おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

他人の世の温かさ、冷たさ

2009年10月30日 08時31分04秒 | 日記
先日、妻の実家(みかん農家)から捥いだばかりのみかんを頂いて、幼稚園の子ども達に昼食時全員に配布した。前夜子ども達に食べさせるものだからしっかり丸ごと洗って、乾かしてダンボールに丁寧に詰めて持ってきたものだ。昼食は給食ではなく、自前の弁当を持ってこさせている。私も最後の1年、妻に早起きしてもらって弁当を持参し、必ずどこかの教室で子どもと一緒に食べる。この日は年長組と園庭にシートを敷いて食べた。担任が、「園長先生からのプレゼントのみかんだよ」と配ると、子ども達は嬉しそうに「園長先生、みかんありがとう!!」と口々にお礼を言ってくれる。みかんでこんな感謝されるなんて・・・と面映ゆく思っていると、向こうの園舎から年少のあどけない子ども達が教室から出てきて廊下に弓なりになって叫びだした。てんでばらばらなのだが、しっかりはっきり表現している。「園長先生、みかんありがとう!!」何度も何度も叫ぶのだ。もういいよ、わかったわかったからーと返しながら目頭を熱くしていた。この日、帰える時に、居残りで遊んでいたKという女の子、いつもは少し意地悪なことを言ったりする。今日はここで弁当食べようかなとその子に近づくとこの子だけが「だめー」って拒否する。教師でも感情を有する生身の人間なので「嫌な子だな」と避ける気持ちが心のどこかに形づくられていた。玄関のドアを開けて外に出ようとすると、Kちゃんが走ってきて、「園長先生、どこに行くの?」と聞いてくる。「ごめんね、先に帰るよ」と応えると、「わたし、園長先生大好き」と目をしっかりと見つめて口にした。「ありがとう」と応えながら、またジーンとしてしまった。こんな時には心が温かくなって足取りが軽くなる。
人間は複雑怪奇に生き物であり、すべての人がこちらが想像する通りの考え方感じ方をもっているとは限らない。私のすんでいる地域の県民性は「肥後の引き倒し」という言葉があるとおり、見えないところでの足の引っ張り合いが目立つ。誰かの足を引っ張るということは、そこにどろどろとした感情が錯綜している。ひがみ、羨望、嫉妬、揶揄、功利、裏切り、背信・・・これが当地では露骨に現れる。組織のトップについてから、周りで手のひらを返すように面従腹背する人が次々に現れた。人が集合するところの必然と割り切ればいいというお人好しの校長仲間もいた。それができない弱い人間だからフォークをやったり、文学を志したりしたのだ。子ども達のことは一つもストレスにならなかったのだが、自分が人の上に立ち私学経営と学内権力者として対応しなければならないことから来る人間関係に嫌気が差した。体をすっかり毀してしまったこともあって希望して幼稚園に移動した。
それにしても子どもは純真だなあ。基調としてもこの「純白」がどこで、どういう風にして、綺麗な色彩だけでなく薄汚れくすんだ色に染まっていくのだろう・・・

世の中の動き、つれづれに

2009年10月28日 08時51分36秒 | 日記
のりピー騒動も一段落。公判傍聴を希望し参集した人がこれまでの最高記録だったとか。国民的「ヒロイン」という証左。汚れた偶像に未だ賛美者が絶えないというのはファンというものは有難いものだ。映像を含めて情報を総合すると、やはり一貫して役者が芝居を演じている印象だった。「これからは更正して、介護に進みたい」云々は可笑しかった。常に客・聴衆の視線を意識して行動する女優、公判廷でもその態度を変えない筋金入りの「役者さん」が現世で重く社会的価値の高いのにかかわらず、「3K」を象徴し、日陰に置かれ照明の当たらない介護の仕事に就きたいといったという。役者・歌手として仕立てられたアイドル=偶像=虚像と本音のはざ間で喘ぎ、ストレスに耐えかねて薬に走るような人間がきつく、汚く、危険(体を壊す恐れが常にある)な仕事が1ヵ月でも続くようであったら、応援するよ、心からー。

押尾はひどかった。まさに言語道断。「うちに着いたならすぐいる?」という残存メールの言辞に、「いる」という意味を問われ、自分の存在のことを言ったと答えたという。英語はべらべらなのかもしれないけど、教養は幼稚園以下。うちの園児だってそんな馬鹿いないぞ!

