特番がそれぞれ組まれていましたが、フジテレビの特番と、NHKのアカーブズの2本を視聴しました。
フジテレビでは「3時のあなた」の司会を担当した関係で、番組でインタービューした「田中角栄元総理」との対談場面が紹介された。特に印象的だったのが、終了間際、田中氏が「今までのインタビューでは、私を笑わせたり、怒らせたりして何かを言わせようとする方がほとんどだったけれど、貴方は違った。番組収録の初めから最後まで終始一貫して真摯な態度で、接していただいた。有難う。」といって、周りの目も気に背せず、涙をぬぐう田中角栄氏の姿が映し出されたことだ。森光子さんのこの徹底した態度はどこから来たものだろう?
NHKでは2005年「放浪記、公演1700回達成」をテーマとするドキュメンタリー番組で、ナレーションは、女優の吉永小百合さんだった。
森さんの出自(京都出身、お母様が芸子さんで、父親は学生さんであった。)が語られたり、結核をわずらったとき治療薬のストレプトマイシンを無料で打ってくださった山口医師との再会。結核が治って後、仕事先として自身の母親の秘書役を紹介した、裏千家家元の千宗室さんのお話。森光子さんを見出した脚本家菊田一夫とのわずか3分間の出会い。それらを森光子さん、ご自身の話や、関係者の話で紹介していた。
作家、林芙美子の自伝的小説「放浪記」を舞台化したのが脚本家の菊田一夫です。
2017回もの長期公演を達成できたのも、「放浪記」の作者、林芙美子と、自身の体験がかなりダブっていたことが背景としてあった。それは舞台「放浪記」で功なり、名を成したあと、急に親戚となのる人々が押しかけてくるようになったと主人公が、「会いたくない。」と伝えてくれと、使用人に頼むシーンに、はっきり現れているように思う。辛酸を舐めたもの同士が分かり合える点だと思う。幼くして両親と死別して、親戚縁者の間をたらいまわしさせれれたことが、放浪の出発であった林芙美子の人生に共感した森光子。だからこそ、森光子は「放浪記」を自身のライフワークとしたのだ。そうしたことがより分かるアーカイブであった。その直後、E-TV(教育テレビ)で「放浪記」全5幕が放映された。もし機会がありましたら是非、「放浪記」をご覧下さい。
フジテレビでは「3時のあなた」の司会を担当した関係で、番組でインタービューした「田中角栄元総理」との対談場面が紹介された。特に印象的だったのが、終了間際、田中氏が「今までのインタビューでは、私を笑わせたり、怒らせたりして何かを言わせようとする方がほとんどだったけれど、貴方は違った。番組収録の初めから最後まで終始一貫して真摯な態度で、接していただいた。有難う。」といって、周りの目も気に背せず、涙をぬぐう田中角栄氏の姿が映し出されたことだ。森光子さんのこの徹底した態度はどこから来たものだろう?
NHKでは2005年「放浪記、公演1700回達成」をテーマとするドキュメンタリー番組で、ナレーションは、女優の吉永小百合さんだった。
森さんの出自(京都出身、お母様が芸子さんで、父親は学生さんであった。)が語られたり、結核をわずらったとき治療薬のストレプトマイシンを無料で打ってくださった山口医師との再会。結核が治って後、仕事先として自身の母親の秘書役を紹介した、裏千家家元の千宗室さんのお話。森光子さんを見出した脚本家菊田一夫とのわずか3分間の出会い。それらを森光子さん、ご自身の話や、関係者の話で紹介していた。
作家、林芙美子の自伝的小説「放浪記」を舞台化したのが脚本家の菊田一夫です。
2017回もの長期公演を達成できたのも、「放浪記」の作者、林芙美子と、自身の体験がかなりダブっていたことが背景としてあった。それは舞台「放浪記」で功なり、名を成したあと、急に親戚となのる人々が押しかけてくるようになったと主人公が、「会いたくない。」と伝えてくれと、使用人に頼むシーンに、はっきり現れているように思う。辛酸を舐めたもの同士が分かり合える点だと思う。幼くして両親と死別して、親戚縁者の間をたらいまわしさせれれたことが、放浪の出発であった林芙美子の人生に共感した森光子。だからこそ、森光子は「放浪記」を自身のライフワークとしたのだ。そうしたことがより分かるアーカイブであった。その直後、E-TV(教育テレビ)で「放浪記」全5幕が放映された。もし機会がありましたら是非、「放浪記」をご覧下さい。