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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

9・11テロと真珠湾攻撃は米国の陰謀だったらしい

2012-10-11 | 日記
孫崎亨 『日米同盟の正体』 ( p.60 )

 九・一一同時多発テロ前の米国の安全保障政策はどういうものであったか。
 ソ連の崩壊によって米国は世界最強の軍事組織を確立した。しかし、一九九三年一月から二〇〇一年一月まで継続したクリントン大統領の政権は、安全保障にさしたる関心を持っていない。米国は、せっかく築いた最強の軍事組織が弱体化する危険を孕み(はらみ)始めた。ここに九・一一同時多発テロが発生した。これによって、軍事行動をより積極的に行いうる環境が生まれた。では、最強の軍事組織の堅持を望むグループが九・一一同時多発テロの発生を誘導する動きをすることはなかったのであろうか。

(中略)

 二〇〇二年一月二七日、ワシントン・ポスト紙一面は、九・一一同時多発テロが生じた日のブッシュ大統領の行動を詳細に報道した。その中で、「ブッシュは『本日二一世紀の真珠湾攻撃が発生した』と口述させた」(筆者訳)と報じた。では、ブッシュが口述させた「二一世紀の真珠湾攻撃」という言葉が意味するものは何か。
 その際には、まず、真珠湾攻撃の意味を理解する必要がある。じつは真珠湾攻撃は、第二次大戦の英国の状況と深く関連している。当時英国はドイツの攻撃にさらされ、瀕死の状況であった。これを打開するには米国が参戦し、ドイツと戦ってくれる必要がある。しかし、米国国民は第二次大戦に参戦するつもりはなく、中立の立場を貫いていた。ここで真珠湾攻撃が生じた。
 当時、英国首相だったチャーチルは、『第二次世界大戦』(河出書房新社、一九七二年)に真珠湾攻撃の目の感銘を次のように記している。
「一七ヵ月の孤独の戦いの後、真珠湾攻撃によってわれわれは戦争に勝ったのだ。日本人は微塵に砕かれるであろう。私はかねて米国の南北戦争を研究してきた。米国は『巨大なボイラーのようなもので、火がたかれると、作り出す力に限りがない』。満身これ感激と興奮という状態で私は床につき、救われて感謝に満ちたものだった」
 チャーチルは真珠湾攻撃があったから、英国が救われたと述べている。チヤーチルは南北戦争を研究してきたと言っている。たしかに南北戦争の始まりは、見事なくらい、真珠湾攻撃と類似している。この事情は清水博の『世界の歴史17 アメリカ合衆国の発展』(講談社、一九七八年)によると、リンカーンは奴隷州の連邦からの分離は認めないと明言し、同時に「南部が攻撃しないかぎり、戦争は起こらない」という主旨を述べたという。南部にあるサウスカロライナのチャールストン港入口にあるサムター要塞はまだ星条旗を掲げていた。リンカーンはこれに食糧の補給をすると通報し、補給艦を派遣したが、南部はこれを北部の挑戦と受け止め、要塞を攻撃した。北部では星条旗が砲撃されたとして、「旋風のような愛国心」が巻き起こった。
 リンカーンは南部が独立する動きを見せている中、米国の統一には、戦争が必要と見ている。自ら戦争を開始することはなかったが、南部から先に攻撃させる状況を作り、攻撃を受けた国民の怒りを背景に、望んでいた戦争に突入させた。
 真珠湾攻撃が米国安全保障関係者の間でいかなる評価を得ているか。
 キッシンジヤーは『外交』(日本経済新聞出版社、一九九六年)で真珠湾攻撃を、「アメリカの参戦は、偉大で勇気のある指導者の並たいていでない外交努力が達成した大きな成果だった。……孤立主義的な国民を大規模な戦争に導いた」と「評価」している。同書によると、一九四〇年五月まで米国人の六四%は平和の維持はナチスの敗北より重要だと考えていたが、真珠湾攻撃で、ナチスの勝利を妨げることより平和を望むのは三二%になった、という。
 キッシンジヤーは、「並たいていでない外交努力」て米国が参戦できたと書いている。並たいていでない外交努力で戦争を避けたのではない。外交努力て参戦できたという表現を使用している。米国が日本につきつけた満州を含む中国全土からの撤退という要求は日本がのめないものと見なしている。
 英戦略家ベイジル・リデル・ハートは、『戦略論』(原書房、一九八六年)で、四一年八月一日のルーズベルトの対日石油禁輸命令について、日本\i戦うしかないという成り行きに陥ることはわれわれが以前行った研究によって、われわれが常に意識してきたことである、日本が四ヵ月以上も自らの攻撃を繰り延べたことは注目すべき事実である、と述べている。
 これらを踏まえて,ブッシュが日記に口述させた、「本日二一世紀の真珠湾攻撃が発生した」の意味合いを考えてみたい。
 BBC(英国放送協会)は二〇〇二年八月、「ブッシュ大統領は二一世紀のチャーチルか」との題で、ブッシュはチャーチルに対して崇拝の気持ちを持っていると報じた。ブッシュは、ホワイトハウスにチャーチル像を持っている。そんな彼は当然、チャーチルの代表作『第二次世界大戦』の真珠湾攻撃についての記述も知っているだろう。さらに、キッシンジャーはブッシュ政権下、助言者として、最も頻繁にホワイトハウスを訪れていた。こう見ると、ブッシュの「二一世紀の真珠湾攻撃」は偶然出てきた言葉ではない。