スケートの真央ちゃん、人間的だなあ。スランプもあるよ、生身の人間なんだからー。感情が備わっていて喜怒哀楽の繊細な心があるということ。大事なのはそっとしておくこと。ほんとの力があったら、必ず自分で乗り越える。なかったら他の仕事に就けばいい、可愛いし、これまでの付録として普通人にはないような語学力が身についているだろうから。マスコミがほっておかない。

世の中でこんな美しい女性がいることが信じられないような存在、女優の伊東美咲さんが結婚するって・・・世の中の男性の恨みと羨望を一身に集めている男ってどこのどいつだ!!

田舎暮らしは万能でなければ・・・

2009年10月27日 09時37分57秒 | 日記
今、半年後に待っている定年生活の準備に駐車場と離れ書斎を建ている。駐車場の間口4m、隣に小部屋を作ることにした。はじめは木工の作業小屋と考えたけれど、本住居に書斎がない。あちこちに本が溢れている状態だし、3月引越しでさらに2本の本棚とともに数百冊の本が運び込まれる。この場所がない。床の間に今ギターが二本、アンプが置かれ、他にあと2本のギターがある。ギターを弾く場所、本を読む場所、書き物をする書斎がない。木工は駐車場でもできるし、たいそうな大型の道具はない。それでいつのまにか計画を変更して木工作業場から「離れ書斎」にした。間口3m、奥行き5m、広さは7畳半ほど。ここに書棚2本とソファー、書斎デスク、冷蔵庫、楽器類を置くつもりだ。いずれPAを買って、マイクスタンドを設置して、ミニスタジオにしようと思っている。
先週、基礎の工事を終えたところ。大工一人だけに任せているので、土日は畑ではなく大工さんの手伝い。明後日、基礎部分の立ち上げのコンクリート打ち。翌週には柱を立て「棟上げ」までいきたい。頭痛いのが、屋根の色、壁の色決め。ドアもはじめ作業場用の2枚引き戸(サッシ)だったのを急遽、書斎にしたので玄関ドアになった。その色、種類決め。これがなかなか決められない。色彩感覚があまりないので、色を組み合わせたときの受ける印象がよくわからない。
今のところ、屋根を黒っぽいガルバー、壁を明るい茶のサイディングにして、窓のサッシを思い切って白にと思うのだが、大工の棟梁反対しそう。「白は雨だれでいずれ黒いしずくがついて汚れるよ」と。迷うのだ。
近所のNさん、関西で看護師をされていたがここに家を建てて永住。アマチュア画家の同じ関西から一緒に来られた女性と二人で生活されているのだが、彼女がいう。「私は、倉庫基礎から全部一人でやったよ!!」「えーっ!!」コンクリートから壁・床の板の張り付けまで、「棟上」だけ他人に手伝ってもらったという。一人でやるということは木材の切り出し、釘・ネジ打ちなど大工の道具の使い方をマスターしていなければならないし、買出し、搬送もある。しかし、周りを眺めると一人で家を作っている人がいるいる。わが家の下方に住む若夫婦はデッキを、上の段のUさんは我が家より1.5倍程もあろうかと思われる古民家風の家を一人でこつこつ建築中。3年目になる。ほとんど大工の腕と変わらない。やっと建具が入り、電気も通ったので、あと少し。
田舎暮らしのコツはなんでも自分でやってしまうこと。定年後の第二の人生、年金のみの収入だから、経済を考えたら業者に頼んでお金を使うことはできないのだ。

