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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

営業特金

2009-10-05 | 日記
紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.160 )

 一部の大企業だけが、損失を補填されたとあっては、投資家が怒ったのも当然だった。総会屋や暴力団は論外としても、補填を要求した企業には言い分があった。証券会社は、"利回りを保証して" 企業の資金を預かり運用を請け負っていたからである。
 しかも、補填したのは、平成2年以降の損失ではなかった。あたかもバブル破裂の象徴のように扱われた事件だったが、損失補填を受けたのは、昭和62年の世界的株価暴落、ブラックマンデーによって生じた損失だった。
 1980年代のバブルの時期、大手、準大手を問わず証券会社が手を染めていたのが、「営業特金」と呼ばれた「取引一任勘定」だ。営業特金は、企業にとっては財テクの丸投げ、証券会社にとっては手数料稼ぎができる商品であった。本来なら信託銀行を介するべき業務であったが、実質的に証券会社の法人営業部へ一任されており、それで営業特金と呼ばれたのである。
 営業特金の利回り保証は、おおむね7%程度と言われたが、日本ではブラックマンデーの傷は浅く、1980年代後半の株価上昇の大きさを考えれば、その実現は容易だったはずなのである。
 それにもかかわらず、営業特金は大きな損失を出した。なぜか。証券会社が異様なまでの売買を繰り返し、バブル時代の株価上昇も追いつかないほどの売買手数料稼ぎが行われたからである。そのために企業の運用資金が食い潰されたのである。営業特金の手数料荒稼ぎは、もちろん大蔵省も承知であった。
 平成元年の暮、大蔵省は証券会社に対し、営業特金の解約を促す通達を出した。それまで見逃してきた利回り保証を明確に禁じ、証券会社の一任勘定をやめさせた。


 「損失補填」 をめぐる、バブル崩壊後の状況が書かれています。



 バブル崩壊前の 「損失」 を補填したことが ( バブル崩壊後に ) 報道され、大問題になった。証券会社が大企業を特別扱いし、優遇している、と報じられ、その不公平に対して一般投資家は怒ったが、大企業にも言い分があった。「利回りを保証」 された取引だった、というのですが、

 証券取引に利回り保証はありえないのではないか、と思います。すなわち、大企業は大企業で、不自然さを感じ取ってもよかったのではないかと思います。

 また、証券会社が大企業を特別扱いし、優遇するのは当然だとは思いますが、利回り保証は行きすぎではないかと思います。



 しかし、この話で強烈なのは、大口の 「大切なお客様」 である大企業にも、不利益を与える取引を証券会社が行っていた、というところです。そのことをも考えれば、本当に優遇されていたのか、疑問が残ります ( もっとも、最終的に損失が補填されたなら、優遇されていた、と考えてよいとは思います ) 。



 バブル崩壊後の株価暴落には、このあたりの、証券会社・証券取引に対する不信感も、影響を及ぼしていたはずです。著者は 「改革」 を行わなければ日本経済は悪化しなかった、と主張されています ( 「構造改革否定論の概要」 参照 ) が、金融改革は、必要不可欠だったと考えるべきだと思います。

弁護士需要はある

2009-10-04 | 日記
丸の内ビジネスマンの独り言」 の 「新司法試験、合格率最低の27%

ついに司法試験の合格率が27%となってしまった。

実力が無い受験者が多かったといえばそれまで。

しかし、「優秀な」法曹は明らかに足りない。

再三お伝えしているとおり、またビジネスマンの大部分が思っているとおり、沢山合格させて、競争させればいい。


 「優秀な」 法曹は明らかに足りない。たくさん合格させて、競争させればよい、と書かれています。



 「優秀ではない」 法曹が多い、という含みがあると思われますが、すくなくとも、弁護士の需要がない、というのは実態とは異なる、と考えてよいと思います。

 「「はじめに増員反対ありき」 の弁護士?」 に書きましたが、弁護士および弁護士会の 「需要がない」 という主張は、需要側の意見を無視しているのではないか、と思われてなりません。既得権 (?) を守るために、わざと需要を少なく見積もっているのではないか、という疑いもあります。





合格者2010年に3000人、

法曹人口18年に5万人(08年約3万1000人)、

という目標はどこにいっちゃったんだ。

とにかく新政権は早く見直しに着手して欲しい。


 法曹増員目標の実現に向け、新政権には早く見直しに着手して欲しい、と書かれています。



 おなじ 「見直し」 でも、「「受け皿」 は問題にならない」 で引用した小倉弁護士の見解とは、正反対の意見が述べられています。

 それでは、どちらの意見が適切なのか。

 私としては、弁護士について、「受け皿」 を問題にする必要はないと思いますので、「増員の推進継続に向けた見直し」 を行うべきだと考えます。そもそも、「受け皿」 を問題にする発想そのものが社会主義的であり、競争の拒否にほかなりません。

 需要もありますし、増員推進で問題ないのではないか、と思います。

「はじめに増員反対ありき」 の弁護士?

