おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

久しぶりの筋湯温泉

2015年10月31日 07時27分10秒 | 日記


筋湯に行って来た

九重の麓にあって温泉が集中しているところであり激戦区。

少し下る何といってもと天下の黒川があり、満願寺、小田、湧蓋、はげの湯、岳の湯などなど・・・

筋湯はこの地域で初めて行った温泉で、昔真中にある公営温泉は湯質から痛いほどに流れ落ちるうたせ
豊富な湯量、100円だった入湯料、飾らない素朴な岩風呂。そして広かった。

もう随分長く行っていなかったが、今回妻の要望でヤマナミハイウェイから筋湯方面に入った道路をト
ンネル状にうっそうとした木々が飾る紅葉が素晴らしいというので、思い腰を上げた。

買ったキャノンのカメラの出番で、いっぱい撮ったのだがパソコンの技術の問題(フラッシュ何とか?)
で、まだアップロードできない!

紅葉はすでに遅い状況だったがそれでもやはり紅葉の色づきは素晴らしかった

さて、筋湯。

この年になって昨夜の渡辺和子さんの話を聞いていて人間ができていないことを痛感するのだが、温泉
旅館、村にとって「意見」は必要ではないかと思い書く。

金曜日というウィークデイではあったっが、全く寂れてしまっていた。人がいない!!

昔は賑やかだったけどなあ・・・

さて車を置かなくては・・・昔は公営温泉のすぐ近くに公営の駐車場があったけど、道案内を見ながら
極細のきわめて狭く急斜面の道を山の上へ上がっていく。こんな道二度と通りたくないと思う危ない道。

着いた場所はただ平らに開いた広場。横で掃除していた温泉旅館の女将?使用人か知らないがじーっと
睨(にら)んでいる。きつい表情で挨拶なんてとんでもない。けんか腰だ。「悪い」ことしているみた
いだ。

客が旅館ではなく公営温泉だから?公営に入るってなんでわかるの?どこか旅館の立ち寄り湯にお邪魔
すかもしれないのにー

人通りがない!温泉は300円。外側は「黒川」ってぽくなってしたが中は昔と一緒だった。

今読んでいる澤田ふじ子の時代小説が抜群に面白く、片時も手放したくないほど。これをもって入る。
いつものルーーティンだ。

気持ち良かったけど、どうも最初のおばやんのニラミが心を占めていてすぐ立ち退いた。


ハードウェアー先行ではまずいのではないか?まずは温泉を活性化するために試みなければならないこ
とは、皆で意志統一して客に丁寧なやさしいおもてなしを提供することを決めること。

訪れる客にはどこで泊まろうと素通りりだろうと愛想良くしなければならない。「いつか」のために!

私たちがよく行く黒川の花みずきの立ち寄り専門湯はスタッフのサービス教育が徹底している。会話が
楽しいのだ。旅の疲れをやさしく癒してくれる。

まずは人間教育が最初だ。ソフトウェアーの徹底が先!!

こういうたった300円しか落とさなかった客の意見に耳を傾ける誠意ありますか?

朋あり遠方より来る、また楽しからずや

2015年10月29日 07時11分38秒 | 日記


天気晴朗。

昨夜の月は見事だった。買ったばかりのカメラの望遠で撮影したが、いかんせん
技術がないので、夜空に浮かぶ丸ーいお月さまを撮っただけで周囲の初冬の風物
を写しこんでいないのでただ丸い物体が写っているだけ・・・

今日は街の古い友人が訪ねてくる。

熊本を代表するラーメン店でクリームシチューの有田が高校時代に通っていたこ
とでも知られる有名な店。

結婚してすぐ住んだ場所が熊本城下の坪井から寺原、池田と坪井川を遡って高平
という場所に至る。この市営団地に10年ほど住んだ。

この団地時代が最高だった。隣人、周辺の温かい人たちに多く恵まれた

その中によく食べに行ったラーメン屋さんがある。

ラーメン食べて酒を飲んで客がいなくなるとご主人がやってきて一緒に談笑する。
釣りが好きで一から教えていただいた。ポイント、仕掛けなど紙に書いてくれた。

そしておもむろに尺八を取り出して奏でる。♪

あれから25年だ。

この阿蘇の外輪山中腹に引っ越して、去年だったかとある食堂で再開した。

それから大雨が降れば「大丈夫か?」、風が吹けば「大丈夫か?」と案じて電話
をくれる。

病気をされて体が不自由になられた。私もこの春病気して互いに闘病仲間という
ことになる。会うと涙涙になってしまうので今日はカラッといきたい。

畑の作物を見てもらい、収穫体験させようと思っているインゲン豆もトマ
トも、丸々太ったキャベツ、白菜なんでもある。

愉快だったアサイチ有働アナ

2015年10月28日 09時46分37秒 | 日記
南外輪山

今「あさが来た」がおもしろい。

昨日今日と最高に面白いところだ。

さてこの後、あさいちを観るのだが昨日ハプニングが生じた!!

