これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

胡蝶蘭の育て方と楽しみ方

2024-01-06 11:31:10 | 趣味
【はじめに】
 昨年の年末にリホームしたクリニックに行ったら、入り口に胡蝶蘭を4鉢並べていました。先生に「見事な胡蝶蘭ですね! 私は30年以上育てていて、毎年花が咲きます。胡蝶蘭の寿命は50年以上だそうです。」と言うと、「誰も貰ってくれないので、処分に困っている。一鉢貰ってくれませんか?」と仰ったので、頂きました。

 数日後、電話が掛かってきて、「残りの三鉢も貰ってくれませんか?」と言われたので、手押し車を押して頂きに行きました。先生が「申し訳ない!申し訳ない!」と何回も仰るので、恐縮してしまいました。

 花は直ぐに切りました。妻が近所の奥さん達に配って、皆さん花瓶に生けたそうです。

【私の経験】
 私は1986年頃から『37年間』胡蝶蘭を育てています。最初の株は、近くに有った小さな花屋さんから、売れ残ったのを頂いたと記憶しています。 その花屋さんは、胡蝶蘭の育て方を知りませんでした。試行錯誤で私流のやり方で育てて来ました。 (現在は、胡蝶蘭の育て方をインターネット上で種々/丁寧に教えてくれています。) 

 私の妻は花が大好きです。街の商家の出なので→→『土いじり』の経験が無く→→庭付きの家を建てた当初は、植物を育てるのは私の役割でした。今では、『土いじり』が出来ます。

【用語】
 本書では次の用語を使用しています。

★ 胡蝶蘭=ファレノプシス
★ 茎   :葉がついている茎
★ 花茎 :花がついている茎
★ 節  :花茎に白っぽいリング状の物が有ります。茎から二番目のリングまでを第1節、・・・三番目から四番目のリングまでを第3節と呼びます。
★ 高芽 :花茎に葉と根が生えてきたものを『高芽』と呼びます。
★ 根腐れ :根腐れすると、根が黒く変色します。
★ 肥料の三要素 :Nは窒素、Pはリン酸、Kはカリウム 洋ラン用の肥料は『N-P-K:6-6-6 ビタミン入り』です。

【胡蝶蘭の寿命は?】
 胡蝶蘭は多年草で、寿命は『50年』とか『60年』と言われています。 私は『37年間』育てていますが、まだまだ元気なので寿命は『60年』以上かも知れません。多分、私よりも長生きしそうです!

 花の寿命は1ヶ月~2ヶ月ほどです。切り花にしても、結構長く咲いています。

【最適温度】
 人間が快適だと思う温度が、胡蝶蘭にとっても快適なんです。 北海道の住居では、一日中暖房するので、我が家(神戸市)よりも元気に育てられるそうです。

★ 最適温度 :18℃~25℃
★ 生育温度 :15℃~28℃

【開花時期】
 我が家の胡蝶蘭は、2月頃に花茎の下の方から開花が始まり、4月頃には花茎の先端まで開花します。先端まで開花したら、花茎を切って花瓶に差して楽しみます。

 第3節の上で花茎を切ると、四番目のリング状の所から花芽が出てきて、翌年花が咲きます。

【育てるポイント】
 胡蝶蘭は、可憐な花を咲かせるので、『か弱い』様に思われるようですが、結構・生命力が強い植物です。 普通の植物とは多々違いがあります。

 剪定ハサミの殺菌 :剪定ハサミを使用する時は、必ず殺菌しましょう! 私はタバコを吸うので、ライターで刃先を焼いています。

 胡蝶蘭に直射日光を当てるのは厳禁です。 我が家では南向きの部屋のガラス窓の内側に鉢を置いて、レースカーテン越し(ごし)に光を当てています。 2年ほど前から、妻がカーテンを開けて二、三時間直射日光を当てているのですが→→葉が青々と元気になり→→花芽が三つも出た株が有ります。

 『水遣り』は後述します。 エアコンを使っている部屋では→→部屋の湿度が低下するので→→葉の表と裏に水を噴霧器で吹き付けるのが良い様です。 我が家では冬、灯油ストーブを使っているので、噴霧はしていません。

 どんな植物を育てる場合も、植物が元気で、生育する温度の時に肥料をやるのが基本です。前述の様に、胡蝶蘭の生育温度は『15℃~28℃』です。 施肥の要領は後述します。

弱点❶ 直射日光 :直射日光が当たる所に置くと、胡蝶蘭は枯れてしまいます。
弱点❷ 根腐れ :鉢受け皿は常に乾燥している状態にして下さい。
弱点❸ 肥料過多 :胡蝶蘭はチョットしか肥料が要りません。

【頂いた後の最初の植え替え】
 花屋で売っている胡蝶蘭は、樹脂製の3号程の種苗ポット(直径9cm)に一株づつ植えて、大きな鉢に二株か三株入れています。 花を2ヶ月ほど鑑賞したら→→花茎を切って→→5号か6号の鉢に→→一株づつ植え替えましょう!

