さて、前の「他人の評価」はこれまでの書き込みに対して某ブログにあったものだが、同時にそこには「みんなお前のことなんて嫌いだったんだ」ともあった。なるほど、そうだったのか。とはいうものの、いまさら生き方を変えるのもなんだし、これはこれでなるほどというしかない。彼は、面識もあまりないし、私のある一面を見ているのかなとも思う。
ただ、こういう発言はなんだかの瑕を心に残すのだが、発想を変えれば脚本の材料として使えるし、自分を客観的に見ることも可能となる。高校生のために書いた「ミュージカルをやりたい」という作品では嫌われる自分を描いてみた。
小説を書くとか脚本を書く、あるいは表現行為全体がある意味、病気の治療のようなものだと考えるときがある。ただ、そこに留まっていると他人に見せるものとはならない。こういう見方もあるのだと意識して、今書いている作品を見直してみるのもひとつの方法といえる。
追記
記憶をたどっていくと、やっぱり、誤解のようだ。
まあ、「半分」はというところだろうか。
昔からのことだが、いつも尾を引くな。
「だまされる」、あるいは「惑わされる」まわりもまわりだが。
ほとんど、「ミュージカルをやりたい」の話に近いので笑ってしまった。
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