人間五十年。下天の内を比ぶれば・・・

2009年10月26日 08時28分49秒 | 日記
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか(幸若舞「敦盛」の一節)

1950年1月に生まれたので、現在59歳。しかし学年はちょうど還暦年代であるので、すこし早めなのだが、すでに還暦を祝する会に何度か出席している。先週の土曜日は教え子達が還暦のお祝い会を開いてくれるというので夫婦で出席した。
これまで卒業した小学校、中学校、高校(大学は高校と日日が重なったので出席できなかった)、高校の教え子が開いてくれた会が一つあって、5度目になるのだが初めて赤いちゃんちゃんこと赤い帽子を被った。赤色は自然界において人間生存にとってなくてはならない火、太陽の色を表し、生まれ出る生命体の皮膚の色を示している。すなわち赤は生命の色なのだ。ずっと還暦の習俗としての赤いちゃんちゃんこを見てきたが、あんなの恥かしくて「俺は絶対着らんぞ!」と思ってきた。だが、不思議なことに、この場に至ると何の抵抗もなく自然に着用していた。そしてすこし肌寒かったその日、この「縁起服」(えんびふくの洒落・・・)暖かいのなんのって!!赤の巨大なパワー=力なのか、生徒達が記念にくれたプレゼントにもダーバンのベルトと共になんと真っ赤なアンダーウェアーが入っていた。昨晩、着用して就寝したが効果抜群、その真っ赤な上下服?を妻が写真撮ったので、今頃生徒達に送られているかもしれない・・・
下天にいる四天王の寿命500年、一昼夜の時間が五十年という。人間界の五十年という時間はこれに比べるとあっという間に過ぎない。
振り返って歩んできた60年、曲折に富んだものであったが今思うとあっという間だった。赤は赤子の赤でもある。新しく生まれ変わらなくてはならない。「第二の人生」の出発だ。「人生の楽園」創造、これがこれからの行き方のコンセプト。
写真は、「会」で私を長い間支えてくれた妻に生徒達から贈られた花束。

『腹鼓記』を読んでー

2009年10月23日 08時28分00秒 | 日記
昨日、井上ひさしの『腹鼓記』を読み終えた。感想は読んでいて楽しかったということ。娯楽小説とでもいったらいいのか、大人の童話といったらいいのかー。狸と狐の化かしあい、一人の女をめぐるあくどい官僚と狸との怨念の戦い。娯楽なのだが、流石にしっかりした時代考証を踏まえているし、発想がユニークで豊かである。そして、語彙の豊富さには感嘆させられる。
ただ一緒に、箒木蓬生の『三たびの海峡』という戦時中に日本に強制連行された朝鮮人の物語を読んでいるのだが(今日読み終えるだろう)、恐らく小説に描かれている戦争中の日本という国家が辿った他国侵略の実相は描写されたディテールにおいても真実であろう。読み進むうちに心を揺さぶられる。送り込まれた北九州の炭鉱で強圧的、暴力的で悪辣な労務管理を行った日本人に憤怒の感情が燃え滾る。強制連行され炭鉱に送り込まれた朝鮮人河時根と一緒になった日本人女性千鶴との悲恋に目に涙が滲む。重いのだ。虐げられ、人間の自尊心を徹底的に奪われ、いつ殺されるかわからない状況の下で、脱走を図る。そして、日本人労務管理の人間に見つかり、この男を殺してしまう。・・・吉川栄治文学新人賞を受賞していると後で知った。日本人が描いたこのテーマの小説では珍しいのではないか。これまで、李恢成、高史明、金時鐘、最近では何冊か読んでいる梁石日、金達寿など多く読んでいるが、久しぶりに良かった。日本人なので事前の調査には多くの時間がかかっただろうし、苦労しただろうと思う。

『腹鼓記』は珍しい題材で、こういう小説は初めてだった。でも時間が経ったら何か心に残るだろうか?!!