英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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細かすぎますかね(2)

2015年08月01日 07時24分32秒 | 英語
しばらく間が空いてしまいましたが、前回の続きです。最初にことわっておきますが、今回の二つの疑問点については、私自身まだ明確な答えは見つけられていません。あくまで”こういうことではないか?”という推測を申し上げられるだけです。

まず(1)の方。ちょっと書き方が悪かったというか、半分答えらしきモノが見えてしまっていますが、まあ、じっくりいきましょう。前回、英語ではSV(節)を単純にカンマで並べるのはNGだといいましたが、もう少し正確に言うと、”相互に独立した節”を単純にカンマで区切って並べてはいけない、ということです。独立した節ではなく、従位接続詞が導く節を主節の前でカンマで区切るような、相互に依存関係にある節どうしをカンマで区切って並べるのはOKです。

例文の場合、節2の中に'since'という、理由を表す従位接続詞があるので、節2と節3は従属関係にあり、これらをカンマで並べるのはOKなのです。一部分だけ取り出して書くと、

Since the show runs .... , I am hoping that we could meet ... .

ということになり、こういう書き方がOKなのは普通に納得がいくと思います。見慣れた形ですよね。で、前回の節1から3の全ての部分について、”節どうしのつながり”の観点から構造を図示すると、図aのようになります。andが来た段階で次に節2が来ることの正当性が確保され、節2のなかに従位接続詞sinceがあるので、節3が対応する主節として続くことの正当性が確保されるわけです。一応、この理解で落ち着きはします。



しかし、ちょっと考えてみて下さい。節3が主節だといいましたが、それに対応する従属節は何でしょうか?形の上ではsinceに導かれている節2だけ、ということになりますが、意味的には節1も含めてほしくないですか?純粋に形の上での構造にこだわるとするなら、節1の「あなたは1週間居ると言っている」という内容は、節2と3の「展示会が22日から25日まで続くから、その後で会いたいと思う」という内容と完全に切り離されてしまって、無関係になってしまいます。でも、それではおかしいでしょう。本来なら、「1週間居ると言っている」という内容も、展示会の後に会おうよという提案の理由に含まれているはずです。意味的に節1だけが独立してしまうことは、あり得ないとまでは言えませんが、少し不自然です。

節1と節2の内容を両方とも従属節に含めることを明示したいのであれば、図bのように英文の頭にsinceを持ってくることが考えられます。you mentionという節とthe show runsという節をandで結んだ重文全体がsinceによって導かれる従属節となり、主節に対する理由付けになる、意味的には本来こうであるはずです。”あなたは一週間居ると言っているし”、”展示会も22から25まで続く”、この2つを受けて、"だから展示会が終わった後会えないか"、ということですよね。本来意図していることはこういうことのハズです。

しかし、ここでまた厄介な問題に出くわします。接続詞って、そもそも重文を従えることができるんでしたっけ?これに関しては、色々な文法書を漁ってみたのですが、明確に記載してあるものはありませんでした。非常に曖昧に扱われています。大抵の文法書において、接続詞とは、”語と語、句と句、節と節を結ぶ”と書かれています。厳密にこの記載に従うとすると、接続詞は重文を従えることはできないという解釈になります。だって、節というのはSVの組を”1つ”しか含まないのですから。重文は節の中には含まれません。だから、アウトなのです。ここで、等位接続詞に関していうなら、このようなことを考えることにはあまり意味はありません。なぜなら、A and Bという重文があって、これにCを付け加えたい場合、

A and B and C

となるわけですが、これを、A and Bという重文に等位接続詞が繋がったなどとワザワザ見なさなくても、単に節が3つ繋がっているだけと見てしまえるからです。しかし、従位接続詞の場合は、上のsinceの例のように、その支配範囲が重文全体なのかそうでないのか、というような事が問題になってきます。

従位接続詞と重文の関係に関していうと、受験英文法でもよく問題に出される、話法の変換時の話があります。

He said, "A and B". (AとBは節)

という直接話法の文を間接話法の文に書き換える際に、

He said that A and that B.

のように、andの後ろにもthat を入れないと、彼が言った内容の中にBが含まれなくなってしまうという、例のアレです。もし、このandの後ろのthatが如何なる場合でも必須なのだとしたら、その理由はまさに、従位接続詞thatが重文を従えることができないから、ということになるでしょう。しかし、上記の書き換えについても、Bの内容が発言内容に含まれることが明らかな場合はandの後ろのthatは省略して、

He said that A and B.

