昔、風煉ダンスの「悪漢」という野外公演を観にいったことがある。
舞踏集団が参加していたり、音楽が渋さシラズオーケストラの生演奏だったり
高さ8mぐらいの城が100mも移動したりといろいろな要素が混じっていたのだが
観た時には音楽に負けているな、と思ったものだった。
ただ、それは演劇として自分が観ていたからだと最近思うようになっている。
彼らにしてみれば、もう少しコンプレックスしたものを目指していたのだろう。
こういう場合は、会話がかみ合っていないようなものだから
批評することは難しい。
でも、立っているところがしっかりしていないと
結局、負けているという印象を与えることになると思うのだが。
子供ミュージカルを手伝ったときも
大学生の目的は、子供たちの交流だったので
どうしても、ミュージカルに重点がいかない時があった。
視点をどこにおくか
目的をどこに置くかは、いつも難しい。
舞踏集団が参加していたり、音楽が渋さシラズオーケストラの生演奏だったり
高さ8mぐらいの城が100mも移動したりといろいろな要素が混じっていたのだが
観た時には音楽に負けているな、と思ったものだった。
ただ、それは演劇として自分が観ていたからだと最近思うようになっている。
彼らにしてみれば、もう少しコンプレックスしたものを目指していたのだろう。
こういう場合は、会話がかみ合っていないようなものだから
批評することは難しい。
でも、立っているところがしっかりしていないと
結局、負けているという印象を与えることになると思うのだが。
子供ミュージカルを手伝ったときも
大学生の目的は、子供たちの交流だったので
どうしても、ミュージカルに重点がいかない時があった。
視点をどこにおくか
目的をどこに置くかは、いつも難しい。