永田町劇場の珍舞台観劇記
1)はじめに
10月の総選挙では与党が野党、特に民主党のオウンゴールの失態があったため大勝した。安倍内閣の支持率がイマイチなのにその自民党が大勝と言う珍現象が起きたのだ。
2)前原元民進党代表のカケ
25日に小池氏が当時一見希望に満ちていた希望の党を自らが代表となって設立すると宣言し、同日安倍首相が28日に衆院解散するお明言した。都議選で小池氏に惨敗の映像が残り民進党が今のままでは再び惨敗と自覚した前原代表は一つのカケとして同じ思想の小池代表(右派で反共)を頭とする希望の党と組んで1体化すれば巨大与党に対抗しうると考えたのだろう。それのみが安倍政権打倒の手段だと。
野党第1党が自らの名を捨てて新党として戦うのは本来屈辱的な行動だが、希望の党が日の出の勢いに見えたのでその方が票に繋がると読んだのだろう。そもそも前原民主党元代表と小池希望の党代表の話の結論はどこまで明確になっていたのだろう。疑問が残る。二人の意思疎通の欠如が今回の混乱に繋がった第一の要因と思える。
3)民進党内の決議
前原氏は小池氏の排除論について少しは聞いていたがストレートに伝えると自分の構想が頓挫しかねないので、党内の会合での提案は「希望の党名での出馬は全党員対象だが若し希望の党として出ない人は無所属で出る」と言ったし「必ずしも全員がそう出来るということでなくその努力をする」という説明もあった。マイルドにやや曖昧な表現をしていた。しかし殆どもめないで承認されたという。大問題のはずなのに何故かくも簡単に決まったのか。民進党員も「今のままよりベター」と考えた人が多かったということか。
要するに前原氏は話し合いで上手く妥結できて大きな保守の塊が出来るだろうと踏んだのだろう。結果として甘かったということだ。
4)小池氏の発言からの混乱
ところが、小池氏が記者会見で「全員を受け入れる考えはサラサラない」「基本政策が異なる人は排除する」と明言しいわゆる踏み絵を準備して希望者にサインさることとなったから大混乱となった。踏み絵には民進党員がデモに参加して猛反対した安保法制の容認や憲法改正論が記されている。その中味は話によると原案が修正されてこじつければ民進党の思想に近いとも取れる表現になっているが。
民進党員には踏み絵のホンネを知って反発してサインを拒否した左派もいるが、もともと安保法制やむなしと考えていた右派は躊躇なくサインした。ただホンネは安法法制に反対だが、小池の風を頼った方が票になると判断してサインした人も何人かいたようだ。彼らは地元で反発を食って選挙中も選挙後も例えば安保法制はおかしいと言い続けている。彼らは失礼な言い方になるかもしれないが政治家として資格がないと思う。自分の思想信条を短期間に2度も曲げることは許せない。そのうちに何人かは脱党して立民党に入りたがるだろうが拒否されて無所属グループに入る人もあろう。
冷静に考えれば前原氏の「巨大与党に対しては野党が纏まらなければ勝負にならない」のも真実だし、小池氏の「思想信条の異なる集団が一緒に行動するのは政策集団でなく烏合の衆」というのも真実。失礼さを知って言わせていただければこれまでの民進党はこれに当てはまっていたと思う。(国の安全に関わる基本政策について意見の違う人が一つの政党にいた)
5)選挙の結果
議員懇談会では希望の党の名を唱えない人は無所属で出るという決議だったが枝野氏が新党を立ち上げた。これは党としての決議違反だが今になって殆ど問題視されていない。よく見ると立憲民主党にはせ参じた人は民進党の左派の実力者が殆ど。今回の選挙でも当選率は高い。