のようにしてもいいと書いてある文法書もあります。そのような事が許されるのなら、従位接続詞が重文を従えることもあり得る、ということになります。

本当に色々調べたのですが、接続詞の定義として、文法書によっては”語と語、句と句、節と節、など”をつなげる、とか、さらに”文と文”をも含めているものもあり、結局、重文をつなげていいのかどうかははっきりとは分かりません。しかし、多くの文法書が”節と節”でとどめていること、従位接続詞のうしろに重文をドカーンと持ってくると接続詞が意味的に支配する範囲が曖昧になることが多いこと、を考慮すると、従位接続詞は基本的には重文を従えることはできない、そのような書き方はしない方がよい、と考えた方が安全だと思います。

そのように考えると、先ほどの図bのセンテンスは、図cのように、sinceが従えている範囲は節1だけだと解釈される可能性が高い、ということになると思います。こういう解釈になってしまうと、本当に問題の多いセンテンスになってしまいます。まず、節2が節3(主節)の理由に含まれなくなってしまい、これは意味的に完全におかしくなってしまいます。さらに、節1内のsinceによって節2が続く正当性が確保されるのですが、節2の前にandがあり、節2を導く接続詞が衝突してしまうという、構造的にも具合のよくないことになってしまいます。さらに、このセンテンスを頭から順番に追いかけていった場合、意味が取りにくいと思います。節3の理由を述べている従属節が節1だということを、バックトラックして改めて認識するのって、ちょっとメンドクサイですよね。

このように考えると、図bやcのセンテンス(どちらも英文は同じですよ)はあまり良いセンテンスではなく、節1と節2が両方とも節3の理由付けであることを明確に示したいのなら、

Since you mention that you'll be in Baltimore for a week and since the show runs from the 22nd until the 25th, I am hoping that we could meet on after the show is over.

と書くしかないということになると思います。主節に対する従属節が2つあるのは別に問題ないはずです。

こう書けばまあ万全なのでしょう。しかし、、since が2つも続いて、なんともクドい表現ですよね。だとすると、どちらか一方のsinceを省略してしまいたい。で、省略するなら、、、図cのようなウザい事になる危険性を回避するためにも、最初のsinceを省略した方がマシだろう、ということになりはしないでしょうか。その結果、図aのオリジナルのセンテンスになった、というのが、このセンテンスが誕生した顛末、なのではないかと個人的には想像するわけです。

図aだと、確かに形の上では節1は従属節には含まれません。しかし、日本語でも、

  あなたも一週間いると言っているし、ショーも22日から25日まで続く「ので」、ショーが終わった後に会えない?

のように言うのは極めて普通ですよね。

  あなたが一週間いると言っているので、そして、ショーも22日から25日まで続くので、ショーが終わった後に会えない?

のようにワザワザ「ので」を両方にひっつけたりはしないでしょう。これと同じ事が起こっているだけなのだと思います。つまり、意味的には節1も主節3の理由になっていると見なしてよいのだと思います。

でもまだ、図aについて、気になる点が残ります。andは等位接続詞ですから、構造的・意味的に全く対等なものを結びつけないといけません。しかし、図aの節1と節2について、全く対等なものと言えるでしょうか?節2は節3の従属節だという性格を帯びていますが、節1は(少なくとも形の上では)そうではありません。このような、性格が違うものを等位接続詞で結んでいいのか?というのが、気になると言えば気になります。が、まあ、今までの議論からお分かりのように、since を2つ並べたくないのなら、次点としては図aのように言うしかないので、この点は目をつむるしかないでしょう。

以上、ウダウダと長ったらしい話をしてしまいましたが、「接続詞の定義」1つ取っても、数学を理解しようとするときのように論理的思考力をバリバリに研ぎすまして理解しようとすると、実は世の中に出回っている文法書では事たりない、ということになってしまうのです。以前言ったように、英文法なんて所詮その程度のものなのですから、疑問にぶち当たった時には、私のようにある程度は自分なりの理屈で解析や理解を試みようとはするものの、あとは出会った英文そのものを尊重して適当にやり過ごす、という態度も必要になってくる、ということです。大学受験レベルでは、理論的にきちんと説明が付く範囲での問題しか出ないでしょうけどね。

次回は残りの meet on、についての考えを述べてみようと思います。