おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

さぶっ!

2011年09月24日 07時13分47秒 | 日記
今朝も一年でもっとも快適と思われるような天気で明けた。

高地にいると気温が急激に変化する。昨日はニュースで阿蘇山上ではストーブが入ったとか・・・気温6度、サブッー

心臓が弱いせいか気候の急激な変化に体が対応できないようだ。

まだ本格的な衣替えをしていないので股引や長袖下着を出していないので、パジャマのズボンを2枚穿いて、上はパジャマにフリースを着用した。

布団もまだ出していないので、毛布、タオルケットなど4枚重ねた。靴下まで穿いてー

今朝の気温は18度。初めて20度を下回った。

この天気だが日中は暑くもなくかといって寒くもないので、実に暮らしやすい天候だ。

空気が澄んでいるので、五岳がとてもよく見える。

きれいな空から隕石じゃなくて、宇宙船の破片が落ちてくるらしい。

人間に当たる確率まで報道していた。

自業自得ってやつだ

宇宙には廃船になった人造物が無言で漂っているのだろう。なんとも不気味な話ではないかー

この美しい青空の向こうには、幽霊船が捨てられ、行き場をなくして漂っている。

人間の夢を乗せて飛び立った宇宙ロケット、時が経ってば単なるゴミとなって消えもせず増えていくばかり。

夢が夢を壊しているようなものではないかー

落下物に当たっては困るのだが、近くに落ちたら(我が家の敷地か畑に)きっと「ブツ」はとんでもない価値を持つのではないか。

そしたら「億万長者」だ。

この村に面白い神社がある。

名前を聞いただけで「笑いが取れる」。

ほげほげ神社

ここにお参りすれば宝くじが当たるという評判で、他県からも押しかけてくる。

神社そのものは由緒もなにもない、普通の人が最近作ったらしいのだが、誰かがくじに当たったのだろう・・・

こういう神社があるのだから、今日は一日中空を見上げていよう

写真は外輪山の羅漢山の頂上洞穴。

台風一過の秋晴れ

2011年09月23日 06時45分46秒 | 日記
今朝はこの一帯冷気に満ちている。

台風が秋を連れてきた感じだ。

一気に寒くなった。

夏の間、ちょっと作業すると汗びっしょりになって、一日何度となくシャワーと着替えが必要であった。

昨日もいい天気だったが、畑仕事をしてもあまり汗を掻かない。

昨日は一度も着替えなかった。

もちろん昼食前にシャワーもしなかった。

まだ木々の葉の色も緑が中心だが、次第に色付いていくのだろう。

畑の大きな面積を占めていたゴマを収穫して、その後を片付け、石灰をふり、肥料を入れてタマネギの準備を終えた。

ゴマは採り入れた後が大変。

葉を落とし、適度な長さに切って、日中陽に当てる。

2,3日もすると枯れてゴマが弾け中からゴマが零れてくる。

集めたゴマを何度も洗い、ゴミを取って天日で干すのだ。

今年は黒ゴマが多く、白が去年の量(4合瓶一本位か)、黒は1升ビン本以上になりそうだ。

いいゴマができた。

台風の前後に植えたものは春菊、秋大根、カブ、冬菜、ホウレン草、ニンジン。

一度植えても雨(台風の)で流され、再度植えたものもある。それでもニンジンの芽出しは難しい。

大根は間引きを思いっきりしなければとバサッと抜くといっぺんに抜けてしまう。ピンセットで抜いていくのかなあ・・・

秋ジャガは自作の春ジャガのうち小さいのをイチかバチかと植えたのだがやっと芽が出てきた。

ニンニクも自製の小さな小さなニンニクを植えた。これも失敗を覚悟で挑戦した。

しかしちゃーんと芽を出している。

この辺りが百姓の醍醐味といえるかもしれない。昨夜はモロッコ豆をご近所に配り、我が家でも天ぷらにして食べたのだが味がなくちっとも美味しくなかった。

親切の押し売りみたいでごめんなさいね

晩夏に植えたキュウリがそろそろ実を付ける。ぎりぎり間に合ったみたいだ。

今年のナスもいいのができた。

昨夜のメニューはゴーヤの味噌和え、焼き塩鯖、ナスの浅漬け、それと「味なしモロッコ豆」。

一昨夜も畑の野菜だけで動物性たんぱく質は何もなし!!