一方小池氏の希望の党は「さらさら」とか「排除」表現で逆風となった。希望の党の当選者で新人は1人で後は民進党のベテランの右派。小池代表がもう少し柔らかく立ち回れば民進党員の分裂のパターンは同じでもそれぞれの獲得票数は違って希望の党にプラスとなり、立民党への判官びいき票は減ったかもしれない。それは結果論。当時の小池氏は自信の塊りしかなく正に高ぶっていたのだからあの発言も首相を狙う一人の女性政治家として仕方がなかったと思う。当時は党代表として出馬も考えていたのではなかろうか。
選挙の結果は衆目の知る通りとなった。
6)各党の今後は
立民党の今後はどうなるだろう。70年前と内外の情勢は激変している。安保法制にしても中国や北朝鮮対策で日米同盟を更に強化して運営するためには数年前の取り決めのままでは通用しなくなっているということを考えれば、憲法改正や安保法制について今の党の考えはあまりにも硬直過ぎると思う。枝野代表は「俺は保守」と言うが、筆者には保守でなく寧ろ共産党との共闘に積極さがある所など社民党と類似に見えてならない。英国や米国のように2大保守党の政権交代を一つの政治の形と考える日本国民としては今のままの立民党ではついていけなくなると思える。
希望の党は今回の首班選挙でも党としてお粗末な対応しか出来なかったが、まだまだこれからの党だ。ただ玉木・福島・笠・細野など元民進党の右派の筋金入りが揃っているし近く前原氏も入るという。一段落すれば立て直れると思うしいずれ希望の党が野党第1党となると予測している。
無所属で出たグループも首脳級の大物ばかり。当面は民進党に留まるらしいが、どうなるかよく分からない。
7)おわりに
永田町劇場で前原氏の投げた石で野党第1党は自ら分裂し衆院選挙で巨大与党を安泰とした。彼は党内外から非難され責任を取って民進党代表を辞任したが、野党の中の右派、左派を明確化させ野党再編の引き金を引いた点で、国の政治のあり方を変革した功績はあったと思う。今回の民主党の分裂は日本の政治の歴史に残る事件だったと思う。
1)はじめに
10月の総選挙では与党が野党、特に民主党のオウンゴールの失態があったため大勝した。安倍内閣の支持率がイマイチなのにその自民党が大勝と言う珍現象が起きたのだ。
2)前原元民進党代表のカケ
25日に小池氏が当時一見希望に満ちていた希望の党を自らが代表となって設立すると宣言し、同日安倍首相が28日に衆院解散するお明言した。都議選で小池氏に惨敗の映像が残り民進党が今のままでは再び惨敗と自覚した前原代表は一つのカケとして同じ思想の小池代表(右派で反共)を頭とする希望の党と組んで1体化すれば巨大与党に対抗しうると考えたのだろう。それのみが安倍政権打倒の手段だと。
野党第1党が自らの名を捨てて新党として戦うのは本来屈辱的な行動だが、希望の党が日の出の勢いに見えたのでその方が票に繋がると読んだのだろう。そもそも前原民主党元代表と小池希望の党代表の話の結論はどこまで明確になっていたのだろう。疑問が残る。二人の意思疎通の欠如が今回の混乱に繋がった第一の要因と思える。
3)民進党内の決議
前原氏は小池氏の排除論について少しは聞いていたがストレートに伝えると自分の構想が頓挫しかねないので、党内の会合での提案は「希望の党名での出馬は全党員対象だが若し希望の党として出ない人は無所属で出る」と言ったし「必ずしも全員がそう出来るということでなくその努力をする」という説明もあった。マイルドにやや曖昧な表現をしていた。しかし殆どもめないで承認されたという。大問題のはずなのに何故かくも簡単に決まったのか。民進党員も「今のままよりベター」と考えた人が多かったということか。
要するに前原氏は話し合いで上手く妥結できて大きな保守の塊が出来るだろうと踏んだのだろう。結果として甘かったということだ。
4)小池氏の発言からの混乱