 種苗ポットから取り出したら→→黒く変色した根や枯れた根を切って→→用土はそのままにして→→植え替えて下さい。 次に書きます「植え替え要領を参考にして下さい。

【植え替えの要領】
 四、五年すると水苔が黒ずんで/劣化しますので、植え替えてやりましょう! この時、鉢を大きな物と取り換える必要は有りません。

 古い水苔を全て除去して、枯れた根、根腐れした根(黒く変色した根)を剪定ハサミを使って除去します。鉢底に少し水苔を入れ、根が水苔を抱く様にしたのを鉢に入れます。鉢の中央に株が来る様に、水苔を入れていきます。 鉢の底の方は水苔を『密』に入れる必要は有りませんが、鉢の上部は指先で水苔を強く押し込んで→→『密』にして→→株を固定させます。

 私は乾燥した水苔で植え替え、植え替えた後にタップリ水を遣ります。プロは水に浸した水苔を使用する様です。

 新しい葉が出ると、下の葉が枯れます。四、五年すると、茎の葉の付いていない部分が長くなってしまい、安定性/見た目が悪くなります。 (多分10年もすると、棕櫚(しゅろ)の様に、茎の先端に葉が茂る様になってしまいます。)

 一番下の葉が鉢の天辺になる様に、茎の下部を切除します。(切断した茎から根が出ていても大丈夫です。) そして、上述の要領で植え替えします。 長すぎる根は適当に切断して、水苔の中に押し込みます。

《鉢について》 私は6号の鉢を使用していますが、5号でも良いと思います。6号鉢の上部の内径は18cm、5号は15cm程です。通気性を良くする等の為に、胡蝶蘭用には鉢の高さは内径の半分(1/2)程度が好ましい様ですが、そんな鉢は手に入りません。なるべく、背の低い鉢を買われるべきです。

 胡蝶蘭には、通気性が良いので素焼きの鉢が好ましいと言われていますが、私は居間で育てているので、文様の付いた陶器の鉢を使用しています。

《水苔について》 私は、昔はニュージーランド産を買っていましたが、年金生活に入ってから、コーナンのメキシコ産の安い水苔(1kg入り)を使用しています。アマゾンからも入手出来ます。アマゾンの最近の価格は1kg入り=2,483円、500g入り=1,644円ですが、納期が『1ヶ月程』も掛かります。コーナンの店舗に行くと、10%以上高いですが、直ぐに買えます。

 メキシコ産には『粉状』の物が混入していますが、ニュージーランド産には少ないです。私の経験ではニュージーランド産の方が根を水苔で包み込むのが簡単なので、お金のある方にはニュージーランド産を推奨します。国産の水苔も市販されていますが、私が手を出せない価格です。

 1kg入りの水苔で、6号鉢だと『10鉢』ほど植え替える事が出来ます。

【水遣り】
 胡蝶蘭は、厚い葉や茎に水を溜めるのか?乾燥に強い植物です。寧ろ、水のやり過ぎによる根腐れが問題です。

 胡蝶蘭は乾燥に強い植物でから、頻繁に水遣りする必要は有りません。10日間ほど家を留守にしても大丈夫です。 我が家では、水苔が乾燥したらタップリ水遣りします。鉢から水が滴ら無くなったら→→鉢受け皿に戻します。 受け皿に水が溜まった状態で放置すると『根腐れ』します。

 寒くなったら午前中に水遣りします。極寒の時期は微温湯(ぬるまゆ)を与えています。

【施肥】
 花屋さんの説明書には「肥料を与える必要は無い」と書いているケースを見掛けますが、私は以下に示す時期以外に肥料を与えています。 弱った株に肥料を与えてはいけません。