(中略)

 一九九七年六月、米国の有力な保守主義者たちは、「二〇世紀の歴史は危機が生ずる前に状況を整える必要があり、危機が差し迫る前に対応する必要があることを教えた。われわれは地球規模の責務を追求するため国防費を大幅に増強すべきである」(筆者訳)等を主張点とする「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」というグループを立ち上げた。このグループは保守強硬派をほぼ網羅し、二〇〇一年にブッシュ政権が成立するや、安全保障関係の中核を構成した。設立趣意書の署名者(s)及び会員には次ぺージの表の人物がいる。
 この表を見ると、PNACメンバーはパウエル国務長官を除き、国務省、国防省の中核をほぼ完全に押さえている。このPNACは九・一一テロの一年前の二〇〇〇年九月、PNACの数々の文書の中でも最も重要な「米国防衛再建計画」を公表した。
 この文書は、米国は新たな世紀において、安全保障面で世界の指導的立場を維持するために変革に取り組むべきであると主張した後、「新たな真珠湾攻撃のように大惨事を呼びかつ他の現象を引き起こしていく事件がなければ、この変革は長いものになるだろう」(筆者訳)と述べた。
 つまり、軍事力強化には議会の反対などがあって容易ではないが、新たな真珠湾攻撃があればその壁も破れ、米国の軍事優位が確保できる体制が作れると主張している。したがって新たな真珠湾攻撃の発生を歓迎している。米国は新たな真珠湾攻撃を受ける危険があるので避けなければならないと述べているのではない。歓迎するとしている。
 おそろしい話であるが、同時多発テロ事件が生じたとき、国防省、国務省の幹部は第二の真珠湾攻撃を歓迎する立場の人々が占めていた。勿論ブッシュ大統領も承知していたであろう。


 9・11テロ事件は、真珠湾攻撃と同様、米国の陰謀である、と書かれています。



 引用文中には「この表」とあります。「この表」を以下に転記します(↓)。



ブッシュ政権における主なPNACメンバー
               (s)は署名者

 人物名             ブッシュ政権での役職等

エリオット・エイブラムズ(s)   NSC中東部長
ジェブ・ブッシュ(s)       ブッシュ大統領の弟、フロリダ州知事
ディック・チェイニー(s)     副大統領
アーロン・フリードバーグ(s)   副大統領安全保障担当
ロバート・ケーガン(s)      ネオコンの中心的存在
ルイス・リビー(s)        副大統領首席補佐官
ドナルド・ラムズフェルド(s)   国防長官
ポール・ウォルフォウィッツ(s)  国防次官
リチャード・アーミテージ     国務副長官
ジョン・ボルトン         軍備管理担当国務次官補
リチャード・パール        国防政策諮問委員会委員長



 著者の記述は、説得力にあふれています。

 「米国に利用された日本のシーレーン防衛構想」において、米国の「戦略構想能力」の一端が示されたわけですが、

 今回の事例は、「戦略」を越えて、もはや「陰謀」である、といってよいでしょう。



 もちろん、上記事実関係が証明されたからといって、9・11テロ事件や真珠湾攻撃が「陰謀」である、ということにはなりません。これらはすべて、間接的に「陰謀」を示す事実にすぎず、直接的に「陰謀」があったと示す証拠ではないからです。

