おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

タマネギの植え付け

2012年10月31日 07時27分59秒 | 日記
今か今かとはらはらしている霜。今年はなかなか初霜が降りない。

霜が降る前に収穫というのが、一つのメルクマールだと思う。霜が降るとすなわち最低温度が0度以下になると葉っぱが枯れる。

葉っぱは光合成の大事な場所。これが枯れて倒れるのが植物成長の停止の目安。

知ったかぶりだけど、違うかな・・・?

今年は若干例年と違う作物の状況を呈している。

里芋を掘ってみたけど茎は太く、葉っぱも大きく育っているのに、掘ってみると実の小さいこと。残念

しかし、茎が太く大きいので「ずいき」として食べることができるらしいので、妻と相談して対策を練ってみよう。

山芋は自然薯が結局深く伸び過ぎて掘り出し切れなかった。途中で断念して半分で切った。後は諦めた。

つくね芋も大きさから言うと去年の半分。

まだ生姜は半分。去年のよりも少しだけ小さい感じ。しかし、たくさん作っている後半分残っている。これも霜が降りる前。

落花生は去年よりもピーナッツの粒が大きく茹でピーナッツにして食べているけど美味い美味い。のツマミに最高。

昨日からタマネギの準備。畝を作ってマルチを張っている。少し高く畝を作ったのでやり直して低畝にして表面積を広く、植える穴を3列から4列にした。

種屋さんに注文していたのだが昨日タマネギが入ったので取りに来てくださいと連絡があった。

晩生を400、早生を100、赤を玉100計600個を植える。

去年植えたタマネギは店に売っているのと変わらない大きさだったので大成功だった。今年も抜かりなく元肥を十二分に入れ
たし、腐葉土や草木灰まで施したのでいいのができると思う。

これを取らぬタヌキの皮算用というんだ

チンゲン菜は虫に喰われて惨憺たる状況。

白菜はあと少し。もっと寒くなるとしっかり巻くのだろうがーキャベツはまだまだ葉が広がったまま。

ホウレン草もあと少しだ。

春夏秋冬、畑の姿が変わって行く。

今玄侑宗久の本を読んでいる。この中で「いろはうた」の話が出ている。

いろはにおへど ちりぬるを わがよたれそ つねならん

所謂「諸行無常」ってことだ。


十四夜月(ジュウシヤツキ)

2012年10月30日 07時01分19秒 | 日記
昨日は4時からウォーキングクラブ週例会。

1時間歩いて帰ってくる頃には薄暗くなっていた。

ここは阿蘇の南外輪山の麓。西陽が外輪山に遮られるので日暮れが早い

だから地名が「河」という。河とはカルデラ内=南郷谷を貫流する白川のこと。この川が熊本市内の真ん中を流れ下り有明海に注いでいる。

五岳の麓、こちら側からいうと白川の対岸だが、ここは「河陽(かわよう)」といっていつまでも夕日が当たっている。しかし、景観からいうと五岳を背にしているので、いつも外輪山を見ることになる。

私達は目の前に常に五岳がある

晩秋になると日暮れが早く、ウォーキング時間が夏時間(5時から6時)から冬時間(4時から5時)に変わる。それでも帰り着く頃は夕暮れ時。

昨日いつものように山の景色を眺めると、五岳の一番東側の根子岳の方角から月が昇るところだった。

これが「まん丸お月さん」で調べたら14夜月という。ほとんど満月に近い。畑の周りにはススキが風に戦(そよ)いでいる。

すすきの向こうに満月が昇る風景はとてもロマンティックで幻想的。

昔からそう竹取のころから表現者は月を眺めて想像力を深め、物語を紡いでいったのだ。

宇宙船でもっと遠くまで行ける時代じゃなかった頃の方が人間のこころは豊かだったのかもしれない。

昨日の夜は団子は備えなかったものの、その日に掘った里芋を食べた。

今外輪山が少しずつ紅葉を始めている。

ススキと十四夜月の携帯写真を撮ったけれど、どうしてもPCに取り込めないので残念

そうそう山芋も昨日掘ったのだけれど、自然薯が深く深く地中に伸びていて掘り出しきれなかった。悔しいけれど半分で諦める。それでも掘ったばかりの山芋をお昼に擂ってご飯にかけて食べた。

「あきまつり」に出演

2012年10月29日 06時56分09秒 | 日記
昨日は久しぶりにブログを休んだ。

もう何年になるのだろう?

