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皆さん、こんばんは!
プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと、青木公司です。
本日は「小学校3年生から4年生の夏休みだけに現れた僕の大切な城の思い出」についてです。
小学校2年生の夏前から小学校5年生の夏前まで僕は宮城県東松島市、当時の矢本町に住んでいました。
うちの父が航空自衛隊の松島基地に勤めていたからです。
その当時、松島基地の横の航空自衛隊の官舎に住んでいました。
自衛隊の官舎には元アメリカ軍の官舎だった平屋の洋館と、団地形式の建物がありました。
自衛隊の官舎というのは巨大な敷地で、芝生のエリアも多くあり、その洋館みたいな建物が十数個と団地のような建物がたしか8棟くらいあったのでは。
団地は4階建てで24家族ほどが
だから相当な人数がそこに暮らしていたのではないかと推測します。
小学校までは3kmくらい離れていたのかな。毎日、40分くらい、かけて通っていました。
国道沿いのちゃんとした道を歩くのがルールになっていましたが、そんな道、子供にはつまらないので、通学路は通らず、田んぼのあぜ道を通っていってました。
いたるところに道草して虫取りとかしましたね。
当時、僕はそろばん、習字、剣道などを習っていましたし、野球チームにも一時、入っていましたが、そんなことより、帰ったら近所の仲間を集めて野球をしたり(自衛隊の官舎には子供がたくさんいるので野球できる数などあっという間に集まる)、メンコしたり(毎日、150-200枚は勝っていて、問題になったことも)、コマをしたり、どろけいしたり、Sケンしたり、虫取りしたり(※クワガタやカブトムシなどわんさかいる)。
田んぼのそばの川でザリガニをとったりフナをとったり。
官舎の横にある自衛隊の中にフェンスの下をくぐって入って、落ちているテニスボールやらゴルフボールやらとりにいったり。
自衛隊のフェンス下くぐると、ワイヤーが引いてあるんですよ。それに引っかからないようにしないと、自衛隊の人が飛んできて怒られちゃう。 スリルでしたね。
木登りも好きで、巨大な松の木の10メーターくらい上の大きな幹のところに基地を作って、そこで休んだりしてましたね。
そんな僕が一番思い出に残っているのが、夏休みの間中、官舎の芝生に作った僕の城のことです。
僕の城。
それはテントです。
当時、自衛隊の官舎の芝生に、テントを張ってそこで時間を過ごすのが自衛隊の子供の間で流行っていたんですよ。
自衛隊の官舎は門に検問があるわけではないけど、一応、門があって、一種、隔離された空間で。
元々、僕の友人などがテントを張ってそこを秘密基地みたいにしていたのがうらやましくて。
そして僕もねだってみたら、うちの父と母が相談して買ってくれました。
そのテントを。
当時、自衛隊の官舎は2Kくらいのしかも部屋が隣り合わせの小さなもので、自分の部屋などなく、まさに自分の城を手に入れたようなものでした。
わくわくしながらはじめて、テントを自分の手で組み立てたこと、忘れられません。
ワイヤーを引っ張り、杭をうって。
完成したまさに僕の城でした。
そのテントに、蚊取り線香、サーチライト、ランプ、漫画本、ジュース、お菓子、お茶、寝袋を持ち込み。
そこに友人たちを招待する。
たまらない解放感でした。
夕飯までの時間をそこで過ごし、夕飯は食べに戻るのですが、またそのテントに戻ります。
他のテントにいる友人のところを訪問し、お菓子やジュースを交換し、漫画本をお互い、交換して貸し合って。
ドカベンや、キャプテンなどは友人から借りて面白さをしった漫画です。
時々、日にちを決めて、花火を持ち寄り、仲間と花火をしました。
夏の夜に美しく光る花火と、火薬のにおい、仲間とはしゃぐ楽しさは忘れられません。
また、宮城県矢本町には当時、蛍もたくさんいて、夏の夜に近くの田んぼのそばの小川近辺に見に行きました。
満面ふわーっと舞い上がる蛍の美しい光景は本当に美しい物でした。
そういう生活ができたのは2年間ですが。
あの夏の僕の城は今でも、僕が手に入れた城の中で一番のものだと思うのです。
実際、今の僕をこういう体験の一つ一つが。
支えてくれているのだと思うのです。
