おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

病院週間、とほほほ・・・

2011年09月09日 06時54分22秒 | 日記
この数日毎日病院通いだ。

妻が怪我をしたので、村の中では一番大きな病院に緊急で連れて行った。

その病院の宿直医のW先生がいいのだ

久しぶりに出会うカッコ良くて、しかも信頼の持てるいい先生だなあと夫婦で感心している。

怪我の治療をきちんとしてくれて、以来通院しているが自分が他に用事がある時にも必ず顔を見せてくれて声をかけてくれる。

人が信頼できるというのは医師としての技術もさることがら、人間的な温かみであったり、生き方の信念であったりする。

彼は歳は40台半ばというところかー鼻ひげを蓄え背丈も私と同じくらい(175前後)、違うのは腹が出ていなくてスマートなこと。以来妻はファンになってしまった。

失礼な物言いだが、看護師の方が人間的にもスキルも街の医療と比べると落ちるように思える。正看護師と准看護師がいるのだが、救急で対応してくれた准看護師の女性は控えめだがスキルはうまかった。(妻の評)

正看の方はやっぱり資格の見栄なのか威張っているように感じるし、実は下手。

看護教育に当たってきたが、一番大事なのはストレートに表現すると医療の専門知識やスキルを覚えることよりも人間教育、人間としての細やかな感性を育て、道徳心を涵養し、なによりも人を愛し人にとことん寄り添えるような人を作り育てることだと思ってきた。

医師にしても先ず人間として信頼できるか、尊敬できるかどうかが治療効果の要だと思う。

厳しい感じを受けるW先生だが、治療の合間に「どちらにお住まいですか?」、「そうですか、私もこの阿蘇の景色に引かれて村に家を立て引っ越してきました」、さらに妻に「とんだ目に遭いましたね」、「痛かったでしょう」・・・

私は狭心症を患っているので、「薬が命」、なければ

越してきて近くの医院に行った。その時、医者の問診に「心臓の調子は安定していますが、ちょっと口内炎ができました」というな否や、口内を一寸だけ見てすぐ看護婦に嬉々としてこう言った「ビタミン剤注射の用意をダブルでね

それでそのまま点滴注射を受ける羽目になってしまった。こんな医者には体を預ける訳にはいかない



昨日は白内障の術後検診。先生は私の最初のクラスの教え子の弟。父親は学校の眼科の校医で、親近感があるのでなんでも話せる。「経過良好です、また3ヵ月後にお出でください」、「こんど、妻の母親が白内障で先生にお願いすることになりました。よろしくお願いいたします」にこっと微笑んで「わかりました」と言外に「私に任せてくだされば大船に乗ったようなもんですよ」
医師の人間が好きになって、そのスキルに信頼する。これぞ医療の原点ではないかー

昨日は序に、右指の小指第二関節付近にできている「ガングリ」様のオデキ?水ぶくれ?イボ?を見せるために予約なしでお願いした。
大学病院は普通民間医院の医師の事前の予約が要る。それがなくての治療だから、予約者が終わった後に始まる。眼科を終えて1時間半待って、やっと見てもらった。

「どうもガングリとは違うように思いますー」と若い担当医がいう。

「ドキッ

「なにしろ溜まっている水?を抜き取ってみましょう」

これが悲鳴が出るほどイタカッタ

妻が傍にいてしっかり肩に手を置いて励ましてくれたので痛みは半減したのだが、その痛さといったら「痔」の手術の時の局部麻酔注射を打った時の痛みを思い出した。あの時はすごい雄叫び?を上げた。それで医者は手術続行を諦め、別の大きな総合病院に急遽手術の代行をお願いして救急車で搬送されたが・・・

今回は我慢した。水は取ったが不安なことをいう。「ガングリと違うかもしれないので、細胞の検査=バイオプシーをした方がいいでしょう」

また待合で1時間待って、いざ手術。メスでその部分を切開して細胞を切り取るのだ。

今度は部分麻酔注射。やっぱりこれが痛かった。しかし、その痛みは麻酔がすぐ利いたので後は楽になった。

そして3針縫って終わり。また1週間後に検査結果がわかるので通院しなければならない。

指の組織を取るといっても麻酔をかけて行う手術。ところが看護婦はその辺をうろうろして医師の脇に立たないのだ。医師が一人ですべてやってくれた。これはちょっと首を捻る。何だろうこれは???

妻がかかった村の病院、W医師の傍には看護婦がいて医師の指示でピンセット、メスとか消毒液の用意とか指示に従って動いた。K大学病院は違うシステムなのか?

そういえば弟が入院している神戸大学付属病院の主治医は若いけれど丁寧で、腰も低く質問にも実に懇切丁寧な応答をしてくれた。専門医は自分の優秀さを見せ付けるために時として「専門用語を並べ立てる」、素人が聞いていてチンプンカンプン、煙に巻いて誤魔化すのだろうか?神戸ではなるだけ専門の用語を用いずに説明されたので感心したのだった。