 私は、適当な時期に水苔が乾燥したら→→ハイポネックスの洋ラン用原液タイプを『2,000倍以上』に薄めて→→鉢底から水が滴るほど、タップリとやっています。

・・・ 肥料を与えてはいけない時期 ・・・
★ 植え替え後 :植え替え後・1ヶ月間
★ 開花時期 :2月~4月頃
★ 超高温の夏季 :35℃以上
★ 花屋から購入した後 :花屋さんの説明書には「最初の植え替えから1年間~2年間は肥料を与えなくて良い」と書いていましたが、新しい葉が出て来る様になったら、肥料を与えています。

(注記 :ハイポネックス) 『ハイポネックス』は(株)ハイポネックスジャパンがアメリカのハイポネックス社(現在は、スコッツ・ミラクル・グロー社)から輸入して販売している商品です。粉末と液体が有り、液体には原液(薄めて使用する)タイプとストレート・タイプが有ります。私は、洋ラン用原液タイプを『2000倍以上』に薄めて使用しています。

 ハイポネックスには洋ラン用(N-P-K:6-6-6 ビタミン等)、一般植物用(6-10-5)、観葉植物用(7-4-4)、野菜・ハーブ用(6-6-6)等の種類があります。

【増やし方】
 花が終わって(散って)も花茎を(切らないで)其の儘(そのまま)にしておくと、花茎に『葉と根』が出て来る事が有る様で、これを『高芽』と呼ぶ様です。 胡蝶蘭は高芽を水苔に植えて増やす様です。

 私はまだ高芽の経験が無いのですが、今年は挑戦したいと考えています。上手く育てられたら、後日報告します。

 胡蝶蘭を受粉させて、『果実(種子)』を得るのは素人でも出来る様ですが、種子が養分を蓄えていないので、『ラン菌』に助けて貰わないと発芽出来ないと言われています。 種子から育てるのは、私には無理だと思います。

【私の教え子】
 十年ほど前に、時々我が家に遊びに来る近所の奥さん(Sさん)が胡蝶蘭・3株が入った鉢を娘さんから頂きました。 私が1株づつ分けて鉢植えしているのを見ておられたので、植え替えを頼まれました。 6号の鉢、水苔を買って来てもらって、我が家で、Sさんの目の前で私流のやり方で植え替えました。

 Sさんが頂いた胡蝶蘭は、1株は正常でしたが、2株の葉に病気が出ていたのですが、Sさんの強い要望で全て植え替えました。病気の2株は離して置くようにして貰いましたが、結局枯れてしまいました。Sさんは、花屋で2株買ってきて、私の目の前で植え替えました。以来、毎年・花を咲かせています。

 それから数年後にSさんの胡蝶蘭の茎が伸び過ぎて→→安定性が悪くなったので、「茎の下部を切り捨てて、植え替える要領」を伝授しました。

 数年前に、Sさんの友人(Mさん)の家に胡蝶蘭が届き、SさんがMさんに植え替え方を教えた様です。以来、Sさん、Mさん、そして私の妻の三人で競争して育てています。

(余談 :胡蝶蘭の病気) 私は、2株・根腐れで枯らした事が有りますが、害虫と病気の経験は有りません。(上述のSさんの発病した株は、手の施しようが無い状態で、枯れてしまいました。)

花見と過剰介護

2022-04-02 09:13:19 | 趣味
【枝垂桜】
 京都府に私が管理している土地が有るのですが、昨日(1日)・急用が出来たので、電車で行って来ました。 満開の染井吉野が電車の窓から至る所で見えました。 東京は今週初めに満開だった様ですが、関西は少し遅れて満開になりました。

 管理地に枝垂桜が一本植わっていて、十年間ほど手入れして来たのですが、花が咲いている時期には行った事が有りませんでした。 昨日は枝垂桜も満開で、少し濃い素敵なピンク色でした。

【公園で花見しました!】
 好天の日に、赤ちゃん~幼稚園に入る前の小さな子供達が遊ぶ公園に、時々・散歩がてらに出掛けます。真冬でも真夏でも、遊ぶ子供が見られる住宅街の公園です。 まだ樹齢20年程の若い染井吉野が10本ほど植えられています。

 春分の日に、花見兼子供見物に出掛けました。桜は五、六分咲でした! 子供は十数人遊んでいて、小学生が数人いました。 コロナが流行り出して幼稚園児くらいになるとマスクをしていますが、もっと小さい子はマスク無しです。 よちよち歩きの可愛い子供の顔を見る事が出来ました。

