
【読解力を高める】4712
樋口裕一(ひぐちゆういち)氏の心に響く言葉より…
読解力、すなわち、物事を読み取り、理解する力。
これこそが人間社会で生き抜くために不可欠な力だと断言してよかろう。
人間は、日々、読み取って生きている。
周囲の人間関係を読み取り、社会現象を読み取り、自然現象を読み取っている。
そして、もちろん文章を読み取り、図表を読み取っている。
これらの力があれば、現代社会を生き抜いていける。
読み取ることができなければ、物事を理解することができず、あらゆることに関して、手をこまねいているほかない。
つまりは、読解力のある人が、社会では「頭がいい人」とみなされる。
読解力のない人が、愚かな人とみなされる。
普通、「読解力」という言葉は、狭義に解されて、「文章を読解する力」を意味する。
なぜ、読解力が落ちているか。
言うまでもないことだが、読書量の決定的な不足がその原因だろう。
スマホが普及する前は、あれこれ言われながらも、日本人はそれなりには本を読んでいた。
少なくとも新聞を読み、雑誌を読んでいた。低俗な雑誌や新聞も多かったが、ともあれまとまった文章を読んでいた。
大ベストセラーになる書籍もしばしば現れた。
読書が趣味という人は大勢いた。
小説が多くの人の話題になっていた。
だが 今ではそのようなまとまった文章を読む人は少ない。
新聞は発行部数を大幅に減らし、雑誌の多くが廃刊に追い込まれている。
電車の中でも、新聞や文庫本などを読んでいる人を見かけることはほとんどない。
乗客のほぼ全員がスマホをのぞき込んでいるというのは、今はごく日常的な電車内の光景だ。
ネット内を駆け巡る文章は、短文がほとんどだ。
複雑な状況を語ったり、深い思念を語ったりする文章はネット内にはみあたらない。
一目で理解できるような文章だけが幅を利かせている。
これでは読解力が養成されるはずがない。
多くの若者が学校の教科書と試験くらいでしか文章を読まない。
文章を読む習慣を持っていない。
しかし、言うまでもないことだが、現在でも文章を読むことは大事だ。
文章を正確に読み取れないと、人の意見を理解することができない。
日常生活での会話さえもしばしば誤解するといったことが起こるだろう。
人の語っていることが理解できず、大きく曲解してトンチンカンなことを言う人がいるが、それは読解力のない人だ。
きっとそんな人は周囲からバカな人間と思われているだろう。
いや、そもそも文章を理解できないと、日常生活に支障をきたす。
役所からの知らせ、銀行からの通知さえも理解できないことになる。
そして、そもそも読書という、人類が数百年前から行ってきた最大の楽しみを味わうことができないことになる。
文学作品を理解できず、ミステリーの醍醐味を知らず、恋愛小説の恍惚も知ることができない。
そしてそれ以上に、文章をしっかり読まないと、この複雑な現実世界を理解することかできない。
簡単な図式や数百字の文字で人間の心や社会のあり方を理解することはできない。
現在起こっていることを理解し、その複雑な関係を把握し、これから先の行動について推論し、自分の意見をまとめるには、新聞を読み、専門誌を読み、専門書を読みこなす必要がある。
それができてこそ、現実を分析し、将来についての展望を持つことができる。それができてこそ、専門家の意見を参考にして自分の考えをまとめることができる。
言うまでもなく、文章は思考そのものの跡を示す。 文章をたどれないということは、他人の思考をたどれない、つまりは他人の思考について思考できないということにほかならない。
言い換えれば、自分で考えることができないということでもあるだろう。
『「頭がいい」の正体は読解力』幻冬舎
https://amzn.to/3B2zNXJ
「頭がいい」とは、「有名大学を出ている」とか「学校の成績がいい」とか、「知識が豊富」であるというようなことではない。
それは、生きていくための機転がきくとか、物事を論理的に考えることができるとか、自分で課題を見つけ粘り強く考え解決する力があるとか、物事を多面的に見ることができる、といったような資質のことを言う。
これらの資質は、「読書」によって育まれる。
しかも、本を読んでいるだけではダメで、それをいかにアウトプットすることができるかが問われる。
アウトプットすると、それに対する反応が出てくる。
それは、賛辞だったり、批判だったりする。
すると、そこからまた考えが深まることになる。
つまり、読解力が高まる。
また、読書をすればするほど、本の内容がどこかでつながってくる。
読書も一冊だけで考えていたら読み間違えもするが、別の視点から書かれた本を読んでいれば、多面的に考えることができ、より広い視野から本質に近づくことができる。
これも、読解力を高めることになる。
また、自分で課題を見つける力とは、問いを立てる力だ。
問いを立てられれば、自分で考え、自分で行動することができる。
自発性が育ち、当事者意識が生まれる。
そして、当事者意識を高めることにより読解力も育つ。
なぜなら、自分に置き換えない読書、他人事(ひとごと)の読書では深い読解力が得れないからだ。
多くの分野で…
読解力を高めることができる人でありたい。
