これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

小企業・N社の話し (2)

2023-09-02 16:01:15 | 会社の活性化
【はじめに】
 前回に引き続き、N社について書きます。 私は、N社で2回、合計9年弱働きました。私の腕が振るえる仕事が沢山有ったので、毎日サービス残業しました。充実した楽しい日々を送りました。

 N社には重大な問題が二つ有りました。 ❶私が大嫌いな虐めが行われ、社長が黙認した事、❷社長のボンクラ息子を会社に入れた事です。ボンクラ息子については、後日、投稿します。

【N社の最大の問題点 :虐め!】
 『虐め』は大人の世界にも存在しますが、虐めを罰する法律は有りません。然し、『言葉の暴力』の一部は犯罪になるそうです。 例えば『侮辱罪』ですが、1年以下の懲役・禁錮または30万円以下の罰金が科せられます。

 N社の現場職で日常的に酷い虐めが行われていました。新しく社員を雇っても→→1年間耐えられる人はまれだったので→→製造部長がハローワークに年に何回も求人に行く必要があり→→社長(N2氏)に、虐めている社員を解雇する様にお願いするのですが→→N2氏は取り上げませんでした。

 私は「虐めは犯罪だ!」と考えています。「犯罪を放置したり、毅然とした態度を取れない人間は社長になってはいけない!」と思っています。

★★★ 虐めのケース❶ ★★★
 N社は、製紙機械を設計製造する会社です。 製紙工場では設備の改修工事などを、正月、ゴールデンウイーク、盆に行います。 N社では、これらの期間の前に、納入する機械を組み立て→→試運転するので→→超!多忙(繫忙期)になります。 然し、年間30%ほどは現場作業者、特に仕上組立工には仕事が有りません(閑散期)→→大人しく時間を潰してもらうのが仕事になります。

 N社では、繫忙期(はんぼうき)には仕上組立工が五、六人必要でした。 1996年に、私がN社に出向した時は閑散期(かんさんき)で、仕上組立工は、班長のD1氏、背が高くて筋肉質のD2氏、身長が150cm以下で羸弱(るいじゃく)なD3氏の3人でした。

 繫忙期の前に仕上組立工を二人(D4氏、D5氏)雇いました→→閑散期になると→→班長のD1氏がD4氏を虐め始め→→1ヶ月ほどしてD4氏が退職し→→D5氏を虐め始め→→D5氏も辞めてしまいました。こんな事を繰り返していたのです。

 4年後の閑散期に、D1氏の矛先がD3氏に向く様になって→→D3氏は覚悟していたのか?→→サッサと辞めてしまいました。 (2006年に私がN社に入社した時、D1氏は癌で亡くなっており、D2氏も退職していました。)

★★★ 虐めのケース❷ ★★★
 2006年に私がN社に入社した時、E1氏が班長で、その下にE2氏、・・・何人かいました。E1氏とE2氏が虐めるのです。 製造部長が私に、「社長(N2氏)にE1氏を解雇する様に談判するから、同席して欲しい」と言いました。N2氏が、「君達が不適切な人間を雇うから、E1氏が虐めるのだ! 今後はE1氏に面接をさせて、E1氏が気に入った人間を雇え!」と命令したので、私は唖然としました。

 製造部長がハローワークに求人票を出したら、沢山の応募者が有り、E1氏とE2氏が十名ほど面接して二人(E11氏、E12氏)を選びました。二人に共通していたのは、大人しくて、如何にも虐められるタイプだった事です。 早速、E1氏とE2氏がE11氏を虐め始め→→2ヶ月もたないでE11氏は辞めてしまいました→→次はE12氏の番です→→E12氏は半年ほどして辞めました。

 私がN社を退職した2009年、E1氏とE2氏は、相変わらず虐める事を生き甲斐の様にしていました。

(余談 :大企業K社での虐め)
 私が大学を卒業して入社した大企業(K社)には、部下を虐める部長、次長、課長が何人もいました。彼らの為に若者達が沢山辞めて行きました。直属の課長の虐めが酷いので→→部長に相談したら→→「大きな声で虐めているから把握しているが、虐めは病気の様なものだから注意しても治らない。」、「人事部が精神的/人格的に欠陥の無い人間を採用した事になっている。 虐めている社員を何とかしてくれと、人事部に言ったら→→僕が、部下を管理出来ない無能者と言うレッテルを貼られる」と言う様な回答でした。

 K社で二人、出向した中小企業で一人、ひどい『躁病』の社員がいました。躁病の虐めで会社を辞める人は殆どいませんでした。 それは、特定の社員を怒鳴り散らすのでは無く、手当たり次第に怒鳴るからです。

 K社の鬱病の一人(M氏)は常務取締役にまでなってしまいました。M氏は家でDVをやったので→→奥さんは耐えられなくなって→→上海の会社に勤務していた息子の家に逃げました。 M氏がリタイアした後で帰国して、二人で老後を送ってきました。 「躁病は収まってきた」と言っていましたが、「最近、ひどくなって来たので、別居を考えている」と話しています。

 K社の検査データの改竄等が、時々報道されます。 不正を撲滅出来ない原因は、❶虐めの放置、❷躁病社員に対策しない、❸派閥人事の横行だと思います。❶~❸を放置して、『コンプライアンス遵守』を大声で叫んでも、効果は出ません。

【A氏の活躍】
 製紙業界で「N社は技術志向の会社だ!」と認められる様になったのは、A氏の貢献が大きかったと私は思いました。A氏は、家内工業の様な小さな製紙会社の次男だったので、製紙についての基礎知識が有ったと思われます。 A氏は某私立大学で機械工学を勉強して、某大手の製紙会社に入社したのですが、社長一族の横暴な態度に耐えられず、1年程で退職して→→N社に入社して→→機械設計を担当しました。

 多分、友人の支援を受けたと思われますが、A氏はシーケンサー制御技術を独学で勉強しました。1996年に私がN社に出向した時、40歳だったA氏は制御設計部長になっていて、会社にとって無くてはならない存在になっていました。

 1993年~2004年を『就職氷河期』と呼びますが、この間に大学卒が3名(A1君、A2君、A3君)が→→小企業のN社に入社して→→全員、A氏が制御技術者に育てました。A氏は部下を褒めはしなかったですが、声を荒立てる事無く、上手に育てました。 3人とも、3年間程で現地に一人で出張出来る様になりました。

 最初に入社したA1君が、一人で初めて客先の工場に出張して、据付/調整作業を行いました。 私は同じ工場に、別の機械の据付指導の為に出張しました。A氏から、「時々、A1君の様子を見て欲しい」と依頼されていました。

 A1君は、焦る事無く仕事をして、顧客への対応も適切でした。私が褒めると、A1君がポケットからA4のコピー紙を半分に切った紙を取り出して、「このお陰です」と言いました。 A氏が手書きして渡した『出張の心得』で、素晴らしい内容でした。

(注記 :シーケンサー) 『シーケンサー』は三菱電機の商品名です。1973年に最初のシリーズが発売され、1985年に汎用シーケンサーの発売が開始されました。 日本では『シーケンサー』が普通名詞になっていますが、世界では『プログラマブルロジックコントローラ(PLC)』が一般的です。

【N社の原価計算】
 私が1996年に出向したN社は、社員30名程の製紙機械を設計/製造する小企業でした。 まだ、中小企業ではパソコンが殆ど活用されていなかったので、出向条件として、私専用のパソコンを用意して貰いました。

 N社は、売上高は減少していませんでしたが、数年間・赤字が続き債務超過に陥る寸前の状態でした。赤字の主な原因は、製造原価を把握しないで販売していたので、売れば売るほど貯蓄を食い潰していたためです。

 出向後三カ月間ほど、何も仕事が与えられなかったので、製造原価がドウなっているのか?調べて見ました。幸いにも、経理担当者が①購入品の型番と購入金額、②加工外注した場合の図面番号と支払い金額をエクセルでデータ化していました。

 そのエクセル・データを貰って、その時点で製作中の機械の製造コストをザクっと計算して見ました。

 顧客から引き合いが入ると、N社の社長(N2氏)が勘を働かせて→→見積価格を決定し→→受注しても、個々の案件の製造原価を積算しなかったので→→個々の案件の採算は把握していませんでした。 期末になって、「その年が黒字だったのか?赤字だっのか?」が分かったのです。 N氏は、「今年も赤字だったので、給与は据え置きにしよう!」と毎年毎年決めていたのです!

