言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

納税者番号制による減税

2009-07-27 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.118 )

長谷川  現実に、欧州、アジアなど世界中を見ても、法人税については減税方向でみんな競争していると言えるのではないですか。
高橋  それはまさにマスコミ的な言い方ですが(笑)、じつは法人税の減税には裏がある。諸外国で法人税を減税できるのは、納税者番号やITの活用で個人所得の捕捉率、つまり税金の徴収力が高まっているからです。そもそも法人税なんて、個人の段階で所得を捕捉できれば要らないものであって、結局、どこで取るかの問題です。日本は個人所得の捕捉が不十分だから法人税で取っているだけで、極端にいえば、日本だって納税者番号制を導入すれば、法人税を二〇%くらいに引き下げたってたいしたことではないかもしれない。


 日本の法人税率が高いのは、個人所得の捕捉が不十分だからである、と書かれています。



 日本でも、法人税率を下げようという見解があります。しかし、外国の法人税減税の裏に、上記のような事情があるなら、( 日本でも ) 所得の捕捉率を高めなければ、国家が立ち行かなくなる、と考えられます。

 税率が低くなり、国家の歳入も減らず、公平にもかなう ( ずるい者が得をして正直者がばかをみることがない ) のですから、日本もこの方向に向かっていくと思います。いままで、所得をごまかしていなかった人には ( =あなたが所得をごまかしていなかったのなら ) 、反対する理由もないと思います。

 もっとも、国民ひとりひとりに番号をつけることには、プライバシーの観点から異論もあります。けれども、それはコンビュータで管理しやすくするか、管理しづらくするか、といった問題にすぎず、住所・氏名などのデータを組み合わせて管理する ( コンビュータ処理する ) ことを考えれば、大差はないと思います。

道州制の議論

2009-07-26 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.96 )

高橋  道州制の議論のいちばんの核心は、まさに「中央省庁の再々編」です。そして中央省庁再編の原理となるべきなのが「補完性原則」なんです。補完性原則とは、平たくいえば「基礎的自治体でやれることは基礎的自治体ですべてやり、そこで拾えないものを道州がやり、それでも絶対に拾えないものを国がやる」ということです。

(中略)

高橋  日本で道州制を推進するためには、補完性原則に従い、国の権限をなるべく基礎的自治体に移譲して、国や官僚の役割を極力小さくしていかなければいけない。社会福祉や医療、教育、治安維持などの住民サービスはすべて基礎的自治体に権限を移譲するのです。
 基礎的自治体の規模についてはすでに多くの研究がなされており、ある一定以上の集積がないと行政の効率が悪くなるので、人口約三十万人から五十万人くらいが妥当だといわれます。それを勘案すると全国に約三百の基礎的自治体が誕生する計算になります。
 そして、補完性原則に則るとすれば、道州の主要な業務は基礎的自治体でやるには規模的にふさわしくないもの、たとえばインフラの整備などになるから、人口一千万人以上の規模がちょうどいい。ほかにもたとえば災害対策や広域公共事業、高等教育や雇用対策などは基礎的自治体単位ではなく、道州で行なったほうが、効率がいいに違いない。さらに、外交や安全保障、金融政策など、基礎的自治体でも道州でも絶対に拾えないものだけを国が行なう。
 この流れでなければ、道州制を議論することはできないはずなのです。補完性原則があって初めて、基礎的自治体で拾いきれないものを拾う「道州制度」が登場してくるわけですから。


 道州制とは、補完性原則に則った 「中央省庁の再々編」 である、と書かれています。



 道州制の目的は、行政の効率化であると考えられます。

 行政の効率化も、たしかに必要だとは思います。しかし、現在、雇用の維持、あるいは雇用の受け皿をどうするのか、が大きな社会問題になっている以上、道州制の議論は、( 長期的にはともかく ) さしあたって重要ではないと思います。

 現在、田舎では、「役所 ( 役場 ) や病院くらいしか、まともな勤め先がない」 地域が多いのではないかと思います。一般に、効率化すればするほど、「人がいらなくなる」 はずですから、( この状況で ) 本当に効率化してよいのか、疑問があります。

 官僚の反対もあり、なかなか道州制の議論は進んでいないようですが、「すくなくとも当面は、景気は回復しない」 と考えられるのですから、なにも急ぐ必要はなく、じっくり議論してゆけばよいのではないかと思います。

マンデル・フレミング理論

2009-07-25 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.40 )

高橋  一九九九年にノーベル経済学賞を取ったマンデル・フレミング理論については先に触れましたが、もう少し詳しくいうと、変動相場制のもとでは、財政政策を打ってもその効果は海外にスピルオーバー(拡散)してしまうから、金融政策のほうが効果が高いとされている。つまり、財政政策をやるために国債を発行すると、長期金利が上がり、円高になる。円高になると輸出が減るので、公共投資の効果は輸出減で相殺されてしまう。円高になれば、輸出が減少する一方で輸入が増えるわけだから、つまり財政政策を打てば打つほど、その効果が外国へと流れていってしまうわけです。つまり、いくら公共投資をやっても、セオリーとしては景気回復は無理ということになる。それでも公共投資を選ぶというなら、政治家・官僚たちの頭は、もう末期的症状としか言いようがない。


 ここでは、マンデル・フレミング理論の解説がなされています。



 上記説明 ( 引用部分 ) を読むと、一見、説得的に映ります。しかし、実際には、さほどの説得力はないと思います。なぜなら、

 日本では、( 日本の ) バブル崩壊後、国債が次々に発行され、国債発行残高は積み上がっているにもかかわらず、長期金利は上昇していないからです。それどころか、金利は低下しています ( ここ十年の金利は概ね横ばいです ) 。したがって、「財政政策をやるために国債を発行すると、長期金利が上がり、円高になる」 という部分が、どうもあやしい。たしかに、論理の筋としては、「財政政策をやるために国債を発行すると、長期金利が上が」 るはずなのですが、実際には、そんなに単純なものではない、と考えるべきだと思われます。

