これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

火薬と花火とエアバックの話し

2019-07-27 10:50:11 | 工業技術
 花火のシーズンが来ましたので、今回は火薬と花火とエアバックの話を書きます。少し専門用語が入っていますが、我慢して読んで下さい。

【子供の頃に発破(はっぱ)を見に行きました】
 私の育った山奥の村では、1950年代に県道の拡張工事をしていました。岩山にダイナマイトを仕掛けて、爆発させるのです。凄まじい音を発生させて、噴石の様に砕いた石が飛ぶのを見学しました。

 ダメもとで、私一人で工事現場に行って見たら、見学させてくれました。鉄鑿を重いハンマーで叩いて、ダイナマイトを挿入する穴を穿っていました。ダイナマイトの長さの何倍かの深さの穴が複数出来たら、それぞれの穴に導線を接続したダイナマイトを挿入して、安全な場所に置いた『ダイナマイト・プランジャー(一種の発電機)』に導線を接続しました。(自転車の空気入れの様に、)何回かT字型の棒を押した後、スイッチを入れるとダイナマイトが爆発しました。映画では、一回、T字型の棒を押すと爆発しますが、多分噓だと思います。

 父が、山の上で切った薪を下に降ろすために、鋼のワイヤロープを300m程張りました。雷が発生したら電気が流れるから、絶対にワイヤロープに触れてはいけないと言われていました。1990年頃に、火薬工場を見学した時にダイナマイトに接続する導線を製造していました。夏、雷の発生する時期でしたので、広場に製造ロット毎に切り出した導線を沢山張って、雷が発生した時の起電力を測定していました。基準に合格したロットだけを出荷していたのです。(世界には、普通の導線を使用したために雷で導線に電気が発生して、爆破スイッチを入れる前に爆発する事故が今でも発生している様です。)

(余談) 中学生の頃、菊池寛の『恩讐の彼方へ』を読みました。高校の修学旅行で耶馬渓に行った時、『青の洞窟』で、「鉄鑿とハンマーだけでは大変だっただろう」と感動しました。だいぶ後で、大半はフィクションだった事を知ってガッカリしました。

【田螺(タニシ)と花火】
 父の友人の一人(A氏)は田螺(タニシ)が大好物でした。田舎の田圃には田螺が”うようよ”いました。A氏は、特に大きな田螺を好まれたので、私は小学生になる前から、毎年田圃で大きな田螺を集めました。綺麗な水に数日間入れて、ドロを吐かせたあとに送りました。A氏は、お礼に高価な花火を多量に送ってくれました。(田舎の人達は、田螺を食べ無かったのですが、母に頼んで田螺を煮付けにしてもらったら、結構美味しかったのです。父母・姉達は食べませんでしたが。)

 8月のお盆の前後に、近所の子供達を集めて”花火大会”をしました。沢山有ったので、数日間楽しめたのです。落下傘花火も入っていたので、昼間も楽しめました。(姉に頼んで、絹の布で小さな落下傘を作ってもらった記憶が有ります。)

 当時は、源氏蛍も平家蛍も沢山飛んでいましたが、1965年頃に私の田舎でも強力な殺虫剤が使用される様になって、田螺は殆ど死んでしまい、蛍も激減してしまいました。小学3年生だったと思いますが、死んだ田螺の貝殻が田圃一面に累々と有るのを見て、父に「こんな強力な農薬はだめだ!」と言った記憶があります。それ以来、楽しい花火は終わってしまいました。

(余談) 当時、男達は出稼ぎに行くようになっていて、数軒分の農薬散布を請け負っていた、40歳程の男性が、3年程して亡くなりました。それまで村で自殺は有りませんでしたが、何人か自殺が続き、父が友人宅に行ったら納屋で首を吊っているのを見付けたそうです。私は、農薬のせいだと思いました。

【映画・恐怖の報酬とニトログリセリン】
 1953年製作のフランス映画『恐怖の報酬』を高校生の時に見ました。イヴ・モンタンと相棒が、トラックでニトログリセリンを運ぶ話です。その後、ニトログリセリンに関する本を読んで見ました。