 N社では、顧客に要求する設計と現場社員の時間チャージを決めていました。社員全員の給与明細をエクセル・データとして整理していたので、時間チャージの妥当性についてもチェックして見ました。時間チャージを決めた計算式などは残っていませんでしたが、社内の実情に反せず、世の中の常識でも受け入れられる時間チャージになっていました。

 N社は小企業でしたが、社員の給与は結構高かったです。制御設計の部長は1,000万円以上貰っており、ベテランで優秀な機械設計社員は500万円程度でした。70歳ほどで辞めた旋盤工は700万円以上貰っていました。

 N社では、設計と現場社員が「どの案件で何時間働いたか」を記入する「作業日報」を毎日提出して→→エクセルで整理していました。設計は、残業分は記入していませんでしたが、定時内の作業時間は正確な数値を記入していました。 現場社員を観察すると、いい加減で、信頼出来る数値では無い事が分かりました。

 設計は残業代が支払われないのに、大方の社員は設計部長が帰るまで残業していました。従って、「作業日報」の数値から実際に要した設計時間を把握する事は不可能でした。 大抵の日は3時間残業して20時頃に帰りましたが、毎月一度は24時頃にまで仕事をする事も有りました。そんな時は、19時頃に皆で(会社のおごりで)ラーメン等々を食べに行っていました。

(余談 :私の努力)  N社には、回転資金が十分有ったのでキャッシュフローは問題では有りませんでした。 私は受注した案件の受注金額と製造原価をエクセルでデーター化して→→蓄積し→→見積積算が出来る様にしました。

 顧客から引き合いが有ると→→設計が作成した計画図をベースに→→見積積算して→→社長(N2氏)と話し合って→→見積金額を決定して→→私が見積書を作成しました。 赤字で受注する事が殆ど無くなり→→黒字体質になったのです。

 「見積積算業務は非常に重要だ!」と私は考えていましたが→→N2氏は、私に部下を付けなかったので→→教える事が出来ませんでした。 私が退職したら、社長の勘で見積金額を弾けば良いと考えていた様です。

【N社の機械工学計算】
 N社の社長(N2氏)は、関西では有名な中高一貫校から→→某旧帝大の工学部機械工学科を卒業し→→某大手鉄鋼会社に就職して→→30歳頃に退職して→→母親が経営していた会社を引き継ぎました。 引き継いだ時は、汚くて古い工場だったそうです。

 私が、N社に出向した時、某旧帝大の教授が学生達に作らせた、ベイシックと言うプログラムで作成した計算ソフトが数点有りました。内容を見てみるとエラーとバグ(欠陥)が幾つも見つかりました。 修正して社長に説明したのですが、社長はベイシック言語が理解出来ないので、私の話を聞いているだけでした。

 社長と一部の社員がエクセルは使えたので、絵入りで/説明文付きのエクセル・プログラムに直しました。 私は新たに強度計算プログラムやシミュレーションプログラムを沢山作成しました。

 少しずつ、私が作ったプログラムを使用してくれる社員が増えて来ました。簡単なプログラムを作る社員もいました。

(余談 :エクセルで絵が描けます!) エクセルで、(慣れると)結構複雑な絵を掛けます。皆さん!是非一度挑戦して見て下さい! 【挿入】→→【図形】

中小企業で必要な人材の育成 (2)

2023-08-21 07:44:35 | 会社の活性化
【はじめに】
 『習うより慣れよ』と言う”ことわざ”が有ります。難しい仕事でも、若い時から日常的に取り組むので有れば、普通の人間でも出来る様になります。 逆に、優秀な人間でも、学校を卒業して10年とか、20年後に難しい仕事に取り組むのは苦痛になります。 私は70歳を過ぎて、「それが、人間の本質だ!」と思うようになりました。

 大企業では、めったに必要にならない仕事を担当する専門の社員を雇う余裕が有ります。 然し、中小企業には余裕が有りません。

 日本には沢山中小企業が有り、日本の産業を支えています。 中小企業で時々必要になる仕事を手伝う機構を国が設けるべきだと考えています。

『シルバー人材センター』は、庭の草引き、買い物や賄い等の分野で活躍する様になています。 『ダイヤモンド人材センター』と言う機構を作って、貴重な人材にリタイヤ後にも活躍してもらうと、中小企業が活性化出来ると思います。

★★★ 中小企業と数学 ★★★
【中小企業で数学が必要になって来た背景】
 需要が少ない分野(ニッチ市場)でも、昔は大手企業が何とか(細々と)頑張っていましたが→→ドンドン撤退して→→現在は中小企業だけが残っています。 製造ラインに必要不可欠な機械/装置でも、数年に一回しか注文が無い装置では、中小企業さえも撤退してしまったケースも有ります。

 ニッチ市場では、技術的に難しいと思われる機械/装置は、多少高くても大企業に発注していましたが、今では中小企業で作って貰わざるを得なくなっています。→→その為に、時々ですが中小企業で工学計算(強度計算など)やシミュレーションプログラムが必要になって来ているのです。

【鉄は熱いうちに打て】
 私の経験では、東大や京大の工学部卒の社員でも、入社後数年間、数学やプログラム作成が必要で無い部署に配属されていると、プログラム作成は”言わずもがな”で、計算でも少し難しいと四苦八苦していました。

 大抵の大手企業には『研究所』が有るので、大学を出て直ぐに計算やプログラム作成が不可欠な仕事に付く事が出来ます。 私の様に特別優秀で無い人間でも、最初から研究所に配属されると計算やプログラム作成が好きになります。

 技術志向の中小企業でも、工学計算が必要になるのは年に何回しか有りません。 従って、数学が得意な大卒を雇っても、難しい計算が出来る様に育てるのが難しいのです。

【某社の対策】
 社員百数十名の精密加工企業(M社)では、年に数回、幾何学を用いた計算が必要でした。M社は、高校で幾何学を教えていた先生を定年退職後に顧問になって貰っていました。先生が年老いると→→定年間近(まぢか)の先生を紹介して貰っていました。

余談) M社はヨーロッパ製の高価な工作機械を結構沢山所有していました。工作機械の輸入商社のOBを顧問に雇って、日本で開催される工作機械の展示会に持ち込んだヨーロッパ製の工作機械を格安で入手していました。 工作機械メーカとしては、展示品をヨーロッパに持ち帰る費用を考えると、安い値段で売った方が得なのです。


★★ ダイヤモンド人材センター ★★★
 冒頭に『ダイヤモンド人材センター』の設立を提案しましたが、私が考えているセンターの役割を以下に書いておきます。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ①】
 多分、大手企業で騒音と振動対策の仕事をされていた方だと思うのですが、定年後に高速フーリエ変換器(FFTアナライザー)等々の騒音/振動測定器を一式買い揃え→→ワゴン車を買って→→奥さんを助手にして→→遠方まで騒音と振動を測定に行く方がおられました。

 M重工の研究所が、騒音と振動を測定し、原因究明をする商売をしていました。日本で一番権威が有ると言われていました。顧客からM重工の報告書を見せて貰った事が有りますが、原因の特定は出来ていませんでした。

 原因を究明するには、問題になっている機械装置の特性を十二分に把握する必要が有るのです。単に測定するだけで無く、想像を逞しくして考察しながらデーターを採取しなければなりません。ある特定の運転条件の時だけ振動や騒音が大きくなるケースが多々有ります。運転条件によって、ドンナ違った事が起こるのか?