個人の日常をぐだぐだと書き連ねているだけの下手なブログを27万人の人が閲覧していただいたというのは感謝に耐えない。

ありがとうございます

昨日は地元の「あきまつり」が行政観光企画課が主導して、あそ望の郷という大きな物産館というか商業施設を利用して開催された。

このステージ部門で歌を発表したのだ。

これに出るに当たって妻とは大喧嘩「田舎暮らしを始めるに当たって選んだこの土地で、目立たないようにひっそりと第二の人生を過ごして生きたいと思っているのにー大勢の前でステージに立つなんて目立ち過ぎでしょ

「せっかくこの村の住民になったんだから、ちょっとはその中に溶け込んで行く努力をしていった方がいいと思うんだ」本当は人の前に立って歌うということが快感を呼ぶんだとは言えないので妻の攻撃には語気が弱くなる。

メーンはあべ静江の歌謡ショウなのだが、午前の部は住民のイベント。ハワイアン、日本舞踊があって、歌は私一人。

今年2月に初めて出たのど自慢大会でグランプリを取ってすっかりその興奮と感激に惑溺。いくつか出演した。何万人も入る阿蘇外輪山に作られた広大な野外劇場アスペクタでも歌った。

すべて曲は「酔歌」。

ステージではカラオケのセットはないというので、音源として自分のCDを持参。モニターなしなので歌詞をぜーんぶ覚えなきゃならない。これがプレッシャーだった。歌っていてちょっとでも別の想念が入り込むと歌詞がすーっと消えてしまうので間違える。
年寄ると脳の記憶のキャパシティーがどんどん減っていくらしい。脳細胞は再生されないので減ったら減ったまんま
だからすぐ忘れるし、なかなか覚えられなくなる。

だから石原神慎太郎の立党宣言を聞いていると論理明解だし、過去の記憶=知識や事実関係について実に詳しく覚えている。政治家というのはこういう能力に長けている集団なのだろう。

学者、文学者も記憶力がいい。まことに羨ましい限りだ

私は余りにも飲み過ぎた所為なのかもともと頭が良くないのか、もの覚えが良かったと思うのは学生時代ー大学受験まで!

後は転石苔むさずで、記憶力が急カーブで衰えて行った、ざんねん

結局譜面立てを自分で用意して、歌詞を大きく記入して忘れ易い部分は特に太字で赤いペン書きで

これがあるだけで安心立命。

妻、「あなたはもともと人見知りタイプなのによく人前で歌えるわね」と皮肉る。

これも実は慣れ緊張はするものの、震えたり足がガクガクするのは初めて出た大会の予選会だけだった。この時にはマイクを持つ手が左右に10cmも震えていた。

出番の前の緊張と歌っている時の開放感、済んでしまうと緊張の弛緩と余韻が続き充実感に変わって行く。

今回は案内のビラが新聞と一緒に配られていたので料理教室やウォーキングクラブの仲間が大勢やってきて応援してくれたので猶更感慨深かった。

後は客席で仲間内で慰労会。出店の地鶏焼を食べ新そばを食べながらビール焼酎飲むは飲むは

あべ静江さん、御歳61だってー参った歌は巧いし、トークが最高に上手だったが、お姿が・・・

さあ「酔歌」はこれで最後にしよう。次の練習曲何にしようかな・・・

ほんとはギターでの弾き語りをやりたいんだけどどうしてもギターが下手で巧くやれない。だれか一緒にバンドとして組めたらいいんだけど・・・

「懲りない」ひとだ

「純と愛」の一昨日の放送ありゃいかんばい!!

2012年10月27日 07時02分00秒 | 日記
「純と愛」を見ていますか?

視聴率は好調らしい。「梅ちゃん先生」を超えているとか、「家政婦のミタ」の脚本家が書いているので間違いないとか・・・?

一昨日の放送を見ていて、「こりゃあだめだ」と思いました。

純が舘社長の豪華ホテルに就職するまでは良かった。演出に態とらしさが出て嫌悪感を抱いたことは10・23のブログで書いています。

実に不愉快に思ったのは、純が部屋に案内した親子4人連れの客との関わりです。

まずベルパーソンとして部屋に案内した純の態度がしつこ過ぎるし、不躾であんなにじろじろ客を観察されるなんて客は不愉快になるでしょう

そして客のバカ息子のイタズラというか犯罪。どうしようもないバカママの指輪を彼女に見合った息子が隠し、無くなった責任を純に負わすだけでなく、純を「犯人呼ばわりした」のでした

もう怒り爆発寸前

これを助けるのが愛君。彼には心の中が見えるという能力があります。これでホテルのロビーでイタズラ=壁への落書きを見て注意しても止めないバカ息子を見て、指輪の「犯人」を探り当てます。

