これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その2)

2021-08-28 19:07:12 | 民主主義
【はじめに】
 今回は、日本の民主主義化の歴史について書きます。

 新型コロナが猛威を振るう様になって、「日本には今!、判断力/決断力/行動力/指導力の有る優秀な政治家が必要だ!」と思うようになりました。 民主主義国では議員を選挙で選びますが、選挙は「優秀な人間を選別する篩」の役割は出来ないのだと気付きました。

 もう直ぐ衆議院議員選挙が行われます。自民党は「選挙の前に総裁選挙をするか?」まだ決めていない様です。「息子に跡を継がせる為に早期引退を決意した!」、「コロナが蔓延している今、総裁選挙をやるべきでは無い!」、「菅氏では選挙に勝てない!」・・・自民党の政治家達は身勝手な事を言っています。

 ワクチンの輸入予約は、いくら何でも終わっていると推察するので、誰が総理大臣になっても接種は進むと思います。 自民党の議員諸君よ!、①経済の立て直し、②米中貿易貿易戦争への対応が、上手に出来る方を次の総理大臣に選んで頂きたい!

第4章 :日本の民主主義化
【刀狩り】

 鎌倉時代から『刀狩り(かたながり)』は行われてきました。戦国時代に戦になると、農民に槍を持たせて戦わせていましたが、それでは農繁期に戦(いくさ)が出来ません。秀吉は、槍を持たせる下級武士集団を作って『兵農分離』政策を採用しました。1588年に『刀狩令』を布告しました。 国民の大半は農林漁業者でしたから、彼らから武器を取り上げることで「農民一揆を防止する意味も有った」と私は思います。

 私が小学生の頃、隣の集落の家の納屋(物置小屋)から多量の刀と槍が出て来ました。母の実家には、鎌倉時代に作られた刀が一振り伝わっていました。農民達は、いざという時の為に武器を隠し持っていたのです。 日本では、何回も!何回も!一揆が起こりましたが、フランスの様に民主化を求める運動には発展しませんでした。

【幕末まで】
 近年の学説では4世紀~7世紀半ばを『大和政権』の時代と呼んでいます。日本はまだ統一国家では無く、近畿地方の王達の連合体だってのです。 645年の大化の改新以降から『天皇』と言う称号が使われ始めました。天皇親政から次第に、貴族達が政治を行う様になりました。

 源頼朝が幕府を開いた後、(色々・紆余曲折が有りましたが)武士が朝廷の権威を後ろ盾に国を統治する方向に進みました。 その仕上げが江戸幕府だったと思います。徳川家康は統一国家を諦めて、封建制の統治を選びました。

 徳川本家が1757年に支配した領地の石高は、預地を含めても500万石程しか有りませんでした。但し、江戸、大阪、京都、堺、長崎は直轄地でしたから、商工業からの税収は莫大だったのでは?と思います。

 江戸時代には商業が盛んになり、莫大な富を蓄えた商人が多くなりましたが、(ヨーロッパ諸国の様に)彼らが団結して参政権を要求する事は有りませんでした。 幕末に武士の一部が尊王攘夷運動を始めましたが、運動の中心にいた武士達が、「ヨーロッパ諸国の植民地にならない為には、ヨーロッパの工業技術を取り入れて→→国を豊かにして→→強力な軍隊を持つ必要が有る」と考え方を180度転換させたのだと思います。

【明治時代】
 近代化/工業化を進める為には莫大な金が必要でした。徳川本家の資産を没収するだけでは足りません。1871年に廃藩置県を強引に実行して、封建制国家を→統一国家にしました。年貢や税金が国家に入る様にしたのです。 藩が無くなったので、家臣は世襲の武士で無くなり、『禄(ろく)』を失いました。新政府の職に就いた武士以外は失業してしまったのです。

 明治政府は16歳にしかならない明治天皇が、直接統治する体制にしました。1869年(明治2年)に『参議』制度が復活し、薩長土肥の維新功労者が参議に就任しました。 明治になって『不要の長物』化していた武士の不満/抵抗を抑える為に、俗に『廃刀令』と呼ばれている命令を1876年に出しました。

 翌年(1877年)、不満武士達・30,000人が西郷隆盛のもとに集まって西南戦争を起こしました。この戦争で両軍合わせて13,000人程が命を落としました。 「武士の不満と言う火種をほゞ完全に消せた」と言う点で、西南戦争は有意義だったと私は思います。

 1889年に大日本帝国憲法を制定し、翌年に第1回衆議院選挙が行われ、日本は立憲君主国になりました。そして、日本は富国強兵を強力進めました。

【日清戦争】
 日清戦争が始まったのは1894年(明治27年)です。明治になって日本軍の兵器は近代化されていましたが、清国は一昔も二昔も前の武器でした。私は、「戦争と言うより殺戮だった」と思います。日本軍は24万人、清国軍は63万人でしたが、戦死者は日本軍は1,100人ほど、清国軍は35,000人と言われています。

 清国から莫大な賠償金を得て、台湾、澎湖諸島、遼東半島も獲得しました。(遼東半島は外圧によって返しました。)

【覇権主義国への仲間入り】
 富国強兵に成功し/日清戦争に勝利した日本の政治家達は、「欧米の覇権主義国への仲間入りを果たせた」と判断したと想像します。 民主主義とは逆の方向に進んで、軍備を増強して→韓国併合→日中戦争→ノモンハン事件→第二次世界大戦へ。

 ノモンハン事件(1939年)は、兵員数、近代兵器、軍需物資量の点で勝ったソビエト軍に、日本軍は散々な目に遭わされました。ソビエト軍側の損害も甚大で、戦闘中にソビエトは独ソ不可侵条約を締結した事も有って、日本軍に壊滅的な打撃を与えないで停戦しました。 日本軍はこの戦いで反省すべきでしたが、事件を有耶無耶にしてしまいました。 (私の父は将校として、ノモンハン事件に参戦し、金鵄勲章を得ました。)

【天皇の神格化から象徴天皇へ】
 明治政府は16歳の青年を天皇に奉って、天皇の権威を借りて「我々は、正当な政治を行っている!」と主張しました。そして、次第に天皇を神格化する様になりました。 私の故郷では、全ての家に天皇と皇后の写真(御真影)を額縁に入れて飾っていました。1960年頃に、我が家も含めて・どの家からも御真影は無くなりました。

 その頃(1960年頃)、国民の多くが、少しだけ「民主主義とは何か?」を理解出来る様になり、「天皇は現人神(あらひとがみ)では無く、国民の象徴だ!」と認識出来る様になったのでは?と思います。 思想教育は怖いです!民主主義の敵です。

【植民地の解放】
 日本は、第二次世界大戦で東南アジアに侵攻しました。当時の東南アジアの国はタイを除いて、下記の様に植民地でした。 日本が、「それらの国々が植民地から抜け出す切っ掛けを作った」とゆう点では、日本は世界の民主主義の進歩に貢献したと言えると思います。

 タイが植民地化されなかったのは、イギリスとフランスが、タイを緩衝地帯にして、両国の植民地が直接接しない様にする為でした。

① イギリスの植民地 :ビルマ(ミャンマー)、マラヤ(マレーシア)
 ★イギリスの保護領 :ブルネイ、サバ(マレーシアの一部)、サラワク(マレーシアの一部)
② フランスの植民地 :ベトナム、ラオス、カンボジア
③ アメリカの植民地 :フィリピン
④ オランダの植民地 :インドネシア

【敗戦と日本国憲法】
 私がブログを書こうと思い立ったのは、「何時か、憲法についての自分の意見を公表したい」と考えていたためです。 退職して文書を書くことから遠ざかっていたので、一年ほどトレーニングを兼ねて色々書いた後に、次の投稿をしました。

★ gooブログ :『日本国憲法 (その1)~(その10)』・・・投稿・2019年4月27日~7月13日

 日本の民主主義は民衆運動で得たものでは無く、GHQから押し付けられた『日本国憲法』がベースで、国民が『まちまち』に少しずつ獲得したのだと私は思います。 森喜朗氏(84歳)の年代の方の多くは時代遅れの民主主義者です。裕福な旧家に育った人の中には、結構若くても同じような方がおられます。

 「九条を改正させない為に、憲法の一字一句の改正も阻止しよう!」と声高に叫ぶ人達がいます。私は、「九条以外で、現在の世界の常識に反する規定は、改正すべきだ」と考えています。例えば、『第二十四条』を改正して同性結婚を認めるべきです。多くの国が同性結婚を認める様になっています。ウイキペディア『同性結婚』で検索して見て下さい。

【労働争議と労働組合】
 戦後、GHQは労働組合の結成を奨励し、1945年の末に『労働組合法』が成立しました。急激に労働組合が結成されました。共産党系と社会党系の労働組合が過激なストライキを打つ様になって、GHQは労働組合の運動を抑える様になりました。大手企業では次第に、御用組合が増えてきました。

 現在、日本には3つのナショナルセンターが有ります。①組合員700万人の連合(日本労働組合総連合会)、②共産党系の組合員55万人の全労連(全国労働組合総連合)、③新社会党系の組合員10万人の全労協(全国労働組合連絡協議会)。