 高熱が出ても風邪とは限りません。医者は問診、尿検査、血液検査等々して、場合によっては大きな病院でX線CT検査やMIR検査を受ける様にアドバイスします。

 私は昔、大きな振動を発生している製紙ラインの診断を依頼された事が有ります。(私の前に、M重工が振動を測定していましたが、原因究明は出来ていませんでした。) 何日も掛けて各部の振動を測定しました。私が出した結論は「建物の強度不足」でした。一級建築士を呼んでもらって、建物の補強について検討しました。1億円を優に超える工事が必要と言う結論になりました。工事完了後に運転を再開した時、振動が大幅に低下していたので胸をなで下ろしました。

 ダイヤモンド人材センターが、騒音/振動測定者に当該の機械に詳しい人を紹介して、コンビで仕事をして貰ったら、原因を究明出来るケースが増えると思います。

(余談) 私は若い頃から、騒音と振動が問題になる何種類もの機械の仕事をして来たので、高速フーリエ変換器の扱いには慣れていました。最初に出向した会社で、高速フーリエ変換器を買って貰って、製紙工場で騒音/振動対策をアドバイスする仕事もやりました。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ②】
 直線状の鉄や木材を組み合わせた構造物が有ります。 これを『骨組構造(トラス構造/ラーメン構造)』と呼びます。

 三次元CADと、有限要素法と言う計算ソフトを使って骨組構造物の設計を請け負う個人設計事務所が有ります。 十数年前に設計事務所を立ち上げた時、「やって行けるのか?」と思いましたが、今でも頑張っています。 ダイヤモンド人材センターが、特殊な仕事が出来る会社を調査して→→インターネット上で紹介したら→→中小企業を活性化出来ると思います。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ③】
 機械製造の中小企業に出入りしている設計事務所の社長が、工学計算が必要と思われるケースで、計算が出来る人を紹介する商売を始めようとしました。私も2回依頼された事が有ります。

 2回とも結構難しい計算が必要でした。 計算書を持参して、設計事務所の社長と顧客に説明に行ったのですが、2社とも計算内容が全く理解出来ませんでした。「こんな難しい計算が必要なら、開発は断念する」と言って、結局一銭も払って貰えませんでした→→商売にはならなかったのです。

 「難しい計算が必要になったら、ダイヤモンド人材センターに相談したら何時でも優秀な人を紹介して貰える」体制が整ったら、中小企業の社長さんは、難しい機械の開発に取り組む様になると思います。

【ダイヤモンド人材センターの役割 ④】
 金属が破断すると→→原因によって異なる模様が現れます。走査型電子顕微鏡と言う極めて高価な装置で写真を撮って原因を究明します。原因究明には知識と経験が必要です。

 機械の部品が破断するトラブルが発生すると→→人身事故が発生する恐れが有るので→→徹底的に原因を究明して→→対策を講じる必要が有ります。昔は、大手企業には破断面の模様に詳しい専門の社員が一人か二人いました。大企業でも破断トラブルは、年に2~3回起こるか?どうか?です。専門社員を置く余裕が無くなった会社も出て来ているので、非破壊検査を行う会社が、「破断原因の究明」を行う様になっています。

 ダイヤモンド人材センターが、定年退職した金属の破断に詳しい人に、キーエンスの電子顕微鏡などのコンパクトな機器を貸し出して、自宅で仕事を続けて貰う様にすべきだと思います。 頭さえしっかりしていたら、体力が低下しても、この仕事は続けられます。

(余談) 2010年頃に連結社員が5,000人以上いる東証一部上場の企業(T社)が製造した機械が破断し→→重さが50kgほど有る部品が、作業員の直ぐ近くに落下した様です。T社には破断面模様の専門社員がいなかったので、別の会社に原因究明が依頼されました。 私は、破断面の写真を見せて貰ったのですが、疲労破壊した時に現れる典型的な模様(ビーチマーク)でした。 乗用車や食品で不具合が発生すると、『リコール』が行われますが、この時、T社は内密に処理して、リコールはやりませんでした! ”くわばらくわばら”

(余談 :キーエンスの電子顕微鏡) 1995年頃、キーエンスの営業マンが、「電子顕微鏡を使って見て、感想を聞かせて欲しい」と言って来ました。当時、私は『紙』に関連した研究開発をしていたので、種々の紙の表面を観察して見ました。 光学顕微鏡では見えない、繊維の絡まり方が、紙の種類で違う事が分かりました。

 「種々の分野の研究で使用出来る」と思い、是非とも購入したかったのですが、非常に高価(700万円ほど?)だったので、断念せざるを得ませんでした。

 キーエンスの電子顕微鏡は沢山売れている様で、現在は、中古品市場が出来ているので中古品を300万円以下で入手出来ます。破断面の観察/写真撮影にも利用されている様です。

【私の工学計算の経験】
 私は大企業に就職したので、専門書を沢山所蔵した図書館が有り、研究所に支援を依頼する事が出来、国立の研究所や大学の支援も得る事が出来ました。 出向して中小企業で働く様になると、専門書が殆ど無く、JISハンドブックも有りませんでした。 小遣いで専門書を買い揃えました。欲しい本は大抵絶版になっていたので、日本で唯一残っている自然科学系古書専門店『明倫館書店』に探求書として依頼して入手しました。10年間ほどで、100万円以上使いました。

 JISなどの規格は、国はインターネット上に公開して無償で読める様にすべきだと思います。印刷する前にデジタル化されますから、手間と金はそんなに掛からないと思われます。 (日本規格協会は猛反対すると予想します。)

 中小企業で仕事をする様になって、一番困ったのは❶材料の機械的性質、❷物性値等のデータを集める事でした。通商産業省に外郭団体を作って、工学計算に必要なデーターを収集/整理して、インターネット上に公開して欲しいです!

★ JIS(日本産業規格)等の規格を、インターネットで無料で読める様にする。
★ 材料の機械的性質や物性値等のデータを整理して→→インターネット上に公開する。

(余談 :関西国立国会図書館) 国会議事堂の近くに国立国会図書館が有ります。 2002年に『関西国立国会図書館』が出来ましたが、トンデモナク交通が不便な所に有ります。友人が所有する一戸建ての草引きに行った時、近所を探索しようと歩いていたら、関西国立国会図書館を見付けました。一番近い駅は、近鉄の木津川台駅だと思いますが、駅の近くには一軒も店が無く、タクシー乗り場も有りません。駅からだと、1.5kmほど有ります。

 法律で、日本で出版される図書は全て国会図書館に納入しなければなりません→→納入されると→→蔵書印と(年月日の入った)受入登録印が押されます。 特許が出願されたとします。その発明が、出願年月日前に出版された図書に記載されていると、特許権を得る事が出来ません。 この時、図書に記載された『発行年月日』では無く、国会図書館の受入登録印の年月日が判断基準になります。


★★★ 余談 :中小企業診断士は活躍出来るか? ★★★
 1982年頃、私は東京勤務でした。事務所から数百メートルほどのビルに、中小企業診断士の教室が有りました。ポケットマネーを出して、定時後に何か月か通いました。私は大学で機械工学を学んだので『財務/会計に関する知識』が乏しかったので、極めて多忙でしたが中小企業診断士の教室で勉強したのです。

 中小企業診断士は、個々の中小企業の問題点を抽出して、アドバイスするのが仕事です。

 私は、それまでに沢山中小企業と取引していて、昵懇(じっこん)になった社長も十人以上いました。私が付き合った全ての中小企業の財務状況は良好でしたが、「ここを改善したら、もっと良くなると思われる点」が多々有りました。

 問題が沢山有る会社の社長は、中小企業診断士は雇は無いと思います。 問題意識を持った社員が、実践して見せたら、彼のアイディアを採用するかも知れません。「勝手な事はするな!」と言う可能性の方が高いです。

 中小企業診断士の資格を持っていても、それで食べて行くのは難しいのが現状です。 大手企業に勤務している間に資格を取って、定年後に中小企業のコンサルタントをして小遣い稼ぎをしている方が多いい様です。 そんな人を含めても、資格を持っている方で、資格を活用しているのは30%以下と言われています。

(余談の余談 :一国一城の主) 私は、昔2年間ほど農業機械の開発をしました。その時、数県の(大規模な)専業農家を訪ねて意見を聞いて回った事が有りました。

 専業農家の主人と中小企業の社長には沢山共通点が有ります。その一つは、『一国一城の主(あるじ)』だと言う事です。

 仕事が好きで、日々工夫する農家の主人と会社の社長さん達と話す機会が有りました。 

❶ ハウス栽培農家 : 一町歩(≒10,000平方メートル≒3,000坪)の稲作農家の年収は100万円ほどですが、野菜農家の場合は400万円~500万円ほどです。 某JA(農業協同組合)で最も成功しているハウス栽培農家を紹介して貰いました。「僕は、今年高く売れそうな野菜を予想して、栽培面積を増減させているだけです」と言っていました。 彼のハウスの面積は一町歩以下でしたが、「毎年の売り上げは3,000万円以上有る」とJAの担当者は言っていました。

❷ 細穴加工業者 :2000年頃、私は長さが2m~4m、外径が200mm~400mm、肉厚が30mm~40mm程のパイプ状の鉄に、軸方向に20mm~30mmの穴を沢山開ける必要が有りました。10社程の工場を見学させて貰って、同じ図面と同じ素材で3社に試作を依頼しました。 一番納期が短くて、安かった会社(S社)の加工精度が最も高かったです。

 S社に定期的に依頼する様になりました。近くに出張した時は、S社を訪問して、社長(S氏)と雑談しました。S氏は頭を使うのが好きで、市販の加工機械を種々改良して、素材毎に送り速度を変える等の工夫をしていました。

 S氏と信用金庫の担当者が話している時に、何回か行った事が有ります。 当時、S社は、それぞれ200坪程の汚い工場・3か所で操業していました。信用金庫の担当者は、「貯金が十分有るから、1,000坪の敷地を買って、工場を集約した方が良い」と奨めていました。S氏は、「仕事が多過ぎて、新工場を考える余裕が無い」、「私に新工場を建設して欲しい」と言うのです。


★★★ 気が滅入ってしまいました! ★★★
 古い古い友人の誤解で絶交状態になってしまい、気が滅入ってしまいました! そんな分けで筆が進まず、一週間ブログを休んでしまいました!