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プロ研修講師・プロコンサルタント・中小企業診断士のあお先生こと、青木公司です。
本日は「小学校3年生から4年生の夏休みだけに現れた僕の大切な城の思い出」についてです。
小学校2年生の夏前から小学校5年生の夏前まで僕は宮城県東松島市、当時の矢本町に住んでいました。
うちの父が航空自衛隊の松島基地に勤めていたからです。
その当時、松島基地の横の航空自衛隊の官舎に住んでいました。
自衛隊の官舎には元アメリカ軍の官舎だった平屋の洋館と、団地形式の建物がありました。
自衛隊の官舎というのは巨大な敷地で、芝生のエリアも多くあり、その洋館みたいな建物が十数個と団地のような建物がたしか8棟くらいあったのでは。
団地は4階建てで24家族ほどが
だから相当な人数がそこに暮らしていたのではないかと推測します。
小学校までは3kmくらい離れていたのかな。毎日、40分くらい、かけて通っていました。
国道沿いのちゃんとした道を歩くのがルールになっていましたが、そんな道、子供にはつまらないので、通学路は通らず、田んぼのあぜ道を通っていってました。
いたるところに道草して虫取りとかしましたね。
当時、僕はそろばん、習字、剣道などを習っていましたし、野球チームにも一時、入っていましたが、そんなことより、帰ったら近所の仲間を集めて野球をしたり(自衛隊の官舎には子供がたくさんいるので野球できる数などあっという間に集まる)、メンコしたり(毎日、150-200枚は勝っていて、問題になったことも)、コマをしたり、どろけいしたり、Sケンしたり、虫取りしたり(※クワガタやカブトムシなどわんさかいる)。
田んぼのそばの川でザリガニをとったりフナをとったり。
官舎の横にある自衛隊の中にフェンスの下をくぐって入って、落ちているテニスボールやらゴルフボールやらとりにいったり。
自衛隊のフェンス下くぐると、ワイヤーが引いてあるんですよ。それに引っかからないようにしないと、自衛隊の人が飛んできて怒られちゃう。 スリルでしたね。
木登りも好きで、巨大な松の木の10メーターくらい上の大きな幹のところに基地を作って、そこで休んだりしてましたね。
そんな僕が一番思い出に残っているのが、夏休みの間中、官舎の芝生に作った僕の城のことです。
僕の城。
それはテントです。
当時、自衛隊の官舎の芝生に、テントを張ってそこで時間を過ごすのが自衛隊の子供の間で流行っていたんですよ。
自衛隊の官舎は門に検問があるわけではないけど、一応、門があって、一種、隔離された空間で。
元々、僕の友人などがテントを張ってそこを秘密基地みたいにしていたのがうらやましくて。
そして僕もねだってみたら、うちの父と母が相談して買ってくれました。
そのテントを。
当時、自衛隊の官舎は2Kくらいのしかも部屋が隣り合わせの小さなもので、自分の部屋などなく、まさに自分の城を手に入れたようなものでした。
わくわくしながらはじめて、テントを自分の手で組み立てたこと、忘れられません。
ワイヤーを引っ張り、杭をうって。
完成したまさに僕の城でした。
そのテントに、蚊取り線香、サーチライト、ランプ、漫画本、ジュース、お菓子、お茶、寝袋を持ち込み。
そこに友人たちを招待する。
たまらない解放感でした。
夕飯までの時間をそこで過ごし、夕飯は食べに戻るのですが、またそのテントに戻ります。
他のテントにいる友人のところを訪問し、お菓子やジュースを交換し、漫画本をお互い、交換して貸し合って。
ドカベンや、キャプテンなどは友人から借りて面白さをしった漫画です。
時々、日にちを決めて、花火を持ち寄り、仲間と花火をしました。
夏の夜に美しく光る花火と、火薬のにおい、仲間とはしゃぐ楽しさは忘れられません。
また、宮城県矢本町には当時、蛍もたくさんいて、夏の夜に近くの田んぼのそばの小川近辺に見に行きました。
満面ふわーっと舞い上がる蛍の美しい光景は本当に美しい物でした。
そういう生活ができたのは2年間ですが。
あの夏の僕の城は今でも、僕が手に入れた城の中で一番のものだと思うのです。
実際、今の僕をこういう体験の一つ一つが。
支えてくれているのだと思うのです。
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