 現在、従業員が100人未満の中小企業には殆ど労働組合は有りません。 戦後、中小企業にも労働組合が少し有った様ですが、1960年代に某野党の市会議員達が社長から金をもらって労働組合を潰したケースを何件か知っています。そして、中小企業の労働組合は無くなっていったのです。

 日本の民主主義化に今まで労働組合は貢献してきました。 正社員の労働条件の向上要求だけでなく、今後はもっと「民主主義と自由主義の推進」を主張をして欲しいと思います。

【学生運動】
 戦後の大学では個別に、学費値上げ反対運動や反戦運動が起こり、次第に活発にになり、1960年には『安保闘争』が広範囲で行われました。私が大学生だった1967年~70年頃は、学生運動家が教室を時々・占拠して、アジ演説をしていました。その内容は独断的で賛同出来るものでは有りませんでした。

 内ゲバで殺しあって、勢力が急激に低下してしまいましたが、現在でも細々と存続しています。彼らの主張は「暴力革命によって、日本を政府の無い国家(無政府主義国家)に変えよう」だったと思います。沢山の血を流しましたが、民主主主義化には全く貢献しませんでした。

【再軍備】
 朝鮮戦争が勃発した年(1950年)に、アメリカの要請によって警察予備隊を設けました。→安保隊(1952年)→自衛隊(1964年)へと軍備を増強して来ました。 アメリカが「この程度の軍隊にしろ」、日本政府は「このくらいで許して下さい」と言う様な交渉を毎年・続けて、今日に至っています。

【衆議院の選挙制度の変遷】
 1889年に衆議院議員選挙法を制定し、小選挙区制が採用され→大選挙区制(1900年~)→小選挙区制(1919年~)→中選挙区制(1925年~)・・・敗戦

 敗戦後の1945年には大選挙区制を採用し→中選挙区制(1947年~)→小選挙区(1956年~)→小選挙区・比例代表並立制(1991年~現在)

 100年間ほど色々な選挙制度を試しました。この30年間は『小選挙区・比例代表並立制』に落ち着いています。 民主主義と選挙制度には密接な関係が有るので、(選挙制度は国会の多数決で変更できますが、)与党の目先の損得で決めてはいけないと思います。 

【金権政治】
 戦後・長い間、国家と地方公共団体が発注する物品費と工事費の平均約3%が、『表の金』だけで無く『裏の金』として政治家に流れました。一般会計だけでは無く、特別会計の予算も含めるのですから、想像を絶する金額だったのです。それが表に出てきたのが、1976年の『ロッキード事件』、1979年の『ダグラス・グラマン事件』です。

 当時・私は官庁に機械を販売する部隊の設計担当者でした。 官庁と取引する企業は、業種毎に談合団体を作り、談合して十分な利益を出して政治家に渡す金を工面していました。 種々のルールが有って、私の様な設計担当者でもルールを熟知する必要が有りました。 金額をはじく時に、案件毎に何パーセント裏金が必要か?加味しました。 どういうルートで金が流れるのか?自然に分かってきました。 与党の政治家だけでは無く、地方によっては、野党、暴力団、解放同盟の支部のお偉方にも流れました。

 政治と金の問題は、私さえ知っていたので、検察や古手のジャーナリストが知らない分けが有りません。『ロッキード事件』と『ダグラス・グラマン事件』が表面化したのは、アメリカが言うことを聞かなくなった日本の政治家達に、「お前ら!叩けば埃が出る輩だ、勝手な事をすると証拠をリークするぞ!」と脅したのだと思いました。 結局、この二つの事件は有耶無耶になって、金権政治は無くなりませんでした。 (金権政治は民主主義の敵ですが、この敵は20世紀の末までは元気に生き続けた様に思います。)

 河井夫妻の買収事件が報道されて、「未だに金をばら撒いているのか!」と呆れてしまいました。2006年に始まった『政党交付金制度』で、この手の犯罪は無くなったと私は勘違いしていました。

【経済の再興と発展、そして失われた20年】
 第二次世界大戦で工業地域は爆撃され建物は破壊されましたが、結構・生産設備は残っていました。然し、原料や燃料を輸入する金が無く、工業製品を作っても内需が少なく、輸出も難しくなっていました。

 戦後、①朝鮮特需(1950年~55年)、②ベトナム特需(1954年~70年)と③賠償特需が有り、工業が発展し/成長しました。 サンフランシスコ平和条約で、日本は工業生産品(機械/装置など)と役務での賠償が認められました。 私が入社した時、賠償特需は終わっていましたが、会社は・建物を修復して、破壊を免れた工作機械で機械/装置を作り、東南アジア諸国に納入した様でした。 そんなわけで、英語と韓国語が話せるブルーカラーが沢山いました。

 日本の工業技術は進歩して、設備も増強され輸出大国になり、バブル景気(1986年~91年)を謳歌しました。バブルが弾けて→『失われた20年』が続きました。不景気/デフレの問題に有効な対策が出来る総理大臣が登場しませんでした。『失われた20年』の間の首相は、次に示すように『14人』もいました。「日本の政治が、まだまだ成長していない事を露呈した」のだと私は思います。

『失われた20年』の総理大臣 :海部俊樹(1989年~91年)→宮澤喜一(91年~93年)→細川護熙(93年~94年)→羽田孜(94年)→村山富市(94年~96年)→橋本龍太郎(96年~98年)→小渕恵三(98年~2000年)→森喜朗(00年~01年)→小泉純一郎(01年~06年)→安倍晋三(06年~07年)→福田康夫(07年~08年)→麻生太郎(08年~09年)→鳩山由紀夫(09年~10年)→菅直人(10年~11年)

 『アベノミクス』を旗印にして、安倍氏が再登場しましたが、掛け声だけで終わった様に思います。 民間企業が頑張ったので輸出は好調でした。 2005年頃から輸入が増加し、11年~15年は貿易収支は赤字になったので心配でしたが、その後の貿易収支は適当な値で推移しています。 (近年の国会は、スキャンダルや失言の追及に時間を割いており、経済政策なんか殆ど議論していません。経済が良くなったのは政策・政治が良かったからでは決して有りません。)

【家業としての政治】
 日本には「家柄を重んじる伝統」が現在でも残っています。 「家柄の良い人には悪人はいない! 私達の為に尽くしてくれる」と夢想する人が多いいのでしょう?! その為に日本には二世議員が多いいのだと思います。 自民党だけでなく野党にも沢山二世議員がいます。ウイキペディア『親族関係にある政治家一覧』で検索して見て下さい。

 判断力/決断力/行動力/指導力の有る人を国会議員に選べる様にする為には、選挙制度を変えても駄目だと思います。 『地盤・看板・鞄』を相続税を払わずに受け継げる事が問題です。国会議員の子供は、親の選挙区からは立候補出来ない様にすべきです。

 『家業としての政治家』を撲滅する運動を始めるべきです!

(余談 :吉田茂) 吉田茂も二世議員です。土佐藩出身の政治家だった竹内綱の五男です。裕福な吉田家に養子に入ったので吉田茂になりました。外交官でしたが、敗戦後貴族議員に登用され、総理大臣になりました。戦後に初めて行われた衆議院議員選挙に立候補して当選し、総理大臣を続けました。吉田茂は父親の地盤を引き継いではいません。


【日本の民主主義化の歴史】
★ 江戸幕府 :1603年~1867年(大政奉還)
★ 天皇親政復活? :1868年=明治維新・・・大日本帝国
★ 廃藩置県 :1871年
★ 廃刀令   :1876年
★ 西南戦争 :1877年
★ 大日本帝国憲法 :1889年
★ 第1回衆議院選挙 :1890年 ・・・小選挙区制、25歳以上の男子で15円以上の直接国税(有権者は人口の1.1%)
★ 第1回帝国議会 :1890年 貴族院と衆議院
★ 日清戦争 :1894年~95年
★ 第7回衆議院選挙 :1902年 ・・・大選挙区制、25歳以上の男子で10円以上の直接国税(有権者は人口の2.2%)
★ 日露戦争 :1904年~05年
★ 韓国併合 :1910年~45年

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演 ◎◎◎

★ 第14回衆議院選挙 :1919年 ・・・小選挙区制、25歳以上の男子で3円以上の直接国税(有権者は人口の5.5%)
★ 第16回衆議院選挙 :1928年 ・・・中選挙区制、25歳以上の男子の普通選挙(有権者は人口の20%以上)
★ 日中戦争 :1937年~45年
★ ノモンハン事件 :1939年・・・ソビエトとの国境紛争
★ 太平洋戦争 :1941年~45年
★ 敗戦 :1945年
★ GHQの駐留 :1945年~52年
★ 第22回衆議院議員総選挙 :1946年4月 大選挙区制、男女普通選挙制度、男女20歳以上、被選挙権は25歳以上
★ 日本国憲法 :1946年に公布→→象徴天皇
★ 貴族院の廃止 :1947年→→参議院
★ レッドパージ :1950年
★ 公職選挙法 :1950年
★ 朝鮮戦争 :1950年~53年・・・朝鮮特需
★ ロッキード事件 :1976年
★ ダグラス・グラマン事件 :1979年
★ バブル景気 :1986年~91年→→バブル崩壊→→失われた20年
★ 衆議院選挙改革 :1994年 小選挙区比例代表並立制
★ 政党交付金制度 :2006年~
★ 民主党政権 :2009年~11年