双子の弟との確執があってこの子が弟に「死ね」という言葉を使ったことであのおとなしい愛君が切れたのです。

その時、胸のポケットから指をも発見し、子供のイタズラということが判明するのですが、愛君が切れて子供を殴ったことに逆切れして文句をいう場面。上司これもバカなんでこういう描き方をするのかな?警察をよべだとか散々純を犯罪者呼ばわりしていたくせに(自分の息子の「犯行」と知っていながらー)純や愛を攻め続けました。

平身低頭で宥め謝罪するホテルの上司。そして詫びの「無料ホテル宿泊券」を贈呈しようとまでするー

昨日見ていて必ずやあの親子が反省して誤りに来る場面が設定されるだろうと見ていたが、ストーリーは別の場面に簡単に移行してしまいました。

実際には世の中、こういう馬鹿親がしっかり存在しているのでしょうね。遊川さん、これって風刺?逆説的に解釈しなければならない訳?

あの夫は事実を現場で見ていながらおろおろするだけで何も言わない、不安げな様子を示しただけでした。
あれも現代の実態を反映しているの?

きっちりとした勧善懲悪を求めている訳ではないのだけれど、どこかにそれとなくでも事の善悪と悔い改めようとする姿を示して欲しかった。

たしか民放でも昔は朝ドラやって競合していたように思うのだけれど、今はチャンネル切り替えるところがない。ニュースバラエティーはどこも似たり寄ったり。独自性がないと思います。

この後の「アサいち」はこれもすでに書いているけど有働の傲慢さが鼻についてもういけない
「スッキリ」チャンネルを切り替えてしまいます。

「純と愛」の純という人物の設定はおもしろいと思うのですが、原作は知らないけど脚本・演出はいかんと思います。視聴者のどの層をターゲットにしているのでしょう?60台は念頭にない・・・?

「家政婦のー」売れたからといってすぐ飛びつくNHKの軽々しさ。「平清盛」も過剰な演出と撮影(映像表現)の嫌らしさが視聴者にそっぽを向かれたのを反省していないの?


政局は混沌か混乱か?!

2012年10月26日 06時57分54秒 | 日記
突然のニュースで驚いた。

この人は水面下でなにか画策しているのではないかとマスコミも注目していた。しかしと知事選に出て、勝利、東国原を破った

地方の首長のリーダーとして、重き存在感=威光を示す。もちろん背景に東京が首都であり、1300万の人口を持っている。

石原慎太郎は一橋大学の学生時代に「太陽の季節」で芥川賞を受賞した英傑。

好意的にみれば、かれの押しの強さ、国益を守護するためには決して引かない鮮明な態度を現在のグローバルな世界にあってその中で米露中英イスラム諸国、或は韓どこを見ても自国エゴを押し出してくる。グニャグニャしていて訳判らないような軟弱な態度しか示せない野田なんて鼻っから相手にされていない状況にある。

気色鮮明、勇断即決に対応するフレキシビリティーと「パワー」も時に必要だろう。

しかし、かれの思想は危ない。同じ文学者で「楯の会」の主役三島由紀夫の超愛国思想=国粋主義に近い右派の思想家で憲法廃棄し、新憲法を樹立すると主張。橋下徹の憲法改正論とも近い。

こういう人が寄り集って国に一大旋風を巻き起こし、人気を博し、大きな浮動票を取り込んで政権奪取なんてなったら、危ないことになるんじゃないだろうか。

尖閣にしても竹島にしても国連その他の国際的交流の場で外交努力によって平和的解決を模索するんじゃなくて(少し甘いと自覚はあるけどー)、軍事力を背景に解決を迫るとなったらあの人「武力=戦力行為も辞さず」となるんじゃないか?そうすれば対中戦争になだれ込んで行く。

戦争は誰が一番被害を蒙るのか?トップは戦闘の最前線には行かない。生きるか死ぬかの前線で戦うのは若き兵隊で、一番先に死んでいく。

今は飛行機=爆撃機を飛ばさなくても相手国に大陸間弾道弾=ミサイルを飛ばすことができるので、戦う相手を見ないで突然ミサイルが飛んできて被爆する。そこには大量の死があるだけ。

世界で唯一戦争で原子爆弾を受けた日本。たった2発の爆弾で30万人以上の犠牲者が出た悲しい過去を持っている。

領土問題は資源=鉱物・漁獲が絡むのでどこでも強引で一歩も後ろに引かない。

押してくる相手に、気弱に体をかわすだけでは確かに舐められるだろう。これは非常に難しいところ。

だからといって政治権力を好戦的な人物に任せて日本は大丈夫だろうか?

軟弱な政治家が日本の立場をさらに悪くする方向に進むのも困るけど、逆に国粋主義者が権力を牛耳って危ない方向に導いて行くことには抵抗がある。

今朝から「東条英機」を読み始めた。

だれが「東条」になる素質を持っているのかしっかり見つめていないと大変なことになる。