 私は、特等席のベンチに座る事が出来ました。 『花より団子』です。子供達は桜の花には見向きもしませんでした! 私の故郷には染井吉野は植えられていませんでしたが、山桜は生えていました。 美味しくないサクランボを取りに行って、食べた記憶が有りますが、桜を愛でた記憶は有りません。

【介護の車が来ました!】
 公園の入り口に、介護施設の大きな車が横付けしました。男性の運転手と女性の介護士が3人降りて、私より二、三歳年上と思われる男女の老人・二人降ろしました。二人は殆ど自力で降りました。

 二人とも杖をついていましたが、(3人の介護士を引き連れて)十数メートル離れた私の方に自力で歩いて来るのです。他に空いたベンチが有るのに、当然の事の様に私が座っていたベンチに座ろうとしました。仕方が無いので、私は別のベンチに移りました。 5人は私を無視し、お礼の言葉は一言も無かったです。

 老人二人は”くたびれた服装”でしたから、高級介護設備の入居者とは見えませんでした。車の乗り降りが出来て、杖をついたら自力で歩ける人を、四人掛かりで花見させていたら、介護予算が幾ら有っても足りないと思いました。

【ブラジルから帰国された紳士】
 私が社会人になって、間もなくの頃の話です。 3月の今頃に新幹線に乗っていたら、60歳前後の紳士が乗って来て、隣の席に座られました。 座ると直ぐに話し掛けて来ました。

 若い時にブラジルに移住されて→→成功して→→数年に一度帰国されている→→年老いたので今回が最後の帰国になりそうだ!→→1ヶ月程掛けて全国を旅行する・・・と話されました。

 「日本の桜は素晴らしい! 今の時期に来て良かった!」と言われました。

【優雅な方の花見】
 私は現役の頃、転勤が多く色んな所で働きました。 自転車、バイク、バス通勤をしましたが、一番多かったのは電車通勤でした。 朝は、同じ時間に→→同じ車両の→→同じ入口から入りました。 田舎の電車では、顔見知りが出来て、時々話をする人が出来ました。 そんな中に、年の半分ほど海外出張される方がいました。

 4月の下旬ごろに久しぶりにお会いした時、彼は「昨日帰国したのですが、関西の桜は終わってしまいましたね! 僕は桜を見ないと落ち着かないので、明日・休みを取って弘前城に行く予定です。」・・・弘前城の桜が如何に素晴らしいか、話してくれました。

紙幣と貨幣の話し (その3)

2020-02-01 10:14:38 | 趣味
 今回も、紙幣にまつわる話しです。私の思い出話も書きますので、我慢して読んで下さい。

【紙幣の流れ】
 紙幣の流れを考えると、頭がクラクラして来ます。 紙幣は政府(財務省・印刷局)が印刷して、一万円札だと一枚22円ほどで日銀に納入しています。 日銀は『一万円の価値が有る!』と言って。金融機関に貸し出して、利息を取って儲けるのが原則です。 硬貨も政府(財務省・造幣局)が製造して日銀に納入しています。

 国債は、もちろん政府が発行しますが、国際ルールで中央銀行に直接買わせるのは禁止されています。 従って、国際は個人や金融機関に買って貰うのですが、市中の紙幣が少な過ぎると判断した時は、日銀が紙幣で市場から国債を買い取ります。これがデフレ対策の一つです。逆に市中に紙幣が多すぎると判断したら、日銀が保有する国債を売って、紙幣を回収します。これがインフレ対策です。

(余談) 古くなった紙幣は金融機関から日銀(本店/支店)に持ち込み、同額の新紙幣と交換されます。(この時点では、日銀は紙幣の購入代金(?)と運搬費等の費用が丸損な分けです。) 古い紙幣は細断した後、各地方自治体に依頼して焼却しています。

(余談) 日銀は紙幣を『券』、硬貨を『貨幣』と呼んでいる様です。 金融機関から余剰の金や、古くなった『券』などを日銀に戻す事を『還収』と呼びます。 昔の日本は金本位制でしたから『銀行』では無く、『金行』とすべきだったと思うのですが、銀で取引していた中国がバンク(Bank)を『銀行』と訳したために、日本は”右へ倣え”としたのです。(現在でも存在する中国の『香港上海銀行』は、幕末の1865年に設立されました。)

【紙幣の人物】
 戦後に発行された紙幣には実在の人物が印刷されていますが、戦前には古事記や日本書紀に登場する日本武尊、神功皇后、素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大国主命、竹内宿祢が選ばれています。 少し、思想教育の臭いがします。