ヴェーバーが残してくれたヒントを基に (その1)

2021-08-22 16:06:33 | 民主主義
【はじめに】
 新型コロナが猛威を振るう様になって、「日本には今!、判断力/決断力/行動力/指導力の有る優秀な政治家が必要だ!」と思うようになりました。 民主主義国では議員を選挙で選びますが、「選挙は、優秀な人間を選別する篩の役割は出来ない」のだと気付きました。

 民主主義がドンナニして発展してきたのか? 現在の民主主義では問題/課題が解決出来ない事が多々有るから、ドンナニ変えて行けば良いのか?・・・色々考える様になりました。

 昔、読んだマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』を、「民主主義の進歩と言う視点で読み返して見よう」と思い付きました。 ヴェーバーの与えてくれたヒントを基に、私の独断による「民主主義の進歩の歴史」を数回に分けて投稿します。次回は日本について書く予定です。

第1章 :ヴェーバーの『職業としての政治』を読み返して!
【職業としての政治】

 ドイツ人で、政治学/経済学/社会学の分野で活躍したマックス・ヴェーバーをご存知ですか? ヴェーバーは、1864年に生まれ、亡くなったのは1920年です。 沢山の著作を残し、その多くが翻訳されて、今でも日本で読まれています。 私は、大学の教養部で細谷昂(ほそや たかし)先生のマックス・ヴェーバーに関する講義を受けました。

 細谷先生の話は難解で、内容を殆ど覚えていませんが、先生が時々言及された『職業としての政治』の翻訳本が、1980年に岩波文庫として出版されたので、直ぐに買って読んでみました。 (今も出版していて、税込みで704円で、本文は120ページ程ですから、是非読んで見て下さい。)

 第一次世界大戦(1914年~18年)でドイツは敗戦国になりましたが、終戦の2カ月後(1919年)にミュンヘンで学生相手に行った講演の内容を纏め、『職業としての政治』と言うタイトルで出版しました。

 章(見出し)が無く、小説の様に書かれているので、一回読んだだけでは「分かった様で、分からない」本です。

【ヴェーバーが勉強出来た範囲は】
 ヨーロッパ諸国の一部では中世に議会が誕生しました。初期の頃の議員は貴族や聖職者などで、無給でした。庶民が議員になると、有給制度になりました。ヴェーバーの言う『職業としての政治家(職業政治家)』の誕生です。 ヴェーバーは、政治家には『情熱』、『責任感』、『判断力』の三つの資質が必要であると言っています。

 ヴェーバー後の100年で工業技術は目覚ましく進歩し、核兵器が誕生し『戦争抑止』と言う考え方が広がりました。一党独裁国家の中国が『世界の工場』と呼ばれるまでに発展し、近年は覇権主義政策をを露骨に進める様になっています。 現在の日本の政治家に必要な資質は、ヴェーバーの三つの資質では不足だと考えています。『工業/科学の知識』、『世界情勢についての見識』・・・などなど。 これから政治家を目指す若者達へ!『Boys be ambitious!』

 『職業としての政治』には、第一次世界大戦までの統治体制(王政 皇帝 封建制、共和制、立憲君主制などなど)、貴族→有給の官僚による政治、有給の国会議員の誕生、派閥→政党の誕生、政党の組織化/拡大→政党の役員や職員の台頭、既得権団体の誕生/ロビー活動・・・など、現在に通じる内容が書かれています。

 『職業としての政治』が出版された1年ほど前に、共産・ソビエトが誕生しました。初期の施策についてほんの少し触れていますが、「共産主義国家がドンナ統治をするのか?」ヴェーバーは知る事無く亡くなりました。 そして、イスラム教のアラビアの石油産出諸国が発展したのも、ヴェーバーが去った後です。

 ヴェーバー歿後・100年が経過しました。先進国では民主主義化は進みましたが、多くの国では独裁政治/専制政治/一党独裁政治が行われています。 そして、民主主義政治の問題点や限界も顕著になって来ました。一党独裁政治の中国と経済戦争する為に、自由主義/民主主義の後退が必要かも知れません。

★ 紀元前509年~紀元前27年 :共和制のローマ
★ 1775年~83年 :アメリカ独立戦争
★ 1789年 :アメリカ・初代大統領=ジョージ・ワシントン就任
★ 1789年~95年 :フランス革命
★ 1861年~65年 :アメリカ南北戦争
★ 1864年 :マックス・ヴェーバー誕生 (プロイセン王国)
★ 1868年=明治元年
★ 1914年 :第一次世界大戦勃発
★ 1917年 :ロシア革命
★ 1918年 :第一次世界大戦が終戦
★ 1918年 :ドイツはドイツ帝国→ドイツ革命→ヴァイマル共和国になる。
★ 1919年1月28日 :ヴェーバー『職業としての政治』講演
★ 1920年 :ヴェーバー没 (ドイツ)

第2章 :私の考え方
 ヴェーバーが生きていた時代に、国の主人は民衆で有るという『民主主義国家』はフランス、イギリスそしてアメリカだけだったと思います。ヴェーバー没後100年経ちます。 現在では、先進国の多くは民主主義国家になりました。然し、中国は未だに民主主義国家では無く、逆に・民主主義を否定している様に思えます。

 民主主義の進捗状況を表す尺度の一つが、身分、貧富の差、男女の区別で選挙権を制限しない『普通選挙』を採用しているか?どうかだと考えます。今でも、国会議員の国民投票を実施していない国があります。女性の選挙権を認めていない国もあります。

 選挙制度には小選挙区制、中選挙区制、大選挙区制、比例代表制と、それらを組み合わせた制度(例:小選挙区比例代表並立制)が有ります。 一方、民主主義国家とは、「国会で少数意見/思想の政党にも議席を与え、発言させる。最後には多数決で決める制度を採用している国」の事だと思います。 小選挙区制では少数派は議席を得るのが難しく、大選挙区制や比例代表制では政党が乱立して何も決められなくなってしまいます。 ヴェーバーは選挙制度については殆ど言及していませんが、(ヴァイマル共和国で採用されたと思われる)『比例選挙法』の問題点を予想しています。

 民主主義は進化して、現在は『自由』と『平等』が含まれます。『博愛』も含まれるかも知れません。然し、イスラム教の信者で、神の教えを最優先する人達にとっては、民主主義思想をそのままでは受け入れられません。マホメットの時代は、「女性は男性に仕える存在」だったのです。 男は5人まで妻を娶っても良いが、女性が複数の男性を愛する事は許されないのです。

 共産主義国家では選挙が出来ません。「共産党は民衆の政党で有るが、他の思想の政党は民衆の敵である。選挙をして民衆の敵(ブルジョア)に政権を渡す必要は無い」と主張している様です。レーニンは政権を取って直ぐに国会議員選挙を実施しましたが、ブルジョア政党に敗れてしまいました。レーニンは、直ちに国会を閉鎖して、以来・ソビエトでは選挙は行われませんでした。共産党員の為の国家になって行ったのです。

第3章 :ドイツの民主化
【中世のドイツ】

 ドイツ語を公用語としている国は、①ドイツ、②オーストリア、③リヒテンシュタイン、④スイス、⑤ルクセンブルグ、⑥ベルギーの6っか国です。④~⑥の国はフランス語なども公用語です。 (フランツ・カフカはチェコスロバキア出身の作家で、ドイツ語を使用していますが、チェコスロバキアはスロバキア語の国でした。)

 幕末までの日本の歴史に、外国の影響は少ないですが、陸続きのヨーロッパ諸国の場合は真逆です。『日本』と言う国号は701年に制定された大宝律令から採用されたと言われています。『ドイチェス・ライヒ』と言う国号は19世紀の後半からです。 中世のドイツは神聖ローマ帝国に含まれ、1701年からはプロイセン王国が統治しました。

 962年に、ドイツ王兼イタリア王のオツトー1世が皇帝になりました。 彼が統治し始めた国が、後に神聖ローマ帝国と呼ばれる様になったのです。 名前に『ローマ』が入っていますが、ドイツ人が支配する帝国でした。 神聖ローマ帝国は領土を拡大し→縮小して、1806年に滅亡しました。 ウイキペディア『神聖ローマ帝国』で検索すると、962年~1806年の領土の変遷が動画(?)で見れます。

 一方、現在のスイスにドイツ系の貴族・ハプスブルク家が有りました。政略結婚を繰り返して領土を拡大していきました。神聖ローマ帝国の王は諸侯が相談して決める事になっていました。 1272年に、王が絶大な権力を握らない様に、当時はまだ弱小の諸侯だったハプスブルク家のルドルフ1世を選びました。ルドルフ1世はハプスブルク家を大諸侯の一つにしました。 然し、神聖ローマ帝国の皇帝の世襲は、当時は認めていませんでした。(1549年にハプスブルク家出身者が、神聖ローマ皇帝位を世襲する事になりました。)

 中世ヨーロッパは『封建制』でした。然し、徳川時代の封建制とは大きな違いが有ります。①女性でも王や貴族の相続権が有りました。A王国とB王国の相続権を有する男女が結婚して子供が出来ると、子供はA王国とB王国の王になるのです。 ②A王国の貴族(日本の藩主)がB王国の貴族の相続権を持つ女性と結婚すると、子供はA王国とB王国の貴族を兼務する事になります。③政略結婚を繰り返して領土を拡張し、王と同等か以上になった貴族が、王の相続権を持つ女性と結婚して、遂に『王』になる事が出来ました。 その典型例がハプスブルク家です。

