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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

天草窯元探訪

2013年05月31日 07時17分37秒 | 日記
昨日は属している生涯学習の社会クラブ「クラブ南阿蘇」で企画された「天草窯元巡り」の日帰りバス旅行に参加した

総勢24名。中心はクラブの組織「お茶の会」の女性メンバー。参加者の男はみな顔見知りばかり、なぜなら全員が「男の料理遊び」の仲間ばかりー

仲良くさせていただいているお向かいのHさん夫婦と一緒に参加した。以前から天草の陶芸には興味を持っていた。個人的には2度目の窯元巡りだ。

村のマイクロバスを使っての旅、食事代を入れて費用は一人2千円。7時20分には全員集合したので早めに南阿蘇村庁舎前を出発

阿蘇からだと下島本渡まで2時間半というところかー

途中休憩を入れながら本渡に直行、10時前には丸尾焼の窯元に到着。



窯元といってもそこは近代的なパビリオン様としていた。よく見ると荒れが目立つ建物ではあったが・・・

中は作品の展示室。たくさんの陶器が所狭しと並んでいた。このビルの中に(別棟)作業場があり窯もあるとのこと。既成観念=人家のない田舎の山の中、とはかけ離れた街中の住宅街のなかにあった。

私は買うまでの価値を認めなかったのだが、妻はちゃっかり自分用の冷酒杯を2個買っていた。参加者は殆ど都市部から南阿蘇に移住してきたものばかり、しかも見ているとかなりリッチそう・・・買うこと買うこと1軒目ですでに大きな袋を手にバスに乗り込んできた。

次は水の平窯。ここも本渡市内にあった。ここは窯元のイメージ通りの建物だった。







以前使っていたという登り窯、粗焼する小さな窯。本焼は別に電気?ガス?を使った窯で仕上げるとのこと。

自分の求める感覚と若干違ったのでここでも購入はしなかった。

これで研修旅行は日程終了。この後は遊び。先ずは昼食。本渡の寿司屋さんに入った。小さな店を貸しきって食事会。流石に海のそばの寿司屋、魚が新鮮で出されたメニュウ皆美味かった。男達4人は冷えたビールを奥さんゴメン

ところが中心の女達も飲むは飲むは

年も50を過ぎれば色気よりも飲み気辺り憚らず大声で喋るし、茶道を嗜んでいる人達にしては・・・

この後、西の久保公園に移動。丁度開催されていた「花しょうぶ祭り」を見学。折悪しく雨が降って濡れながらの観賞だったけどよく手入れされていた。









復路は買い物ツアーで天草の魚といってもバスツアーなので活魚というわけにはいかないので乾物や地元のお菓子などいっぱい買って帰った。その購買意欲たるやまさに「アベノミクス効果あり!!」(安倍さん喜ぶぞ!)という感。

しかし、久しぶりの楽しい小旅行ではあった。

早くね?梅雨ー

2013年05月28日 07時18分49秒 | 日記


九州四国が梅雨に入ったと思われるそうだ。

予報では昨日の夕方から雨になるとのことだった。

ウィークリーのウォーキングの会、だれも集まらないのでは?と半信半疑で集合場所にいつものように早めに行ってみた。まだだれもいない。ここは村の総合グランド駐車場。近付くと激しい砂埃が立ち上っている。

この日は風が強く、細かい砂塵が風で舞い上がり、隣の小学校へ流れている。

まるで竜巻だ!

