今回は、中国(中華人民共和国)建国以来の、血生臭い事件を取り上げます。
大虐殺と言うとヒットラーを思い浮かべますが、毛沢東が粛清したり、失政により餓死させた人数は、ヒットラーの数倍にもなる様です。 毛沢東が亡くなってからも、天安門事件や少数民族への圧政と虐殺は続いています。 中国の共産党は、人を殺したり、非人道的な圧政に麻痺してしまっている様に思えます。
インターネットで、「中国 虐殺」などで検索すると、「ウイルスが含まれている可能性が有る」などと、時々表示されます。 老婆心かも知れませんが、この記事も読めなくなる恐れが有ります。
【毛沢東の権力掌握】 毛沢東:1893年12月26日 ~ 1976年9月9日
毛沢東は裕福な地主の子で、1893年に生まれました。 14才の時に最初の結婚をして、17才の時に辛亥革命の革命軍に参加し、その後、学校に戻り、師範学校を卒業して(1919年に)教職に就きました。 教職中に、共産主義関係の本を読んで勉強した様です。 1921年の第1回中国共産党全国代表大会に出席しています。 1930年に、2番目の夫人(共産党員)が蒋介石の国民党軍に殺害されました。
1934年(40才の時)、毛沢東は軍の最高指導者になりました。1942年から反毛沢東派を粛清し、1945年に共産党の最高職(中央委員会主席)に就任して確固たる地位を築きました。
1945年の日本軍の撤退後、10月に毛沢東と蒋介石は内戦を止めて統一政権を樹立する協定(双十協定)を結びました。 しかし翌年の6月には内戦が再開されました。 この時のアメリカの大統領はトルーマンでした。 トルーマンは、蒋介石を非難して、軍事支援を削減しました。 当初は、蒋介石の方が優位でしたが、毛沢東側にソビエトが軍事支援する等で形勢は逆転し、蒋介石を台湾に追いやって1949年中国(中華人民共和国)を建国しました。
革命軍は武器を持った暴力集団です。革命が成功して、『誰が権力を掌握するか?』と言う段階になったとします。 選挙制度はもちろん有りません。 親分達が、大人しく話し合いで首領を決めると思いますか? それまで劣勢だった革命軍(紅軍)が1年程で大逆転して、蒋介石を台湾に追い出したのです。 この時点で毛沢東が紅軍を完全に掌握していたら、話し合いで首領になったかも知れませんが。
毛沢東は、自分の地位を脅かしそうな革命の同士や、反対派を大規模に粛清(虐殺)した様ですが、その数はもちろん公表されていません。 数十万人を粛清したと言う記事も有りました。
【大躍進政策の失敗】 1958年~61年
派閥抗争で勝ち残った毛沢東は、1958年から農業と工業の増産計画(大躍進政策)を実施しました。
この時、250万人を粛清したと言われています。 無理な農業政策と天災によって4,500万人から1億人が餓死した様です。 あまりにも無残な結果になり、毛沢東は国家主席を辞めざるを得なくなりました。
劉少奇が国家主席になり、鄧小平と経済の再建に努力し、少し成果を上げる様になりました。
(奇天烈な農法) 毛沢東は地主の息子でしたから多少は農業の知識は有ったと思われますが、『密植したら沢山収穫出来る、深い穴に種を蒔いたら根が発達する』と主張して、実行させたのです。 農民は、「そんな事をしたら駄目だ」と知っていたはずですが、権力には逆らえ無かったのです。 それで、大飢饉になったのです。
(失敗の典型例 :土法炉) 昔の(鋳物製)赤い郵便ポストの様な形状の小さな溶鉱炉(土法炉)を全国に無数に造り、鉄鋼を量産しようとしました。 出来た鉄は粗悪品で大半は使用出来ませんでした。 炉を作るために、貴重な歴史的建造物を解体してレンガを調達しました。 木炭を得る為に、全国で山林を伐採し、果樹園の木さえ切ってしまいました。
(余談) 薩摩藩が反射炉を完成したのは、1857年です。 高炉を含む最初の近代的な製鉄所は、釜石に1880年に出来ました。 それから、70年ほど経っていたのに、毛沢東は土法炉に力を入れたのです。 習近平は権力欲が強い点は、毛沢東に似ていますが、科学技術の重要性は認識しています。 習近平はファーウェイの様な先端技術の会社を育てて、世界の覇者に成ろうと目論んでいると私は見ています。
【文化大革命】 1966年~76年