 16世紀になって、ハプスブルク家の版図は拡大しました。1519年にハプスブルク家のスペイン王だったカルロス1世が、ドイツに出向いて神聖ローマ帝国の皇帝・カール5世になりました。ハプスブルク家は、フランスを挟んで広大な地域を統治する事になりましたが、カール5世は直ぐにスペインに帰ってしまいました。

【宗教改革】
 カトリック教会では昔から、犯した罪を神に許してもらうために、反省/善行をするだけで無く、教会にお金を寄進する習慣が有りました。教会は免罪符(贖宥状)を与えました。 私は、「仏教の戒名の制度に似ている」と思います。

 神聖ローマ帝国は、十字軍に参加しない信徒に、免罪符を売りつけました。その後、免罪符を販売して教会が金を集める様になりました。教皇レオ10世が(現在もバチカンに有る)サン・ピエトロ大聖堂の建設費を集める為に、大々的に免罪符を販売しました。それに反対して起こったのがルターの『宗教改革』です。 ドイツにプロテスタント(新教)が誕生し、信徒を増やしていきました。

 1618年~48年にカトリックとプロテスタント間で戦争(三十年戦争)が起こりました。多くの国が参戦し、覇権が目的になり、宗教の為の戦争では無くなりました。戦争中にペスト(黒死病)等の感染症が蔓延して、人口が激減して、ヨーロッパ諸国は大変革しました。カトリックとプロテスタントが共存する様になったのです。

【農奴解放】
 中世のヨーロッパ諸国は農奴制でした。農奴達が1524年に農奴解放を求めて立ち上がりましたが、直ぐに鎮圧されてしまいました。ドイツで農奴解放が行われたのは1807年の『十月革命』によってですが、不完全なものでした。1848年の『三月革命で』で完了しました。 1850年に、「最高56年の分割払い」を条件に、それまで耕していた農地を農民に与える事になりました。

【ナポレオン戦争後のドイツ】
 プロイセン王国は、1806年にナポレオンと戦争を始めましたが、敗れて領土の一部を割譲し、多額の賠償金を支払って1807年に和睦しました。 プロイセン王国は、そのまま存続して民主主義化は進みませんでした。

 1871年にプロイセン王が皇帝になり、ドイツ帝国になりました。工業化が進み、現在のドイツの工業の礎(いしづえ)が確立した時代です。農林漁業の国が工業/商業の国に急激に変貌したのです。(経済は発展しましたが、民主主義化は進みませんでした。)

【第一次世界大戦の賠償金】
 そして、ドイツ帝国は第一次世界大戦(1914年~18年)を始め、敗戦国になり→大統領制のヴァイマル共和国になりました。戦勝国から莫大な賠償金・1320億金マルク(=純金47,256トン)を30年間の分割払いをする様に要求されました。 (現在の日本円では200兆円ほどになるそうです。)

 ドイツは共和国になりましたが、民主主義の経験が皆無に近い状態で、「戦争で荒廃した国家の再建と莫大な賠償金の支払いの為に、国民は希望が持てなかったのでは?」と想像します。 戦後15年でヒトラー政権が誕生して、覇権主義国家に戻ってしまいました。

【ヒトラー】
 1933年にヒトラーがヴァイマル共和国の首相に任命され、彼は直ぐに大統領と議会の権限を停止させたので、ヴァイマル共和国は実質的に消滅しました。

 1939年にドイツはポーランドに侵攻し、その後・直ぐにソビエトもポーランドに侵攻しました。 イギリスとフランスがドイツに宣戦布告して、第二次世界大戦が始まりました。(何故か?、ソビエトに対しては宣戦布告しませんでした。)

【敗戦後のドイツ】
 若い頃に読んだ本には、「第一次世界大戦の反省から、第二次世界大戦後の補償額は少なかった」と書かれていましたが、実際は莫大な補償が要求された様です。但し、東西ドイツに分割したので、どちらの国に要求するか?と言う問題が有りました。1990年の再統一後に要求されたケースも有る様です。

 占領下の西ドイツで1949年に、ドイツ連邦共和国基本法(憲法)が制定され、一部は改正されましたが、東西ドイツの再統一後も存続しています。 日本国憲法の第9条の様な、戦争を放棄すると言う条項は有りません。

【ホロコーストの反省】
 ナチスがユダヤ人を多量に虐殺した『ホロコースト』の惨状を知らない人は、殆どいないと思われます。 ユダヤ人の犠牲者の数は正確には把握されていませんが、500万人~600万人と言われています。

 敗戦後に覇権主義を否定して、民主主義思想が広がったのは「ホロコーストに対して国民が強く反省したからではないか」と思います。(日本は民主主義的な憲法をGHQに押し付けられたからです。)

【再軍備】
 第二次世界大戦後、東西ドイツは国境警備隊や沿岸警備隊などを除いて、軍隊は廃止させられました。 米ソ対立(冷戦)の為に、西ドイツは1955年に再軍備が認められて、NATOに加盟しています。

 冷戦時代にアメリカは、ヨーロッパ諸国に多量の核爆弾を持ち込んだと言われています。その後、多くは持ち帰りましたが、ドイツ国内に10発~20発を残し、両国の共有(核シェアリング)となっています。 歴代のドイツ政府は、アメリカと核爆弾の撤去について粘り強く交渉して来ました。まだ、実現していません。

【メルケル首相】
 2005年にアンゲラ・メルケル(51歳)が首相に選ばれました。 わたくしは、「戦後の民主化の象徴的な出来事だ!」と思いました。 彼女が生まれて直ぐに、牧師だった両親が西ドイツから東ドイツに移住したので、東ドイツで育ちました。彼女は頭脳明晰で、大学では理論物理学を専攻しました。

 ベルリンの壁が崩壊した1989年、メルケルは35歳でした。そして直ぐに政治家になろうと決心した様です。そして16年後にドイツの最初の女性首相になったのです。

 彼女は二回結婚しています。23歳・学生時代に『メルケル』氏と結婚し、離婚しました。1998年に現在の夫と再婚しましたが、『夫婦別姓』を選択したので、今でも最初の夫の姓『メルケル』を名のっているのです。(日本には女性首相は誕生していないし、夫婦別姓は許されていません!)

★ 神聖ローマ帝国 : 962年~1806年・・・十字軍遠征
★ ハプスブルク家 :現在のスイス領内に発祥したドイツ系(アルザス系)の貴族。
★ 宗教改革 :マルティン・ルター
★ ドイツ農民戦争 :1524年・・・農奴制の廃止を要求
★ 三十年戦争 :1618年~48年プロテスタントとカトリックとの対立
★ プロイセン王国 :1701年~1871年→→ドイツ帝国
★ ナポレオン戦争 :1803年~15年
★ 十月革命 :1807年→→農奴解放
★ ドイツ連邦(ドイツ同盟) :1815年~66年・・・連邦議会・・・オーストリアを中心にした国
★ ドイツ帝国 :1871年~1918年
★ 第一次世界大戦 :1914年~18年

◎◎◎ 1919年1月『職業としての政治』講演された ◎◎◎

★ ヴェーバー :1919年・・・ドイツ革命(1918年)によってドイツ帝国が廃止された。
★ ヴァイマル共和国 :1919年~33年・・・憲法
★ 普通選挙 :1919年・・・世界初
★ 大統領制 :1919年
★ ヒトラー首相 :1933年 ・・・ヒンデンブルク大統領が任命した。
★ 全権委任法 :1933年・・・議会と大統領の権限は完全に形骸化した。
★ ヴァイマル共和国の廃止 :1934年
★ ポーランド侵攻 :1939年→→第二次世界大戦
★ ヒトラー自殺 :1945年→→ドイツ敗戦
★ ドイツ連邦共和国(西ドイツ) :1949年~
★ 西ドイツの憲法 :1949年
★ ドイツ再統一 :1990年

木材として利用される樹木 (その3)

2021-08-14 10:01:17 | 山林の問題
【はじめに】
 今回は、樹木の種類と、その木材の特性についての最終稿です。

 国立の『森林研究・整備機構』と言う組織が有り、その下に『森林総合研究所』、『森林総合研究所林木育種センター』、『森林総合研究所森林バイオセンター』が有ります。 そして何故か?『森林保険センター』なる機関が付いています。

 各都道府県では、『林業研究所』、『林業研究センター』、『林業試験場』などで樹木/森林や林業を研究しています。 30校近い大学が森林関係の研究を行っています。 全国の研究者の合計は二千人ほどいるのでは?と想像します。 無料で研究成果を公表しているので、時々読みますが、「田舎育ちなら子供でも知っている事」を金を掛けて研究していたり、呆れる報告書も有ります。 成果が出ている様には思えません。

 食用の木の芽以外では、木を食べる事が無いので、遺伝子組換えで有用な新種を開発すべきです。 花粉症を軽減する新種の研究、木目の綺麗な新種、杢目の出やすい環境の研究や育て方の調査、等々・研究テーマは沢山有ると私は思います。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 木材として利用される樹木 (その1)~(その2):2021年7月24日、8月7日投稿
★ 植林から製材まで (その1)~(その2) :2021年7月3日~10日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【杢目(もくめ)】
 木材に、稀に現れる文様の事を『杢目(杢=もく)』と呼びます。杢の出た材は高値で取引されます。 ウイキペディアと府中家具工業協同組合の資料から、木の種類と現れる可能性の有る杢目を整理しておきます。 杢目の写真は『 https://wp1.fuchu.jp/~kagu/siryo/moku.htm 』で見れます。

