結婚前のこの時、修練会が良い時となりますように!
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こめんとちゃんへ (metch)
2008-09-03 17:25:27
^^勝利の行列、キリストの花嫁、神様への愛の告白、これが祈りですね。

自分の願いだけを言う言葉ではなく、祈りの充実というのは、本当に人格的な対話なのだと思います。

本当に、祈りって、信仰が無ければ変人のすることだけど、信仰があればこれほど力になる素晴らしいことはありません。
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トッポッキオンニへ (metch)
2008-09-03 17:28:11
近くに住んでたら一緒に祈ったり礼拝に行ったりできるのにね☆残念。。。

礼拝って、いいお話~とかいうことももちろんあるけれど、違う視点を与えてくれるものでもありますよね。
自分の目だけ見ていた環境を、神様の目から見る、聖書から見てみること、これって、とっても大事なことだと思いますし、人を大人にすることだと思います^^

韓国語上手になって、礼拝にも参加してみる日も、きっと近い!(キリスト教の教会に行って下さいね!)
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いしころオンニへ (metch)
2008-09-03 17:31:52
いやはや!そうそう、あれこれと訴えた上で、神様に信頼する「委ねる祈り」をするのが、私も神様の娘として満足(?って表現あってるだろか)そして、父なる神様を信頼する、よい位置関係のような気がします。

でも、神様が良いお方であるって本当に本当に信頼できるときに委ねるのと、そういうふうにしなきゃいけないから委ねる祈りをしましたってのでは大きな違いですよね。

パパを信頼し、ジーザスオッパを信頼し、聖霊さまの知恵に従い、幸せなクリスチャンライフ、羊ライフを送りましょう^^

と、同時に力を受けて、私達は牧者ライフも送らないといけないんだけどね^^どちらも祝福です。
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