権力欲の強い毛沢東は、1966年に劉少奇と鄧小平から権力を奪還するために、全国津々浦々で「文化大革命」を起こしました。 この時、毛沢東はすでに72歳のお爺さんだったのです! 82歳で死ぬまで、権力にしがみつきました。
文化大革命中に、(勿論記録は有りませんが)数百万人から2,000万人が殺害されてと言われています。
文化大革命中に、経済は大混乱になり、学生は”紅衛兵”になって農村に出掛け、知識人は迫害・殺戮され、大学では授業が出来なかったのではないかと思います。 当時の大学進学率は1%程度でしたから、労働者も多数紅衛兵になったのです。
現在の中国の指導者達は、毛沢東の扱いには苦慮しているいる様に見られます。 今の経済政策は、文化大革命の思想とは全く異なっています。 毛沢東の考え方が復活すると、現在の政策を否定する事になります。 毛沢東が共産中国を建国したわけですから、毛沢東を否定すると共産党独裁支配の正当性が無くなってしまいます。 さらに、現在の共産党主流派は、毛沢東の粛清・殺害に加担した人達かその子分達です。
(毛沢東語録) 私が二十歳の頃(1966年)、日本でも赤い表紙の毛沢東語録が出版され、同級生が持ち歩いているのを見掛けた事があります。 当時は、毛沢東の粛清・虐殺、失政について殆ど報道されていなかった様に思います。 正しく報道されていたら、あんなに世界的ブームはならなかったでしょう!
【天安門事件】 1989年
1989年に学生と市民が自然発生的に10万人も天安門広場に集まって、民主化を要求しました。 この時、学生や市民を数万人殺したと言われています。 国内の報道機関を厳しく統制して、天安門事件を闇に葬ってしまいました。
中国共産党の中に、学生や市民に発砲して殺害した事を批判する人達もいましたが、その後から現在まで、共産党の主流は発砲を命じた側にいた人達です。 (当時は鄧小平の時代でした。)
あれから30年が経過します。 中国は急激な発展を遂げましたが、その分、所得格差の拡大などの社会問題も増加していると思われますが、民主化運動は起こっていません。 大衆運動の発生を事前に抑える種々の対策を行っているのだと、私は考えています。
【市民運動?】
近年の中国での市民運動(デモ)は、”官製”だと言われています。例えば、2005年に小泉首相の靖国参拝に対する反日運動が起こりましたが、「国民がこんなに怒っているのだから、我々の言う事を聞け!」と、中国政府が強い意志を示したのです。
トランプ大統領は、中国に厳しい要求をしていますが、反米の市民運動は起こっていません。 この問題でデモしたら、中国政府は徹底的に弾圧すると私は見ています。 習近平は、「国民に交渉の邪魔はさせない」と考えているのでしょう。 政府にとって、都合の良い時だけデモさせるのです。
【市民の監視とICT】
過去、共産独裁国家の末期には、市民に市民を監視させる体制が取られました。 中国では、少数民族に対して、既にこのシステムを用いているとの報道があります。 非効率的で膨大なコストが掛かり、国を”暗く”して、国民に”やる気”を無くさせてしまいます。
近年、中国では監視カメラを全国にドンドン設置して、顔認証システムを大々的に活用し、キャッシュレス化を進めて国民の監視を行っています。 ICT(情報通信技術)を使って、専門部隊が赤の他人の市民をゲーム感覚で監視するのなら、(多分)罪の意識無しに行えると思います。
中国人のA氏が中国国内で共産党にとって好ましくない書籍(B)を買ったとします。 キャッシュレス化が既に進んでいますから、Bの購入者リストにA氏のマンナンバーがインプットされ、顔認証システムを用いて、A氏は行動を監視されます。 A氏がよく会う人達のリストが、マンナンバー付きで作成される事になります。
将来、中国の経済が停滞する様になっても、ICT監視システムによって大衆運動の芽を摘む事が出来ます。 さらに、状況が悪化しても、北朝鮮が採用している”恐怖政治”を行う事も出来ます。 北朝鮮は、恐怖政治で70年間も体制を維持しているのです。
共産党員は裕福な特権階級だと思われるので、可能性は極めて低いですが、中国が民主化するとしたら、共産党の中に『国民の幸福を願う”志”のある党員』が増えて来た時でしょう! 今世紀末までに民主化が進むと思われますか?