★ 楢(なら)の種類 :虎斑(とらふ)
★ 楓(かえで) :鳥眼杢(ちょうがんもく)、波状杢(はじょうもく)、縮杢 (ちぢみもく)
★ 栃ノ木 :波状杢、縮杢
★ 欅(けやき) :玉杢(たまもく)、如鱗杢 (じょりんもく)
★ 春楡(はるにれ) :葡萄杢 (ぶどうもく)
★ 柘植(つげ) :虎杢、孔雀杢
★ 柿 :孔雀杢、縞杢 (しまもく)・・・黒柿
★ 楠 :葡萄杢、玉杢
★ 赤松の古木 :鶉杢 (うずらもく)
★ 杉の老木 :笹杢 (ささもく)

【掬(ぶな)】
 昔は北海道南部から九州の自然林に、掬(ぶな=橅)は沢山自生していた様です。 ①掬の丸太は重く、川を利用して搬出するのが難しかった、②腐りやすい、③加工後に狂いが出易いなどの欠点が有るので、昔は薪等にしか利用されませんでした。

 戦後、沢山生えているから何とか利用しようと研究され、段々・家具などに利用される様になりました。 特に曲げ加工を施す椅子の脚には不可欠な材になっています。 伐採が進み、その後に杉等を植林したため、現在では入手が難しくなっている様です。

【樫(かし)】
 樫(かし)はブナ科の中で高木になる種類の総称です。 私の故郷・紀州の雑木林には樫が沢山生えていました。椎茸のホダ木、炭の原料にするか、薪にしていました。  私は正月が近づくと、樫の木を切って来て、拍子木(ひょうしぎ)を作りました。 硬い木を叩くと良い音がするのです。「火の用心! カンカンカン」・・・

 白樫と赤樫は、東北地方の北部と北海道以外では、全国各地に自生しています。白樫も赤樫も硬くて加工しにくい材です。鍬、鉈等の柄、大工道具の柄、木刀などに細々と使用されています。 「木目が綺麗とは言えない」と私は思います。

【椎(しい)】
 紀州の雑木林には(数は少なかったですが)椎(しい)が自生していました。 結構な大木になります。 生命力が高く、雑木林の伐採を繰り返すと、(私は見たことが有りませんが)白樺の様に椎だけの林になる様です。

 我が家では、椎茸のホダ木として利用しました。 炭の原料にした事も有ります。

(余談 :椎の実) 椎の実はドングリの仲間ですが、生でも食べられます。 ドングリとは区別して『椎の実』と呼ばれます。椚木(くぬぎ)の実よりもずっと小さくて、大豆ほどしか有りません。 椎の実が落ちる頃になると、小学生以下の子供達・十数人で拾いに行きました。枯葉の上に落ちた椎の実を見つけるのは難しかったです。 それでも、小さな子供も見つけていました。 その場で皮を剝いて食べました。

【朴の木(ほおのき)】
 朴の木(ほおのき)は全国各地に自生していて、大木になります。 私の故郷(紀州)にも数は少なかったですが、有りました。 材は軽く、堅く、加工し易い為に種々の用途で利用されています。 欠点は、耐久性が低いことです。

 私が子供の頃、下駄は重要な履物でした。下駄の歯が欠けたり/すり減ると、大工さんが朴の木を加工して、歯を取り替えてくれました。 下駄の歯は、材料の名前を取って『朴歯(ほおば)』と呼びます。 旦那衆達の上等な下駄の台は桐(きり)でした。私のは杉だったと思います。

 太い朴の木の下には、他の木や草が生えていなかったので不思議に思いました。 朴の木の根や落ち葉から、他の植物の発芽を抑制する物質を出すためだそうです。

 朴の木の葉は大型です。 葉には殺菌作用が有るので、大昔から食材を包む時に使用しました。例えば、奈良県や長野県の『朴葉寿司』など。

【銀杏(いちょう)】
 銀杏は全国各地で街路樹として植えられていますから、日本では比較的簡単に育てられる木だと想像します。 銀杏材には歪難い、柔らかくて加工し易い等々の長所が有るので、木材としての利用を検討して、価値が有りそうなら植林すべきだと考えます。 観光地に向かう道路から見える、放置されている杉林を伐採して→銀杏林にしたら→落葉前に全山黄色に輝く素晴らしい景色が得られると思います。

(余談 :祖父江のギンナン) 20年ほど前に、愛知県稲沢市祖父江町の会社に数回行った事が有ります。 銀杏が沢山植えられていたので、会社で聞いてみると、「祖父江は日本一のギンナンの生産地だ!」と言われました。一般に果樹は収穫が簡単に出来る様に、剪定して低く育てますが、祖父江の銀杏は伸び放題の大木でした。収穫作業は見られませんでしたが、「多分・重機で幹を揺すって実を落とすのだろう?」と想像しました。 祖父江の銀杏なら、木材として利用出来そうに思います。

【柳】
 柳は水辺の土地を好み、杉や檜の植林には向かない川岸に自生しています。(しだれ柳は風情が有るので、堀端等にも植えられています。) ほどほどの大木になりますが、現在は木材としての価値は殆ど無い様です。 茸の栽培、化薬の原料として細々と利用されている様ですが、他の利用方法を検討すべきです。

 子供の頃、家具と呼べる様な物が有る家は少なかったです。 服や下着は柳行李に収納して押し入れに仕舞いました。部屋はガランとしていました。

(余談 :鉛筆の軸) 私の故郷に(山裾の)川の近くの山に柳が30本ほど植えられていました。 父は、「柳は鉛筆の軸になる」と言っていましたが、北米産の檜科の『インセンスシダー』が正しい様です。 子供の頃の安い鉛筆の軸は削り難かったので、柳だったのかも知れません。

【桜】
 桜材は硬くて湿気に強い等の特徴から、板にしてテーブルや床材に使用されて来ました。比較的高価な材です。 長男が入学した私立中学校の机は桜の板で出来ていました。 桜は燃やした時に良い香りがするので、燻製のスモークチップとしても利用されています。

 桜の樹皮から茶筒などの工芸品が作られます。 秋田県の角館が有名ですが、我が家の桜樹皮製の茶筒は天童市で買ってきた物です。 天童市に出張した時、将棋駒を買うつもりだったのですが、予算の都合で茶筒にしました。妻は、今でも大事に使っています。

【柿】
 ゴルフの好きな方は、柿がクラブに使用されていることを御存じだと思います。 稀に幹の芯が黒くなります。これを『黒柿』と呼んで昔から、床の間の柱や板に使用して来ました。黒柿は非常に高価な材です。

(余談 :黒柿) バブル景気が始まり掛けた頃、親戚(OM氏)が賃貸マンション用の用地を探していました。 「出来たばかりの地下鉄の駅から徒歩三、四分の所に適当な物件が見つかったので、同行してくれ!」と言って来ました。 畑の中に築100年以上の二階建ての古民家が有りました。 中に入ると、金に糸目を付け無いで建てたと思われ、天井は普通より1mほど高く、高級木材をフンダンニ使用していて、壊すのは忍び無い建物でした。 一階と二階に床の間が有り、特に二階の床の間は柱、梁、床全てが黒柿でした。柱は全て良質の檜で、廊下の板も厚い無垢板でした。 近年に設けたと思われる、ステンレス鋼の螺旋階段の板は、厚さが3cm以上有る無垢の綺麗な欅板でした。

 OM氏は買う事を決断して、「解体は君に任せる」と約束してもらいました。 OM氏は木材についての知識が全く無いので、古材が売れると言っても信じて貰えませんでした。私は古材の販売ルートを調べて、捕らぬ狸の皮算用を始めていました。 数か月して、解体工事の計画を話に行ったら、「もう解体してしまった」と言うのです!