日本の活性化❺ :デジタル化(その5)

2022-10-08 06:54:58 | 会社の活性化
【はじめに】
 前回に引き続いて民間企業のデジタル化への取り組みについて書きます。多くの企業の努力によって、自動車、炊飯器、洗濯機などなど、ほとんどの家庭電器製品の中にはコンピューターが内蔵される様になりました。残念ながら多くの政治家の頭の中は空っぽで、半導体の『ハの字』も入っていいません。

【KS社の例】
 中規模の機械の設計製造会社(KS社)について書きます。KS社は、有る市場規模の小さい分野で日本でのシェアを50%以上を占めています。2005年頃にKS社が得意な分野の装置を一式注文しました。 その装置には、新しい工夫が必要でした。同業の複数の会社にも引き合いを出しましたが、私が指摘した技術的な問題点を軽く考えて、KS社よりも安い見積を出して来ました。

 KS社の技術者だけが、「経験の範囲外で難しいが、やってみたい!」と正直に言いました。最終ユーザーの担当者は、技術的に難しい事を把握されていて、十分な予算を取ってくれていました。それで、私はKS社に殆ど値引き要求をし無いで発注しました。

 KS社の工場に受取検査に行きました。長期戦を覚悟していたので、着替えを沢山バックに詰めていました。最悪の場合は2回は行く覚悟で出掛けました。予想通り、性能がなかなか出ませんでした。技術者達が必死になって、夜遅くまで頑張ってくれました。結局、三泊四日の出張になりましたが、何とか目標の性能を達成出来ました。

 私は愛煙者です。現場には時々しか行かないで、日中は工場の周辺の道路を、夜中は工場内を散歩しながら喫煙しました。 調整している機械の横に煩い人間がいたら、仕事がはかどりません。

《男女平等》 夜中に工場の中を女性が歩いていました。制御設計部の社員だとの説明でした。KS社は既納機が沢山有り、年に一回定期点検/修理をしていました。「定期点検は顧客の操業時間外の夜中に行うケースが殆どで、昔は機械担当と制御担当の男性社員を2名派遣していた」、「シーケンサー制御の時代になったので、制御設計部を四直三交代にして、機械担当者を1名だけ派遣する事にした」、「制御プログラムに問題が有ったり、顧客から変更要求が有った場合は→→工場で勤務している制御設計部員が直ぐに→→修正したプログラムを作成して→→E-メールに添付して送る」体制にしたのだそうです。

 定期点検の料金を大幅に下げたので、顧客には好評だったそうです。 女性社員は出張し無くて良い等の理由で、給与を安く設定していましたが、「私達も四直三交代にして、給与を男女平等にして欲しい!」と言う要求が有り、試しにやってみたらメリットが沢山有ったので、女性達の要求を呑む事にしたそうです。

 デジタル化を進めると、『同一労働同一賃金』に移行出来る職種が沢山有る様に思いました。

【S社のデジタル化】
 2005年頃に社員130名程の会社(S社)に出向しました。若手社員が数名PCを使用していました。出向して直ぐに事務職全員にディスクトップパソコンが支給され、「何月何日までにPCをマスターしないと、会社を辞めて貰う」と言い渡されました。

 命令を出した60歳程の社長もPCを使えませんでした。取扱説明書を全く読まないで、メモも取らないで若手社員に教えて貰うのです。 事務所内は大変な事になりました。若手社員達は数日で音を上げてしまいました。 結局、3人以外は期日までに、何とか使える様になりました。

 マスター出来なかった3人(S1氏、S2氏、S3氏)の内、S1氏とS2氏は65歳程の高齢で、S1氏は少し痴呆症が始まっていて、S2氏は配達用のトラックの運転手を兼務していました。S3氏は50歳代でしたが、いい加減な仕事をする社員でした。 多くの社員は、「これを機に、3人に退職して貰うべきだ」と言っていましたが、社長は有耶無耶にしてしまいました。

 社員の一部がPCを使用出来ないと、ややこしい事になってしまいます。S社には複数の会議室と複数の社用車が有りました。予約をPCでする事になりましたが、S1氏~S3氏は他の社員にインプットしてもらう必要が有りました。S1氏は痴呆症が始まっていたので、予約しないで使用するケースが多々有りました。

【Y社のデジタル化】
 2010年に社長が(80歳ほどの)超高齢の会社(Y社)に、高給を提示されたので入社しました。とんでもないブラック企業だったので、私は半年間ほどで退職しました。Y社は、社員数が120名ほどでの会社で、事務職は全員PCで仕事をしていました。

 男性社員は40歳代と50歳代が大半でしたが、女性社員は二十歳代~三十歳代前半でした。多分、女性社員達が男性社員にパソコンの操作を教えたのだと推察しました。

 PCとソフトは、女性も含め社員が自費で購入する事になっていました。 私は、入社条件としてCADのソフト(AutoCAD)だけ買って貰いました。 「退職する時、データーの入ったPC持って出る事になるから、PCは会社が支給すべきだ!」と何回か社長にアドバイスしましたが、『近欲』の社長は聞き入れませんでした。

【製造コスト】
 私が中小企業に出向して一番困った事は、殆どの会社が製造コスト(原価)を把握していなかった事です。 期末に入金と出金を計算して、今年が黒字だったのか?赤字だったのか?判断しているような状態でした。見積書を出す時、積算して金額を出す会社は一社しか有りませんでした。

 最初に出向したN社では、購入価格、外部委託した機械加工、溶接などの支払い、輸送費・・・を経理データーとしてエキセルで整理していました。そのデーターを貰って、見積積算プログラムを作成しました。

 私は、出向先が変わる度に、機械の仕様(スペック)をインプットすると、原価が算出出来る見積積算プログラムを作成しました。

(余談 :経理データを調べて分かった事) N社では、薄い鉄板を溶接して特殊なダクトを設計したいましたが、溶接工事は(町工場で作らせたら1/3程の価格で済むのに、)一部上場企業に発注していました。部長の一人が『金』を貰っていたのです。社長は気付いていましたが、この製品はN社しか出来ないケースが多く、非常に高く売れたので『目をつぶる』事にしていたのだと思いました。

(余談 :経理の女性社員) 私が最初に出向したN社には、十年ほど前に入社した・銀行OBの女性社員(FT氏)が経理を担当して、パソコンを使っていました。FT氏は私と同い年(50歳)で、『酸いも甘いも噛み分ける』立派な方で、皆から好かれていました。 FT氏の旦那さんは高校の教師で、二、三年後には定年になる年齢でした。FT氏は子供を授からなかった事も有って、退職を希望していました。社長が、「後継者を育てたら、退職して良い」と言ったので、二十歳代前半の経理経験者の独身の女性(NK氏)を採用して、教えていました。

 私が出向して直ぐに、NK氏が頻繁に休暇を取る様になりました。思いも寄らない事でしたが、NK氏はシングルマザーで、子供の体調が良く無かったので、休暇を取っていたのです。NK氏は暫くして辞めてしまいました。10年後に私がN社に入社した時、正真正銘の二十歳代の独身の女性(NM氏)にFT氏が経理の仕事を教えていました。一年ほどして、NM氏の父親が定年退職して、N社から電車で片道2時間以上も掛かる滋賀県の某市に一戸建ての家を買って、一家で引っ越しました。NM氏は、一年間ほど滋賀県から通勤していましたが、流石(さすが)に”しんどく”なって、辞めてしまいました。

 中小企業では、経理担当者を雇うのが難しいのです。経理担当者は会社の経営状態や社員の給与を知る事が出来るので、『口が堅い』事が要求されます。口の堅い人はなかなかいません!