よく見ると原因がわかった。作業員が乾燥して乾いたグランドを整備している。整備といっても水を撒いているわけではない。

軽トラに4個のトラックの車輪を括り付けそれを引っ張りながら地面を均しているのだ。

乾ききっているのでタイヤで擦られると砂埃が舞い上がる。それはそれはひどい埃だ。風向きが変化するので駐車場の方へと向かって流れてきた。車の窓をしっかり閉めるが、一昨日洗ったばかりの車「誇り高き」マイカーに変身した。

何でこんな日に、こんな天候の時に、いつもなら中学生の野球練習があるのだが天候の所為か人影は見えない。黙々と軽トラの作業員が作業を続ける。

役場の下請けだろう。まさに帳面消し隣は小学校と保育園、住んでいる民家もある。これではどこも「砂被り」だ。

こういう中、集まった仲間は少なく総勢5名。それでも和気藹々といつものようにウォーキングに出かけていった。

会話の中に「入梅」のトピックがあった。去年よりも3日早いとか、梅雨の走り7月には阿蘇を襲った大水害と山崩れの被害ー

好天が続いていた。そしてPM2.5が連日70オーバーとかで「不要不急の外出を控えましょう」と有線が毎日呼びかけていた。しかし、昨日はもう凄い風で迷惑スモッグを南風で押し戻されたのだろう。数値は下がり、山の景色も幾分、鮮やかに見えていた。

乾ききっているので、火事も続いている。畑は乾燥して作物も「脱水状態」。

毎日朝と夕方に30分かけて水遣りを続けている。しっかりした雨が欲しいと思っていた時「入梅宣言」だ。

今度は水対策を練っておかねばならない。いつまでも畑に水が溜まってプール状態だと根腐れする。

要は適度な量の日照と降水が必要なのだが、自然はそうはいかない。

畑の中に溜まる水の捌け口=水路を考えておかなければならない。

それでも大山、頑張れ!!

2013年05月27日 07時34分30秒 | 日記


昨日久しぶりに女子ゴルフをちょっとだけだが観戦した

ゴルフは個人的にやらないので滅多に見ることはないのだが、昨日は特別だった。

一度賞金女王になった大山志保は高校教員時代の教え子で、私の勤務する学校にあったゴルフ部は全国制覇3回やって、名を馳せていた。今は沈んでしまっているが高村亜紀も大山の先輩になり荒崎弥生はその下。

怪我をして手術してやっと元通りのプレーができるまでになったのだろうか?

今回こそ久々の優勝を!!と願っていたのだが、最後に少し崩れた。それでも4位。よくやった

スポーツの勝負師にとって常にケガとの戦いだ。膝、肘、腰・・・高村は腰だった。

常に勝ち続けることがいかに難しいことか?!!横綱白鳳の強さはこう考えると別格に思える。

松坂も低迷しているのもその所為だし、松井の引退もケガが遠因。

しかし、人間の輝きはこの暗い雌伏の時を乗り越えようとする意志の強さと情熱にある。

頑張っている姿をテレビで観れることは優勝しようがしまいが関係なく大きな感動を覚える。

36歳だってしゃかりきに突っ走るのではなく、プレーをじっくり楽しんで欲しいと思う。

テレビの司会がいってた、その順位の下?の選手が大山に憧れてゴルフを志したというではないかー

優勝の森田は岡本綾子門下だそうだ。行く行くは大山ゴルフ教室って道もあると思うがー余計なことか






誰か遊びに来ないかなあ

2013年05月26日 07時21分08秒 | 日記


気温が上がってきて、植物達がとても元気よく育っている。



今いろんな種類のバラが覇を競うように咲きそろい、これに牡丹、テッセン、ハマナスも綺麗だ。



サクランボは生るには生ったものの、花が咲いて実がついてからの霜で痛んでしまい殆ど収穫前に実が落ちてしまった
。それでも初めてのサクランボ、少なくても貴重な初物大切に味わった。