【姥目樫(うばめがし)】
 備長炭で鰻や肉を焼くと美味しいですね! 私が高校生活を送った、和歌山県田辺市に(江戸時代に)中屋左衛門と言う商人がいて、彼が姥目樫(うばめかし)の焼き方を工夫して素晴らしい『炭』を作り、販売したと言われています。彼の名前の二文字(『備』と『長』)から、備長炭と呼ばれるのだそうです。

 備長炭は、本来は姥目樫が原料です。 小さな穴が無数に有り、そこに悪臭を吸着するので、冷蔵庫や下駄箱の脱臭剤に使用されています。非常に硬いので、叩くと良い音がします。 適当な長さに切った備長炭を並べると、木琴が出来ます。(夏休みの工作に最適です。)

 姥目樫は紀州の雑木林に沢山生えているので、備長炭の原料が不足する恐れは有りません。

 普通の炭の原料は、その他の樫(かし)、椚木(くぬぎ)、栗、唐松(からまつ)、杉などです。 近年、竹の炭も注目されています。

【茸の栽培】
 松茸を除く、殆どの食用茸は人工的に栽培出来るようになっています。 その殆どは広葉樹の『大鋸屑(おがくず)』に菌を植えて、衛生的な工場で生産されています。 (私は、新聞紙から作った紙綿で茸を栽培する研究を少しして、特許権を取得した事が有ります。)

 占地(しめじ)には色々種類が有る様です。 昔から味が良いと言われてきた占地は、ホンシメジの事です。我が家の山の頂上部に赤松が十数本植えられたいました。そこに毎年沢山ホンシメジが生えました。 松茸とホンシメジは赤松に寄生します。 ホンシメジは、赤松林に広葉樹の枯れ葉が堆積した(栄養豊富な)所に生える様に私は思います。 (松茸は真逆です。)

 ホンシメジの人口栽培が出来る様になっていますが、大鋸屑では無くて、赤玉土に穀物を混ぜた物に菌を植え付けている様です。

★★★★★★★★
【竹】
 竹は樹木では有りませんが、昔は種々の用途で活用されました。竹には、沢山種類が有ります。 庶民の家では無くてはならない物だったのです。 箒、笊(ざる)、竹籠、物干し竿、釣竿、・・・。 私の子供の頃、筍には商品価値が有りましたが、竹は持ち主の許可を得ないで、勝手に切っても文句を言われませんでした。

 孟宗竹(もうそうちく)は中国から入って来て、全国で栽培される様になりました。最大の竹です。市販される筍(たけのこ)は孟宗竹の地下茎から出る『芽』です。 破竹(はちく)や真竹(まだけ=苦竹)の筍(たけのこ)も食用です。

 竹の新しい用途の研究/検討が行われています。建材、家具材、繊維、家畜の飼料、バイオ発電用の燃料などなど。 (株)バイケミが、竹を有機肥料にする提案をしています。

(余談 :土壁と竹) 昔の家は土壁でした。田舎では、左官に頼まないで家の男達で土壁を造りました。我が家では、父と私の仕事でした。 古い壁を壊して→新しい竹木舞掻(たけこまいかき)を取付け→海藻を煎じた液体(糊)を作って→土に藁と海藻の煎じ汁を混ぜ→竹木舞掻に塗りつけました。 外側に、表面を黒く焼いた板(焼き板)を取り付けて完成です。

(余談 :竹の桟橋) 1998年頃にベトナムに機械を輸出しました。 ベトナムの田舎の工場だったので、陸揚げ、搬送が心配でした。 近くに出張していた大手企業の知り合いの社員に調べて貰ったのですが、送ってくれた桟橋の写真を見てビックリしました。 全て竹で出来ていたのです! 彼は確か?、「2トンまでなら大丈夫」と言っていました。

(余談 :鉄筋の代用品) 第二次世界大戦中に建設した大きな石油タンクを、1980年頃に解体しました。基礎のコンクリートを破壊すると、鉄筋の代わりに竹が出てきました。 孟宗竹を縦に割って、細い帯鋼の様な形状にして、(竹木舞掻の様に)縦・横方向に並べた後、コンクリートを流し込んだものでした。それでも、40年間ほど基礎が罅(ひび)割れる事は無かったのです。



木材として利用される樹木 (その2)

2021-08-07 11:31:21 | 山林の問題
【はじめに】
 今回は、樹木の種類と、その木材の特性についての第二稿目です。今回・取り挙げる樹木は、榧(かや)以外は全て広葉樹です。日本に生育する広葉樹の種類は非常に多いいですが、私が知っているのは極一部です。 記憶を搔き集めて書きます。

  現在でも天然林(自然林)は、全森林面積の50%以上有り、その多くは広葉樹林です。

【関連記事】
 森林や木材に関して、過去に投稿した記事を御参考までに列記しておきます。

★ 木材として利用される樹木 (その1):2021年7月24日投稿
★ 植林から製材まで (その1)~(その2) :2021年7月3日~10日投稿
★ 森林破壊と再生        :2021年6月12日
★ 木材価格が高騰している様です! :2021年5月29日
★ 過疎地の新しい産業は!  :2018年6月23日

【広葉樹を植林しましょう!】
 住居は洋式化してきているので、庶民の家では檜や杉の正目の板や柱が必要では無くなっています。 洋風の部屋では、檜や杉の正目は不似合いになっています。

 近年に建てられた一戸建てやマンションでは、ウォークインクローゼット、靴収納棚、種々の収納棚が作り付けになっているので、家具の需要が減少しています。

 木材は、建材、家具材、器具材として重要です。薪や炭としての需要は殆ど無くなっていますが、バイオ発電の燃料として今後沢山使用される可能性が有ります。 脱プラスチック運動が既に始まっていますから、紙や段ボールは増加すると予想します。

 木材の長期的な需要予測をする事は極めて難しいと思われますが、「今後・木材は多様な用途で使用される様になる」事は断言できます。杉や檜の植林一辺倒の政策は早急に止めるべきです。 需要が少しでも見込めそうな広葉樹を調査/検討して、選定した樹木に適した土地を探して、植林を奨励すべきです。高級木材を欧米諸国に輸出する気概を持って、取り組みましょう!

(余談 :プラスチックの規制) 2019年、ヨーロッパ諸国では『使い捨てプラスチック禁止法』が成立しています。プラスチックは種種雑多な分野で使用されていますが、可能な物からプラスチック製品を禁止しようと言う規制です。海洋汚染問題の一つに『マイクロプラスチックゴミ問題』が有りますが、その対策としての規制です。プラスチックの規制は世界的に広がると私は期待しています。 代替品の多くは、木製品か紙製品になると思われます。どちらも、木材が原料です。

(余談 :里山) 昔は集落の近くの山は、生活に欠かせない薪を得る為の雑木林でした。現在は過疎地でもプロパンガスが普及し、高齢化が進んだので薪を使用する家は殆ど有りません。野生動物(熊、猪、鹿、猿)対策として、民家の近くには(動物が好む木の実の出来ない)針葉樹を植林すべきだと考えます。人間の住む地域の周囲を針葉樹で囲って、その外側を広葉樹林にしたら野生動物との共存が出来るのでは?!

【胡桃(くるみ)】
 チーク、マホガニー及びウォルナットを、欧米では三大銘木と呼んでいます。チークとマホガニーは熱帯地方で植林されている様です。 ウォルナットは胡桃(くるみ)の事です。 日本は、ウォルナットをアメリカやカナダから輸入して来ましたが、アメリカでは伐採が進んで、現在は輸出禁止になっています。

 日本に自生している鬼胡桃(おにぐるみ)を木材を得る目的で植林する案を推奨します。 湿気の多いい山間の川沿いの地を好む様なので、候補地は全国に沢山有りそうです。

(余談 :モンキーポッド) ウォルナットが高価になったので、日本ではテーブルの天板等にモンキーポッドが使用されています。(モンキーポッドは日立のコマーシャル・ソング「この木なんの木」で、日本では有名になりました。) 次男が大金をはたいてモンキーポッドの無垢板を買いました。 周囲が白く、芯部はチョコレート色で洋間にピッタリのテーブルになっています。

(余談 :クルミ) 鬼胡桃(おにぐるみ)は、縄文時代から食糧にしていた様です。 私は、胡桃の実(クルミ)が好きです。学生時代、下宿からの散歩コースの道端に胡桃が数本生えていました。師走の頃にクルミが落ちていたので、何個か拾って、何とかして殻を破ろうとしましたが、駄目でした。

 クルミは年間2万トン弱・輸入されていますが、国産は150トン程しかありません。クルミは和菓子、洋菓子、パン等に使用されているので、何気なく食べていますが、その大半はアメリカから輸入した物です。

(余談 :スタッドレスタイヤ) 雪道走行で使用されるスタッドレスタイヤの一部には、鬼胡桃の殻が混合されています。

【栃の木(とちのき)】
 栃の木(とちのき)は全国各地に自生している様ですが、特に東北地方に多いいと言われてます。実が食用になり、『栃の実』と呼ばれます。東北地方では常食していた地域もあり、飢饉の時の食糧として使用していた地域も有ります。 その為に江戸時代には、(私有地でも)栃の木を勝手に伐採するのを禁じていた藩も有りました。

 栃の木は、大木になります。 大木になると、波状杢(はじょうもく)、縮杢 (ちぢみもく)と呼ばれる杢目(もくめ)が出る事が有り、高値で取引されます。 (杢目については、次回・書きます。)

 栃の木の材は、軽く、柔らかで加工し易く、綺麗な表面になると言う長所が有りますが、耐久性が低い、狂いやすいと言う短所が有ります。

【樺の木(かばのき)】
 樺の木(かばのき)には沢山の種類があり、日本には約十種類(真樺、ミズメ、岳樺、白樺など)が生えている様です。 『〇✕カンバー』と呼ばれている木は樺の木の仲間です。

 真樺(まかんば)とミズメ(水目)は高級材として取引されています。岳樺(だけかんば)は真樺やミズメの代用品として使用されている様です。 多くの体育館の床に使用されています。

余談 ;樺桜(かばざくら) :木材商は樺を樺桜と呼ぶそうです。 カバでは馬鹿を連想するので、『樺桜』なのだとか! ミズメは中国に生えていないのか?漢字が有りません。