 しかし、「陰謀」であると考えるに足る十分な根拠が示されている、といってよいと思います。

 とくに、上記引用文のうち、下記の部分は圧倒力な説得力があります。
 真珠湾攻撃が米国安全保障関係者の間でいかなる評価を得ているか。
 キッシンジヤーは『外交』(日本経済新聞出版社、一九九六年)で真珠湾攻撃を、「アメリカの参戦は、偉大で勇気のある指導者の並たいていでない外交努力が達成した大きな成果だった。……孤立主義的な国民を大規模な戦争に導いた」と「評価」している。同書によると、一九四〇年五月まで米国人の六四%は平和の維持はナチスの敗北より重要だと考えていたが、真珠湾攻撃で、ナチスの勝利を妨げることより平和を望むのは三二%になった、という。
 キッシンジヤーは、「並たいていでない外交努力」て米国が参戦できたと書いている。並たいていでない外交努力で戦争を避けたのではない。外交努力て参戦できたという表現を使用している。米国が日本につきつけた満州を含む中国全土からの撤退という要求は日本がのめないものと見なしている。




 9・11テロ事件も、真珠湾攻撃も、著者の推測が真実であるとすれば、米国は、目的実現のために、「米国国民を犠牲にしている」ことになります。

 さすがに、ここまでやるのは「いきすぎ」ではないかと思います。



 ところで、引用文中にはありませんが、本書のなかで、著者はしきりに、「日本人には戦略構想能力がない」と述べています。

 しかし、私は、日本人には戦略構想能力がない、という著者の考えかたには反対です。

 なぜなら、私でも「戦略」は思いつくからです!!

 したがって、日本人に「戦略構想能力がない」なんてことはあり得ないと思います。



■追記
 (1) 私は日本人です。
 (2) この本の著者は陰謀論を主張していますが、元外交官です。

米国に利用された日本のシーレーン防衛構想

2012-10-10 | 日記
孫崎亨 『日米同盟の正体』 ( p.36 )

 多くの日本人は、シーレーン防衛構想によって対潜水艦哨戒機P-3Cを保有したのは、石油を主体とする補給海路の確保のためであると理解している。だがそれは間違っている。次の文献を見ていただきたい。
 二〇〇一年に国家安全保障会議(NSC)日本・朝鮮担当部長、〇四年同上級アジア部長兼東アジア担当大統領特別補佐官の任に就くなど、米国国内で東アジアの専門家として信任されているマイケル・グリーンは、論文「力のバランス」で次のような説明をしている。
 当時、米国を標的とする核兵器の三本柱の新たな一本である潜水艦のために、ソ連がオホーツク海を海の要塞として使用していることに米国海軍はますます懸念を強めていた。レーガン政権は、米国の焦点を極東の同盟国に役割と任務を割り当てる問題へと移した。
 シーレーン防衛の政治的承認を勝ち取るための好機は、鈴木善幸総理が一九八一年五月、ワシントンを訪問したときに訪れた。鈴木は一〇〇〇カイリのシーレーンの防衛を意味することを宣言した。
 この距離はオホーツク海のソ連海軍力を封じ込めるに十分だった。おそらく、鈴木自身は自分の言った言葉の意味を十分に咀嚼(そしゃく)していなかった。これは欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応するためオホーツク海のソ連の潜水艦を攻撃することを意味していた。
 日米同盟は何十年にわたり、アメリカを軍事的にアジアに留め、そして日本を西側に留めておくための道具であった。いまや、この同盟はソ連に対するアメリカのグローバルな軍事封じ込め戦略の中心的な構成部分となった。(スティーヴン・ヴォーゲル編著『好立か協調か』中央公論新社、二〇〇二年所収の要約)

 グリーンのこの解説は驚くほど率直である。グリーンは「いまや、この同盟はソ連に対するアメリカのグローバルな軍事封じ込め戦略の中心的な構成部分となった」、日本のシーレーン構想は「欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応する」戦略の一環であると述べている。当時、日本政府の関係者の中で、こうした説明を国民に行った人はおそらく皆無であろう。さらに言えば、ぞっとする話であるが、当時、日本政府内にこのことを理解していた人はいなかったのではないか。これが日本の安全保障政策の実態てある。

(中略)