2009-10-03 | 日記
 弁護士増員論に対して、需要がない、という意見があります。そこで、気になって検索してみたところ、次のようなブログがありました。



Schulze BLOG」 の 「弁護士の需要増なし

県弁護士会、司法試験合格者削減で決議 弁護士の需要増ない/山形
http://mainichi.jp/area/yamagata/news/20090301ddlk06040143000c.html
『「合格者3000人は多すぎる。当面、1500人程度にとどめるべきだ」。県弁護士会は27日の定例総会で、司法試験の合格者削減を求める決議を国に提出することを決めた。国の司法制度改革推進計画では、地方の弁護士過疎問題の解消も目的の一つに、10年までに、合格者を年間約3000人に増やす計画だ。しかし、典型的な弁護士過疎地域の山形県の弁護士会が、合格者増に疑問を示した。(中略)現在、県内の弁護士は70人。合格者増を受け、6年前の52人から急増した。県弁護士会は02年10月、容疑者国選弁護への対応などを考慮し、県内の適正な弁護士数は約80人として、12年度で達成するという目標を示した。しかし、近年の増加率から12年度時点では80人を大幅に超える可能性が高いという。一方、同会は県内の弁護士需要を「将来は横ばいか、減る」と分析する。現在急増している消費者金融業者への過払い金返還請求は、07年ごろからグレーゾーン金利で貸し付ける業者が減った結果、今後数年で激減するとみられるからだ。』


結論:ないものはない\(^o^)/
需要なんて、あるわけがない。
地方も、すでに満杯。
この状況で、一体どこに大量増員の受け皿があるんでしょうか。


 「現在急増している消費者金融業者への過払い金返還請求は、07年ごろからグレーゾーン金利で貸し付ける業者が減った結果、今後数年で激減するとみられる」 ことを根拠に、山形県弁護士会では弁護士需要は 「将来は横ばいか、減る」 と分析している、と書かれています。



 この分析は、( 掲げてある根拠からみて ) 需要者たる市民・企業にアンケートをとったわけでもなく、現在の業務状況をもとに、今後の需要を予測しているにすぎないと思われます。したがって、予測そのものの信憑性が乏しいと考えられます。

 それなら他の予測を取り上げればよい。なぜ、この記事 ( 予測 ) を取り上げるのか、ということになるのですが、私がこの記事 ( 予測 ) を取り上げるのは、この記事が、あまりにも強烈だからです。この記事には、

   結論:ないものはない\(^o^)/

とあります。上記ブログは、書かれている内容からみて、今年、弁護士になられたかたのブログらしいのですが、「自分の職業 ( または自分の目指している職業 ) に需要がない」 ことを、\(^o^)/ と喜ぶ感覚が、わかりません。「需要がない、となれば、ガックリくるのが通常の感覚」 だと思われます。



 この、奇妙さ ( 需要がないことを喜ぶ ) の背景を推測すれば、おそらく、「はじめに増員反対の結論ありき」 なのではないかと思われます。「増員反対」 の結論が先にあるから、

   「需要がない」 → 「増員反対の根拠になる」 → 「\(^o^)/」

なのではないでしょうか。「はじめに増員反対の結論ありき」 でなければ、

   「需要がない」 → 「ガックリ」

となるのが通常だと思います。



 「はじめに増員反対の結論ありき」 が ( 平均的な ) 弁護士の感覚だとすれば、弁護士・弁護士会の主張する需要予測も、きわめて疑わしいものとなります。



 需要がないことを喜ぶ…。はじめに増員反対ありき。いったい、何を考えているのだろうか、と思わざるを得ません。

「受け皿」 は問題にならない

2009-10-01 | 日記
la_causette」 の 「確かに道義的に言えば「詐欺」っぽいかも

 法曹養成制度改革が失敗に終わったことは一般メディアでも広く報じられるところとなりました。まあ,単年度合格率が2~3割程度に収斂していくこと,及び,その結果として必然的に相当数生ずることとなる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないこと,需要を無視して水増しされた新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿もないこと等は,最初からわかっていたことです。なのにどうしてこういう稚拙な制度改革が行われたのか,その過程で不当に利益を貪った者はいないか,民主党政権は十分に検証していただきたいところです。


 相当数生じる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないこと、新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿もないこと、をもって、稚拙な制度改革だった、と評価されています。



 要は、相当数の者は 「食えない」 ので、法曹養成制度改革が失敗だった、とされているのですが、この評価は早計だと思います。以下、場合を分けて記します。



(1) 新規法曹資格取得者の ( うちの ) 相当数につき、社会的受け皿がないことについて

 そもそも、

   資格があること = 確実に収入が得られること 「ではない」

と思います。資格があれば一定の収入が得られて当然、という考えかたは、一般的とはいえないと思います。

 もっとも、弁護士の場合、資格を取得すれば、一定の収入が 「事実上」 保障されたも 「同然」 、といった状況が長年続いてきましたので、弁護士にとっては、「資格があること = 確実に収入が得られること」 なのかもしれません。

 しかし、弁護士資格というのは、一定の収入を保証する ( される ) ことを内容とする資格ではなく、「当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うこと」 ( 弁護士法第 3 条第 1 項 ) を認められる資格にすぎないのですから、確実に収入が得られるか否かは、本来、別個の問題のはずです。

 したがって、新規法曹資格取得者の相当数の社会的受け皿がないからといって、稚拙な制度改革だった、と評価してはならないと思います。そもそも、弁護士については、就職せず、ただちに独立することも可能であり、「受け皿」 に固執する必要もありません。



(2) 相当数生じる受験資格喪失者の社会的な受け皿がないことについて

 これは、たんにいま、不況であるために、仕事がみつからないのかもしれません。好況時の状況がわからず、「詐欺っぽい」 とまで評価しうるかどうか、現時点ではわからないと思います。

 また、そもそも、法律分野の仕事に就く ( 企業の法務部などで働く ) 必要もないと思います。専門的な法律知識をもった営業マンがいてもよいはずです。多様な分野に、法律の専門教育を受けた者が存在することは、社会的に好ましいことではないかと思います。

 したがって、この点についても、改革が失敗だったとは評価しえないと思います。



 今年は合格者数が減ったと報道されていますが、その原因が、たんに受験者の能力不足によるのではなく、「受け皿」 に配慮した結果であるなら、それこそが問題なのではないかと思います。