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クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

「神」の呼び名

2009-04-28 18:02:39 | 神学校
今学期の授業は
月曜 韓国教会史
火曜 組織神学特別講義 預言書 教会成長学
木曜 キリスト教教育 説教学 パウロ書信

となっていますが、韓国教会史は、韓国には珍しく、といっては大変失礼で
すが歴史認識視点が中立の教授先生が来て教えてくださり、ためになる授業
です。

本当に失礼ですが、韓国には侵略の歴史が色濃く残ることを知っていますが、
歴史認識が偏っている人たちが非常に多いです。

それというのもわれわれ日本人が侵略をしてしまったことが原因の一端を
担っているので、申し訳ない限りですが、申し訳ない以上に可哀想な歴史
認識を持ちながら学問をしたり神学をしたり、牧師をしたりすることは、
その人自身が可哀想なだけではなく、その人から習う人、そしてその教会の
メンバーにまで延々と悪い影響を引き継ぎ続けることになるので、非常な害毒を
もたらします。

教会の講壇で神様のメッセージを取り次ぐなら、それ相応の覚悟が必要で、
人の魂に影響を与える仕事を毎週数限りなくし続けているということを
心して覚えなければいけないということを考えました。
それは後に私や夫が教職になったとき、そして今も時々与えられている講壇の
奉仕に臨む時に、覚悟を持って、恐れを持って、祈ってしなければならない
ということも同時に意味しています。

韓国教会史で、私たちが信じているキリスト教の父・子・聖霊の三位一体の
神を各国でどのように呼んでいるかという話が出てきました。

韓国ではハナニムと言います。
中国ではもともと王をさしていた言葉で呼ぶそうです。
日本は神様とか神と言います。

韓国語のハナニムは、昔からシャーマニズムをしていた人たちの霊媒活動の
時に使われていた言葉から派生したそうです。

以前に教会の講壇から説教の中で「日本人は私たちのハナニムを神と呼ぶそう
だ。神は日本で言う雑神も同じ名前で、八百万の神という概念を持っている
日本でいくら神に呼び求めても、本当の神様が聞いてくれるわけがない」などと
いい加減冗談交じりのような言葉を聞かされたことがあります。

結局自分たちのハナニムという言い方がオリジナルだと思い込んで、自分の
民族性の正当さを言いたかったのでしょうが、私にしてみたら、人格的に
であった、聖書で言われる天地創造の神様が神という名で日本語の聖書に
翻訳されているゆえに、その名を呼んでイエスキリストの名で祈っている
ことをこんな風にけなされて腹立たしい思いがしました。

この説教を喜べるのは地球上で韓国人しかいません。
それって、聖書の真実を語っていることですか。

神学をやっていると、言葉では表現しきれない神様を学問で解体しようとしている
ような現状にたびたび遭遇します。そして、人間の限りある知恵であれこれと
いじくっているうちに、結局大きな間違いをしてしまう学者さんたちもいます。

自分の民族を愛することは良いでしょうけれども、それが高じて、他の国、民族に
対して適当な解釈を「自分の分かる範囲の知識で」下して、堂々と講壇から語って
しまうということが見られます。

どこの土地に生まれても、神様の特別な恵みによって信仰を持つに至った
人たちが、知識のないいい争いをしたり、ある特定の民族の人を傷つける
発言をしても、記憶にも残らず過ぎ去っていくということは、本当に、水準
の低いことといわざるを得ません。

この水準にとどまり続けないでほしいです。
これは日本が昔悪いことをしたから、ということが理由でしょうか?
もちろん原因はそこにあるので、そこに謝罪はしたいですが、自らとどまり続けて
その視点でキリスト教の教育をし続けるなら、韓国人は本当に自らの民族を破壊
に導いていると思います。

このような発言は、一部です。どこの大きな教会も同じ水準や概念では
決してありません。一部ですが、私の周りには多すぎます。

私を傷つけないで、という訴えではなく、神様から真の知識を得たいと
自分自身も願い、またこのような傷を負っている説教者も、真の知識を
得てほしいです。
本当に無駄な言い争いや、突っつきあいで、神様のすばらしい福音を曇らせる
ようなことをしないようにしたいです。


私も言葉を使って奉仕をしていき、また、人を教える奉仕を今後も教会で
していくと思いますが、人を裁くことではなく、このことから学び、また
この一部の韓国教会のために祈っていかなければいけないなと思っています。




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2 コメント

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Unknown (こめんと)
2009-04-28 19:21:48
韓国にいるからこそそういう視点も与えられる。人生において、貴重な日々をよく過ごして。
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深い問題だね。 (オキヨ)
2009-04-30 00:52:45
外国に暮らし、そこの人たちに囲まれて生活することは本当に大変。 言葉を深く理解すればするほど、通じるものもあるが、逆に越えられない深い谷も見えてしまう。
そして、鼻について仕方がない苛立ちも生じてくる。自分達と全く違う人たちを愛するが故の、「鼻につく」事態。そこを乗り越えると、また新たなステージが与えられる。 わたしは、35年異国にすんでいるが、ここの人が大好きになったり、憎んでしまったり。 その都度 違いがあるのはいいことだ、と思うようになる。きっと、わたしたちが半島の人たちに与えた傷は想像以上に深いのだろう。それをわからず、謝罪もしない日本人。 鼻につく 花 に 着く になるといいね。
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