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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

「いつもお世話になっています」って言われても・・・

2013-11-26 17:50:08 | PSYCHOLOGY2

大学を卒業して、仕事を始めたとき、とても奇妙だったのがこの「いつもお世話になっています」という言葉だった。小さな会社だったので、実際の仕事のトレーニングはあったけど、社員教育とかはなくて、電話の応対も教えられていなかった。

職場で電話を受けたとき、「はい、△△です」と言うと、向こうの人が「いつもお世話になっております。○○のxxと申しますが・・・」と畳みかけるように言ってきた。ぼくは向こうが、「いつもお世話になっています」のあとで言葉を切ってくれてたら、こちらも「いえ、こちらこそ、お世話になっております」と言ったと思うけど、だいだいふつうは、向こうが言葉を切らないので、かぶせて言葉を発したらいけないと思い、だまって向こうの用件を最後まで聞いてしまい、「ああ、その件でしたら・・・」とか、「少々お待ちください・・・」と言って、「お世話になっております。」という言葉を言うきっかけを失っていた。というより使わなかった。

世間知らずだったからしょうがないといえば言えるけど、基本的にこの「お世話になっております」という言葉への抵抗があったことも事実だ。当時、何で初対面のときや、初めての電話で「いつもお世話になっております」と言わねばならないのかが理解ができなかった。まあ、社会習慣というか、潤滑油的な言葉なんだけど、そういった形式的なものを受け入れることに抵抗があったのも事実だ。今もそれは少なからず残っている。

握手が武器を持っていないということを相手に知らしめるために始まったという説があるけど、「お世話になっております」も、へりくだることで相手の警戒心を解くことや、へりくだることで相手から何らかの「好意的な行為」を引き出そうとしている意図が窺われる。そんな曖昧な駆け引きより、用件や誠意は実質的な言葉や行為で相手に知らせるべきだという気持ちがあったのだと思う。それはそれで理解するけど、とくにこちらがお願い事をしているとき、向こうから「いつもお世話になっております」って切り出されると、少なくとも当時は慇懃無礼と感じたものだ。「もしもし、○○さんですか? 例の件ですが・・・」「こんにちは。ご所望の一件ですが・・・」といった感じに言ってもらった方がものすごく自然に感じていた。

生意気だったのかもしれない。でも、それがすんなりと言えるようになったのは社会人として数年の経験が必要だった。それに、言えるようになっても、いまだ「それはおかしい」という気持ちがどこかにあって、言わないで済むなら言わないで用件を切り出したいと思っている自分がいる。こうした慣習的な言葉は、素の自分や本性を隠すために進化してきたような気がしている自分がいる。ひねくれ者だろうか・・・


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