おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

全国から支援物資が届いています。

2016年04月22日 11時11分12秒 | 社会

             

 

涙が出る。今日もこれから指定場所へ支援物資を受け取りに出かけます。

これは二回目。

歯磨き粉や電池、ウェットティッシュなど今必要なものもたくさんあり感激します。

昨日は「南阿蘇総合センター」という避難所で泊まりました。

7~80人ほどしか収容するできない小さな施設。

木製の床にブルーシートを張り、その上に敷き布団代わりの毛布を敷き、掛け毛布を2枚。

昨日は大変な雨と風で、そして余震の揺れー最悪の環境をじっと耐え忍んだ。

泊まりこんでいる人々は今行方不明者救出が行われている地域の方々が多く、裏山の「夜峰山」麓に

住んでいる人たちが多い。優しい姿形=山容の夜峰が崩れるかもしれないという不安を抱え表情がどことなく暗い。

そして子供たちの中には異様に高揚している子もいた。ストレスが高まっているのだろう。

便所が断水で流れない。屋外の簡易トイレを使用したが、ガタイの大きい私は入ると狭くて・・・😢

この南阿蘇村、阿蘇町、高森町はカルデラの中にある。周囲が外輪山に囲まれている。

このカルデラの中に水が溜まっていた頃、円周の一角を山の神が蹴とばして水を外側に流した。

ここが瀬田=立野。そしてここに阿蘇大橋が掛かっていた。十年前まではこの橋一本が外と繋ぐ唯一ルートだった。

これが地震で落ちたのだ!!!!!そして10年前南阿蘇トンネルと俵山トンネルが開通したことで南郷谷

はとても便利になったのだが(熊本市内へも1時間で行ける)、これで厳しい社会的条件を抱えることになった。

日曜日には大学病院に入院することになっているのだ、そのルートも心配している。


ダメ押しって言葉がある

2016年04月20日 21時36分51秒 | 社会

 

4月14日9時26分に「熊本大地震」が襲った。

この桁違いのゆれの激しさに驚いていたその直後16日深夜1時半頃。

すでにベッドで眠っていた。

ところがその眠りを破る激震(=震度が6強あったという)が襲来。

ここは活断層が阿蘇から南阿蘇そして西原村へと走っている。

ここでマグニチュード7.3、震度6強。

これでもかこれでもかという地震が続く。

その日は夜が明けて周囲を見渡すと景色に異変が生じていた。

裏山の受験生にパワースポットと知られている「免の石」(巨大な岩場に挟まれた岩石が決して落ちない!!)の石が落ちていた。

その晩「炊き出し」をしていた人でここを観光開発した地元に方に聞くと「今度は落語家、お笑い芸人を招致しようと思っている」

と言っていた。そうか必ず「落ちる!!!」

別の修験の行場らしい山の頂上付近の岩場がすっぽりと無くなっている。

その晩は怖くて避難所に行き、難を避けた。

最初は豪雨の中、「あそ望の郷(さと)」駐車場に車を停めて車中泊。ヴィッツを後ろを平たくして眠ろうとしたが

きつくなり避難所に移動した。この車中泊で体調を崩してしまった。翌日、家に帰ると2回嘔吐。

吐くとエネルギーを奪われる。

それで大回りをして阿蘇の「阿蘇医療センター」に直行。治療を受ける。

家に今いるのだが、余震?(いつ「本震」が来るかわからない)の多さに辟易している。

あーあもう自然の強さには脱帽した。畏敬の念を持ち続けるので許してほしい。


世界の終わりかと思った!!

2016年04月15日 09時33分39秒 | 社会

 

怖かった!!

まったく予兆というものがなくそれは突然にやってきた。

9時20分ころだった。緩やかに入るのではなくすぐ激しい揺れが襲ってきた。

なにか裏山の外輪山の山からの音かゴーッていう音とともに横に、上下にも揺れた。

妻とすぐ食卓の下にもぐりこんだ。

長い時間だったように感じる。

まるで「世界の終わり」を思った。すぐカーテンを開けて夜の闇に沈む阿蘇山を見たけど

噴火の様子はなかった。大噴火であれば火砕流を避けるために逃げなければならないが・・・

一夜開けて、朝の熊本で驚いたのは熊本城だ。天守閣の屋根の瓦、鯱が崩れている。

熊本観光の象徴。残念だ。

我が家は南阿蘇村河陰といって南外輪山中腹なのだが、その背中合わせに西原村があり、益城町へと

繋がっている。

ここの震度が4だというが、絶対にそんなことはない!!震度5~6はあったと思う。震度4の経験は

あるけどそんなものではなかった!!