 幕末から明治初期に活躍した政治家では、板垣退助、岩倉具視、高橋是清、伊藤博文が選ばれています。私は、武士による支配の考え方を廃止して、広く人材を登用して富国強兵を進めたた大久保利通も選ぶべきだったと考えています。戦後の政治家は誰も選ばれていませんが、私は吉田茂を推薦します。

 2024年から新しい紙幣が発行される様ですが、ATMや自動販売機が多くなっていますから、機械の動作確認等々で長い準備期間が必要なのでしょう。 今後、キャッシュレス化が進むと予想されますから、一万円札や五千円札は最後の紙幣になるかも知れません。

★ 素戔嗚尊(スサノオノミコト) :1873年~;二十円 ・・・旧国立銀行券
★ 神功皇后の征韓 :1873年~ ;十円 ・・・旧国立銀行券
★ 新田義貞&児島高徳 :1873年~  ;二円 ・・・旧国立銀行券
★ 源為朝  :1873年~  ;一円 ・・・旧国立銀行券
★ 神功皇后 :1881年~ ;十円、五円、一円
★ 大国主命(大黒) :1885年;百円、十円、円、一円 ・・・兌換銀券、4種類
★ 菅原道真 :1888年発行の兌換銀券5円券から1943年の5円券 ;7種類
★ 藤原鎌足 :1891年発行の兌換銀券100円券から1945年の200円券 ;4種類
★ 和気清麻呂 :1888年発行の兌換銀券10円券から1945年の10円券 ;6種類
★ 竹内宿祢 :1888年発行の兌換銀券1円券から1945年の兌換券200円券 ;5種類
★ 日本武尊 ;1945年の兌換券1,000円券
★ 聖徳太子 :1930年発行の兌換券100円券から1958年の10,000円券 ;7種類
★ 二宮尊徳 :1946年発行の一円
★ 板垣退助 :1948年の50銭政府紙幣と1953年の100円券 ;2種類
★ 岩倉具視 :1951年と69年発行の500円 ;2種類
★ 高橋是清 :1951年発行の50円
★ 伊藤博文 :1963年発行の1,000円
★ 福沢諭吉 :1984年発行の10,000円
★ 新渡戸稲造 :1984年発行の5,000円
★ 夏目漱石 :1984年発行の1,000円
★ 紫式部   :2000年発行の2,000円
★ 樋口一葉 :2004年発行の5,000円
★ 野口英世 :2004年発行の1,000円
◎ 渋沢栄一 :2024年発行予定 :10,000円
◎ 津田梅子 :2024年発行予定 ;5,000円
◎ 北里柴三郎 :2024年発行予定 ;1,000円

【国会議事堂の十円券の思い出】
 高校3年の時に、貝殻を本格的に取集していた友人がいて、彼の家は遠かったのですが何回も「家に遊びに来い」と誘うので、行きました。彼専用の広い部屋が有って、職人が作ったと思われる本格的な標本木箱が多数積み重ねられていました。一つの箱には、一種類の貝の米粒より小さい貝殻→→成長した大きな貝殻が整然と並べられていました。

 私が、「紙幣を少し集めている」と言うと、1946年(終戦の翌年)に発行された国会議事堂の未使用の十円札を20枚ほど出してきました。私も数枚持っていたのですが、彼のは全くの未使用で、同じ番号のが二組あり、一組は10枚ほどが同じ番号だったのです。(1946年頃は、凄まじいインフレだった様で同じ番号で沢山印刷したそうです。)

 私が欲しそうに見ていると、「僕は切手も収集しているけど、”見返り美人”が入手出来無い。見返り美人となら交換する」と言いました。

 時々勉強の手伝いをしていた友人が、切手を本格的に収集していて、見返り美人のシートを何枚か所有していた事を思い出しました。 彼は、嬉しそうな顔でシートから一枚切り取ってくれました。 (多分、彼は勉強のお返しが出来て嬉しかったのだと思いました。) 今でも、この十円札は大事に持っています。

【旧国立銀行券の思い出】
 学校で、見返り美人と例の十円札を交換していると、横で見ていた別の友人が「僕の家に明治の紙幣が有るから持って来てやる」と言って、次の日に折り目の全く無い、保存状態の素晴らしい旧国立銀行券2枚と神功皇后券を1枚持って来てくれました。 

 一か月ほどして返そうとすると、「両親が君にあげて良いと言ったので、あげたんだ」と言ってくれたのですが、高額で取引されているのを知っていたので返しました。 電車で数駅先の彼の家に遊びに行ったことが有ったのですが、大きな広いお屋敷でした。 「幾らお金持ちでも、高額の紙幣を何で使わないで保管していたのか?」不思議に思いました。

 現在の取引価格で、3枚の合計金額は500万円~1,000万円になりそうです。 私は、大学の時は文字通りの”貧乏学生”でしたが、あの時・紙幣を返して良かったと思いました。 『悪銭身に付かず』と言います!

