おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

久しぶりの雨

2011年02月28日 07時16分10秒 | 日記
首の筋違えがおきて1週間、未だに湿布を貼っている。左手は1年前の生コン運びで悪くした肘が以来良くならないし、体の左側が何だか調子悪い。

一昨日に会った友人の愛息が私を撮った写真に心霊写真みたいな白い影が写っているのを見た時、笑い飛ばせなかった。体に左側に白い雲が浮かんでいる。これは何かの象徴なのだろうかと本当に思った。

帰ると妻から左側がどうかあるのは心臓と関係しているのではないか?と指摘された。

「まさかー」

ネットで調べるとたしかに出ている。前兆として首筋の痛み、左背中の痛みが出ているではないかー薬もちゃーんと朝夕飲んでいるし、去年の11月には造影剤を注入したCTを撮影して狭心症の手術執刀医に診てもらって、ステントには狭窄は起きていないが別の所に若干の狭窄部が見られるけれどそう心配はないと言ってくれたので安心していた。

不整脈とか心臓の痛み、胸部の不快感などまったく感じないのだが、首筋の痛みが続いている。用心して無理な仕事を避けて、ウォーキングも止めている。

昨日はよく行くお店を経営されている友人の旦那さんが急逝されたという一報が入ったので、お葬式に寄らせて頂いた。

この店に行くとMさん、よく話をされる方で快活で活動的、そして人間をとことん愛していられる方で自分の知り合いを次々に紹介され、ネットワークを拡げていく。天衣無縫という性格だが一方、花や野菜も育てておられる。去年は食用ほうづきの苗をいただいた。沖縄陶器を専門に扱っているお店だが、私には高額なので滅多に陶器は買わない。それでも家の食器棚、飾り棚にある大切にしている茶碗、花瓶、シーサーなど所狭しと並んでいる。立ち寄ると、コーヒーをお願いする。ここはなにも頼まなくてもお茶と沖縄のお菓子がただで!出てくる。そのお茶を飲んで、帰りに沖縄の麩や砂糖を買って帰る。

それだけで元気になる。そういう人なのだ。その旦那さんが心筋梗塞で亡くなった。
少し無理をされたらしい。快活明朗なMさん、見たことのない悲しい表情で「小山さんも心臓手術されいるから用心してください」と思いやるのはこちらなのに、寂しく沈んでいる筈のMさんから逆に労わられた。

いい人は早く召される。心からご冥福を祈る。

飛騨の友と再会

2011年02月27日 09時01分41秒 | 日記
付き合いの長い友人が飛騨下呂から博多に来るというので、昨日高速バスで博多に向かった。

朝、今一番好きな番組NHKの「てっぱん」を見終わって慌てて家を飛び出した。

途中、妻の一言「ガスストーブ消した?」何度、途中で引き返したことか。鍵をかけたか?戸締りは大丈夫だったか?先日は携帯忘れたといって2キロ地点で引き返したことがあった。
この話は50歳から以上の人にはわかるはず・・・

ストーブは私が確かに消した覚えがある。内心の軽い動揺はあったものの「大丈夫、消した」とそのまま車を走らせた。

ここから30分程の所に「高速バス」の停留所がある。熊本からノンストップで博多へ直行する。車は向え側に大型スーパー・ホームセンターがあるので、帰りに必ず買い物に寄りますからと心に涌いて来る罪悪感を宥め、バスを待った。土曜日ということもあって若者中心に7,8人がすでに並んでいた。その後ろに並んで待った。私達の後ろにも若い女性がいて、その後ろに男性が並んでいる。随分多いぞ今朝はそして、アラカン世代の爺婆と娘、子供の3世代の家族が大きなトランクを押してやってきた。
その婆さんが兵(つわものの)だった
一番後列の筈なのにバスが来るやいなや、ドアに飛んでいって運転手に「トランクルームを開けて!」と叫んだ。どうするのかなと思っていると、並んでいる7、8人の列を尻目に「さあみんな(家族)、乗るわよーっ」といいながら一族郎党を引き連れ、待ち人のブーイングも無視して乗り込んでいった。