 ( なお、「長期金利が上がると、円高になる」 、「円高になれば、輸出が減少する一方で輸入が増える」 という部分についても、論理としてはその通りだとは思いますが、実際には、そんなに単純なものではないと思います。 )



 マンデル・フレミング理論については、「財政政策と金融政策」 のところに、「為替介入を行うのであれば、財政政策も効果的である」 と考えるのが適切ではないか、と書きましたが、上記 ( 引用部分 ) の高橋さんの説明からは、マンデル・フレミング理論は机上の空論ではないか、すくなくとも、現在の日本経済にはあてはまらないのではないか、と思われます。


…と、大胆にもノーベル賞受賞理論を否定してしまいました。常識的に考えれば、私のほうが間違っている可能性が高い ( なにせノーベル経済学賞を取った理論だそうですからね ) ので、その旨、書き添えておきます。

経済対策の三類型

2009-07-25 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.39 )

高橋  福田総理が退陣を表明した翌日の九月二日に原稿依頼があって、九月五日付の『日経新聞』の「経済教室」を書いたのですが、原稿では最初、「守旧バラマキ派」「増税派」「上げ潮派」と、三類型を書いたわけです。それはあんまりだから、結局、「オールド・ケインジアン」と「財政重視主義者」と「上げ潮派」の三類型に書き直したのですが(笑)。蓋を開ければ、「守旧バラマキ派」は麻生さんで、「増税派」は与謝野さん、「上げ潮派」はまあ中川さんというところでしょう。
 それはともかく、経済成長を重視するのは「守旧バラマキ派」と「上げ潮派」。財政再建を重視するのは「増税派」と「上げ潮派」ということになります。ただ、同じ財政再建でも、「増税派」は税金をたくさん集めるという発想をするから、その意味では必ずしも「小さい政府」を志向しているとはいえない。ざっくりいってしまえば、「増税派」も「守旧バラマキ派」も「大きな政府志向」ということになる。
 それに、麻生さんの経済政策の顧問は、野村総研のリチャード・クー氏だといわれています。もし麻生さんがその路線で、積極的な公共投資を推し進めたら、まさに「失われた九〇年代」の再現になりますよ。


 経済対策の三類型が示されています。これを一覧表にまとめました。


守旧バラマキ派増税派上げ潮派
ケインジアン財政重視主義者上げ潮派
代表的政治家麻生与謝野中川
経済成長重視×
財政再建重視×
政府のサイズ大きな政府大きな政府小さな政府



 上記三類型を表現する際に、ケインズ主義に対して、「守旧バラマキ派」 などと、かなり辛辣な表現をされています。


 私は以前、リチャード・クー氏の著書を読みましたが、彼の言説には説得力があると思います ( 私は、バラマキ政策がよいとは思っていません ) 。

 意見が割れているのは、「あまりにも長く不況が続くので、どうしたらよいかわからない」 面もあるのではないかと思います。( 高橋さんの見解が間違っている 「かもしれない」 のですから ) そこまで辛辣に表現しなくともよいのではないか、と思います。

財政政策と金融政策

2009-07-24 | 日記
高橋洋一・長谷川幸洋 『百年に一度の危機から日本経済を救う会議』 ( p.36 )

高橋  財政学では基本中の基本であるマンデル・フレミング理論によれば、変動相場制のもとで財政政策を行なっても、その効果は相殺されてしまいます。たしかに短期的には効いたように「見える」かもしれないけれど、中長期的にはあまり効いていません。国債を発行して公共投資を行なっても、結局、国債残高だけが増えてしまう結果になります。ところが、金融政策は効果が現れるのに時間はかかりますが、確実に結果が出るのです。
長谷川  二〇〇〇年以降、日銀は金融緩和と金融引き締めを繰り返してきましたが、そのたびに景気は大きく変動していましたね。ところが、麻生総理は「金融政策は効果がない」と公言して憚らないんですよね。高橋さんがよく言うように、金融政策を行なったうえでの財政政策はあり得る選択肢ですが、金融政策なしの財政政策など、理論的には効果がないはずなんですけどね。


 マンデル・フレミング理論によれば、財政政策は、変動相場制のもとでは効果が相殺される。金融政策は効果が現れるまで時間がかかるが、確実に結果が出る、と述べられています。

 それでは、金融政策の効果が現れるまでに、どのくらいの時間がかかるのか。

同 ( p.29 )

高橋  政策には効果ラグがあって、半年から一年半後に効果が現れます。


 上記説明が正しいとすれば、

   財政政策を行なったうえで、その効果が現れるまでの 「つなぎ」 として、財政政策を行う

という話になると思います。私は、「日銀のCP引受」 のところで、「財政政策と金融政策の 『あわせ技』 」 を行えばよい、という根拠がわからないと書いたのですが、「あわせ技」 という言葉に引っ張られただけで、要は 「つなぎ」 の意であったと考えられます。それならば、筋は通っていると思います。



 ところで、私はマンデル・フレミング理論を知らないのですが、上記 ( 引用部分 ) の説明をもとに、その理論が正しい、と仮定して考えると、

 変動相場制であっても、為替レートが ( ほぼ ) 固定されていれば、財政政策の効果は現れる、といえるのではないかと思います。すなわち、

   為替介入を行うのであれば、財政政策も効果的である

と考えられます。現在、為替介入は肯定的に捉えられており ( 禁止されておらず ) 、実際に行われたりしているのですから、財政政策にも効果がある、と考えるのが適切ではないかと思います。