【白樺(しらかば)】
 本州の東部の高地、北海道では平地でも、白樺の林が見られます。 最初に見た時に「白樺は高級材では無いのに、何故?植林しているのか?」不思議に思いました。白樺林の有る地域では、雑木林を伐採すると白樺が最初に成長して、白樺だけの林になるそうです。

 材質は堅く、木目も美しいですが、耐久性が非常に低いと言う欠点が有ります。太い木は少ない様です。 家具、器具、茸栽培などに利用されていますが、高級材では有りません。

【水木(みずき)】
 宮城県の鳴子温泉に家族旅行した時、『こけし』の製造/販売をしている小さな店が有りました。 不愛想な主人で、小一時間ほど轆轤挽きを見せてもらいましたが、文句を言いませんでした。 鳴子こけしの原料は水木(みずき)です。 材は色白でとても綺麗でした。

  水木は落葉樹で、公園に時々植えられているので、見られた方は多いいと思います。水木は全国各地に自生している様ですが、数は少ないために、『こけし』等の需要が賄えなくなり、近年は植林している様です。

【椣(しで)】
 椣/四手(しで)は樺の木の仲間です。日本木材総合情報センターの資料によると、日本には4種類が生えているそうです。

 材は重くて硬く、比較的加工しにくい様ですが、家具、床柱、茸栽培、炭の原料・・・様々な用途で使用されています。 材の価格は安い様です。

【榧(かや)】
 榧(かや)は成長の遅い針葉樹です。 将棋ファンや囲碁ファンにとっては垂涎の的の木材です。 国産の榧は殆ど入手出来なくなっており、新品の将棋盤や囲碁盤は中国から輸入された木材から作られた物です。

 榧の実は美味しいそうです。 私は、残念ながら食べたことが有りません。 インターネット通販で入手できます。

(余談 :盤のサイズ) 囲碁盤は45.5cm✕42.5cm、将棋盤は36cm✕33cmです。 厚さは『寸』で表しています。 1寸≒3.03cmです。 最も厚い盤は9寸(27.3cm)の様です。 四方柾で厚さ9寸の囲碁盤を得るためには、途方も無く太い丸太が必要になります。

(余談 :四方柾の囲碁盤) 1980年代の初めのころ何年間か、ある地方都市に年に三、四回出張して、駅の近くのビジネスホテルに宿泊していました。ホテルの近くに、夜遅くまでやっている古美術商が有ったので覗いてみました。 目立つ所に値段を書いたシールを貼った、榧の四方柾で厚さが8寸か9寸ほど有る囲碁盤を置いていました。 何回か覗きに行きましたが、この囲碁盤は売れていませんでした。

 2005年に別の仕事で、その地方都市に出張して、例のビジネスホテルに泊まり、古美術商に行くと囲碁盤は店の奥に移されていて、値段は40%引き程になっていました。悩みに悩んで、買おうと決心し次の出張時に大金を持って店に入りました。 結局、「囲碁の仲間を見つけるのは面倒だ!」と思って断念しました。 リタイアした後・私は、囲碁のPCソフトを相手に日に一局は楽しんでいます。

【楠(くすのき)】
 楠の材は腐り難いと言う長所があり、昔は木造船の材料として使用されていました。昔・読んだ本に、「5世紀~6世紀頃に棺(ひつぎ)の材料として楠を朝鮮半島に輸出した」と書いていました。 当時は、日本の貴重な特産品だったのだと思います。 従って、かってはは沢山植林されていました。

 楠から樟脳が得られます。かっては多量に生産され、日本の重要な輸出品でした。現在でも生産されています。 貴重な木を残すために、現在は枝を切り落として、枝から樟脳が生産されています。

【楢(なら)】
 楢(なら)は、椚(くぬぎ)、水楢(みずなら)、柏(かしわ)、小楢(こなら)、楢柏(ならがしわ)、棈(あべまき)等の総称です。 英語ではオーク(oak)です。

【水楢(みずなら)】
 ウイスキーやワインの樽には日本でも、北米産のホワイトオークやヨーロッパ産のスパニッシュオークが使用されて来ました。 サントリーが1989年に北海道産の水楢の樽を使用した『響17年』を発売しました。 私は、サントリーよりもニッカウヰスキーの方が好きだったのですが、さっそく、『響17年』を買ってみました。 上品な味で魅了されてしまいました!2014年には、シングルモルトの『山崎』でも、水楢樽製が発売されました。

 サントリーは水楢の樽で作ったウイスキーで世界の賞を何回も獲得しました。 私の味覚が世界で認められた様で、嬉しかったです。 私の好きなシーバスリーガルが、水楢の樽を使いだしています。

 水楢は世界各地に分布しています。 日本でも九州から北海道まで全国各地に生えていますが、特に北海道に多いい様です。 ヨーロッパでは家具材として昔から使用されて来ました。日本でも近年・家具に使用される様になって来ています。 (昔は炭の材料として利用していた様です。)

 私は、「今後は広葉樹の植林に力を入れるべきだ!」と考えています。 日本では植林と言えば針葉樹ですが、ヨーロッパ諸国では広葉樹が沢山植林されています。石川県農林総合研究センター・林業試験場が『ミズナラ林の育成技術』と言う資料をインターネットに公表しています。長文で少し難しいですが、暇を作って読んで下さい。

 北海道の水楢は、昔から(現在も)ヨーロッパに輸出されています。 近年はウイスキーの樽用としても輸出され、日本では不足ぎみになっている様です。 「杉や檜の正目と香りを愛するのは日本人のガラパゴス文化の一つだ」と思います。 「欧米人の趣向に合う木は水楢以外にも有るのでは?」、「雨の恵みが多くて、広い森林の有る利点を生かして、高級木材を生産して世界に輸出する!」くらいの意気込みで、森林政策を立案して欲しいと考えています。

(余談) 水楢は楢の一種です。 伐採すると、切り株から多量の水が出てくるので、水楢と呼ばれます。

【椚木(くぬぎ)】
 団栗(どんぐり)がなる木が椚木(くぬぎ)です。日本各地の雑木林に沢山生えています。

 私の故郷で、待望の男の孫が生まれて直ぐに、椚木(くぬぎ)を一本植えたお爺さんがいました。 孫が小学生になった頃、幹に傷を付けました。お爺さんの狙い通りに、クワガタとカブトムシが日に数匹樹液を吸いに来るのですが、スズメバチがもっと沢山やって来ました。スズメバチを上手く追い払わないと、クワガタやカブトムシを捕る事は出来ませんでした。

 小学生ではとても無理でしたから、私はお爺さんの許可をもらって、息子の為にクワガタとカブトムシを沢山捕りました。スズメバチだけ追い払う方法を工夫出来たら、過疎地の観光の目玉になると思います。 良い方法が有ったら教えて下さい。

 椚木は成長が早く、材は堅く、建材、家具、器具等に利用されてきました。椎茸などの茸の栽培にも利用されています。 伐採しても株から芽が出て、10年ほどすると結構な太さに成長します。

私とオリンピックそしてコロナ対策

2021-08-01 12:05:57 | 新型コロナウイルス
【はじめに】
 私は、オリンピックに殆ど興味が有りません。 周りに楽しみにしている方が沢山おられるので、反対でも有りません。 テレビがオリンピック一色になるのが、少し困ります。

 「今回は日本選手が大活躍している様なので、菅総理の支持率がアップするか?」と思いきや!、「コロナの感染者数が急激に増加しているので、秋の衆議院選挙がどうなるか?」、「2009年の様に自民党が大敗するのでは?」・・・色々考えています。 それで、コロナ対策についても言及しました。

【1964年の東京オリンピック】
 第二次世界大戦でインフラや製造設備が破壊されたので、日本は貧しい国なってしまいました。今の若者達は想像出来ないと思いますが、国際連合児童基金(ユニセフ)の支援を受けていたのです。ユニセフの支援が終了したのは、前回の東京オリンピックの年(1964年)です。

 1962年から、私はS家に間借りして高校に通い始めました。(勿論、私の部屋にはテレビは有りませんでした。) 1963年11月22日・S家ではカラーテレビに買い替えました。翌朝(23日の早朝)だったと記憶するのですが、皆でカラー放送を見ました。 なんと!「ケネディ大統領が暗殺された!」と言うニュース番組に変わったのです。

 関西では10月10日頃が一年で一番気持ちの良い日々が続きます。 暑くもなく寒くもなく、雨も少ないです。我が家の金木犀は、毎年・だいたい10月10日頃、良い香りを漂わせます。前回(1964年)の東京オリンピックは、屋外スポーツに最適な10月10日~24日でした。S家の奥さんが、「一緒にテレビを見ましょう!」と誘ってくれましたが、高校3年生でしたから、それどころでは有りませんでした!