クリーニング屋の方が植木の剪定に詳しくて、丁寧に教えてもらったので早速、延び放題のかつらとヒメシャラ、それに黒松も枝を整えた。なかなか難しいものがある

畑の方は今豆類がどんどん実をつけて大豊作。特に絹サヤエンドウは食べきれないので周囲の皆さんにじゃんじゃんお裾分け。
「どうぞ食べてけれ

スナップエンドウ、ソラマメ、グリーンピースも好調。インゲン豆は植えるのが遅かったのでもう暫くかかりそう。

野菜としてはチシャ、赤レタス、小カブ、キャベツ、サラダ菜、オカノリ。

昨夜は手巻き寿司にのり、ご飯の上にわさび菜を敷いて鮭、タイの刺身を乗せ、キュウリ(市販)卵を巻いて食べた。わさび菜はピリッと辛味があっておいしかった

お隣の小学生が遊びに来たので、赤く熟したイチゴを摘ませて、豆を収穫させ持ち帰らせた。イチゴは随分豊作だったので、家内がジャムにして食べている。

今年は完全無農薬で栽培している。肥料は元肥に牛堆肥と義兄が作ったボカシ(米ぬか、油粕などを混ぜ発酵させたもの)を使っているのだが、栄養価の高い有機肥料で作物には最高。しかも虫がつかない副効果もあるようだ。

地元の農家から教えていただいた、苦土石灰を作物に灰を直に、あるいは水で薄めて巻くと効果抜群と聞いたので、苦土石灰ではなく有機石灰を撒いた。この効果がどう出るか?

あと2,3週間でタマネギ、ニンニクを収穫する。どちらも「いいころ加減に」で大きく育っている。ニンニクがダメかと心配していたのだが、この2週間でグーンと太ってきた。コブシ大位にはなるものと思う

苦戦中はこれまで失敗したことがない落花生。去年の実を保存しているのでこれを播いたが発芽せず、第二弾も完全に失敗。1個も発芽しない

第3弾をポット植えしているがまだ芽が出てこない。

何故?茹でたピーナッツはビールに最高なのだが・・・

畑での作業は害虫のダニに用心今足に2箇所刺され脹れている。これが痒いのなんのって・・・

ダニとヘビには要注意


中国よ、何とかしてくれ!!

2013年05月25日 07時04分33秒 | 日記


毎日毎日有線放送で「本日はPM2.5の数値が国基準よりも高い数値が予想されますので不要不急の外出を控えるか、マスク着用をお願いいたします」と伝える

確かに毎日確かに空は曇っているっていうか白い霧がかかっている。

目の前の山がはっきりした姿を見せないのだからストレスが溜まる

そして怒りが自然湧いてくる

日本も戦後復興期から高度成長時代随分環境を汚していた。間違いない

その一時期に水俣に住んでいた(1967~74)のだから「生き証人」だ。

水俣だけではなく、四日市で、新潟で、冨山で、程度の差こそあれあらゆる工業都市で公害が発生した。

空は薄どんより曇っていたし、川の水は汚れていた。水俣の場合工場の横の側溝は綺麗な水色でその光景は異様だった。

海にも川にもヘドロが蓄積して、魚も貝も採れなくなっていった。

日本はこの痛みを経験した分環境に対する意識を深め、技術を高めていったのだ

中国では今高度成長期にあるという言い訳を口にする。しかし、GDP世界に二位であり、もう逃げられない。

共産国家でありながら人民の利益を何よりも考えるはずの理論はどこへいったのやら?共産党の有力者は蓄財に励んでいるという。このスモッグが平気な「人民」とは一体なんだろう?

市民的な欲求である「安全で安心な暮らしを!!」という願いが「上」(権力)に向かっていかないのはすでに警察国家になっている証左か?虐げられた人民が安心と自由と平等を求めて立ち上がって作り上げた人民共和国はどこへ行った?

北京では昼間でも車はライトを点け、人はマスクを欠かせない。常に深い霧がかかっている状態でいつまで人は我慢できるのだろうか?

元凶を去らなければこの霧は晴れない

街のゴミゴミした生活を離れて、大阿蘇のカルデラの中=南郷谷に移り住んできたのにその山の稜線さえ覚束ないくらいの視野ー

果たして生きている間に綺麗な空の青と山の色を取り戻せるのだろうか