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樋口裕一(ひぐちゆういち)氏の心に響く言葉より…
読解力、すなわち、物事を読み取り、理解する力。
これこそが人間社会で生き抜くために不可欠な力だと断言してよかろう。
人間は、日々、読み取って生きている。
周囲の人間関係を読み取り、社会現象を読み取り、自然現象を読み取っている。
そして、もちろん文章を読み取り、図表を読み取っている。
これらの力があれば、現代社会を生き抜いていける。
読み取ることができなければ、物事を理解することができず、あらゆることに関して、手をこまねいているほかない。
つまりは、読解力のある人が、社会では「頭がいい人」とみなされる。
読解力のない人が、愚かな人とみなされる。
普通、「読解力」という言葉は、狭義に解されて、「文章を読解する力」を意味する。
なぜ、読解力が落ちているか。
言うまでもないことだが、読書量の決定的な不足がその原因だろう。
スマホが普及する前は、あれこれ言われながらも、日本人はそれなりには本を読んでいた。
少なくとも新聞を読み、雑誌を読んでいた。低俗な雑誌や新聞も多かったが、ともあれまとまった文章を読んでいた。
大ベストセラーになる書籍もしばしば現れた。
読書が趣味という人は大勢いた。
小説が多くの人の話題になっていた。
だが 今ではそのようなまとまった文章を読む人は少ない。
新聞は発行部数を大幅に減らし、雑誌の多くが廃刊に追い込まれている。
電車の中でも、新聞や文庫本などを読んでいる人を見かけることはほとんどない。
乗客のほぼ全員がスマホをのぞき込んでいるというのは、今はごく日常的な電車内の光景だ。
ネット内を駆け巡る文章は、短文がほとんどだ。
複雑な状況を語ったり、深い思念を語ったりする文章はネット内にはみあたらない。
一目で理解できるような文章だけが幅を利かせている。
これでは読解力が養成されるはずがない。
多くの若者が学校の教科書と試験くらいでしか文章を読まない。
文章を読む習慣を持っていない。
しかし、言うまでもないことだが、現在でも文章を読むことは大事だ。
文章を正確に読み取れないと、人の意見を理解することができない。
日常生活での会話さえもしばしば誤解するといったことが起こるだろう。
人の語っていることが理解できず、大きく曲解してトンチンカンなことを言う人がいるが、それは読解力のない人だ。
きっとそんな人は周囲からバカな人間と思われているだろう。
いや、そもそも文章を理解できないと、日常生活に支障をきたす。
役所からの知らせ、銀行からの通知さえも理解できないことになる。
そして、そもそも読書という、人類が数百年前から行ってきた最大の楽しみを味わうことができないことになる。
文学作品を理解できず、ミステリーの醍醐味を知らず、恋愛小説の恍惚も知ることができない。
そしてそれ以上に、文章をしっかり読まないと、この複雑な現実世界を理解することかできない。
簡単な図式や数百字の文字で人間の心や社会のあり方を理解することはできない。
現在起こっていることを理解し、その複雑な関係を把握し、これから先の行動について推論し、自分の意見をまとめるには、新聞を読み、専門誌を読み、専門書を読みこなす必要がある。
それができてこそ、現実を分析し、将来についての展望を持つことができる。それができてこそ、専門家の意見を参考にして自分の考えをまとめることができる。
言うまでもなく、文章は思考そのものの跡を示す。 文章をたどれないということは、他人の思考をたどれない、つまりは他人の思考について思考できないということにほかならない。
言い換えれば、自分で考えることができないということでもあるだろう。
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「頭がいい」とは、「有名大学を出ている」とか「学校の成績がいい」とか、「知識が豊富」であるというようなことではない。
それは、生きていくための機転がきくとか、物事を論理的に考えることができるとか、自分で課題を見つけ粘り強く考え解決する力があるとか、物事を多面的に見ることができる、といったような資質のことを言う。
これらの資質は、「読書」によって育まれる。
しかも、本を読んでいるだけではダメで、それをいかにアウトプットすることができるかが問われる。
アウトプットすると、それに対する反応が出てくる。
それは、賛辞だったり、批判だったりする。
すると、そこからまた考えが深まることになる。
つまり、読解力が高まる。
また、読書をすればするほど、本の内容がどこかでつながってくる。
読書も一冊だけで考えていたら読み間違えもするが、別の視点から書かれた本を読んでいれば、多面的に考えることができ、より広い視野から本質に近づくことができる。
これも、読解力を高めることになる。
また、自分で課題を見つける力とは、問いを立てる力だ。
問いを立てられれば、自分で考え、自分で行動することができる。
自発性が育ち、当事者意識が生まれる。
そして、当事者意識を高めることにより読解力も育つ。
なぜなら、自分に置き換えない読書、他人事(ひとごと)の読書では深い読解力が得れないからだ。
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