 日本は安全保障政策を考えるとき、ともすると米国の説明を鵜呑みにしたり、自分の論理だけで構成する。日本の安全保障を考える際は、常に国際的安全保障全体の中でどう位置づけられるかの視点がないと、とんでもない間違いを犯す。
 グリーンの議論、特に欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応するためという部分は、日本の政策を考える際には、世界全体の安全保障の状況を考えなければならないことを示す好個の材料である。この問題がどうなっていたかをいくつかのステップに分けて説明してみよう。
  • 第一ステップ――一九七〇年当時、欧州戦線では、ソ連側は戦車の数で優位だった。質の面でNATO(北大西洋条約機構)側が優れ、軍事バランスは西側に優位である。しかし、量で優位に立つソ連が、自分は優位にあると判断し西欧を攻撃する危険性があった
  • 第二ステップ――ソ連が陸上戦闘を始めたときには米国はソ連を核攻撃する態勢をとった。その際、米国はソ連のICBM(大陸間弾道ミサイル)をほぼ完全に破壊する。したがって、米国本土が核で反撃されることはない。この態勢が維持できる限り、ソ連は第一ステップをとれない
  • 第三ステップ――ソ連がこれに対抗して欧州ではバレンツ海、東アジアではオホーツク海に戦略潜水艦を配備した。この戦略潜水艦が米国の攻撃時にも生き残るとなると、ソ連はニューヨークやワシントン等に報復攻撃を行いうることとなる。その際には仮にソ連が欧州戦線で陸上攻撃した際にも、米国は自国への核報復攻撃を恐れ、反撃できない
  • 第四ステップ――米国はバレンツ海、オホーツク海でのソ連の戦略潜水艦を攻筆する態勢を整える。バレンツ海での作戦は当時のNATO戦略の最重点地域となる
  • 第五ステップ――オホーツク海の周辺はソ連が実効支配している地域で囲まれている。さらに米国は七〇年代、東アジアの軍事的重要性は減少したとして、東アジアでの米軍の近代化を実施しなかった。オホーツク海のソ連の戦略潜水艦をめぐっての海上、航空戦闘能力はソ連の方が優位ですらあった。米国は対潜水艦攻撃能力を急増させる必要がある。しかし、国家予算の制約もあり、米国だけでは実施できない
  • 第六ステップ――対潜水艦攻撃能力強化に日本を参加させることを考える。しかし、日本人は戦略問題で巻き込まれることを警戒するので、戦略を述べず、日本人だけに通ずる論理を組み立てる。幸い日本は経済問題の利害に敏感で、日本経済は石油に依存している。これを利用し、このルートがソ連の潜水鑑によって攻撃される危険性を強調する。これによって日本に潜水鑑攻撃能力を持たせる。日本向けには南のシーレーン確保のためと言う。しかし、実際は北のオホーツク海を想定すればよい。ソ連がそう認識すれば抑止の効果が出る
  • 第七ステップ――日本は第六ステップの論理を受け入れる


 次にデヴィッド・リヴキンの論文を紹介したい。この論文は米国海軍関係で最も権威のある "PROCEEDINGS" 誌の一九八四年最優秀論文となった。
「ソ連は戦争では一気に政治・軍事の中心部を攻撃する戦略をとっており、海上輸送路を遮断するという作戦の比重は極めて低い。かつ最近の運用を見るとオホーツク海での戦略潜水艦を守ることに集中し、輸送路攻撃の比重はさらに下がっている」(筆者訳)

(中略)

 この問題で深刻なのは、日本がシーレーン防衛構想への参加を決めた際、シーレーン防衛構想を米国の戦略、特に欧州戦線との関連で考えた形跡がほとんどないことである。


 多くの日本人は、シーレーン防衛構想によって対潜水艦哨戒機P-3Cを保有したのは、石油を主体とする補給海路の確保のためであると理解している。だがそれは間違っている。実際には、米国の戦略を見抜けなかった日本が、米国に利用されたのである、と書かれています。



 おそらく著者の主張する通りなのでしょう。日本は、米国の戦略を見抜けず、米国に利用されたのでしょう。



 ここで、考えかたは2通りあります。

 一つは、米国は日本を利用しようとしている。日本は「汚い」米国と関わるべきではない。日米安保を破棄すべきである、という考えかた。

 一つは、だからといって、日米安保を破棄すべきではない。日本も戦略思考を身につければよい、という考えかた。



 上記のうち、どちらが適切でしょうか?