有働のつけまつ毛が外れかけたのだ。それも半分以上も脱落し、その慌てぶり
イノッチのツッコミで夫婦で大笑いした。

生きている人間がやること、こういうハプニングおこるのも自然のことかだろう。

意想外のことって面白いねえー本人は恥ずかしかっただろうけど見ているものには
大いなるプレゼントだった。
有働さんありがとう

古館の番組に出た際、今「流行り」の五郎丸の背広の背中部分がバッサリ?破れて
いたハプニングの際にも大笑いした。100キロ近い体で筋肉隆々、背広が「張り」に
敗れたのだった

あの人今一番注目されているアスリートだろう。ラグビーに注目を集める意味では
広告塔として最高の貢献だろう。ちょっと出過ぎって感じがするけどー

昨夜の日本シリーズは面白かった!ほとんど野球を見ない私だが昨日は偶々見てい
て緊迫の試合で打つ人が打ち、ホームラン多発したし、さらに逆転劇もあって、野
球の醍醐味全部出ていた。

柳田、山田いいなあ・・・

私の感覚でいえば、王、長嶋、野村、金田、稲尾、池永のカンジだ。時代は変わったのだ!

久し振りに熊本市街夜遊び

2015年10月27日 07時25分28秒 | 日記


日曜日は朝早く熊本市内に出かけた。

熊本歴史学研究会に出席するためだ。

この日は「横井小楠」の話を聞けるというので参加した。

講演は猪飼 隆明熊本学園大学の教授。近代史が専門の方だ。

以前夜の街で行きつけのワインバーでお会いしたことがある。

私よりがたいのでかい、スケールの大きい男だ。

小楠の福井時代、三井や松平慶永らとの関係、朱子学と陽明学
との関係など興味ある話を2時間聞かせてくれた。

会場に入って驚いたことがある。入り口近くに何と私の上の姉
がいるではないか!!

姉は乳がんを専門とする外科医で歴史に関係しているとは知ら
なかった・・・後で話を聞くと友人に誘われて参加したらしい。

儒学の話を聞いたけど、孔孟、朱熹、王陽明にしても学ぶことは
生き方を知る哲学なのだ。

この勉強をして生き方の筋道を定めて西郷にしても松陰にしても
小楠にしても幕末を精いっぱい生き抜いたのだ。

「易姓革命」を容認するかしないかー?
天は己に成り代わって王朝に地上を 治めさせるが、徳を失った
現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命をなして世を革める。

ここで陽明学と朱子学との相違がでるという。ここで維新を迎え
る志士達の生き方が異なるという。

さて、折角市内に出たのだ、少し飲もうかと思い妻と相談して
定宿東横インに泊まることした。会員だし日曜日は20%オフ。
二人で合計6千円台で泊まれるのだからー

よく知っている居酒屋はこの日休みだったのでここも行きつけの
鮨屋に行った。久しぶりだったので店長びっくり!!

生を一杯飲んで美味い寿司を食べて、それから妻の思いやりで
10年以上も通っているライブバー「尚廉」に行った。

ここではいっぱい弾き語りができるのだが、この日はマスターの
バンドのライブショーをしていた。残念ながらボーカルがイマイチ
だったが昔の曲を楽しむことができた。

横井小楠の話を聞きに行く

2015年10月25日 07時05分13秒 | 日記


今日は街に下って、熊本の歴史学研究会10月例会に参加することにした。

古文書講座の仲間の紹介で一度出席したことがあるのだが、今回小楠をやるので
参加しないかと招かれた。

熊本博物館学芸員の木山さんという研究者が発表される。

小楠の福井時代の話だとー

小楠とは因縁がある。

小楠は熊本の誇るべき幕末の思想家だが、私は大学の卒業論文にこの人を選び書いた。
論文は今から考えると恥ずかしい出来栄えだったが、やっと及第点をもらって卒業することができた。

そして、就職したところが熊本市内の内坪井というところにある私立高校。

この場所こそ小楠の生まれた場所であった。校内正門を入るとすぐ左手に記念碑が立っていたし、
近くには産湯をつかったという井戸跡があった。

40年近く通ったこの内坪井という場所にはすぐ近くに池田屋事件で斃れた宮部鼎蔵の塾もある。

小楠は熊本では因循姑息な藩当局、敵対する学校党に抑え込まれ、身動きが取れなかったのだが、
福井松平春嶽に重用され、彼の地に招聘されている。

大好きな彼の詩がある。

甥が渡米するにあたって送ったものだ。

「堯舜孔子の道を明らかにし
 西洋器械の術を尽くさば
 なんぞ富国に止まらん
 なんぞ強兵に止まらん
 大義を四海に布かんのみ」

彼に思想のすべてが凝縮されていると思う。

どんな話が聞けるか楽しみだ