【今回の東京オリンピックの感想】
 今回のオリンピックは、一番スポーツに向かない暑い!暑い!時期を選んでやっています。 「オリンピックに政治を持ち込んでは駄目だ!」と理想論を言う人達がいます。 「オリンピックで金儲けを企んではいけない!」と私は思います。 選手が全力で頑張れる様に配慮すべきです。

 2013年のIOC総会で「お・も・て・な・し」と言うのを聞いて、「誰を『もてなす』のですか?、IOCの老人達ですか?選手で無い事は明らかだ!」と思いました。 熱中症対策が必要な時期にオリンピックを誘致すべきでは無いと思ったからです。

 アメリカのテレビ局に莫大な金を出させる為に、アメリカでも暑くて屋外スポーツが難しい時期を選ぶ様になっているのです。 そして得た莫大な金の一部で、IOCの役員達は潤い、残りの金を貧しい国のスポーツ団体に寄付してスポーツの振興を図るのだそうです。

 2001年~17年まで国連に『開発と平和のためのスポーツ国連事務所(UN Office of Sport for Development and Peace)』が存在しました。国連が金を集めて、後進国のスポーツ振興を支援すべきです。 IOCは縮小して、①開催国の決定、②政治の介入の監視、③公平な審判/運営が行われているかをチェックする等の業務に限定すべきです。 IOCの委員になったら高額の金が得られると言う風習だけは、廃止すべきです。 IOCの委員を「お・も・て・な・し」するのは、止めにしましょう!

 妻もオリンピックには余り関心が無い様です。先月からテレビ番組をセッセト録画していました。オリンピック中には、見たい番組が少なくなるからだそうです。 オリンピック前には、コロナ患者が増加する恐れが有ると、開催反対の民放も有りましたが、日本選手が活躍しているので、民放各社は恩恵を受けているのでは?と想像します。

【私のスポーツ観戦】
 私が時々テレビで観戦するスポーツ番組はプロ野球、高校野球、ラグビー(トップリーグ、大学、高校のラグビー)です。 剣道の大きな試合が有るのに気が付いたら見ます。

 今回のオリンピックには男子の野球が有りますが、見たいとは思いません。私は阪神ファンです。 侍ジャパンには阪神の選手が3人(梅野、青柳、岩崎)も選ばれてしまいました。 私は選手個人のファンでは無いので、3人がオリンピックを辞退して、休養/練習/調整して欲しかったです。 宿敵の巨人からは、1人しか選ばれていません。 巨人の陰謀だ!

 8月9日から甲子園で高校野球が始まります。 妻も私もコロナワクチンの2回目の接種を終わっているので、久しぶりに甲子園に行きたいと考えていたのですが、一般観客向けチッケトは販売しない様です。

 ラグビーは15人が一丸となって闘うスポーツだと私は思っています。 オリンピックのラグビーは、何故か?、7人制です。 野球とソフトボールは全然違うスポーツだと皆さんも思われるでしょう! 15人制と7人制では、野球とソフトボール以上に違いが有ります。 それで、私はオリンピックのラグビーには関心が有りません。

【コロナとオリンピック】
 最近、菅総理の顔が映ると可哀そうになります。 総理になって「〇✕を実施したい!」等と考えた事が無く、『棚ぼた』で総理になってしまった様に見えます。 2020年9月に総理になって、「取り敢えず、東京オリンピックは実施しよう!」と考えたのでしょう! 

 コロナが収まらない状況下で、オリンピックを行う為の対策案を多くのコメンテータがテレビや新聞で提案してきました。 菅総理は就任して10ヶ月経ちますが、私が感心出来る対策は、全くと言っていいほど実行していません。 国会では官僚達が作ったと思われるペーパーを読んで、ぶら下がり記者会見では、その場を取り繕う様な内容の話を、ボソボソと言っています。 そんな状況を見て、「器でも無いのに総理になってしまって、可哀そうだ!」と思ってしまうのです。

 小泉純一郎氏は、記者の質問を上手に機転を利かせて利用しました。菅氏は真逆です。私は『程々が良い』主義なので、二人には不合格点を付けています。

 私が総理だったら①~⑥を実行します。 私が賛同出来るコメンテータの意見は❶~❺です。

① コロナ対策について発言している人達の提案を集め/整理する係(一、二名)を設ける。 効果が期待出来そうな案を選んで、予算を付けて実行する。 効果が出ているかチェックし、駄目なら別の案を採用する。

② 全国的な大キャンペーンを行う :感染したら重症化する年齢(60歳)以上の人と、基礎疾患の有る人にワクチンを優先的に接種してもらう。 ワクチン接種の重要性と安全性を、テレビや新聞で報じてもらい、市町村防災行政無線で週一程度の頻度で放送してもらう。 市町村会議員と民生委員に手分けして、該当者にワクチン接種を促してもらう。

 私は、高齢で基礎疾患が有るのに、「怖いから接種しない!」と主張している方を三人知っています。 かかりつけ医と私が、「接種しないと、感染すると重症化し、死亡する恐れが有る」と話しても駄目です。 自由主義社会ですから、仕方の無い事です。 然し、『駄々っ子』を説得する努力は必要です。

③ 自覚症状の無い感染者は患者では有りません。 他人に感染させる恐れは有ります。 従って、ワクチン接種をしていない60歳以上の老人や基礎疾患の有る人と同居しているケースでは、何方かを隔離すべきだと思います。 その他のケースでは、隔離の必要は有りません。 現在・既に、2回目のワクチン接種を済んだ高齢者の割合が高くなっているので、もう直ぐ無症状感染者の隔離は不要になると期待しています。

④ 公表数字を二本立てにする :一般国民用と感染症研究者用にデーターを整理して発表する。国民用にはPCR陽性者数では無くて、症状の有る人の数、重傷者数、死亡者数、感染者用のベッドの使用状態などに限る。 研究者用には、PCR陽性者数/無症状感染者数、死亡者と重傷者を年齢/男女/人種など区分した数字、使用した薬の種類と量、病状の時間的変化・・・などなど。

⑤ お喋り大臣を即刻・罷免する :西村康稔氏は『新型コロナウイルス感染症対策担当大臣』を兼務している事になっていますが、何をやっているのか?分かりません。幸いにも「金融機関から順守を働きかけ」なる失言をしてくれたので、即・罷免すべきです。

⑥ お喋り会長を即刻・解任する :新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾美茂会長は、分科会としての公式見解なのか?個人の意見なのか?明確にしないで、ペラペラ喋って国民を不安にさせています。 そもそも政府の分科会とは、色々な専門家を集めて意見を出してもらい、最善案、次善案などを纏めて政府に提言するのが役割です。 国民に直接、意見を述べると混乱を招くだけです。 政府は、コロナの感染防止だけでは無くて、経済への影響等々を加味して政策を決める必要が有るのです。

 尾美茂氏は、『学者馬鹿』で菅氏の政策と国民への説明に不満を持っていて、「感染を抑える為には、専門家の自分が動く必要が有る」と使命感に駆られて、表にしゃしゃり出て発言している様に見えます。 即刻、解任すべきです。

❶ 感染者数(PCR検査陽性者)を単に公表するのでは無く、症状の出た人の数を発表する。 その時点で症状の出ている患者数、重傷者数を公表する。

❷ 重傷者を受け入れるベッド数を増やす。

➌ クラスターの発生状況を綿密に調査する。 「人が沢山集まればクラスターが必ず発生する」と言う考え方は誤りだった事が明確になっています。 例えば、電車、映画館、スーパーマーケット、パチンコ店、・・・。 過去にクラスターが発生していない業種等の規制を今後は行わない。(経済活動を維持する事は非常に重要です。)

 逆に、クラスターが発生する可能性が高いのは、昔のディスコ、デパートのタイムセール、クラブのチークダンス等々です。 然し、タイムセールなどを止めて感染防止対策を十分したデパートは通常通り営業させるべきです。

➍ 飲食業界は限界になっています。 昨日・昼食を食べた店は、夜は居酒屋です。一か月ほど国の方針に従って休業していました。テーブルを減らして、間に透明なシートを垂らしていました。 昨日は昼間から酒を出していたので、私は久しぶりに生ビールを飲みたかったです。 店の女性が、「もう限界です!酒を出さないとやっていけません!」と言っていました。

❺ 新型コロナは変異を繰り返して、毎年発生するインフルエンザに近づいて来ると予想する方がいました。 即ち、感染力は高くなるが、死亡率と重症化率は低下する。 最近、日本でも流行し始めたデルタ変異株は、その説の通りです。 Newsweekの『インド型変異株(デルタ株)は従来株と症状が違うので要注意』を参照願います。

 日本の『感染症法』では危険度の高さによって『一類』から『五類』、その下にインフルエンザが規定されています。デルタ株は『新型インフルエンザ等感染症』に分類しても良いと考えます。 患者を同道府県を跨いで搬送出来ない様な、馬鹿な政策は早急に止めるべきです。

一類 :エボラ出血熱 、ペスト、・・・
二類 :結核、ジフテリア 、・・・
三類 :コレラ、腸チフス 、・・・
四類 :狂犬病、 炭疽、 、・・・
五類 :梅毒、アメーバ赤痢、百日咳、・・・
新型インフルエンザ等感染症  :新型コロナウイルス感染症、新型インフルエンザ、再興型インフルエンザ

【NHKとオリンピック、経済学の公理】
 NHKは非営利団体のはずです。 NHKは視聴率が低そうな競技に限って、放送すべきです。 民放は逆に『お金が儲かってなんぼ』ですから、スポンサーが付きそうな競技の放映権は民放に与えるべきです。

 NHKの視聴率が高くなっても、GDPは増加せず、金は周りません。視聴率が高くなっても、NHKの収入は増えません。 従って、NHK関係者の給料が増え無いだけでなく、国に納める税金も増えません。 逆に、民放が儲かったら、社員の給与は増加し、納める税金も増加し、国は潤います。 これは簡単な経済学の公理です。