【御参考 :デジタル化の歴史】
 戦後すぐに、アメリカのIBM社が大型コンピューターを開発し、1968年には富士通が半導体(IC)を採用した大型コンピューターの販売を開始しました。第二次世界大戦で大打撃を受けた日本の企業には『金』が有りませんでしたが、(無理して)当時として非常に高価だった大型コンピューターを買って、業務の効率化を進めてきました。

 1982年頃、(鈴木善幸首相/中曾根康弘首相の頃)大型コンピューターを導入してマイナンバー制度を始める計画を進めていましたが、何故か?社会党などの野党が反対して、実現出来ませんでした。この時、マイナンバー制度が導入出来ていたら、日本はデジタル化の先進国になっていました。2009年に蓮舫氏が、「「2位じゃダメなんでしょうか?」等と発言する事は無かったと思われます。 私は、「国鉄民営化は重要だった」と思いますが、「マイナンバー制度も重要だった」と思います。

 1995年頃から、中小企業でもパソコン(PC)を採用し始め→→2005年頃には、どの会社でも使用する様になりました。政府は重い腰を上げて、2015にマイナンバー制度を導入しました。デジタル化が進まないので、2021年にデジタル庁を設立しました。本来は、デジタル化を進める前に設けるべきだった『サイバー警察局』を2022年に設立しました。

 国と地方公共団体は、プログラマーを養成してこなかったので、役所のデジタル化は、(株)電通などに『負んぶに抱っこ』して貰わないと何も出来ない状態です。

★ 46年 :IBMが電子式コンピュータ(ENIAC)を完成させた。
★ 54年 :富士通がリレー式のコンピューター『FACOM100』を開発
★ 68年 :富士通が半導体(IC)を採用したコンピューター『ACOM230-60』を開発
★ 71年 :私が大学を卒業・・・会社はIBM製と富士通製の大型コンピューターを導入していた。
★ 72年 :ノルウェーの兵器廠が大型コンピューターを使用した、社内メールシステムを導入していた。

★ 72年 :ロッキード社が機械系CADソフト(CADAM)を発売開始・・・IBMの大型コンピューターが必要でした。
★ 77年 :アップル社・・・パソコン『Apple II』」を販売開始
★ 77年 :富士通がFACOM230-75AOU
★ 80年 :富士通がワープロ・オアシスを販売開始
★ 81年 :IBMがパーソナルコンピュータ(パソコン)「IBM PC」を販売開始
★ 81年 :NECがパソコン「PC-8800」を販売開始
★ 82年 :NECがパソコン「PC-9800」を販売開始
★ 82年頃 :政府がマイナンバー制度導入を計画・・・社会党等の反対で立ち消えになった。
★ 82年 :アメリカのオートデスク社がパソコンで使用出来る「AutoCAD」を発売開始
★ 90年頃 :私が勤務していた部署で、アップル社製パソコンを用いた社内メールシステムを導入した。
★ 95年 :マイクロソフトが「Windous 95」を販売開始
★ 06年 :私が中小企業に出向・・・この頃から中小企業でもデジタル化が始まりました。
★ 15年 :個人番号カード(マイナンバーカード)と法人番号カード(法人マイナンバーカード)制度がスタート
★ 21年 :デジタル庁
★ 22年 :サイバー警察局

【御参考 :私とコンピューター】
 私は入社以来、コンピューターを使用する点では、非常に恵まれた環境で仕事をして来ました。今から50年以上も前からキーボードを叩いてきました。

 入社して直ぐに1週間ほど科学技術計算に使用する『フォートラン(FORTRAN)』と言うプログラム言語を、新入社員研修の一環として教えて貰いました。 研修が終わった後、直ぐにフォートランが必要な仕事をやりました。

 昔、アメリカ政府は民間企業をバックアップする為に、企業に大金を出して科学技術計算ソフトの開発を委託しました。その結果はナショナルレポートとして公表されました。 どのレポートにも、❶理論の説明と使用している計算式、❷フォートランを使用したプログラム、❸インプット・データー、❹計算結果が入っていました。 然し、必ず数カ所以上、『わざと』間違っているのです。プログラムだけで無く、理論/計算式にも間違いが有るのです。

 30代半ばの係長、私の同期(O氏)と私、3人で、GE社(ゼネラル・エレクトリック)が開発した非常に特殊な熱交換器のシュミュレーション・プログラムのミス(罠)を見つける仕事をしました。係長は数学が全く駄目で、O氏は超有名な私大の機械工学科卒でしたが、「今更勉強したくない」と言う態度でした。二人は仕事をしている振りをして、毎日過ごしました。

 私は、専門書(伝熱工学、熱交換器)を数冊買って、GE社の報告書に記載されていた参考論文を取り寄せて猛勉強しました。3ヶ月ほど掛けて、GE社のミス(罠)を修正したプログラムを作成しました。富士通製の大型コンピューターで走らせたのですが、受け付けてくれませんでした。凄く落胆してしまったのですが、煙草を吸っていて、「富士通製とIBM製では、何処か違いが有るのでは?」と思いつきました。キーボードを比較すると、記号が一つか?二つ?違っていました。GE社のプログラムはIBM製大型コンピューターを前提にしていたのです。 GE社の報告書に添付されていた『計算結果』と全く同じ計算結果が出た時の嬉しさは、今でも忘れられません!

 それ以来→→リタイヤするまで、種々のプログラム言語などを勉強して、強度計算プログラム、シミュレーションプログラム等を作成しました。

・・・ 私が勉強したプログラム言語など ・・・
★ 1971年 :フォートラン
★ 1982年 :ベーシック
★ 1988年 :エキセル
★ 1995年 :ビジュアル・ベーシック(VB)
★ 1996年 :シーケンサー(PLC)の言語(ラダー言語)
★ 2000年~ :CAD・・・4種類のCAD
★ 2001年 :ANSYS(有限要素法)

日本の活性化➍-4 :生産性、GDP、給与

2022-08-06 15:31:27 | 会社の活性化
【はじめに】
 今回も、効率化/生産性向上などに関連した私の経験を書きます。

 私は、「昔・取引したり、工場見学させてもらった企業がどうなったか?」時々インターネットで調べています。優良企業だったのに倒産した会社も数社有ります。効率化/生産性向上の努力は継続して行う必要があり、時代遅れになる分野では頑張っても無駄なケースも有るのです。

【ポンプ業界➊ :河川排水ポンプ】
 ポンプには種々の型式が有りますが、最もポピュラーなのが渦巻きポンプ(遠心ポンプ)です。 独断と偏見だと言われるのを覚悟して、ポンプ業界について書きます。

 渦巻きポンプの主な向け先は、国・地方公共団体と船舶です。 大抵の河川には大雨対策として『河川排水ポンプ場』が設けられています。一級河川は国が、二級河川は都道府県が河川排水ポンプ場を管理しています。 そして、下水処理場にも沢山の渦巻きポンプが設置されています。 大昔は、国・地方公共団体向けのポンプは談合の対象になっていました。

 国や地方公共団体の予算は、1年間で使用出来る予算で、原則として越年は出来ません。 ある部署が来年度でA、B~K、Lまで12件の工事をやりたいと考え、それぞれの工事に必要な費用を算出して100億円の予算を申請したとします。満額認められる事は殆ど有りません。そして、認可される予算は総額です。90億円認められたとすると、12件全てを実施出来ないので、その部署では12件の優先順位を議論して、予算の範囲で発注する事になります。(C、E、Hの工事は見送ると決定するのです。)

 河川排水ポンプの更新工事の場合、優先順位を決める議論が永遠と続き、入札が行われるのが毎年7月とか8月になってしまう様です。メーカー決定後に詳細打合せに入るので、受注から納入までの期間は6ヶ月ほどしか有りません。