 現実問題として、いまの日本は、米国との同盟関係なしに安全を確保することは不可能でしょう。少なくとも、いまの段階では、現実的な選択肢としてあり得ない。

 とすれば、日本は日米安保体制を継続するほかに、選択はあり得ない、といえるのではないでしょうか。



 さらにいえば、米国が本当に「汚い」といえるのかも、疑問があります。

 米国は、「日本とともに、戦略を練りたかった」けれども、日本側にその意思または能力が欠けていたために、米国側は、日本を「騙して利用する」形をとらざるを得なかった、と考えられます。

 その根拠は、上記引用部のうち、
日本人は戦略問題で巻き込まれることを警戒するので、戦略を述べず、日本人だけに通ずる論理を組み立てる。幸い日本は経済問題の利害に敏感で、日本経済は石油に依存している。これを利用し、このルートがソ連の潜水鑑によって攻撃される危険性を強調する。これによって日本に潜水鑑攻撃能力を持たせる。日本向けには南のシーレーン確保のためと言う。しかし、実際は北のオホーツク海を想定すればよい。ソ連がそう認識すれば抑止の効果が出る
の部分です。

 日本側に、米国とともに戦略を練る意思・能力さえあれば、日米の同盟関係は、もっとすばらしいものになっていたと考えられます。



 とすれば、問題は結局、日本政府、とりわけ当時の外務省の無能である、ということにはならないでしょうか?

 日本側も「米国とともに、戦略を練る」態勢を整えれば、それですむ話だと思います。



■関連記事
 「安全保障戦略の根幹
 「「日米同盟:未来のための変革と再編」の要点

安全保障戦略の根幹

2012-10-09 | 日記
孫崎亨 『日米同盟の正体』 ( p.9 )

 日本でもいままで安全保障に関する議論は行われてきた。しかしこれまでの安全保障論議では、誰が敵か、いかなる手段で攻撃してくるか、攻撃を避けるためにいかなる対応をするかの議論が不在であった。わが国の安全保障の根本は、他の国に軍事攻撃をさせないことにある。
 それは従来の日本の安全保障政策が根本的欠陥を持っていることに起因する。
 第二次大戦以降、世界の軍事戦略では、他の国がなぜ攻撃しないかとの問いに対する安全保障上の答えは、攻撃した国が軍事的に攻撃以上の報復を受けることである。
 この軍事戦略論に基づけば、日本自らが、日本を攻撃した国に対して、日本に与えた被害以上の被害を与える能力を持つことが最も自然である。しかし、日本にその能力はない。じつはこの選択は単に日本独自の選択ではない。第二次大戦後の日米同盟という約束事に、明文化されていない重大な取り決めがある。それは日本が攻撃能力を持たないことである。
 その役割は米軍が担っている。しかし、どこまでの確実性を持っているのか。ヘンリー・キッシンジヤーは、代表作『核兵器と外交政策』(日本外政学会、一九五八年) の中で、「全面戦争という破局に直面した場合、長くアメリカの安全保障の礎石だったヨーロツパといえども、全面戦争に価いすると(米国の中で)誰が確信しうるだろうか?」「アメリカ大統領は、西ヨーロッパとアメリカの都市五〇とを引換えにするだろうか?」「西半球以外の地域はいずれも敢えて『争う価値』がないようにみえてくる危険が大きいのである」と記述している。
 こうしてみると、わが国の安全保障をどう確保するかは、極めて脆弱な基盤の上にあることに気づく。
 では、たとえば、中国はなぜ日本を軍事的に攻撃しないのか。中国が核兵器で日本を破壊したいと思ったとき、日本にはこれを阻止できるだけの軍事力はない。中国は米国の報復力を恐れてのみ日本攻撃を思いとどまるのか。米国が中国を核攻撃すれば、中国はニューヨーク、ワシントン等に報復攻撃を行う力がある。キッシンジャーの説に従えば、自国の主要都市を犠牲にしてまで米国が同盟国のために戦うかどうかは疑問がある。では、なぜ中国が日本を攻撃しないのか。
 攻撃を行わない大原則は、繰り返すが、攻撃した国が逆に軍事的に攻撃以上の報復を受けること、あるいは犠牲を受けることである。もっともこの報復や犠牲は軍事に限らない。
 ソ連の崩壊後、中国を含めどの国も、共産主義の理念では国民の支持を得られない。今日の中国の体制は、ナショナリズムの高揚と、国民に経済発展を約束することによって維持されている。中国経済が国際経済に組み込まれた今日、日本への軍事攻撃は日中貿易を途絶えさせる。当然中国は真大な経済的損失を被る。他の国も中国との関係を差し控える。これらの被害は中国国民が受容できる限界を超える。つまり中国経済を国際経済に組み込むことは、じつは日本の安全保障に貢献する措置でもある。そのことは北朝鮮に関してもあてはまる。
 こう見てくると、今日の安全保障戦略を考えるとき、狭い意味の軍事のみでなく、経済的結びつきも含めて考えるという広い視野を持って考察する必要がある。こうした観点を含めての安全保障論は従来ほとんど存在していなかった。本書ではこの視点を含め、日本の安全保障を考察しょうとするものである。


