JEMにて、木曜チャペル説教奉仕をしました。
JEMとは、日本福音宣教会。
内容は、私はちょっと躊躇する内容でもありましたが、神様が語らせてくださることに従えたと思います。
感謝です。
すばらしい神様のみことばを伝える奉仕に、さらに恐れと誇りをもって、準備して進んでいきたいです。
また日ごろの神学の勉強を本当に大事にしたいと思います。
神学のしっかりとした基礎があってこその、福音であることを今日も授業で教えられました。
福音は個人的な体験だけでは裏づけができないものであり、変わらない福音を信じている人が告白する「使徒信条」、これは、ある時代には告白することだけで命がけであったことを授業で聞きました。
信仰告白を一番短く言えば、「イエスキリスト」であるといいます。
その言葉が意味しているものは、
イエスという方が救い主である。
イエスという方が、こられた王であられる。
イエス様は神の子羊である。
イエス様は、油そそぎを受けられた方である。
これを告白する「イエスキリスト」という言葉一言で、命がけだったという時代を経て、今も教会で告白される使徒信条があるのです。
ですから、その血と涙で守り通された、私達の公同の告白の内容について常に一致してるために、個人的な体験だけではなく、神学の柱がなければいけません。
だから、本当に尊い学びをさせてもらってるんだと、改めて思いました。
ところで、説教奉仕は、するときとても大変ですが、聖書と対峙する時間、恵まれますし、自分の想いではなく神様のお心を知ろうと、一生懸命御前に出られる、おおきな特権です。
日本の母教会でも、つきに一度や二度は、早天のメッセージをさせてもらっていました。その時も、夜中徹して格闘することもありましたが、恵まれる奉仕でした。
私は、基本的に、文字を書くほうが得意のようなので、ついつい文章が長く複雑になっていきます。通訳の伝道師さんを少々困らせてしまいましたが、だんだん訓練を積んで、さらに人に神様の御心を分かち合える、良い説教者として育っていけたらと思います。
またの機会が与えられることを願いつつ、神様に心から感謝します。
JEMとは、日本福音宣教会。
内容は、私はちょっと躊躇する内容でもありましたが、神様が語らせてくださることに従えたと思います。
感謝です。
すばらしい神様のみことばを伝える奉仕に、さらに恐れと誇りをもって、準備して進んでいきたいです。
また日ごろの神学の勉強を本当に大事にしたいと思います。
神学のしっかりとした基礎があってこその、福音であることを今日も授業で教えられました。
福音は個人的な体験だけでは裏づけができないものであり、変わらない福音を信じている人が告白する「使徒信条」、これは、ある時代には告白することだけで命がけであったことを授業で聞きました。
信仰告白を一番短く言えば、「イエスキリスト」であるといいます。
その言葉が意味しているものは、
イエスという方が救い主である。
イエスという方が、こられた王であられる。
イエス様は神の子羊である。
イエス様は、油そそぎを受けられた方である。
これを告白する「イエスキリスト」という言葉一言で、命がけだったという時代を経て、今も教会で告白される使徒信条があるのです。
ですから、その血と涙で守り通された、私達の公同の告白の内容について常に一致してるために、個人的な体験だけではなく、神学の柱がなければいけません。
だから、本当に尊い学びをさせてもらってるんだと、改めて思いました。
ところで、説教奉仕は、するときとても大変ですが、聖書と対峙する時間、恵まれますし、自分の想いではなく神様のお心を知ろうと、一生懸命御前に出られる、おおきな特権です。
日本の母教会でも、つきに一度や二度は、早天のメッセージをさせてもらっていました。その時も、夜中徹して格闘することもありましたが、恵まれる奉仕でした。
私は、基本的に、文字を書くほうが得意のようなので、ついつい文章が長く複雑になっていきます。通訳の伝道師さんを少々困らせてしまいましたが、だんだん訓練を積んで、さらに人に神様の御心を分かち合える、良い説教者として育っていけたらと思います。
またの機会が与えられることを願いつつ、神様に心から感謝します。
今日の説教、本当によかったです^^
説教を聞きながらいろいろ考えてみました。
その基礎のうえに今いられるのだとあらためて、思わされた。
今日も礼拝さえ、いのちがけっていう人々があることを思い出した。
奉仕の機会が与えられて、はrれrるや。
지금 인도에서 박해 받고 있다고 하네요,,,
우리 나라 일본 크리스찬들이 좀 미지근하지않을까,,,,
아니,,,실은 내가 그렇다,,,,
하나님, 용서해 주세요....
日々新しくそういう事を学んでいくことも、意味があります。
体験と、有益な情報・・・
すべては知識になるのではなく、含めてすべて生きた神様とのコミュニケーションと実践的な信仰生活に結び付けられていくのです。
인도에서의 박해 저도 들었어요...
일본이 옛날에 한국이나 중국으로 향해서 한거랑 똑같아고...우리 엄마가 말했습니다.
그래서 저는 더 마음이 아픕니다.
이제야 아픔을 주는 나라가 아니가 같이 살아가는 기독고인들이 됩시다.
기도로 우리 함께 중보합시다!