ところが、小池氏が記者会見で「全員を受け入れる考えはサラサラない」「基本政策が異なる人は排除する」と明言しいわゆる踏み絵を準備して希望者にサインさることとなったから大混乱となった。踏み絵には民進党員がデモに参加して猛反対した安保法制の容認や憲法改正論が記されている。その中味は話によると原案が修正されてこじつければ民進党の思想に近いとも取れる表現になっているが。
民進党員には踏み絵のホンネを知って反発してサインを拒否した左派もいるが、もともと安保法制やむなしと考えていた右派は躊躇なくサインした。ただホンネは安法法制に反対だが、小池の風を頼った方が票になると判断してサインした人も何人かいたようだ。彼らは地元で反発を食って選挙中も選挙後も例えば安保法制はおかしいと言い続けている。彼らは失礼な言い方になるかもしれないが政治家として資格がないと思う。自分の思想信条を短期間に2度も曲げることは許せない。そのうちに何人かは脱党して立民党に入りたがるだろうが拒否されて無所属グループに入る人もあろう。
冷静に考えれば前原氏の「巨大与党に対しては野党が纏まらなければ勝負にならない」のも真実だし、小池氏の「思想信条の異なる集団が一緒に行動するのは政策集団でなく烏合の衆」というのも真実。失礼さを知って言わせていただければこれまでの民進党はこれに当てはまっていたと思う。(国の安全に関わる基本政策について意見の違う人が一つの政党にいた)
5)選挙の結果
議員懇談会では希望の党の名を唱えない人は無所属で出るという決議だったが枝野氏が新党を立ち上げた。これは党としての決議違反だが今になって殆ど問題視されていない。よく見ると立憲民主党にはせ参じた人は民進党の左派の実力者が殆ど。今回の選挙でも当選率は高い。
一方小池氏の希望の党は「さらさら」とか「排除」表現で逆風となった。希望の党の当選者で新人は1人で後は民進党のベテランの右派。小池代表がもう少し柔らかく立ち回れば民進党員の分裂のパターンは同じでもそれぞれの獲得票数は違って希望の党にプラスとなり、立民党への判官びいき票は減ったかもしれない。それは結果論。当時の小池氏は自信の塊りしかなく正に高ぶっていたのだからあの発言も首相を狙う一人の女性政治家として仕方がなかったと思う。当時は党代表として出馬も考えていたのではなかろうか。
選挙の結果は衆目の知る通りとなった。
6)各党の今後は
立民党の今後はどうなるだろう。70年前と内外の情勢は激変している。安保法制にしても中国や北朝鮮対策で日米同盟を更に強化して運営するためには数年前の取り決めのままでは通用しなくなっているということを考えれば、憲法改正や安保法制について今の党の考えはあまりにも硬直過ぎると思う。枝野代表は「俺は保守」と言うが、筆者には保守でなく寧ろ共産党との共闘に積極さがある所など社民党と類似に見えてならない。英国や米国のように2大保守党の政権交代を一つの政治の形と考える日本国民としては今のままの立民党ではついていけなくなると思える。
希望の党は今回の首班選挙でも党としてお粗末な対応しか出来なかったが、まだまだこれからの党だ。ただ玉木・福島・笠・細野など元民進党の右派の筋金入りが揃っているし近く前原氏も入るという。一段落すれば立て直れると思うしいずれ希望の党が野党第1党となると予測している。
無所属で出たグループも首脳級の大物ばかり。当面は民進党に留まるらしいが、どうなるかよく分からない。
7)おわりに
永田町劇場で前原氏の投げた石で野党第1党は自ら分裂し衆院選挙で巨大与党を安泰とした。彼は党内外から非難され責任を取って民進党代表を辞任したが、野党の中の右派、左派を明確化させ野党再編の引き金を引いた点で、国の政治のあり方を変革した功績はあったと思う。今回の民主党の分裂は日本の政治の歴史に残る事件だったと思う。