 下に述べる舶用のポンプの場合は、制御盤は別途発注される様ですが、河川排水ポンプは制御盤付きの発注が原則です。従って、制御設計の担当者は年間三、四ヶ月程は超!多忙ですが、残りの期間(端境期)はアルバイトして糊口を凌ぐ必要が有ります。 私は、彼らの端境期に安い費用で仕事をして貰った事が何回か有ります。 彼らの繁忙期に、既納機の制御盤でトラブルが発生しても一切対応してくれませんでした。(私は、制御盤の修理が出来たので、彼らに仕事を依頼出来たのです。)

 国や都道府県の発注が、5月頃に行われる様にならない限り(仕事をするのが極短期間で効率が悪く)、河川排水ポンプの業界としては談合して対応せざるを得ないのが実情でした。

【ポンプ業界❷ :舶用のポンプ】
 船には大小様々なポンプが沢山使用されます。新造船の場合は、オーナー会社が必要なポンプの仕様と台数を提示して競合入札が行われ、メーカー1社に発注します。オーナー会社は、舶用機械の検査を請け負う会社に、検査を委託します。 大型の商船の場合は、国際入札が一般的で、談合の余地は無いと思われます。

 検査の前日までに、1船分のポンプをズラッと並べて、検査会社の担当者の前で次から次にポンプを運転し、大きな表示器に性能が表示されます。(私は、2社で検査の状況を見る事が出来ました。)

 船舶は必ず保険に入ります。船舶に使用する機械は、保険に入れる様に船級協会が定める基準で設計/検査をする必要が有ります。リースを想定して建造する船舶の場合は、複数の船級協会の基準で設計す事になります。代表的な船級協会を御参考までに以下に示しました。

★ ロイド船級協会(LR) :イギリス・・・世界一の海上保険
★ DNV GL船級協会(GL) :ノルウェー
★ アメリカ船級協会(ABS)
★ 日本海事協会(Class NK)

 (株)シンコー(旧社名=新興金属工業所) :広島市内に本社の有る、舶用のポンプと蒸気タービン等を手掛け、世界的に活躍している会社です。 (社員≒500名、21年の売り上げ≒290億円)

 1975年頃、私はシンコーの工場で2週間ほど実験した事が有ります。 「暇な時間には工場の中を自由に見学しても良い」と許可を頂きました。

 一番・関心したのは、素晴らしい工夫が随所に見られた事です! 当時、既に世界的に活躍していたので、価格競争に勝つためには作業の合理化/効率化が不可欠なんだと想像しました。設計的にもボルトの種類を減らし→→電動ドライバーを採用したり、細かい所まで気配りしていました。

 二番目に関心したのは、ポンプの売り上げ台数を示す掲示板が有って、前日(?)までに、どの機種を何台売ったか記入していました。社員は会社の業績の概要が把握出来ますから、やる気が出て来ます。

 三番目に関心したのは、(社員数が多いいとは言えませんでしたが、)顧客向けの図書は英文が基本で、ロシア語にも対応していた事です。「必要に迫られて設計担当者が語学を勉強した」と説明されました。

(余談 :チューネ・ユーレカ) :私は大学でポンプのゼミを選択しました。世界には遠心ポンプのメーカーが数多(あまた)と有りますが、ノルウェーの『チューネ・ユーレカ社』製は高価ですが種々の点で優れていました。入社してノルウェーの兵器廠と技術提携した仕事を始めたので、(1972年頃)技術提携の仲介をしていた商社に依頼して、チューネ・ユーレカ社のカタログや技術資料を送ってもらいました。

 1974年に(株)浪速ポンプ製作所がチューネ・ユーレカ社と技術提携した事を知りました。ほぼ同じ頃に、ノルウェーの兵器廠が北海油田の石油採掘プラットホーム向けに、チューネ・ユーレカ社製の遠心ポンプを採用した、超!超!大型の消防艇を建造しました。その資料も入手しました。

 私は入社して直ぐ、会社の防災訓練の時、同僚と二人で消防放水ノズルを抱えた事が有ります。放水が始まると結構大きな反動力が発生しました。消防艇の場合は、反動力が船に加わります。そして、消防艇には複数の消防放水ノズルが設けられています。放水時・複数の反動力の合力が船に加わりますが、船長は船を停止させる必要が有り、神業で操船するのです。

 私は消防艇に関する種々の文献を集めて勉強しました。

 1980年頃に海上保安庁に最新鋭で最大の消防艇の見学をお願いした所、許可頂けました。12時少し前に行ったら、隊員が岸壁に七輪を置いて秋刀魚を焼いていて、美味しそうな臭いがしていました。

 船は双胴船で、複数有った放水ノズルは人間が朝顔型ハンドル車を回して操作する方式だったと記憶しています。 船内を見学させて頂くと、消火ポンプはチューネ・ユーレカ社製でした。一回りほど年上の船長さんが応対してくれました。「今後、船は大型化して来るので、放水距離が150mほどの超大型の消防艇が必要になる。」、「超大型消防艇は放水時、船長の感で操船するのは難しい→→コンピューターを用いた自動操船にする必要が有る」、・・・と私は話しました。そして、ノルウェーの超大型消防艇の写真と放水訓練の写真を見せました。

 話は盛り上がり、船長さんも超大型消防艇の必要性を理解してくれました。然し、「ノルウェーの超大型消防艇相当の概算建造費は、最新の消防艇の六、七倍は必要だ」と話すと、そんな予算は到底許可されないと断言されました。「大型船で火災が発生して数人以上の犠牲者が出たら、国の方針が変わる可能性が有るかも?」・・・小一時間以上も話が尽きませんでした。

 現在・世界では、20万トンを超える超大型の豪華客船が多数運航されています。 こんな大型船を日本が現在・保有している最大の消防艇で放水している状況を想像してみて下さい。ジョナサン・スウィフトのガリヴァーが乗っている船に、小人達の消防艇が放水している様な状況になると思います。

【画期的な機械の例➊ :ワインダーの速度アップと省力化】
 抄紙機(しょうしき)で製造された新聞用紙や段ボール原紙は、大きくて太い金属の棒を芯にして巻き取ります。これはジャンボロールと呼ばれます。ジャンボロールを巻取機(ワインダー)で、幅と長さを調節して製品のロールにします。抄紙機とワインダーは24時間運転で、四直三交代で操業されます。

 ジリ貧の状態に陥っていた小さな製紙機械のメーカー(NT社)に出向した時、社運を掛けて巻取機(ワインダー)の自動化/高速化等を狙った開発をしていました。開発はほぼ完成していて、私は幾らで製造出来るか?検討し、一号機を某製紙会社(ST社)に売り込む営業の担当をしました。

 ST社のOS工場の一番大きな抄紙機を大改造して、抄紙速度(生産量)を30%ほどアップルする計画でした。従って、ワインダーも速度アップが必要になるのですが、ワインダーの速度を上げる為には種々の検討が必要でした。 ワインダーの速度アップには理論的な限界が有り、OS工場の計画は限界に近かったのですが、モーターの加速/減速制御をNT社の計算で求めたスケジュールで出来れば実現可能でした。

 ワインダー用のモーターを手掛ける会社は数社有りましたが、東芝が最高の技術を持っていました。NT社が提示した加速/減速制御を東芝が受け入れたので、OS工場の改造工事はスタートしました。試運転時、東芝は大苦戦して、調整に五、六日掛かりましたが、成功しました。 (その数年後に残念ながら東芝は、この分野から撤退してしまいました。)

 私の算出したワインダーの適正売値は『8,000万円』でした。 NT社が工夫した自動化によって、四直三交代で1直4名の操業を2名で十分対応出来る事も分かりました。4✕4=16名を→→4✕2=8名で操業出来るのです。その上、生産量が30%アップし、製品の品質が向上し、安全対策を大幅に改善する計画でした。

 私は現場の課長と係長に、「適正売値は8,000万円ですが、NT社では実験装置を作って、沢山の金と人手を掛けて開発してきたので、運転員を8名減らした時の1年間の人件費を上乗せして欲しい」と正直に話しました。「NT社の経営は現在・芳しく無いが、貴社にとって、NT社の技術は将来絶対必要になると思います。」とも話しました。

 課長はノラリクラリでしたが、係長は工場長に私が話した内容を報告してくれ、「NT社の仕様通りの結果になったら、『1.6億円』支払って良い」と言う了解を取ってくれました。 (改造計画は大成功だったので、係長は直ぐに課長に昇進されました。その後、私は新課長だけで無く、工場長とも親密な関係になりました。)

 NT社の社長に『1.6億円』の報告をすると、「ベラボウな儲けは会社を駄目にしてしまうから、『8,000万円』で決着する様に!」と指示されました。

 現場作業員に改造計画を説明する役を仰せつかりました。夢の様な改造計画でしたから、全く信じてもらえませんでした。社長にビデオカメラを買って貰って、改造前と改造後の運転状態を記録しました。

 工事完成後に、現場作業員2名で十分操業出来る事は確認して貰えましたが、「運転時間の短縮は出来ていない」と言い張りました。ビデオ画面には秒単位の数字が表示されますので、皆さん渋々認めざるを得ませんでした。

 その後、ST社の他工場のワインダーも改造しました。そして、他の製紙会社からワインダーの改造だけで無く、NT社の技術力を見込んだ検討依頼が多数入る様になって、NT社は儲かる様になりました。 私は、高速フーリエ変換器(FFT)等をの計測器を買って頂いて、設備診断を始めたのですが、約束の金を払って貰えるケースは少なかったです!

