MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

戦術家ハイドン

2012-07-13 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

07/13 私の音楽仲間 (404) ~ 私の室内楽仲間たち (377)



              戦術家ハイドン




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               傑作への誘 (いざな)




 今回は、まず[演奏例の音源]をお聞きください。

 曲は弦楽四重奏曲『皇帝』から第Ⅰ楽章の一部で、Violin
は私、Sa.さん、Viola M.さん、チェロ I.さんです。



 演奏は展開部の途中からで、スタート地点は[譜例
の4小節前です。



 [譜例
 



 この部分からは、何やら民俗的な雰囲気が感じられます。
"格調の高い" 弦楽四重奏曲には、不似合ですね。 この
唐突さ、一体何なのでしょう?

 さらに10小節すると、再現部に入ります。 おなじみの
[譜例]は、楽章の冒頭のものです。



 [譜例




 その最初のテーマ【Sol、Mi、Fa、Re、Do】ですが、ドイツ語の
【G、E、F、D、K】から来る "音名" である可能性が強いことを、
前回ご一緒に見てきました。




 この説が掲載された書籍、伊東信宏著 『ハイドンのエステル
ハージ・ソナタを読む』(春秋社2003年)も前回ご紹介しました。

 その27ページには、以下の記述があります。



 「ハイドンの音楽には、しばしば "ハンガリー的主題" が現わ
れる。 …(中略)… 彼が実際の民俗音楽を直接模倣しようと
したと思われるものもある。」 …(中略)

 「『皇帝』四重奏曲第1楽章展開部には、ヴィオラとチェロが
交互にアタックをつけて5度の和音を奏する場面が現われる
(第65~75小節)。」

 「これは明らかにハンガリー語で "デューヴェー" と呼ばれる
民俗的奏法の模倣である。 現在のいわゆるジプシー・バンド
で、"コントラ"、"ベーゲー" と呼ばれる伴奏楽器が、ダウン・
ダウン・アップ・アップという弓使いで奏する重音の伴奏が
それだ。」



 [譜例
 



 なるほど、だからチェロのパートには、"一弓" を表わす
"スラー記号" が書かれているんですね! "鮮やかな
切れ味" より、"重ったるい泥臭さ" が感じられます。

 "ベーゲー" は、ルーマニアでも見られる民俗楽器で、
構え方は Viola に似ています。 となると、"コントラ" の
ほうはチェロ型の楽器?



 でも、実際にこのとおりに演奏するのは、かなり難し
そうです。 特に、"一弓で4音符" を弾くのは。

 また Viola との間には、不一致が見られます。




 ただし、ここで見られるスコアには信憑性がありません。
ハイドンの弦楽四重奏曲の場合は、スコアの自筆譜が
「ほとんど残っていない」と言えるでしょう。

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 「ハイドンは、二つのパートにスラーを記した。 ところが
Viola奏者は、"弓を毎回返す"  方法を選択した。 その
ときのパート譜からスコアを再構成したため、この不一致
が起こった。」 …という推測も成り立ちます。




 さて、前回ご一緒に見た箇所ですが、続く28ページには
以下のように記されていましたね。

 「"" を表す付点のリズム、"行軍" を表すピリック
脚韻(戦闘の象徴)、そして "貴族" を表すトリルが、この
テーマを取りまく。」



 そして、今回は新たな記述がこれに続きます。

   「だから、展開部での "ハンガリー風" の音楽も、
  ナポレオン軍と戦っているハプスブルク軍を支援し
  て立ち上がったハンガリー貴族たちを表象してい
  るとみることができる、というのである。」

 これは前回ご紹介した、ラースロー・ショムファイ教授の
論文の内容でしょう。




 この『皇帝』四重奏曲が作られたと考えられるのは、1797年。
ナポレオンは春にイタリア方面からヴィーンに迫ると、危機感を
募らせたオーストリアと、秋には有利な条約を結び、多くの領土
を得ました。

 オーストリアは当時は神聖ローマ帝国で、治めるのはハプスブ
ルク家。 その世襲領の一つがハンガリーでした。 ハンガリー
の貴族たちと皇帝権力は、言わば運命共同体。 ナポレオンの
脅威を前にして、一致団結せざるを得なかったのです。



 イギリス旅行を終え、ヴィーンに落着いたハイドン。 その
最初の大仕事が『皇帝讃歌』でした。 曲は1797年2月12日、
皇帝の誕生日に初演されると、同年中にはこの四重奏曲も
完成したと考えられています。

 そのハイドン、かつてはエステルハージ家に仕えていました。
ハンガリーの大貴族です。 すでに楽長の地位は一旦辞して
いましたが、その後も関係は保たれています。

 勝手知ったるハンガリー農民の音楽を取り入れ、大地を跋扈
する勇猛な貴族たちをここで描写したとしても、確かに不思議
ではありません。



 生涯のほとんどを通じ、主君に仕えるために音楽を書いていた
ハイドン。 自己の忠誠心を、その本懐たる作曲活動で示そうと
したのでしょうか?

 もしそうなら…。 譜面を一瞥しただけでは真意を捉えにくい、
並々ならぬゲリラ戦術家です。




 ところで、[譜例]のこの部分の調性は?

 ホ長調ですね。 ドイツ語で "E-Dur" です。

 "エステルハージ" の綴りは "Esterházy" ですから、"ホ長調
の音楽" と無縁とは言えません。 それとも民俗楽器の低弦が
"E線" だった?

 それに、楽譜の練習記号 (Buchstabe) までが "E"。 これは
まったくの偶然ですが。








 ただ、細かく検討してみると、不明な点も残ります。



 「"王" を表す付点のリズム、"行軍" を表すピリックの
脚韻(戦闘の象徴)、そして "貴族" を表すトリル。」

…と書かれていますが、ここにあるのは付点のリズム
なので、"" です。 "貴族" ではありません。



 でも "王" と "貴族"、どう違うの?

 あるいは、"王" とは "皇帝" のことなのでしょうか?




 それともこの音楽は、やはりハンガリーの大地を闊歩
する、ハンガリー貴族の様子なのでしょうか?

 この付点のリズム "D" は、私にはどうしても "騎兵"、
あるいは "進軍の轟き" に聞えてなりません。




 "付点のリズム" は良しとしても、まだ謎が残ります。

 "行軍" を表すピリックの脚韻(戦闘の象徴)?

 そして "貴族" を表すトリル?



 私の手には余りますが、一体どうしたものか?



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