 上記内容を要約すれば、
  1. ある国はなぜ、他の国を攻撃しないのか。その答えは、現在の軍事戦略論によれば、「攻撃した国が軍事的に攻撃以上の報復を受ける」からである。
  2. ではなぜ、中国は日本を軍事的に攻撃しないのか。日本には報復能力はないし、米国が報復するかどうかもわからない。上記軍事戦略論では説明不可能である。
  3. 中国が日本を攻撃しないのは、経済的に中国が大きな損失を被るからである
  4. したがって安全保障戦略を考える際には、経済的結びつきをも併せ考える必要がある
となります。



 上記のうち、結論部分、すなわち安全保障戦略を考える際には、経済的結びつきをも併せ考える必要がある、という部分には同意します。

 しかし、それのみでは、日本の安全は保障されないでしょう。

 なぜなら、今日、中国は国際経済に組み込まれてきているにもかかわらず、近年、中国は日本に対し、圧力を弱めるどころか、強める方向に動いているからです。

 このことは、著者の主張が破綻していること、すくなくとも論理として「弱い」ことを示しています。

 したがって、「経済的結びつきをも併せ考える必要がある」という著者の主張の結論部分には同意しますが、「経済のみでは」日本の安全保障戦略として不十分であることは、あきらかです。



 近年、中国が日本に対して圧力を強めている背景には、日米安全保障体制の弱体化があると思います。普天間飛行場移設問題や、オスプレイ配備問題などにより、日米の安全保障体制にきしみが現れるとともに、中国の対日圧力は大きくなっているからです。

 したがって、著者の論理は「誤り」で、今日においてもなお、安全保障の中核的要素は軍事面であると考えなければなりません。経済的要素は、軍事的要素を補強する程度のものでしょう。



 それではなぜ、中国は日本を(核)攻撃しないのか。

 その理由は、「米国が報復するかもしれない」からだと思います。



 中国の立場に立って考えてみます。

 「日本には報復能力はないし、米国が報復するかどうかもわからない」。でも、「米国が報復するかもしれない」。

 これで十分です。中国が日本を(核)攻撃することは、現実問題として難しいでしょう。



 もっとも、米国による報復は、「あるかもしれない」し、「ないかもしれない」。両方の可能性が考えられます。

 したがって日本自身が核武装することが望ましいと思います。日米関係、米中関係がどうなるかわからないからです。

 とすれば、いまの段階においては、日本は米国と協調しつつ、じっと時期を待つことが得策であると思います。したがって当然、「日米同盟:未来のための変革と再編」は好ましいものとして、肯定的に捉えることになります。



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「日米同盟:未来のための変革と再編」の要点

2012-10-08 | 日記
孫崎亨 『日米同盟の正体』 ( p.3 )

 二〇〇五年一〇月二九日、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官は、「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書に署名した。日本ではこの文書はさほど注目されてこなかったが、これは日米安保条約にとって代わったものと言っていい。
 何が変わったか。まずは対象の範囲である。
 日米安保条約は第六条で、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」とする極東条項を持っている。あくまで日米安保は極東の安全保障を確保することを目的としている。それが「未来のための変革と再編」では、同盟関係は、「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」とした。日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大された。

(中略)

