おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

南郷谷の仙人のテレビ時評

2011年09月18日 07時14分08秒 | 日記
退職して、時間が有り余るほどになった有閑生活に入ったけれど、暇に任せてTVに「首っ丈」状態にはなっていない。

現職の時というかもっと若かった頃の方がTVに釘付けだったような気がする。

古くて申し訳ないが「巨人大鵬卵焼き」時代、NHK「お笑い三人組」、「てなもんや三度笠」、「夢で会いましょう」
「月光仮面」(オヤジのサングラス借りて、風呂敷を覆面にして板で作った拳銃をもった写真が残っている)、「名犬ラッシー」というアメリカのドラマ、時代が下って「刑事コロンボ」、「ザ・モンキーズ」、「8時だよ、全員集合」も毎回見た。そして映画の名作劇場もよく見たものだ。

巨人の黄金期、古くはピッチャーの藤田がいて、大好きだった顔は不細工だったがだから親近感があった坂崎外野手、広岡内野手、そして長島、王。パリーグは南海が強かった。アンダースローの杉浦投手のまねを少年時代ずっとやっていた。西鉄には稲尾がいて高倉がいて、豊田がいてこれも強かった。国鉄の金田も球速かった。東映にはバルボンという黒人選手がいて好きだった。
その頃はサッカーも陸上も水泳もバレーもテレビでは中継しなかった。ゴールデンタイムはプロ野球だった。

1964年の東京オリンピックが時代を大きく変えたのではないかー

高度成長とともに経済はGNP世界第2位にまで成長し、特に情報化の進展が目覚しかった。電子機器がさまざまに開発され、携帯からウォークマン、よく分からないがフォーン・・・映画だってテレビで見ないでDVDプレーヤーがある。核家族で昔のように3世代大人数の家族が打ち揃ってテレビを見るという次代が去った。家族の各人が自分の部屋を持ち、それぞれにテレビを置いている。世代に従って、見る番組も細かく分化している。

「あらかん」の世代にとって、昔流のスタイルでテレビの野球中継をみながらビールを飲むということができなくなった。殆ど野球中継がTVから消えた。

見たい番組がどんどん消えていく。「うるるんー」、「田舎に泊まろう」もない。紳助がいなくなって、かろうじて存続しているが「なんでも鑑定団」、「行列のできるー」、「1分間の深いいー」など紳介の個性=「自己の価値観に肯定的閉鎖集団(中島岳志)が嫌いだが、直截的な表現と瞬間的な強度の笑いを求めて見ていたものだが今は何の魅力もない。

昨夜は綾小路きみまろの「歌謡笑劇団」があったが、きみまろの個性が生かされてなく何だか縮こまって面白くない。

今、唯一面白いと思うのは朝ドラの「おひさま」だ。私も情緒的で(喜怒哀楽が交互に出てくる)単純明快なストーリーが好きな日本人の一人だった。岡田の脚本は面白い。よくもそこまで描けるなあ・・・

ダッシュ村は福島第一原発近くにあって、3・11大震災以降、放射能汚染地帯で立ち入り禁止になったらしく、田舎生活体験が不可能になっている。これがないと魅力が半減。後の企画は東京湾内での海岸再生計画が面白いのみ。他の企画はマンネリ状態。

金スマで見ているのは「ひとり農業」、一人というけど随分周囲の助けが入っているみたいだが、楽しみ。

TBSの安住紳一郎とフリーになった羽鳥慎一を比べると、自己表現力でいえば安住が抜きん出ている。羽鳥はモーニングバードで見せる「目の落ち窪んだ顔」にフリーの結果が全て現れているように思う。

今日は日曜日、すでに「」は見ていない。

テレビを見ていると、白系の二世、三世の美人女子アナウンサーが多いこと。歌謡では韓流ブーム絶頂期だ。なんでそんな外国である日本にやって来るの?
キャーキャーいってる若い子達、なんで韓国人なの???

もちろん歌手に在日朝、韓の人達が昔からいっぱい活躍しているのは知っているけど、このブームどうもそれとは質的な違いがある。

「ぴったんこカンカン?」での泉ピン子との掛け合いは最高。久本などスタジオのゲスト組は全く余計で必要なし

坂口良子と娘杏里がよく登場するけど、どうしたらあんなアホなというか無知蒙昧な娘ができるのだろう。そしてよく親が恥じらいもなく出演させるのだろう?ちょっとひど過ぎる。

まあそれだけ国際化したということか・・・

たあいない日常

2011年09月17日 07時13分49秒 | 日記
昨日は朝から一日中雨が降り続いた。

適度な雨なら大歓迎なのだが、ここは阿蘇の高地(我が家が標高450m)、天気は極端に変化し、それぞれが強烈だ。

折角植えたホウレン草の種、きっとこの雨で流されたのではないか?