 凄い振動の原因究明を依頼され、三日ほど掛けて「建物の強度不足が原因だ」と言う報告書を提出したら→→顧客が建物の補強をして→→振動は私の予想通り劇的に収まったのですが、1円も払ってくれませんでした。

 「知識や経験に金を支払う」と言う習慣が定着しないと、日本の産業の活性化は難しい様に思います。

画期的な機械の例❷ :紙綿製造機】
 1992年頃、古紙の価格が暴落して回収してもらえ無い地域が出て来ました。通商産業省(現在・経済産業省)から私が勤務する会社に、「古紙の新しい用途を開拓して欲しい」と言う依頼が有って、コンクリートパネル(コンパネ)製造装置を開発するプロジェクトが始まりました。

 私は、そのチームに貸し出されて「水を使用しないで、古紙を紙綿にする機械の開発チーム」のチーフになりました。1年間で開発を完成させたら、派遣元の部に返して貰う約束でした。期日前に完了してのですが、他のチームの開発が遅れたので、私の開発チームは「自分の好きな事をやって良いから全体の開発が完了するまで待機してくれ」と言われました。

 機械を『乾式古紙解繊機』と命名し、『エコパルパー』と言う商標を取得しました。エコパルパー単体で外販しても良いと言う許可を部門長(T氏)から得て、営業活動を始めました。直ぐに3社から引き合いが有り、一番熱心だった某社との契約書を作成し、T氏にサインを貰いに行くと、前言を翻してサインして貰えませんでした。半年程してT氏がエコパルパーを売れと言うので、営業活動を再開したのですが、契約書を持って行くと、またサインを拒否しました。 結局、コンパネ製造装置の開発は失敗したので、私の開発チームは解散して、エコパルパーは1台も外販出来ませんでした。

 大昔から山本百馬製作所がエコパルパーに近い機械を製造販売していましたが、解繊の原理を把握出来ていなかった為と思われ、騒音が激しく、電力効率が悪く、出来た紙綿も上質では有りませんでした。(その後、山本百馬製作所は倒産してしまいました。)

 アメリカに1社だけ乾式の古紙解繊装置を手掛ける小さな会社(A社)が有って、日本の大手製紙会社が1セット購入していました。導入時に大金を支払って、紙綿を販売した金の何パーセントかを永遠と払い続ける契約になっていました。A社はアメリカでも同様の契約をしていた様です。欧米では1社独占のケースで、製品の売り上げ金の一部を装置メーカーに支払う契約方式が有る様です。

 私が命名した『乾式解繊』では無く、『乾式離解』と言う用語を使った特許が近年取得されています。

(余談 :瑞光の販売戦略) 昔、瑞光(ずいこ)が画期的な『紙おむつ製造装置』を開発しました。引き合いが殺到した様ですが、『紙おむつ』の需要動向を調査して、『紙おむつ製造装置』の販売台数を決定していた様です。『紙おむつ』を作り過ぎると→→価格が低下して→→製造装置の価格も低下してしまうと考えたのです。

(余談 :エコパルパーの開発) :私は2019年8月10日~9月7日に『紙』について5回投稿しました。『エコパルパー』の開発については『紙の話し (その4)』を読んで見て下さい。

日本の活性化➍-3 :生産性、GDP、給与

2022-07-30 08:52:08 | 会社の活性化
【はじめに】
 今回は、生産性に関連する具体的な例を幾つか書きます。正常な状態で企業が競争して生産性向上に努力する事は極めて重要ですが、国家間の力関係で努力が報われない場合が有り、絶大な力を持った狂人によって、多くの努力が水泡に帰したケースも有りました。

【タイヤ製造装置と特許戦争】
 製造/販売している製品に関連する特許権を取得する事は、(先週投稿した『日本の活性化➍-2 :生産性、GDP、給与』に書きました)『付加価値生産性』をアップする事です。 販売数量が増えれば『物的生産性』もアップした事になります。

 日本にはタイヤ製造装置を手掛ける企業が2社有ります。 KS社はアメリカの会社から技術導入して始めました。MH社は独自に研究開発を進めて来ました。KS社の設計に私の友人がいたのですが、MH社と凄まじい特許戦争をしていました。(彼から私は特許の重要性を教えてもらいました。)

 KS社の本社の隣に、大手タイヤメーカー(B社)の本社工場が有り、ブロック塀で隔てられていましたが、自由に出入りの出来る小さな木戸が有りました。KS社のタイヤ製造装置の設計部隊は本社で勤務していました。B社のタイヤ製造装置は全てKS社製でした。

 KS社の設計担当者は、B社の操業状態を何時でも観察出来たので、改善すべき点を把握する事が出来、特許のアイディアが次から次へと湧いて来たのです。アメリカの技術提携先を当てにする様な状況では無くなっていました。ロイヤリティーは払い続けていたのですが、1975年頃に知人がアメリカに出張した時、技術提携先を訪問したら社員が数名しかいなかったそうです。既納機のメンテナンスとKS社からのロイヤリティーで細々と存続していたのです。(暫くして、KS社は技術提携を解除しました。)

 KS社とMH社は価格競争もしていたので、タイヤ製造装置では余り儲からなかった様です。然し、日本のタイヤメーカーが海外に工場を建設する様になったので、KS社とMH社はこの分野では世界的な会社になりました。

【アメリカの重電・重機械メーカー】
 「一つの分野で3社以上が競合するのが好ましい」と私は考えています。1社が50%以上のシェアを握ったら→→価格決定権を得る事が出来て→→会社の経営は楽になりそうです。 然し、会社が天国にいる様な状態になったら、製品の改良/コストダウン/コンプライアンス(法令遵守)/人材育成・・・何の努力もしなくなってしまいます。 会社は人間の集まりですから、生産性向上が要求される厳しい環境で生きていれば→→社員は逞しくなり→→会社は優良企業の一員になれます。

 戦後、アメリカには大型の電気機械と大型の機械を手掛ける会社が3社有りました。《ジェネラル・エレクトリック(GE社)、ウエスティングハウス、アリスチャーマー》

 業界一位のGE社と二位のウエスティングハウスが結託して(現在では違法な手段で)アリスチャーマーを潰しました。ウエスティングハウスは、「アリスチャーマーのシェアーを取り込もう」と目論んでいましたが、シェアーの多くはGE社が取ってしまったのです。存続の危機に陥ったウエスティングハウスは、原子力発電の研究開発に社運を掛けました。 その成功を見て、GE社も原子力発電を手掛ける様になりました。

 その後、ウエスティングハウスはジリ貧になって、1998年に原子力部門を売却し、1999年には全て売却してしまいました。 結局、巨大なGE社だけが生き残りましたが、近年・GE社の財務状況は芳しく無い様です。

 アメリカ人は(日本人とは真逆に)、日進月歩で技術開発が進む分野でベンチャー企業を興したり/発展させるのは得意ですが、技術が成熟した分野を複数抱える巨大企業を経営をするのは不得意の様に思います。 将来、GE社は軍需分野以外の部署を売却して、兵器廠になると予想しています。

(注記) アメリカは日本に次いで長寿企業の多いい国です。有名な長寿巨大企業に、USスチール(創業=1901年)、ザ コカ・コーラ カンパニー(1892年)、JPモルガン・チェース(1799年)、シティグループ(1812年)、ステート・ストリート(1792年)、デュポン(1802年)、プロクター・アンド・ギャンブル(P&G)(1837年)、ティファニー(1837年)、ファイザー(1849年)、アメリカン・エキスプレス(1850年)、エクソン・モービル(1863年)、シェブロン(1879年)・・・