 次に理念面である。ここでは質的に大きな変化をとげている。日米安全保障条約は前文において「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念……を再確認し」、第一条において「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎む」「国際連合を強化することに努力する」として国際連合の役割を重視している。しかし、「未釆のための変革と再編」ではこうした傾向は見られない。代わって出てきたのは、日米共通の戦略である。では日米共通の戦略とは何か。
 われわれは、米国に戦略があることは承知している。しかし、戦後日本に確固たる安全保障戦略があるとは承知していない。日本が米国の戦略に従う以外にいかなる共通の戦略があるのか。春原剛氏は『同盟変貌』(日本経済新聞出版社、二〇〇七年)で、「『同盟関係』と言うが、実態は米国が重要な案件を『一方的に決めているだけ』」という守屋武昌元防衛事務次官の言葉を紹介している。残念ながら、守屋元防衛次官の発言は、今日の日米安全保障体制の本質を極めて的確に表したものと言える。
 日本は、日米共通の戦略で国際的安全保障環境を改善する国際的活動に協力することを約束した。よくよく見ると、現時点ではこれは差し迫る脅威に対抗するものではない。国際的安全保障環境を改善するため、世界を力で米国モデルに変革しようとする理念の実現のためである。イランの核関連施設を排除すること、北朝鮮の政権を打倒すること、アフガニスタンでタリバンを駆逐することを、日米が国際的安全保障環境を改善するものであると認定すれば、理念上日本は米国の軍事行動に協力することになる。
 かつ、日米安全保障の新たな枠組み模索の中で、中心課題の一つが日本による危険の負担である。別の言葉に言い換えれば、自衛隊員に死を覚悟してもらうことである。


 「日米同盟:未来のための変革と再編」によって、日米安保条約は実質的に変更された。変更点は2つ。「対象の範囲」と「理念面」である。対象が極東から世界に拡大され、理念は国連重視から日米共通の戦略へと変更されたのである、と書かれています。



 ここには引用していませんが、著者は本書で、この変更は「好ましくない」ものであると捉えています。

 しかし私は、この変更は「好ましい」ものであると思います。

 まず対象面。いまや、日本の安全保障を考えるにあたって、極東だけを考えていればすむ時代ではないと思います。世界の他地域の問題が日本の安全保障に大きな影響を及ぼしている以上、対象を世界に広げることには、特段の問題はないでしょう。
 また、自衛隊の防衛能力を高めるうえで、他の地域に出ていくことは有益だと思います。「演習」以上の効果を、自衛隊の防衛能力にもたらすはずです。
 そもそも、いわゆる左翼的な思考に則った場合であっても、他国との協調関係によって日本を守ろうとする以上、日本は、危機に陥っている他国を助けなければならないはずです。相手が困っているときには助けないが、自分 (日本) が困っているときには助けてくれ、という主張は、(一般に) 受け入れられないからです。

 次に理念面。日本は米国の戦略に従う以外にない、という点ですが、その根拠は「戦後日本に確固たる安全保障戦略が」なく、「実態は米国が重要な案件を『一方的に決めているだけ』」だという点にあります。
 とすれば、日本が「確固たる安全保障戦略」をもてば、それですむ話だと思います。
 現実問題として、いまの日本には防衛力 (=軍事力) の強化が必要だと思います。したがって、米国が日米安保条約を実質的に変更する「未釆のための変革と再編」を求めてきたことは、日本にとって好都合ではないでしょうか。日本が独自の「安全保障戦略」をもち、それを「日米共通の戦略」に反映させるならば、なんら不都合はありません。

 以上により、私は著者とは異なり、「日米同盟:未来のための変革と再編」を問題視する必要はないと思います。



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 「「日米同盟:未来のための変革と再編」の意義

OCRで重要なのは原稿の「向き」

2012-10-03 | 日記
 このブログは引用を元に考える、というスタイルをとっているので、必然的に引用が多くなります。



 これまで、引用は主として手入力で行っていました。OCR ( Optical Character Reader, 光学式文字読取装置 ) の性能を信用していないからです。

 英語はともかく、すくなくとも日本語入力に関しては、手入力のほうが確実で速いでしょう。

 かなり前ですが、出版社ですら、(性能に問題があるので)OCRソフトを使わず、アルバイトの手入力に頼っている、という話もありました。



 そろそろOCRソフトも進化しているかもしれないと思い、今日、試してみました。

 同じ原稿なのに、なぜか読み取れたり読み取れなかったりで、試行錯誤を繰り返した結果、ついに一定の傾向をみつけました。

 問題は原稿の「向き」です。

 原稿を(私の感覚では)不自然な向きにセットすると、(それなりに)文字が読み取れることがわかりました。

 もちろん入力チェックと、手入力での訂正は必要ですが、入力が(それなりに)速くなります。

 このブログの更新も確実に増えると思います。



 みなさんもOCRを使う必要が生じたときには、「向き」を変えて試してみてくださいね。

 なお、参考までに記しておきますが、私が試した原稿は、すべて、「縦書き」です。