今芽を出し、伸びようとしているいろんな作物も雨で叩かれ、泥を被り、生命を脅かされていることだろう。

今朝は日が差していて、青空も見えているので畑に下りてみたが、深刻な被害は出ていない模様。

さて昨日は月一行われる村の「暇人」倶楽部『男の料理遊び』の例会。エプロンにバンダナ、指を汚しているので透明ビニル手袋持参で出かけた。

雨の所為か、参加者が9人といつもより若干少なかった。この日のメニューは豚バラ肉に味付け海苔を敷いてアスパラ、オクラ、エノキを乗せクルリと巻いて揚げる。

私は吸い物担当だった。具はシメジ、アスパラ、ワカメ、エノキ。味は指導者に教えを乞い、市販の白だし汁、ミリン、醤油。

さらに別の調理台では、里芋を柔らかく煮て「味噌」で味を付けている。この味噌がこの日の料理のミソ!!

先ずゆずの皮を大根おろしで削っていく。これを赤味噌に混ぜ、細かくみじん切りにした葱を入れ、料理酒、ミリン、塩で味付け。よくかき混ぜる。これだけですごく風味があっていい味が出ている。

この味噌を煮た里芋に混ぜるのだ。

あとモヤシをさっと煮て、味付けて一皿。

なかなかいい田舎料理だった。

しっかり食べたので、帰りに水中ウォーキングをしようと別棟の温泉施設に立ち寄る。ここの利用料金は100円。

ところが運悪く、おばあちゃん達の水中歩行の会があっていて、係り員から「一緒に入りますか?」と誘われたが、はっきり断った。「あの年齢になるまでにはもう少し時間があります」と。

仕方なく隣のトレーニング室で重い負荷で自転車を10分漕いで、それからルームランナーで20分間(10×2)走った。これだけでものすごい汗の量。

汗を掻いた体を温泉でしっかり洗い流し、ゆっくり持ち込んだ本を読んだ。

上がって期待をこめて体重計に乗るとショック79.4kgもあるではないかー

自分のお腹を見れば一目瞭然なのに・・・あーあ



久々の雨、旱天の慈雨か水害の予兆か?

2011年09月16日 07時09分02秒 | 日記
この1週間は好天続きで、残暑が酷く特に熊本は日中34,5度という言葉に尽くしがたいほどの暑熱だった。

畑は乾燥して地面が風で表土が舞い上がる程。朝な夕なに散水をしていた。水撒きといっても一仕事、上段の我が家の花壇や植木に水を遣って、それから散水ホースを精一杯延ばして畑に下りて撒きはじめる。

この散水作業1時間ほどかかる。

作物が強烈な日差しに当てられてグターッとしている。

秋植えのまだ芽が出たばかりの大根、カブ、冬菜、ニンジン、ゴボウ、白菜、ブロッコリー、やや育ってきたキャベツ・・・

秋ジャガが漸く芽が出てきた。

自慢の里芋は大きな茎と雨傘のような葉っぱで誇らしげ。

コンニャク芋も順調だし、今年はやっと大きなショウガが取れそうだ。

ゴマは今半分採り入れて、ブルーシートの上に茣蓙を敷いてその植えに置いて乾かしているところ。乾燥すると自然に弾けて茣蓙の上にパラパラとゴマが落ちてくる仕組み。今年は去年の倍の量ありそう。干している半分の量でも広さ4畳位。1升位にはなるのだろうか・・・?

ゴマは血液サラサラにしてくれる狭心症持ちの私には大事な薬でもある。

窓から外を眺めると、少し雨量が多すぎるぞ!奈良、和歌山、三重、大雨でできた堰止湖決壊しないだろうかー

過ぎたるは及ばざるが如し

            

最近の読書。立川昭二の「この生この死ー江戸人の死生観」(筑摩書房)これは再読。

小林一茶、明恵、そして私淑する良寛の生き様。
良寛晩年。新潟三条で起こった大地震の際、「災難に遭ふ時節には災難に遭ふがよく候。死ぬ時には死ぬがよく候。これは災難をのがるる妙法にて候」良寛ならではの達観だろう。