若者軍団は呆れて「私達、次のバスに乗ります」と辞退。私達はこのヤンキー婆さんの愚行でイヤーな気持を感じながらも、なんとか乗り込めた。
年齢をいくら重ねても、こういう破廉恥(廉恥とは恥を知るこころ)な行為をする女性が世の中には存在するんだ、これが現実なんだ。並んでいた若者(意外に今の若者優しいのかあまり文句を言わなかった)の順番=長く待っていた気持ち)を無視して、私も妻も声を出して非難したにもかかわらず、連れ合いの爺さん黙って乗り込んだし、娘も表情は申し訳なさそうにしていたが、それでも婆の威圧的な「早く乗って!」という声に引きずられるようにして子供の手を引いて乗り込んでいった。
あれでは子や孫に最悪の教育を施しているのに気付かない厚顔無恥な老人。イヤーネ

博多はついこの前「ワインパーティー」に出席するために泊りがけで来たばかり。あの時は車で行ったので緊張したが、今回はバスなので楽だ。
まず天神で降りた。



天神では新天町という古いアーケード街が好きでここを見て回った。「ジーパンに合う新しい靴が欲しいな」、「壁に掛ける額縁入りの絵画が欲しい」、玄関の傘立てを毀してしまったので「しゃれた傘立てが欲しいな」・・・次から次に沸き起こる欲望を「ダメだ、私は無給の無職人、欲張りは敵なのだ」と我を戒めて見るだけで、妻曰く「目正月よ」なるほど・・・

遠来の友人は妻の親友(年齢は妻の半分にも達しないのだがー)で、ご主人の出張で一緒に子供連れて来られることになっていた。ところが、ご主人は高校の数学の先生なのだが、クラスの生徒の親御さんが急逝されたということで急に来られなくなり、奥さんと子供のRくん、彼女のお姉さんの3人で来福された。もちろんご主人の出張(仕事)はないけど予約していた新幹線・ホテルを使うことにしたという。

博多駅で出会う約束して、食事の予約をしていたNホテルへ向った。
久しぶりの再会で女性同士の会話は弾みがついたままどこまでも終わりなきように思えた。私はもっぱら小5のRくんと海や魚、釣りの話に興じた。

食事は別のホテルにあるレストランでのイタリアンとこのホテルの中華どちらにしようと迷ったけれど、熊本にある同じホテルの中華料理はランチで何度も食べているので味をよく知っているのでここを申し込んでいた。どれもいい味で喜んでもらったと思うが、不思議な出来事があった。Rくんがゲーム機で写真を何枚も撮ってくれていたのだが、私の写真を見せてもらったら、写真に変なものが写っている。左肩から、左肘にかけて白い綿飴のようなふわふわした物体が写っているではないかー
Rくん「心霊写真が撮れたよ」と囁く。





体の中で今異変が起きていて、左肘は先日2度目の痛み止めの注射を打ち、薬も貰ってきたばかり。それから左肩から首にかけて筋を違えたのか痛くて仕方ないのでこの日も湿布を貼って来ていた。その患部に白い不思議な物体が乗っている。
内心「気色悪いなー」と思いつつ、「心霊写真も実は理由のある物理現象だよ」と強がりを言った。Rくんもそれを思いやって、機械をいろいろ動かしてみて「そうか、これをこう動かした時に瞬間白いものが写り込むみたい」と説明してくれた。

それでも今朝は神棚と仏前にお水とお茶を上げる際にいつもより丁寧にお祈りをしたのは言うまでもない。

冒頭の写真は海が大好きなRくん、天草の写真を見せ水平線の向こうに普賢岳が見えるよと説明すると目を輝かしていた。将来は海洋生物学者になるそうだ。

世界情勢と小さな株主の悩み

2011年02月24日 07時31分10秒 | 日記
世界の情勢が激しく動き始めた。

チュニジア、エジプトでは不動と思われた独裁体制が崩壊した、現在もリビアで激しいデモ・反独裁政権の集会が続きこれに政府側の武力弾圧がなされ死者が1000人にも及ぼうとしている。デモ隊列に自国軍隊の戦闘機が攻撃するという混乱=末期症状を呈している。カダフィの演説をニュースで見たが老いて益々「元気」そうで、あの異様な熱情は狂気としか思えない。

