傘寿の真保守宣言

素人の政治、スポーツ、社会評論です。
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野田政権のぶれは酷い。解散して安定政権を望む

2012-09-23 15:56:16 | 日記
        野田首相のぶれは酷い。解散して安定政権を望む
1)30年代原発ゼロ戦略の決定
 野田首相は大飯原発の再稼動に際しては「原発はわが国のエネルギー政策上重要な位置を占める。原発なしで経済が持たない」と明言した。筆者はこの発言は適切だったと思う。
 しかし、各地で開かれた討論的世論調査で政府の予測だった原発15%案でなく圧倒的に原発ゼロが多かったし、それに呼応して各地の原発ゼロのデモが開催され、しかもこのデモは通常のデモと違い政治的な色彩はなく国民の気持ちの反映と報道された。政府はこの点を勘案したのだろう、「30年代に原発ゼロ」を戦略として決定した。ただ検討の中で原案の「30年までに」を「30年代に」と若干の変更はしたようだ。
 実はこの戦略は14日に決定されたが、前期世論調は査限られた時間内の討議に過ぎないしデモは国民の気持ちと言っても本質的に現在の感情におぼれる傾向があることを考えて産業界や外国の関係筋と専門的な協議をしたとは思う。公式発表を間近に控えて原発ゼロ戦略に一部ゼロ戦略と矛盾するような政策を付焼刃的に盛り込んだのもその結果だっただろう。例えば燃料再処理事業の継続がそれに当たる。その結果、今度は「もんじゅ」の廃止がこの継続とまた矛盾することになってしまった。結果として事前調査・事前協議が不足していたままの船出だったといわれても仕方がない。結局政府はゼロ戦略を幾つかの矛盾を孕んだまま表に出し閣議決定にかけると宣言した。
2)ゼロ戦略へ国内外からの反発
 ゼロ戦略の発表に対し当然産業界から猛反対が出た。経団連など経済3団体のトップが共同会見で原発ゼロ戦略の撤回を求めたのは異例だった。再生エネルギーの技術開発が不透明で恐らく電力料は戦略通りなら2倍に達し企業の国際競争力は低下し海外移転に拍車がかかり、それだけ雇用の喪失となる。わが国の経済力は落ちて国は没落の一途を辿ることになるから当然の抗議だ。中小企業からも多くの懸念・心配論が出た。長年原子力政策に努力してきた自治体も反発したし燃料の再処理事業に関係している青森県さえも戸惑いを隠さなかった。米国からは原子力に関する両国の共同行動に関して問われたし、わが国のプルトニューム蓄積を懸念するコメントが出された。IAEAを含め懸念するのは当然だ。更に使用済み燃料の再処理をわが国から受託している英仏両国も余りにも唐突な発表に驚き困惑した。
 戦略決定の翌15日に枝野経産相が大間原発建設続行を容認する方針を発表したが、これもゼロ戦略との矛盾を更に積み重ねることになった。
3「ゼロ戦略」・閣議決定から参考文書への格下げ
 結局政府は19日に「30年代に原発ゼロ」と言う戦略を閣議決定せずに「30年代に原発ゼロと言う戦略を参考文書にとどめ柔軟性をもって不断の見直しを行う」と言う声明を出した。戦略に条件をつけて参考文書に格下げしたのだ。これは明らかな後退だ。
 たまたま党代表選挙中だったので早速他の候補からは「後退だ」と非難されたが野田首相は「後退でない」と強弁で通した。正に「シロに変わったクロをまだシロだと言い張る」茶番劇に思えた。記者会見で応対した古川大臣は苦しい答弁で気の毒くらいだった。
 原発ゼロ問題には再生エネルギーの技術発展の予測を始めいろいろな不透明さがあるので今時間軸を含めて明確な結論を出すことは出来ないと思う。このその意味で参考文書は誤りではないが、この程度の内容ならわざわざ大げさに今の時機に喧伝する意味はない。何故政府は急いだのだろう。来るべき選挙に際して世論に迎合して「原発ゼロ」を訴えて票に繋げたいという魂胆があったと思えてならない。
4)変更を認めないミス
 政府はもう一つの大きなミスを犯している。この参考文書発表後政府は「後退でない」と強がりを言い続けていることだ。本来は戦略は破綻に等しいくらいなのだから撤回して出直すべきところだ。要するに政府は原発方針について周辺の反応をみて2度方針を変更した。これまで野田首相は前任者よりもぶれないと評価してきたが、今回の1件でその評価を落としたと思う。ここ迄主体性のない政権はもはや国民から信頼を得られない。早急に解散して新安定政権を樹立して欲しいものだ。