これじゃあ痩せるばっかしと思いきや、さにあらず体重不変なり

そろそろ大葉(青と赤の紫蘇)の実の収穫が近づいている。

これは紫蘇の実漬け用。お隣のHさんから教えてもらった秘法だ。

これを炊きたてのご飯の上にかけて「紫蘇の実丼」にしたら例えようもないほど美味い。


悔やむのは黒に幾分か白が混じっててしまったこと。






阿蘇を追うー山岳宗教はどこへ

2011年09月21日 06時50分51秒 | 日記
今朝はコヌカ雨が降っていて、「山=阿蘇」は雲に覆われて姿を隠している。言うまでもないことだが、未だ台風の影響下にある。

こんな台風が今まであっただろうか?日本に近づくにつれてどんどん成長している。昨夜950mb最大風速50mという台風情報であった。

これがこのまま上陸したら大変な被害が予想される。特に紀伊半島が心配だ。土砂ダムが決壊しないかどうか下流域に住む住民は不安で居ても立ってもいられない状況だろう。

今年は3・11だけじゃなくて余りにも天災(人災も含め)が多い。天が人間の貪欲と傲慢さに業を煮やして、秘めた威力を無力な人間に見せ付けているようだ。

被害が最小であって欲しいと心から祈るばかりー

さて、阿蘇に移り住んで1年半。少しずつ生活に慣れてきたのだが、同じ県内に居住していても阿蘇のこと知らないことばかり。
今必死に地元の南阿蘇について本でフィールドワークで学んでいるところだが、その範囲を南郷谷から阿蘇谷の方まで拡げないと阿蘇を理解したことにならないのでは・・・と先ずは阿蘇山の山岳宗教を勉強することにした。

簡単な説明の文章はガイドブックに載っているので概説的な知識はすでに仕入れている。

人間は火を噴く火山、人を寄せ付けない険しい高山に対して畏敬(その字の通り恐れと崇敬)を持ってきた。
火山は時に大暴れする。有明海を隔てている島原の雲仙普賢岳の火砕流はその実体験が鮮やかな記憶となって在る。

3時頃だったか急に熊本市内は暗くなって「濃霧」に覆われたようになった。そして細かい粉塵が土地を覆いつくした。仕事を終え帰る頃には車はその灰で真っ白。家に帰り着くと、新築の家の白壁はこの灰が付着して黒くなっている。これを慌てて水道からゴムホースで引いた水をぶちまけ洗い流した。

この時に火砕流で40人ほど亡くなっている。

江戸時代には「島原大変、肥後迷惑」の事態が生じている。やはり普賢岳の火砕流が有明海に流れ込んで大きな津波を起こし、向こう岸の肥後の海岸部を襲った。妻の実家がある「近津」村も大きな被害を受けているのだ。

こういうアンビリーバブルなパワーを持っている火山への恐れは信仰へと発展していく経緯は理解できる。

この南阿蘇村にも多くの「鎮火」にかかわる祭りが残っている。



この山に対する自然神崇拝と修験道が結びつき、さらには阿蘇開拓の神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」を奉る神社信仰、天台禅の修行者、これは今読んでいる山折哲雄や久保田某の日本の仏教・信仰に関する本で学んだことだが、浄土教との繋がりもあるのではないかというところまで知った。

阿蘇の山岳信仰は歴史的に、政治に翻弄されて紆余曲折を辿ることになった。1000年も前に山上で栄えた88の坊舎(古坊中)が薩摩嶋津と豊後大友氏の戦さで潰え、加藤清正の時代になって麓に再建し西厳殿寺(延暦寺系)を中心として36坊の寺と修験者が生活する52の庵が作られたという。これが今の阿蘇駅周辺に一部残っている。

神仏習合の経過や明治の廃仏毀釈で88の坊庵が破壊されていくのだがその詳しい歴史的な事実経過を知りたい。

先日、村役場に行って、阿蘇の歴史書として一番身近にある「町史」を借りたいと申し出たのだが、受付では分けの訳の分からぬ対応で借りることができなかった。置いてあるはずなのに職員はそれを知らず、それは「阿蘇町」に行かなければいけませんとすまし顔で答えた。

私もこれで堪忍袋の緒が切れた。引っ越してきて1年有余地元のことを学びたいという村民に対してその横着な態度は酷すぎるぞ!もういい!!といって怒って帰ってきた。

しかし、小さな村とはいえ文化レベルが低すぎる。部厚い町史や村史を個人が買うには高過ぎる。すでに無収入の身ではあり、どうしたものか?