★★予告★★
次回は、鄧小平の改革について書くつもりです。
大虐殺と言うとヒットラーを思い浮かべますが、毛沢東が粛清したり、失政により餓死させた人数は、ヒットラーの数倍にもなる様です。 毛沢東が亡くなってからも、天安門事件や少数民族への圧政と虐殺は続いています。 中国の共産党は、人を殺したり、非人道的な圧政に麻痺してしまっている様に思えます。
インターネットで、「中国 虐殺」などで検索すると、「ウイルスが含まれている可能性が有る」などと、時々表示されます。 老婆心かも知れませんが、この記事も読めなくなる恐れが有ります。
【毛沢東の権力掌握】 毛沢東:1893年12月26日 ~ 1976年9月9日
毛沢東は裕福な地主の子で、1893年に生まれました。 14才の時に最初の結婚をして、17才の時に辛亥革命の革命軍に参加し、その後、学校に戻り、師範学校を卒業して(1919年に)教職に就きました。 教職中に、共産主義関係の本を読んで勉強した様です。 1921年の第1回中国共産党全国代表大会に出席しています。 1930年に、2番目の夫人(共産党員)が蒋介石の国民党軍に殺害されました。
1934年(40才の時)、毛沢東は軍の最高指導者になりました。1942年から反毛沢東派を粛清し、1945年に共産党の最高職(中央委員会主席)に就任して確固たる地位を築きました。
1945年の日本軍の撤退後、10月に毛沢東と蒋介石は内戦を止めて統一政権を樹立する協定(双十協定)を結びました。 しかし翌年の6月には内戦が再開されました。 この時のアメリカの大統領はトルーマンでした。 トルーマンは、蒋介石を非難して、軍事支援を削減しました。 当初は、蒋介石の方が優位でしたが、毛沢東側にソビエトが軍事支援する等で形勢は逆転し、蒋介石を台湾に追いやって1949年中国(中華人民共和国)を建国しました。
革命軍は武器を持った暴力集団です。革命が成功して、『誰が権力を掌握するか?』と言う段階になったとします。 選挙制度はもちろん有りません。 親分達が、大人しく話し合いで首領を決めると思いますか? それまで劣勢だった革命軍(紅軍)が1年程で大逆転して、蒋介石を台湾に追い出したのです。 この時点で毛沢東が紅軍を完全に掌握していたら、話し合いで首領になったかも知れませんが。
毛沢東は、自分の地位を脅かしそうな革命の同士や、反対派を大規模に粛清(虐殺)した様ですが、その数はもちろん公表されていません。 数十万人を粛清したと言う記事も有りました。
【大躍進政策の失敗】 1958年~61年
派閥抗争で勝ち残った毛沢東は、1958年から農業と工業の増産計画(大躍進政策)を実施しました。
この時、250万人を粛清したと言われています。 無理な農業政策と天災によって4,500万人から1億人が餓死した様です。 あまりにも無残な結果になり、毛沢東は国家主席を辞めざるを得なくなりました。
劉少奇が国家主席になり、鄧小平と経済の再建に努力し、少し成果を上げる様になりました。
(奇天烈な農法) 毛沢東は地主の息子でしたから多少は農業の知識は有ったと思われますが、『密植したら沢山収穫出来る、深い穴に種を蒔いたら根が発達する』と主張して、実行させたのです。 農民は、「そんな事をしたら駄目だ」と知っていたはずですが、権力には逆らえ無かったのです。 それで、大飢饉になったのです。
(失敗の典型例 :土法炉) 昔の(鋳物製)赤い郵便ポストの様な形状の小さな溶鉱炉(土法炉)を全国に無数に造り、鉄鋼を量産しようとしました。 出来た鉄は粗悪品で大半は使用出来ませんでした。 炉を作るために、貴重な歴史的建造物を解体してレンガを調達しました。 木炭を得る為に、全国で山林を伐採し、果樹園の木さえ切ってしまいました。
(余談) 薩摩藩が反射炉を完成したのは、1857年です。 高炉を含む最初の近代的な製鉄所は、釜石に1880年に出来ました。 それから、70年ほど経っていたのに、毛沢東は土法炉に力を入れたのです。 習近平は権力欲が強い点は、毛沢東に似ていますが、科学技術の重要性は認識しています。 習近平はファーウェイの様な先端技術の会社を育てて、世界の覇者に成ろうと目論んでいると私は見ています。
【文化大革命】 1966年~76年
