おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

「農事」メモ

2013年10月31日 07時10分43秒 | 日記
急に寒くなった。

日に日に気温が下がっていく。すでに暖房を入れ、布団も冬仕様に様変わり。

こうなるといつ霜が降りるかわからない。

畑作をしている人にとって「霜」が一つの転換期。夏作の「生き残り」=トマト、キュウリ、ナスビがまだ生えているが霜が来たらだめになる。実が硬くなり葉っぱが枯れる。

昨日は里芋を全部掘った。



去年は掘り上げた芋を保存のために深い穴を掘り、藁を敷き詰め芋を入れさらに藁で覆って、覆土した。こうしないと霜で芋がやられ食べられなくなる。ここは外輪山中腹高度450m。冬の寒さが厳しいのだ。

ところが仕様が大袈裟なので料理に使う時、いちいち掘り上げるのが面倒で困った。それで地元の人から知恵を頂いた。

芋は深く掘らないでそのまま藁を被せ覆土したら大丈夫とのこと。

そこでこれまでの学習してきた知識と教えてもらった「知」を利用。収穫した。



大きく育った茎を根元から切り、マルチを外す。そしてスコップで掘り上げる。意外に実をつけていた。

そして赤芋(赤芽大吉)と白芋(石川)をしっかり分け、全部集める。

そしてその畝ではなく、別の空いている畝を真ん中に芋を入れるために畝を左右に分けていく。その底に藁や雑草をしっかり敷く。そして間隔をあけて芋を置く。芋は親芋を中心に小芋がくっ付いている。ダンゴ状の芋を裏返しにして置く。

そして覆土。そして使用済みのマルチを乗せ、私は先日掘った唐芋のつる(つるボケしていっぱいあった)をその上に被せた。さあこれで霜から守られよう。

昼は掘った里芋の味噌汁を食べたがその美味さに「まさお感激!」

明日は予約しているタマネギの苗550本が手に入る。明日も一仕事だ。


人間ってやっぱり難しい・・・

2013年10月30日 07時37分33秒 | 日記


村に越してきて2年有半。

現役を退いてまず考えることは貧しくとも健康で心豊かに過したい

そこで村に出来たばかりの「地域型スポーツクラブ」である『クラブ南阿蘇』に入会して活動を始めた。

このクラブには10余のサークルがありその中で「男の料理遊び」、「登山クラブ」、「ウォーキングクラブ」に入った。

年会費3000円。夫婦で入る場合は5000円。

ここで多くの友人と出合っていろんな楽しい経験を積んできた。

ところが次第に見えてきたことがある。

このクラブってどんな運営をしているのだろう?会長だけは時々顔を見せるので知ったけれど、後組織がどういう風になっているのか皆目わからない

会計報告さえ行われないし、総会の案内もないので開かれていないようだった。当然事業計画、予算、そして年度末の総会での事業報告、会計決算と監査も行われてこなかった

それで少しずつ問題化し、ついに今年の夏村の教育委員会が強行介入して(それまで随分指導してきたというのだが会長他言うことをきかなかったらしい)臨時総会を開催。

総会だから全員出席する権利がある。当然出席した。そして初め黙って聞いていたが怒り心頭に発す

会場の前列に座っている役員らしい人たちの間で意見の対立が起こり口喧嘩?を始めた。この人達前に座って偉そうな顔をしているけれど自己紹介すらしないし、司会者も紹介なし!何しろ初めてきちんとした総会なのに・・・

発言「あなた方は役員だと思われるが、私達はその対立=意見の食い違いがまったくわからない。総会が初めて開かれて会場に来た会員を置き去りにして、対立しあっているのは実に見苦しいと思います。きちんと説明をして欲しい

クラブの中に対立があることがわかった。

そして以後、クラブの現状を改革しようという機運が起きた

まず組織運営を明確化し、活動を公明正大に会員全員に周知徹底できるよう総会を開き、役員会でどのような話し合いが行われ、会費がどのように使われているか報告をして透明にしていこうとー

この動きでどんどんクラブが変わってきた。しかし一方で旧来勢力=旧役員とそれに影響されている幾らかの人員が挙ってクラブを脱退。別組織を作るという方向に走った。

会長、旧役員や一部の指導者が一斉に脱退したのは背景がある。この村が3村分立状態にあったときK村に総合スポーツ型クラブが作られ、3村合併と同時にその旧クラブも含めて「クラブ南阿蘇」を結成し、今まであった某クラブが解散して吸収され全く一つのクラブとしてスタートした訳ではなく、某クラブはそのまま「クラブ南阿蘇」に残っていた。

ここに問題の種がある。この時しっかり村やリーダー達が話し合いを行い、完全に一つのクラブとしてスターとしていたならば問題は起きなかった。

某クラブ系の会長や各員は任期途中で引継ぎの挨拶もなしで脱退。この人達に率いられている一般会員がどうすればいいか迷っているのが現状。

1万人余の小さな村で同じ志向性をもったスポーツクラブが二つも並立しているのは可笑しいのだが、哀しいかな今のところ統一への動きはない。

高齢化社会の現実

2013年10月29日 07時12分05秒 | 日記
まだいたアサギマダラ!