【偽札の話し】
1961年に千円の偽札事件(チ-37号事件)が発生しました。 私は次の年に高校生になったのですが、クラスに警察署長の息子がいて、ある日の修業時間前に教壇に立って、彼が真顔で「偽札を見付けたら警察に届けないで僕に持って来てくれたら、三千円払う」と言ったので、皆で大笑いしました。

 マニアにとっては、有名な偽札事件の偽札は垂涎のアイテムだと思いますが、多分・まだ大っぴらには取引出来ないと思います。 偽札を所有する事は犯罪ではないようです。 (チ-37号事件の千円札の番号は『WR789012T』と『DF904371C』だそうです。)

【この金は誰のものか?】
 まだ防犯カメラが普及してなかった頃、勤務時間中に専門書が必要になって、大きな/有名な書店に行った時の話しです。そんな時間帯には、専門書のコーナーには顧客が殆どいません。 その時もそうでしたが、なんと!床に一万円札が十数枚も落ちていました。 拾って、レジの女性に渡そうとしていたら、近くの棚の前にいた男性が、「僕のです」と言い出したのです。

 私が「貴方のだと言う証拠はありませんね」と言うと、レジの女性が「この方が自分のだと言われるのですから」とか言って、私の渡したお金を手渡しました。 男性は、お礼も言わずに行ってしまいました。 裸で落とした札は、もう誰の物か分からなくなってしまいます。

 店員の対応は、法律に詳しくない私にも「間違っている」と分かります。①拾った人には5~20%のお礼(報労金)を頂く権利が有ります。②落とした人と、拾った人に住所・氏名を書いて貰っておくべきです。 (私は勤務時間中で忙しかったので、店員の教育はしませんでした。)

【腹巻で幾ら持ち運べるか?】
 東京勤務だった頃、八重洲の飲み屋街に月に二、三回は行っていました。 少し遅く行くと、満席の店が多く、そんな時は少し高い小料理屋(?)に入りました。 一階が十席ほどのカウンターで、二階は座敷になっていて、時々芸者の三味線の音が聞こえて来ました。

 八重洲にしては高い店でしたが、美味しかったです。 特に”う巻き”は絶品で、何時も先ず頼みました。 三、四人で行ったのですが、高価だったので、分けて食べました。 年末に行くと、板前さんが有馬記念の馬券を買って来てくれるのです。 勝ち馬予想で、大いに盛り上がりましたが、私は一回も勝てませんでした。

 その店で、一回り以上年上の男性と親しくなりました。 彼は超大粒のダイヤの指輪をしていて、作業着に近い服装で、風貌は東北のお百姓さんの様でした。私と同じ様に、ゴツゴツした短い指でしたから、指輪は全く似合って無かったのです。 彼は、有馬記念に数万円掛けるのですが、財布に現金が少ない時は、シャツを”たくし上げ”て、腹巻から銀行の帯封の付いた万札の束を取り出しました。

 彼は、現金買取の会社の社長さんで、何時も腹巻に400万円入れていたのです。 「腹巻に入れるのは、400万円が限界だから、現金が足りない時に”質”に置くために数百万以上する指輪をしている」と言っていました。 ある時、大きなエメラルドの指輪に変わっていました。「昨夜飲み過ぎて、気が付いたら指輪が無かったので、さっき買って来た」と言いました。 ダイヤよりも目立つので、似合う/似合わないの問題では無く、人格の問題の様に見えました。 (彼は決して人間失格者では有りません、むしろ愉快な好人物でした。)

 私の飲み仲間に、他社に勤めている愉快な男性が加わりました。彼は某大手の観光ホテルの跡取り息子で、超金持ちでした。 彼は信頼が厚かったのだと思いますが、業界の裏金を届ける役もやっていました。(領収書無しで、数百万円の現金を渡す役です。)

 ある日、彼はお腹をポンと叩いて、「600万円入っている」と言って出掛けました。勿論、行先は言いませんし、聞きませんでした。 彼は、「腹巻で運べるのは600万円が限度だ」と言っていました。