驚いたことに情報は「共産」主義体制のお隣中国にも波及して、各地でデモの呼びかけがネットで流されているという。経済はすでに形振り構わず自由化しているのに、政権の体制派旧来のままというのはたしかにおかしい。情報が若者の間を駆け回り、国家としては日本をGDPで抜いて世界2位になったとはいえ社会には深刻な格差が生じており、都市部にも特に辺境の地域では至極貧しい人々が一部の成功者への怨嗟の声を上げているというのが実情だろう。
情報の制限・統制が行われているらしいが、若者はすでにそれを越えるメカニックの知識を有しているのではないかー密かに静かに民主化への民衆蜂起が進んでいくのではないか。

これは朝鮮半島にも影響が及んでくることは間違いない。

当面、世界の情勢は混沌と推移するだろう。ニュージーランドの地震も大きな被害が出て日本人も行方不明者が多数出ている。
時間は一瞬の間も停滞しない。常に時は流れ行く。

わたしの入っている生命保険会社の特典で株を幾許か貰ったのだが、一時12万円台に落ちてがっかりしたこともあった。しかし、最近好調で15万を超えていた。売れば○○万円か!とほくそえんでいたのだが、欲を張って「もっと上れ!!」と売らずに持ち越していたら、この世界情勢の変異でガーンと落ちた。この調子では復活するのにまだだいぶ時間がかかりそうだ。

株なんて柄ではないのだが、図らずも貰ったもので、それでもチッポケナ持ち株の動きに一喜一憂する自分がいる。
なんて哀れな人間だろう。

さてさて、今からクヌギの木にシイタケの菌打ちをやろう。

『生きている心臓』ー加賀乙彦

2011年02月23日 07時31分30秒 | 日記
昨日は雲ひとつない快晴の一日だった。やり残していた垣根作りを終え、畑に肥料を入れて耕した。

自然はしっかり覚えている。去年蕗を植えていた場所を何気なく見るとちゃーんとフキノトウが顔を出しているではないかー
今年はすでにお隣からテンプラにしたフキノトウを頂いて食べたし、さらにフキノトウの佃煮まで頂いて食べている。しかし、自分の畑から芽を出したフキノトウを食べられるというのは感激だ。

こういう生活は都会(街)生活では味わえない。スーパーには商品として売ってはいるが・・・

今朝は室温10度あって、暖房が要らないと思えるほどの温かさだ。午後は天気が崩れるというけどー

さて、加賀乙彦の『生きている心臓』(講談社)を読了した。朝方残り50ページをいっきに読んでしまった。
帯には「愛の喪失と復活を謳う、感涙の長編小説」とある。
涙もろい私だが、この作品涙を流すことは一度もなかった。精神科医天木有作が主人公、その妻蝶子、親友で大学の同窓蒲生英吉、心臓移植の専門医である。そして同じT大医学部出身で脳死を死と認めず、脳死移植を殺人であり死体損壊であると信じ「医学倫理研究会」のリーダー大鈴純一が中心になって物語は進む。

キリスト者である医師天木は生前自分の信じる神の教えに従い、死んだら(脳死を死と認め)臓器の提供をしたいとリビングウィルを書き残す。
そして、天木はほどなく交通事故に合い、頭部を強打し意識を失う。そして昏睡状態が続き、脳死と判断される。ここで妻は夫の生前意思を蒲生に伝える。

脳死状態であることを確かめるために二度の脳死判定がなされ、そこで自発呼吸の有無を探る。

二度の判定で脳死が確認され、いよいよ移植手術に移る。

カソリックでも苦しむ人のために自分の臓器を提供することはいいことだという。(作中登場するジャンムージャン神父の発言)