権力欲の強い毛沢東は、1966年に劉少奇と鄧小平から権力を奪還するために、全国津々浦々で「文化大革命」を起こしました。 この時、毛沢東はすでに72歳のお爺さんだったのです! 82歳で死ぬまで、権力にしがみつきました。
文化大革命中に、(勿論記録は有りませんが)数百万人から2,000万人が殺害されてと言われています。
文化大革命中に、経済は大混乱になり、学生は”紅衛兵”になって農村に出掛け、知識人は迫害・殺戮され、大学では授業が出来なかったのではないかと思います。 当時の大学進学率は1%程度でしたから、労働者も多数紅衛兵になったのです。
現在の中国の指導者達は、毛沢東の扱いには苦慮しているいる様に見られます。 今の経済政策は、文化大革命の思想とは全く異なっています。 毛沢東の考え方が復活すると、現在の政策を否定する事になります。 毛沢東が共産中国を建国したわけですから、毛沢東を否定すると共産党独裁支配の正当性が無くなってしまいます。 さらに、現在の共産党主流派は、毛沢東の粛清・殺害に加担した人達かその子分達です。
(毛沢東語録) 私が二十歳の頃(1966年)、日本でも赤い表紙の毛沢東語録が出版され、同級生が持ち歩いているのを見掛けた事があります。 当時は、毛沢東の粛清・虐殺、失政について殆ど報道されていなかった様に思います。 正しく報道されていたら、あんなに世界的ブームはならなかったでしょう!
【天安門事件】 1989年
1989年に学生と市民が自然発生的に10万人も天安門広場に集まって、民主化を要求しました。 この時、学生や市民を数万人殺したと言われています。 国内の報道機関を厳しく統制して、天安門事件を闇に葬ってしまいました。
中国共産党の中に、学生や市民に発砲して殺害した事を批判する人達もいましたが、その後から現在まで、共産党の主流は発砲を命じた側にいた人達です。 (当時は鄧小平の時代でした。)
あれから30年が経過します。 中国は急激な発展を遂げましたが、その分、所得格差の拡大などの社会問題も増加していると思われますが、民主化運動は起こっていません。 大衆運動の発生を事前に抑える種々の対策を行っているのだと、私は考えています。
【市民運動?】
近年の中国での市民運動(デモ)は、”官製”だと言われています。例えば、2005年に小泉首相の靖国参拝に対する反日運動が起こりましたが、「国民がこんなに怒っているのだから、我々の言う事を聞け!」と、中国政府が強い意志を示したのです。
トランプ大統領は、中国に厳しい要求をしていますが、反米の市民運動は起こっていません。 この問題でデモしたら、中国政府は徹底的に弾圧すると私は見ています。 習近平は、「国民に交渉の邪魔はさせない」と考えているのでしょう。 政府にとって、都合の良い時だけデモさせるのです。
【市民の監視とICT】
過去、共産独裁国家の末期には、市民に市民を監視させる体制が取られました。 中国では、少数民族に対して、既にこのシステムを用いているとの報道があります。 非効率的で膨大なコストが掛かり、国を”暗く”して、国民に”やる気”を無くさせてしまいます。
近年、中国では監視カメラを全国にドンドン設置して、顔認証システムを大々的に活用し、キャッシュレス化を進めて国民の監視を行っています。 ICT(情報通信技術)を使って、専門部隊が赤の他人の市民をゲーム感覚で監視するのなら、(多分)罪の意識無しに行えると思います。
中国人のA氏が中国国内で共産党にとって好ましくない書籍(B)を買ったとします。 キャッシュレス化が既に進んでいますから、Bの購入者リストにA氏のマンナンバーがインプットされ、顔認証システムを用いて、A氏は行動を監視されます。 A氏がよく会う人達のリストが、マンナンバー付きで作成される事になります。
将来、中国の経済が停滞する様になっても、ICT監視システムによって大衆運動の芽を摘む事が出来ます。 さらに、状況が悪化しても、北朝鮮が採用している”恐怖政治”を行う事も出来ます。 北朝鮮は、恐怖政治で70年間も体制を維持しているのです。
共産党員は裕福な特権階級だと思われるので、可能性は極めて低いですが、中国が民主化するとしたら、共産党の中に『国民の幸福を願う”志”のある党員』が増えて来た時でしょう! 今世紀末までに民主化が進むと思われますか?
★★予告★★
次回は、鄧小平の改革について書くつもりです。