 江戸時代の末期にヨーロッパで、化学合成の研究が進み、イタリアでニトログリセリンの合成に成功しました。衝撃を与えると爆発するので、火薬として使えると気付いたと思いますが、取り扱い方法が未確立でしたから、商品化は少し遅れた様です。

 ある医者が、狭心症の患者にニトログリセリンを与えたら効果が有ったと言う論文を発票しました。別の医者達が追試をしましたが、効果は確認出来ませんでした。効果が有る患者と、無い患者がいる事に気付いた医者がいました。その差はなにか?どうも気の小さい患者には効果が有る様だ!そこで、ニトログリセリンを呑む状況を観察すると、気の小さい患者は口に含んだあと、暫くしてから飲み込んでいたのです。口の中にも吸収器官が有る事を見付けたのです。(昔読んだ本の記憶で書きました。真偽の程は保証しません。)

 ニトログリセリンは今でも狭心症治療薬として使用されていますが、最近医者に聞いたところでは、薬価点数が低いので医者としては赤字だそうです。医療用ニトログリセリン薬を手掛けている日本化薬の社員から聞いたのですが、現在は舌下錠だけでなく、軟膏、テープ剤、注射剤が有るそうです。

【ノーベルとダイナマイト】
 ニトログリセリンの合成に成功して、約20年後の1866年に、スウェーデンのアルフレッド・ノーベルが珪藻土にニトログリセリンを含侵させたダイナマイトと雷管を発明しました。彼は巨万の富を得たのです。(1866年は薩長同盟が成立した年です。) なお、ノーベル賞は1901年から始まりました。

(余談) ノーベルは、皮肉にも狭心症になり、ニトログリセリンのお世話になったそうです。なお、ノーベル賞の授与式は彼の命日(12月10日)に行っていいます。

【火薬とは!】
 鎌倉時代の蒙古襲来の時に、元軍が火薬を用いたと教科書で勉強しなしたね!火薬は唐の時代に中国で発明されました。現在は、種々の火薬が製造されていますが、最初に発明されたのは、硝石、硫黄、炭紛(木炭の粉)を混合した黒色火薬でした。

(余談) 日本では硝石は採れませんので、江戸時代に鎖国するまでは中国から輸入していました。鎖国後は、魚の”はらわたを”を枯草で焼いて製造していました。(信じてもらえますか?)

 紙に火を付けると、紙の主成分の炭素(C)が空気中の酸素(O2)と結合して二酸化炭素(CO2)になります。火薬は、燃える物質と酸素で出来ていて、熱を加えると分解して含有されていた酸素と燃える物質が結合するのです。火薬が燃焼する(燃える)時、空気中の酸素は必要ないのです。その為、水中でも爆発させる事が出来ます。(ニトログリセリンは炭素、水素(H)、窒素(N)と酸素の化合物です。)

【火薬の燃焼速度】
 火薬の燃える速さ(燃焼速度)は、圧力が高くなると速くなります。逆に、大気圧の状態で、火薬に火を付けても、チョロチョロとしか燃えません。火薬の研究者に立ち会ってもらって、コンクリートの床に、床が見え無くなる程度に火薬の粉を蒔いて、火を付けてみました。ユックリ燃え広がっただけでした。(絶対に、真似しないで下さい。)

 私が中学生の頃、近所の年下の男の子が、マッチを多量に買って来て、先端の火薬を削って集め、何かの容器に入れて火を付けました。大爆発して、彼は全治数か月の大怪我をしてしまい、一年留年しました。マッチの火薬でも、侮ってはいけません!

