
【感情は放っておく】5948
精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より…
神経症の治療法として世界中に広まっている森田療法には、「感情の法則」と呼ばれる考え方があります。詳しく説明すると専門的になりますが、その中に一つだけ、ものすごくシンプルなものがあります。
「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。
不快なことを気にすればよけいに不快な気分になりますが、感情というのは放っておけばそのうち静まってくるのです。
「腹が立つ」・・・放っておく。
「悔しい」・・・放っておく。
「憎い」・・・放っておく。
森田療法の基本的な考え方は「あるがまま」ですから、腹を立てることも悔しがることも、他人を憎いと思うことも、あえて否定はしません。どれも感情の仕業ですから、あるがままに放っておけばいいと考えるのです。 実際、「怒るな」といわれてもムリです。
「悔しがるな」「他人を憎むな」、あるいは「嫉妬するな」「疑うな」「悲しむな」、すべてムリです。 理性では、そういった感情が少しもプラスにならないとわかっていても、わたしたちはつい感情的になってしまいます。
問題はそのあとです。 自分が感情的になったとき、そのイヤな感情にこだわればよけいにイヤな気分になってきます。たとえば他人のちょっとした物言いや態度に腹を立てたとき、「この人はいつもこうだ」とか「わたしをバカにしているんだ」と考えれば怒りはしつこく居座ります。
「わたしがあんな人にバカにされる理由はない」と思えば、怒りはさらにふくらんできます。 すると、ささいなことにも腹が立ってきます。
急ぎの仕事を回されただけで「なんでわたしが」と不快になります。頼みごとを断られれば「みんな自分勝手だ」と恨みます。これが、「感情的になっている」状態です。
一方の「腹が立つ」とか「悔しい」「憎い」といった気持ちは、単なる感情です。わたしたちは感情の生きものですから、そんなものはごく自然なこころの動きなのです。『感情的にならない本』PHP文庫
https://q.bmd.jp/91/119/5471/393
「二念を継がない」という白隠禅師の教えがある。
無心になるための最短の方法としてこれを説いたという。誰かに嫌なことをいわれたとき、最初にわきあがってくる思いは仕方がない。
それが「一念」。
一念で、「嫌だな」「テンション下がるな」「カチンときた」という思いがわきあがる。
しかし、それに続けて、「言い返してやろうか」「なんで私がこんなこと言われなければならないんだ、バカにしてる」「あんただって同じだろう、嫌なヤツ」と二念で考えてしまう。この、二念、三念と続くうちに、理性が吹き飛び、感情の奴隷になってしまうからだ。まさに、「感情は放っておく」ということだ。
小林正観さんは、それを「ボーっとすること」「ピリピリしないこと」だという。精神を張りつめて、跳ね返すことではなく、自分をガードすることでもなく、戦うことでもない。
力を抜いて、鈍(にぶ)くなることだ。あれこれ考えず、心を空っぽにすること。執着を捨て、流れに身をまかすことでもある。
「感情は放っておく」という言葉を胸に刻みたい。