春にこの村の3村合併前のそれぞれの村史は合計7冊読んでいるし、ノートも取ったのだが同じ「阿蘇郡」内で阿蘇の今では市だが以前は町だったので町史がある筈で、南阿蘇村にも公的機関には置いていると思うのだがー誰も読まないのだろうか?

来年にはしっかり現地調査もして、健磐龍命を第1神として祀る阿蘇神社を含めて情報を精しくし入れなければならないと思っている。そしてできれば論文に仕上げたい。

「闇の子供たち」の衝撃

2011年09月20日 07時18分09秒 | 日記
今朝は小雨が降っていて、現在朝の7時過ぎだが、まだ暗く夜が開けやらぬという感じだ。

昨日は家内の実家でずっと本を読んでいた。

梁石日という作家がいる。強烈な個性をもった作家でこれまで何冊かの作品を読んでいる。好きな現代作家の一人だ。

本屋でこの人の読んだことのない変わった装丁の本があったので購入。ブックカバーのイラストが少し恨みの篭った様な眼差しの肌色の浅黒い少年が描かれている。表題は「闇の子供たち」。

長編だが、読み始めると前半部分が強烈。これでもかこれでもかという東南アジアの微笑みの国タイでの幼児・児童売買と買春の実態が執拗に描かれている。

梁の粘着質でギトギトとしたドギツイ表現で闇の事実が発かれる。タイ駐在の白色系、日本人などの商社マンが闇のルートで幼児を買いに夜な夜な訪れ、札束をきって幼い子供とのセックスを強いる。

これに現地の人権団体が実態究明と即刻闇で飼われている子供たちのいのちを救おうと立ち上がる。この中に日本人や多国籍の人間がいて人権保護活動をしている。

しかし、子供はタイの辺境地から貧しさゆえに親が積極的に人買いに僅かな金で手放している。売った代金は翌日には中古の冷蔵庫やテレビに変っている。

そしてタイ国内のマフィアの手に渡り、買春宿に売られていく。そこではいうことをきかないと体にタバコの火を押し付けて脅迫し、地下室に監禁されろくな食料も与えられず、客を取らされる。

いつか知らずエイズに罹り、ボロ雑巾にように生きたまま黒いビニール袋に詰められ、闇に葬られていく。

まさかこの本が映画になるとは予想外だ。映画化するのにやはりひと悶着があったらしい。

飽食豊満ニッポン、安全清潔な国でノウノウと生きている日本人が文化の遅れたタイ(現在は旧速度に工業化を進展させているものの格差は一段と深まっている)の闇=恥を暴いていくことに当地からクレームが来ないはずはない。現地で活動していてヤバクなったら、飛んで日本に帰ってくる。自分の身を常に安全な場所に身を担保しながら、実態を暴露する。

ドキュメントの現実なんだろうけど、幼児売買春のテーマとともにもう一つの深刻な問題でもあるだろう。

これを読み終えたので昨夜から「万葉集」を読み始めた。



今日は街に出ようかな?

2011年09月19日 07時29分02秒 | 日記
朝から明るいお日様が照っている。

白内障手術で入院いていた義母が今日大学病院を退院する。

丁度1週間の入院だった。兄妹は4人、妻は次女だが、義母が一番頼りにしているので、入院中は毎日病院に通っている。

私の両親が老いてからその介護のために「ヘルパー2級」を取っている。世話がじつに行き届いているのだ。体の衰えた老人が頼りにするはずだと思う。

病院に行って、実家まで送って行ったも時間があるだろうから、久しぶりに街を歩こうかな
中高年の「街中デート」だ

行くところといってもデパートしかないのだが・・・それもデパ地下食料品売り場とお酒売り場。

私は芋焼酎党で日本酒は飲まないのだが、妻は断然酒党

今朝台所を見たら、こっそり頑張れ日本のラベルが貼ってある福島のなんとかいう日本酒の4合瓶があった。

偶には安い赤ワインを買うこともあるけど、殆ど買い物はデパートではなく帰りにスーパーに立ち寄って冷凍物の秋刀魚、鯖、肉といってもしっかり凍らせた鶏肉など安価な食品を買い入れる。

野菜なら殆ど買わないで自分の畑から収穫すれば事足りるので、ないものは魚・肉・牛乳・果物・味噌汁用の豆腐・油揚げそんなものか・・・

妻と語るー買い物はないけれど、偶には「目の保養」こんな表現もする、「目の正月たい!!」