【打ち上げ花火】
 打ち上げ花火の構造は、インターネット上に、絵入りの分かりやすい説明記事が沢山公表されています。丈夫な紙(クラフト紙)製の球形の容器(玉皮)の中に、”星”と粉末の”割薬”が整然と入れられています。割薬が燃焼(爆発)して、星を四方八方に飛ばします。

 ”玉皮”の役割は、打ち上げ時の衝撃に耐える事だと一般には説明されていますが、私は、”割薬”が燃え始めても直ぐには”玉皮”は破裂せずに耐えて、”星”を勢い良く飛ばせる圧力を得る事も、重要な役目だと考えています。

(余談) まだ子供が小さかった頃、防波堤から打ち上げる花火大会を見に行きました。迫力の有る所で見せたくて、早く行って砂浜に場所を確保しました。迫力満点でしたが、暫くすると海風が吹き始め、頭上で炸裂する様になりました。あっちこっちで、「キャー」とか「アッチチ」とか叫び始めました。熱い熱い火薬の燃えカス(火薬滓)が降って来たのです。

【エアバック】
 現在、市販されている車には、ほぼ全てエアバックが付いていますが、私は1990年頃にエアバックの開発に参加しました。当時はボンベに入れたガスでエアバックを膨らませるタイプも有りましたが、火薬を燃焼させてガスを発生させるタイプが主流になって来ていました。私は火薬を収納する容器(インフレーター)の開発を担当しました。

 貴方が車を運転されていて、何かに衝突したとします。衝突した瞬間から『0.3秒』後に貴方の身体は、ハンドルに激突します。従って、バックは、衝突から『0.3秒』後には全開になって貴方の身体を待ち受けなければならないのです。

 車が衝突すると、その車特有の衝撃波が発生し→センサーがキャッチ→予めインプットされていた波形と比較/照合→(雷管の様な)点火薬に電気を送る→点火薬が着火→メインの火薬が着火→ガスが発生→折り畳まれていたバックが開く。

 瞬間的に多量のガスを発生させるためには、メインの火薬を30MPa(300kg/cm2)もの高圧下で燃焼させる必要が有ります。火薬を収納する容器(インフレーター)には、バックにガスを噴き出す穴が設けられていますが、その穴の面積を適当な値にして、目標圧力(30MPa)を達成するのです。

 火薬が燃えて出来たガスは、非常に高温のため、バックに送る前に冷却する必要があります。また、火薬が燃焼すると高温の燃えカス(火薬滓)が発生します。インフレーターの中に、ガスを冷却し、火薬滓を除去する部品(クーラント)が入っています。

(余談 :1) 開発していた頃に、北欧で発行していた英文の車の安全に関する雑誌を読んでいました。気になった記事を2点書いて置きます。
① 窓を開けて運転していて、エアバックが開いたら鼓膜が破れたそうです。バックには、(風船とは違って)ガスの一部を逃がす穴が設けられています。エアバックが開くと、室内の圧力が急激に高くなり、窓が開いていると室内の空気は外部に放出されます。ガスの温度が急激に下がるために、室内が正圧→負圧になったためだと書いていました。
② 少し気の弱い高齢の女性ドライバーが、エアバックは正常に作動したのに、心臓麻痺で亡くなられた事例が報告されていました。

(余談 :2) 量産製造方法と体制を確立するのも私の仕事でした。エアバックは車の装備品ですから、製造予定数量が多く、部品加工を外部委託するとしても業者は新たな設備投資が必要でした。ある会社の社長さんが、「数日、考えさせて欲しい」と言われ、再度訪問すると、「あの後、衝突事故を起こし、エアバックのお蔭で助かった」と、積極的に相談に乗ってくれる様になりました。社長さんはベンツに乗っていたのですが、既にベンツにはエアバックが付いていました。

(余談 :3;歴史) エアバックに関する最初の特許は、1953年にアメリカで出願されました。現在のエアバックに関する特許は、1963年に日本人の堀保三郎氏が出願しましたが、余りにも画期的だったために日本では相手にして貰えませんでした。その後、彼の発想は欧米の企業で研究/開発されました。1970年頃から日本の火薬会社でも、エアバックの開発を始めましたが、成功しませんでした。私が開発に参加した、1990年には日本では製造しているメーカはまだ有りませんでした。