移植は成功し、心臓をもらったNは移した天木の心臓が定着し生き返る。

小説の中心は医倫研の大鈴と蒲生との対決、対論が中心。大鈴は脳死は死ではないとする。脳が壊滅的打撃を受けたとしても心臓が脈打ち、呼吸が続いているとするならばその人は生きている。特に日本では「生」の場所は旧来心臓であって、脳ではないと主張。

要点は脳死を死と信ずるか、死ではないと思うかだ。個人が脳死は死であると信じ、脳死移植を申し出るのであれば、その利他的行為について非難することはないだろう。それをちゃんとリビングウィルに残していればの話。残される家族だけの判断というのは私は反対だ。自分以外のたとえ肉親であっても、他人が人の生死を判断することはできないと思う。

その前に、脳死状態になった時に、個人が延命治療を拒否する「尊厳死」については賛成だ。これも他人が強制することはできないと考える。

さて、ストーリーは結末、天木の妻蝶子が蒲生のプロポーズを受けて、アメリカに旅立ってところで終わる。

もう一つの問題提起はジャーナリズムの脳死移植への取り扱い。和田移植の際にははじめマスコミはこぞって和田教授を持ち上げた。しかし、移植を受けた青年が死亡し、大阪の漢方医によって訴えられてから手のひらを返したように和田教授攻撃に反転した過去の歴史的事実がある。マスコミも商業誌売れないことにはやっていけない。だから読み手の心を煽り、衝撃的な言葉を使って扇動する。持ち上げたり、こき下ろしたり・・・

ストーリーは単純なので読みやすいけれど、「今日の愛と救済のフィナーレ」ちょっと大仰だ。

あーあやっちゃった、車・・・踏んだり蹴ったり

2011年02月22日 07時21分00秒 | 日記
書斎に入る。部屋の温度6度。石油ストーブに火を入れる。じっくり考えて徐に火が入る。暖かくなってきた。

さて、夕べは夢見が悪く、2時半に目が覚めトイレに行ってそのまま本を読んだ。今、3冊読んでいる内の1冊、「生きている心臓」という心臓移植に関する小説。下巻も後半になっている。
いろいろ考えながら読み進めている。読み終えてから感想は書くことにする。

目が覚めて心に浮かぶ想念は一つ、昨日の自損事故。

心臓の薬が切れたので、地元の医院に初めて行った。車で10分くらいの場所。一度薬だけは付属する薬局に行ったことがあった。

待つこと1時間。患者は地元のおじいちゃん、おばあちゃんばかり。ときにインフルエンザに罹った小学生、幼稚園児もいる。年齢的に中間層は誰もいない。

意外に(失礼)診察は丁寧で、私の同じくらいの年の男性医者だったが、よく喋る?人だった。考えてみるとあまり意味のない話だったような気がするが・・・

そうそう、事故の話。あまり知らない場所なので入り口を間違った。途中から近道を取ろうと思い、細い道に入り込んだのが間違い。行けるかなダメかな・・・?半信半疑、こんな時、優柔不断で面倒臭がりの私は、すぐバックして太い道に戻ろうとしない。そのまま進んだらいわんこっちゃない先がさらに細くなって進行不能。そのまま後ずさりしなければならなくなった。

運転は下手である。免許を取る時坂道発進ができず、3度も失格した経験がある。学科は満点で校長室で誉められたのに・・・?

右は1m下に田圃。車輪を落としたらどうしようもなくなる。左は水路で、鉄柵あり。後ろにばかり気を取られた。頭が左に寄りすぎていたのに気付いた時はもう遅い。

ガリガリ

しまった、やっちゃった

フェンダーミラーを傷つけ、右車輪のフェンダーカバーに見事な3本線が入っている。あーあ



嫌な想念が脳裏を過ぎるともう眠れない。なんてチッポケナ男だろう・・・

妻は足を骨折するし・・・



こころは暗いけど、外を見ると素晴らしい青空。朝日が眩いくらい。今日もいい天気だ、運転には最新の注意をー