【半導体の問題】
 1971年に入社して直ぐに、面識が無い、直属の上司でも無い重役から、「半導体の情報を集めて、定期的に報告書を提出しなさい」と指示されました。文献や資料を集めるだけで無く、テキサスインスツルメンツの商談会などにも参加しました。当時、半導体の価格が信じられないスピードで低下していました。

 1970年代、半導体産業はアメリカのお家芸の様になっていましたが、NEC、東芝、日立製作所が手掛ける様になって、急激に発展しました。1985年に半導体業界は不況になり、アメリカのメーカーの一部が撤退する状況になりました。1986年時点では、日本の上記3社は世界シェアの50%以上を握っていました。

 ロナルド・レーガン大統領が中曾根康弘総理大臣に強力な圧力を加えて、日本の半導体産業を潰しにかかりました。 そして、1986年9月に極めて不合理で不平等な『日米半導体協定書』を押し付けました。→→日本の半導体産業は殆ど消えてしまったのです。 この時、私は次の様な”悟り”を開きました。

教訓❶ :出る杭は打たれる!
教訓❷ :アメリカは独善的な国で、自国に都合の良い国際ルールを押し付ける。
教訓❸ :個人や企業が一生懸命頑張っても、国と国の力関係で努力が水泡に帰す事が有る。

 近年、半導体産業を復興させるべきだと考えた自民党政権は、台湾のTSMC社に懇願して、日本(熊本県)に工場を建設して欲しいと要請しました。ソニーグループ、デンソー、国が8,000億円用意して、工場が建設される様です。

(余談 :半導体の周辺技術と産業) 日米半導体協定書によって、日本で半導体を製造する事は難しくなりましたが、製造装置、検査機器、材料などの製造企業は生き残りました。 私が注目してきたのは『(株)SCREENホールディングス ;旧社名=大日本スクリーン製造』です。2021年時点の連結従業員≒5,900名、連結売上≒3,200億円もの企業に成長しています。

【鉄鋼産業の衰退原因】
 国賊と呼べる様な稲山嘉寛( よしひろ)氏の独断的な行動によって、多くの先人たちの苦労が水泡に帰し→→鉄鋼産業は停滞してしまいました。 鉄鋼産業に関連した企業の従業員・数十万人の給与は、その後殆どアップしませんでした。(私も犠牲者の一人です。)

 戦後、八幡製鐵と富士製鐵が中心になって、高炉の大型化に取り組みました。そして、重機械メーカーの協力で世界最高の一貫製鉄技術を確立しました。 60年代の後半には世界に誇れる超大規模な生産性の高い製鉄所が稼働する様になっていました。

 韓国政府(朴正煕大統領)は本格的な製鉄所の建設を目論みましたが、世界銀行等から資金が調達出来なかったので、65年の日韓基本条約で日本から手に入れた金の一部を流用し、日本輸出入銀行からの商業借款で浦項総合製鉄(現在のポスコ)を建設しました。

 製鉄所は機械が揃ってもノウハウが無ければ操業出来ません。ボンボンとして育った稲山氏は各種技術資料、(製作図を含んだ)設計図の重要性/価値を理解していなかったと思われます。新日本製鐵社内だけでなく協力していた会社の反対を押し切って、それらの図書を、無償で浦項総合製鉄に渡してしまいました。それらの図書は、(現在だったら)『1兆円以上』の価値が有ると思われます。(一貫製鉄所を一式建設する以上の価値が有ったと思います。)

 稲山氏は更に、中国の上海宝山鋼鉄総廠向けでも同様の愚行をしてしまいました。その後、中国は日本から入手した図書で沢山製鉄所を建設し、鉄鋼製品を安価に輸出する様になって→→日本の鉄鋼産業は停滞する事になってしまったのです。

★ 65年 :日韓基本条約
★ 68年 :韓国・浦項総合製鉄(株)設立・・・現在・ポスコ
★ 70年 :新日本製鐵発足・・・初代社長=稲山嘉寛→→会長(73年~81年)
★ 71年 :私は大学を卒業して→→鉄鋼会社に入社して→→機械部門に配属されました。
★ 73年 :浦項総合製鉄竣工
★ 77年 :中国・宝鋼集団の大型一貫製鉄所建設工事開始(上海宝山鋼鉄総廠)

(余談 :圧延設備の組立図) 74年頃に私の席の近くで、大ベテランの製図工が上海宝山鋼鉄総廠向け圧延設備の組立図を描いていました。圧延設備の長さは数百メートルにもなるので、A0のロール紙(幅914mm✕長さ30m)を使用していました。時々見学させてもらいましたが、完成まで1年程掛かった様に記憶しています。描いている時は一切話し掛けてはいけませんでした。一般に顧客に渡すのは組立図ですが、稲葉氏は部品の製作図も無償で渡してしまったのです。(渡した図書の量は、大型コンテナーで何台分も有ったと思います。)

【談合と生産性】
 100億円が適正価格のビルを談合して110億円で受注したとします。 GDPがアップします→→受注した企業の生産性もアップした事になります→→企業の利益もアップして→→社員の給与も上げて貰えるかも知れません。 昔は、土木・建築関係の会社が国や地方公共団体の仕事を受注する時には談合していました。(「現在もやっているのか?」は知りません。)

 談合を拒否する会社を皆が協力して→→叩き潰して→→政治家と結託して→→外国企業を入札に参加させない様に出来れば→→永遠に談合する事が可能です。

 談合は、生産性アップと同じ効果が得られますが、談合で成り立つ業界では、切磋琢磨して技術を磨いたり、コストダウン方法を考え出したりする必要が有りません。従って、国際競争力を高める事が難しく、世界的な企業に成長するチャンスを自ら放棄している様に思います。

(余談 :談合の対象) 談合の対象は国や地方公共団体だけでは有りません。 昔からの慣例で大手民間企業の一部も対象になっているケースが有ります。 私が勤務していた会社は、燃料、電気機器、電気工事、土木建築工事・・・等はそれぞれの業界が談合するので発注先を自由に選べませんでした。

(余談 :上水の談合) ダム建設を伴う上水工事は、談合がやむを得ないケースです。 ダムは計画開始から完成までに10年以上掛かるのが一般的で、20年掛かるケースも有った様です。 その間、毎年の様に計画が変更され、図面の修正が必要になります。私は昔、某ダムの非常用発電装置の担当をしていましたが、毎年!毎年!打合せをして、配置図を大幅に修正させられました。見積の段階で馬鹿に出来ない費用が発生するするので、メーカー側は談合して、1社が対応する事にするのです。

(余談 :談合の刑罰) 業者間(企業間)の談合は、刑法第96条(公契約関係競売等妨害)で「3年以下の懲役か250万円以下の罰金、またはその両方」が課せられます。 官製談合は、『入札談合等関与行為の排除及び防止並びに職員による入札等の公正を害すべき行為の処罰に関する法律(官製談合防止法)』第8条で、関わった職員に対して「5年以下の懲役か、250万円以下の罰金」が課せられます。

 私がまだ若かった頃の話です。「某業界の大手3社に談合担当部長がいて、定期的に集まって全国の案件を、3社のどの会社が受注するか決めている」と何故か?教えてくれる方がいました。次回集まる日、3社の談合担当部長の氏名と電話番号も教えてくれました。飲み友達3人で手分けして、正否を確認する事にしました。2人がドラマに登場する探偵の様に担当部長を尾行し、私は3人に電話を掛ける役をやりました。尾行された二人の部長は、同じ時間に同じホテルに入りました。電話すると、3人とも「ただいま外出中です!」との事でした。

 日本は有期懲役や禁錮の場合は、加重主義を採用しています。同様の犯罪を沢山犯しても大した刑は課せられません。談合は殆どの場合『確信犯』ですから、私は「アメリカの様に『加算方式』を採用すべき!」だと考えています。

 前述の談合担当部長達は、年間数百件以上の談合に関わっていたと思われるので、『加算方式』にしたら刑期は数百年になります。 談合担当部長に任命されそうになったら→→辞表を提出して→→サッサト退職する様になると予想します。 談合罪に『加算方式』を採用したら、談合は劇的に無くなるでしょう!