昨日、父方の義理の叔母が亡くなって葬儀に出席してきた。

御歳99

亡くなる少し前までは庭の草むしりをするくらい元気だったという。

私の父が84、母が89で亡くなっている。昔地域医療を担っていた医者の叔母が今も元気で91歳。

妻の父が87、母が88歳。米寿の祝いをしたばかり。

田舎にいると会う人あう人私達団塊族を含めると殆ど年寄りばかり。但し現役を退いて付き合いがこの年齢に偏っていることもあるが・・・

その義理の叔母が亡くなる直前に申し込んでいた老人施設にやっと入れ、そこで生き生きと活動していたという話を聞いた。

申し込む時に100人待ちという返事だったという。

ところが3ヶ月ほどで施設から連絡があって「どうぞ!」という。

考えてみると100人待ち状態が2,3ヶ月で空きが出来たということはこの2,3ヶ月で100人が亡くなったということだ。

ナンダカナア・・・

さてこの国の福祉行政。これからますます高齢化が進んでいく。私が10年すれば73、東京オリンピックの時丁度70だ。

20年生きるかどうかわからないがそうすれば親父の寿命に近付く。この団塊世代がぞろぞろいるのだ

老人の介護施設の現状は需要に供給が全く追いついていない。これがさらに高齢者が増えてくのだから薄ら寒くなる。

一方で生産活動の主翼になる若者の数は少なくなっている。社会構造が逆三角形になっているので底辺が薄く弱くグラグラしてしまうのだ。

産めよ増やせよといったって、雇用も賃金も安倍さんの威勢のいい言葉と裏腹に全く増えていないのが現状。見ている現実は一部の大企業。多くの中小は冷え切ったままだ。

昨日帰りに道路工事が行われていて渋滞していたが、見ると現場で交通整理をするために指揮棒を握っている男達は皆70を優に超える老人ばかり。この人達は恐らく厳しい肉体労働に従事しているの拘らず自給は7,800円ほどではないだろうかー

地域の若者の雇用状況を見える範囲少しだけいえば、あるのはガードマンや介護職、コンビニの安アルバイト・・・

なんだか気持ちが重ーくなってきた。

天気がいいので暗い話はこれで御終い。今日はカライモを掘ってみよう

我が家の皇帝ダリアは時間との勝負!

2013年10月28日 07時24分27秒 | 日記


朝起きて先ずやることは「霜」の有無。

今朝は大根の葉っぱがやや白く光っているような・・・土はまだ大丈夫だが・・去年が11月1日初霜が降りているので明日か明後日かー

霜が降ると畑の様相が一変するだろう。昨日地元の人から伺ったのだがピーマン、冬瓜は霜が降ったらだめになるという。

まだピーマンが頑張っているし、ナスビだってまだたくさん実をつけている。

遅く植えた一苗のキュウリも5本実をつけている。冬瓜が最後の実を1個。ソフトボールほどの大きさ。

「つるボケ」里芋の茎も今や倒れんばかり。

この霜で一番気に懸かっているのが「皇帝ダリア」。畑の隅っこに植えたものだが去年も花芽をつけていたのに霜でやられた。

今年も肥沃な土でよく育ち、今や4,5mの背丈。そのトッペンに花芽が付いている。そして今ツボミ状態になっているのだが、夜から朝方にかけての低温と霜に全く歯が立たない。

まだどんな花を開くのか見たことないので是非今年こそと思っているのだがー

ダリアというからあのダリアのような花なのだろう・・・?

そうだニンニクが芽を出してきた。一畝、2条植えにしたのだが毎日数えて今朝で30本。本当は100近い数を植えている筈だが(ここが小生の「ウーバンギャー(ズボラ)」なところ。数を正確に覚えていなし記録さえしていない!)-

先日、友人から作りたての「蒟蒻」をもらって食べたのだが、やっぱり市販の奴とは全然味が違う!!

一度習った調理法だが忘れた。





作物の方は今年で3年目のコンニャクイモがある。(まだ土の中)

そろそろ山芋、ヤーコンも収穫時かもしれない。

田舎暮らしの一番の楽しみだ

読書録ー福元武久と真保裕一

2013年10月27日 07時36分55秒 | 日記


真保裕一の『密告』(講談社)が面白かった

警察署内部の暗部と告発者。

告発者には警官でありピストルの国内有力選手。次のオリンピックを目指している。

ライバルの上司にどうしても勝てず、ついに「不正」を密告する。

その密告が上司の軽い処分で済まされると同時に、密告者が発覚。

職場内で厳しい立場に置かれる。

そしてさらなる密告。

主人公は窮地に立つ。実に覚えのない告発の真相を形振り構わないで追跡していく。

この背筋がゾクゾクする様な緊張感が堪らない。真保はこういう人物の心理描写が細かくて実に巧みだ。

俵山山頂からの眺め

もう一冊。古本屋で見つけた福元武久の『小説・新島八重 会津おんな戦記』(新潮社出版)。

テレビで放映されていて毎週見ていることもあって購入した。

内容は戊辰戦争で会津が敗れ、城明け渡しまで。

TVで見ている所為か、目新しい記述はなくあまり感動のない凡作だった。

テレビで本でもこの山本家のあり様について二つ心に引っ掛かることがある。

それは八重と尚之助との別離。会津落城の際、藩士は僻遠の地斗南に追いやられていくのだが、他藩から支援のために会津にいた武士は江戸=東京へ送られる。その時に尚之助は必ず会いに来てと懇願するのだが妻の八重はこれを拒否している。なぜ戦後になっても八重が頑なに復縁することを求めなかったのかー

京都の兄のもとに馳せ参じ、兄の助力をするのだが、なず深く傷つき病んだ尚之助を助けようとしなかったのか?

それに覚馬の嫁。うらは娘のみねを京都の兄のもとに送りながら、自分は夫のもとにどうしても行こうとしなかった。もしかしたらうらは覚馬が京都で愛人と暮らしていることを人伝に知っていたのかもしれないけれど・・・

テレビで長谷川京子?はとても可哀想で泪を誘った。