直接的な大きな被害はないけど(食器や落ちてきた時計などの破損はある)まだ余震が続いているので

用心しなければならない。

 


村の「古文書講座」再興

2016年04月11日 15時51分08秒 | 日記

今朝は住んでいる村内で、潰れていた「古文書講座」を数少ない仲間と再構築し、今年度初回の集まりを開いた。

みな経験者で、初見でも幾らかは読める。

今日は『阿部茶事談』という江戸初期のテキストを読んだ。森鷗外の『阿部一族』のベースになった古文書だ。

昨年は隣町の 古文書講座に通っていたのだが行政の実施規則変更と突然町外者は施設・研究会など締め出されてしまった。

この時、私が行政に最後に行った言葉だけを載せると「学問に『壁』を作っちゃだめだ。行政の役割は学問を広めること、伝えること」が使命のはずだ。言うだけのことは言ったのでもうその町には行かない。

「阿部茶事談」フィクションとはいえ面白いと思う。

肥後藩初代の細川忠利が亡くなって、その時主君にしたがって、「恩」を受けていた特に重臣の部下たちが殉死していった事件。

阿部一族はその後、藩とのトラブルで武力衝突を起こし、とうとう一族が全滅させられていく。悲劇だ。

史実との相違点は抑えつつも歴史的事実だけでも実に興味深い。

現代で仕えた主君に命を捧げるほど忠義の精神を持てるだろうかと思うと「なんだかなあ・・・」

二週間に1回の講座、しっかり予習して古文書を楽しもうと思っている。

読書録。

宇佐江真理『たば風』。好きな時代小説作家の一人宇佐江氏がなぜ「松前=北海道」かと不思議に思っていたら、彼女は北海道函館が出身地だった。いつもとは旗色の違う作品だがそれなりに面白かった。

佐伯泰英『枕絵』これはNHK時代ドラマでやった「吉原裏同心」の話だった。「姉様!」「神守様!」ってまだ耳覚えがある。

戸部新十郎『秘剣龍牙』アンソロジーだが、中に細川忠利のことが出てくるので「はーん」そういう人でもあったのか・・・と感心した。

忠利は「兵法数寄」でも知られる大名だったらしい。自身が柳生宗矩の門下に入っていて印可を受けている。だから宮本武蔵を肥後に招聘したのだ。

池波正太郎『浮沈』は最近では一番面白く読んだ。剣客の秋山小兵衛の老いてなお剣の強さといったら・・・

ファンでもある山本一力の「辰巳八景」、この中にほのぼのとした恋物語があって泣かされた。「やぐら下の夕照」という短編はいい。

中津文彦の『秘刀』はこれも北海道に関わる話。蝦夷に伝わる秘刀=「舞草刀」の秘密をさぐるアクションサスペンス。

年相応の読書家になったようだ。

 

 

 

 


スポーツで戦うこととは

2016年04月08日 20時57分07秒 | スポーツ

山の中の古仏

 

またイヤーな事実が発覚してしまった。

バドミントンのオリンピック代表候補、男子有力選手の二人が違法博奕をやっていたということが発覚。

一人は世界ランク2位。当然リオの有力な金メダル候補。

この人の名前は桃田。中々のイケメンで、かっこいい。

もう一人が日本選手権で6連覇している田児選手。

今日、記者会見があった。涙のコメント。

だが待てよ!どこかで見たことがあるぞ。そうだ、つい最近巨人のピッチャーがこんな会見をした。

日本のスポーツ界、どこか軌道が狂ってしまっている。相撲でも野球賭博があったし、

東京オリンピックでのメーン会場のデザインの盗作問題。やり直し。

日本には倫理・道徳が失われてしまったのか?

今NHKで水泳の日本選手権を見終わったばかり。200m男子で北島がオリンピック出場権を賭けて

戦った。そして北島の「老いた挑戦」が終わったのだ。5位。100mでは2位だったのだが、惜しくも派遣記録を破れなかった。

とはいっても準決勝では記録を破っていたのだから、紙一重の差。

直後のコメントがよかった。

途中でインタビュアーの言葉が何か聞き取り難くなっている。そしてつられて北島も涙を流す。

「悔いはない。平井さんと一緒に五輪出場を目指し戦ってきたことが大きな意味を持っている」

一方、「勝って賞金をもらって、いい格好をしていい腕時計をして、いい背広を着て、それを子供に見せることで

自分に続く選手達が生まれる」と語る桃田。ここで違いが生じている。

この時、指導者、役員などがなぜ「間違い」を指摘し指導しなかったのか?

日本スポーツ界は猛省すべし!!!!!