死に際して、貞心尼の「生き死に境はなれて住む身にもさらぬ別れのあるぞ悲しき」に応えて、

うらを見せおもてを見せて散るもみじ」(ちに濁点)と返した良寛の死に様に学びたい。

最近口語訳の古典を読んでいる。「古事記物語」(高野正巳口語訳)、「今昔物語」(福田清人)いずれもポプラ社。
やっぱり原典で読むべきだろう。

ゴマと満月と桜庭一樹

2011年09月13日 07時09分58秒 | 日記
昨日は畑の白ゴマを刈り取った。

畝一列と半分。黒ゴマをたくさん植えたので白はちょっとしかない。

それでも2時間余り。黙々と作業。

根を切って、葉を落とし、長い茎は半分に切る。すでに下方では実が割れている。

車庫から車を出して、ブルーシートを敷き、さらに新聞紙を3枚重ねて敷いて準備完了。

切り取ったゴマを集めて水で洗浄。長雨の撥ね返りで泥で汚れている。水道のゴムホースを勢いよくかけると綺麗になった。

これをシートに並べていく。これから天日に当てて乾燥させると実が弾ける。

それから飛び出したゴマを集めるのだ。時間とこまめな世話が要る。

今日は黒ゴマを一列できれば2列収穫したいと思うがー



晩になって、我が家(標高450m)からもっと上部に作られた展望台で「お月見会」を地元の人達がやっているらしいというので、行ってみた。

そこまでは街頭一つないので真っ暗がり。しかし車で、2、3分のところ、広い駐車場にはかなり車が入っていた。

テントに人だかり、どこかの家族が個人的にバーベキューをやっている。出店は一つもない。

広場には蝋燭を灯した竹の筒がたくさん置いてあるので、まさに月見という風流には最高。薄い雲に満月が見え隠れしている風情は日本人に生まれてよかったと感嘆する。

真ん中の大石に皿に盛ったお月見団子と「里芋、から芋」を蒸かしたものが置いてある。作ったおばさんが「食べていいよ」といってくれたので口にすると実に飾らない素朴な味で美味しかった。

目を転じると、ススキが飾ってあった。

いい催しだ。

     

直木賞を取った桜庭一樹の「私の男」(文藝春秋)を読んだ。

起伏にとんだ物語性とその展開はサスペンスと見紛うばかりだが、一方で描いている父と娘の愛のあり方(実像=虚像)と表現には浅薄な道徳観、常識や固定観念を吹っ飛ばすようなインパクトがあった。

粘り付くような情念の奔出には「降参」と白旗を揚げたくなる場面がある。昔だったら「発禁処分」になっていただろう・・・
個人的にはあまり評価しない。

阿蘇外輪山野草学習とトレッキング

2011年09月12日 07時17分46秒 | 日記
今日も好天。

昨日は南阿蘇、人出が最高潮。トレッキングで集合場所に指定された「あそ望の郷(さと)」は満杯状態だった。

参加者は意外に少なかった。家庭で揃って観光か、子供や孫の運動会か忙しくて参加できなかった人が多いらしい。

案内人の方を中心に12,3人のグループで村のマイクロバスに乗り込んで出発。

今回の企画は「マツムシソウと羅漢山登山」、先ずはグリーンロードを登って「地蔵峠登山口」へ。

好天で日曜日、駐車場はこれまた満杯。すでにバスで到着したばかりの大人数グループも屯していた。

ここで案内人の方の指導でストレッチ。丁寧に入念にやっていざ出発。

急な斜面を登っていく。ここは短い距離で、10分ほどで地蔵峠へ到着。

付近を見回すとマツムシソウがいっぱい咲いている。





峠からさらに大矢岳に登る。途中道の脇に茂っている高地性の樹木の説明を聞きながら、急斜面を一歩一歩と登っていった。

素晴らしい眺望だ。



熊本市内はおろか、遠く有明海の普賢岳まで見える。

昔は矢部や御船から熊本に出るルートに使われてらしい。お百姓が年貢を納めに通ったのかも・・・ガイドさんは植物や登山、マラソン(運動)には詳しかったけれど、私の歴史的な質問には「ちょっとわからない」ということだった。
自分で調べれば分かること!

ここを降りて今度は羅漢山へ向かう。

その奇岩絶壁の山の下は何度も通るがこれを登るという。



道端にはアケビがあり、吾亦紅、さらには女郎花が咲き乱れていた。




静かにひっそりと咲いていたナンバンギセルの花。

漢方薬になるゲンノショウコの説明を聞き、少しこれを採取。干して焼酎漬けにしよう。

ロープを伝って急斜面を登っていく。初めての経験だ。頂上付近には火山の噴火によってできたらしい洞窟があって、不思議なことにお地蔵様がおられた。





しっかり拝んでまた用心して下山。もう汗びっしょりだ。

この日は午前中のプランなので、冷房の効いた車でまた「あそ望の郷」へ。

あまり知られていなかったグリーンロード(西原のミルク牧場付近から外輪山の中腹を南阿蘇まで走る道路)も今では大型のバイクがツーリングしていて、スピードを出すから危険だ。

バイク野朗は轟音響かせてぶっ飛ばすのに興奮する単純な者ばかり。ハーレーかなんか知らんが、いい年をして見苦しいと思うのだが・・・