昨日はダイエットを一休みして(何て勝手なと轟々たる非難の声が聞こえる)、寿司を食べに行った。
行きつけの店でもう通いだして5年くらいになるか・・・店を仕切っていた私と同名の職人さんがいた。面白い人で、まな板の傍にはいつも酒のコップが置かれていた。
昔気質の堅物で、職人を仕切っていたがある日、自転車で帰宅途上酔っ払っていて側溝に転落。発見された時には冷たくなっていたという。
その後はオーナーの息子がその後を継いで頑張ってきた。
人気のある店ではあるけど、なかなか若い職人が集まらず若く後を継いだ店長のYちゃんも苦労が絶えなかった。私の高校を理由(わけ)あって中退した男の子がここに勤め始めたが、修業の途中で下拵えだけの仕事に嫌気がさして、すぐ辞めてしまった。縁のある若者だったのでいつも声をかけて励ましていた。「お前の握る寿司を食えるようになる日を楽しみにしているぞ」と。ある日、店に行くと彼が居ない。「○○、どうしたの?」と尋ねると、「随分引き止めたのですが辞めました。」という。残念であり、店長には恐縮だ。
ここに勤めていたアルバイトの中国人のSさんとも知り合った。国立K大文学部に留学していた彼女、とても気立てがよく美人でもあってよくいろんな話をした。ご両親が来日され、店に来られた時にお会いして酒を酌み交わして、肝胆相照らす仲になった。しかし、卒業して帰国。彼女は北京から何度も電話をくれたり、メールを送ってくれた。
ここに来ると、寿司のセット(10種位、1貫ずつ)を頼み、しめ鯖の刺身、ナマコ酢、赤だし、イカのげそのあぶりを頼む。そして生ビールを2杯。後は芋焼酎2杯。なにしろここはうまいし、安いのだ。夫婦二人で飲んで食べて5,6千円。カウンターで店長と話しながら食べるのが何といっても楽しいし、彼の包丁捌きを見ているのが嬉しい。いつも思うのだが、寿司職人は日本に伝わる伝統文化の一つで見事なものだと感心する。世界に広がっていったことも肯ける。
ここで腹を満たしてから、「尚廉」というライブハウスに行く。ここも4,5年通っている。マスターの家族が南阿蘇の我が家を何度か訪ねてきてくれた。奥さんが高校の後輩でもある。ここでギターの弾き語りを5,6曲歌う。
マスター人間の出来た人で、客に満遍なく気を配る。一見の客にも「どうぞ歌って下さい」と勧める。ギターが出来ない人は見事なギターで伴奏もやってくれる。彼は楽器万能でキーボードからドラムス、ベースなんでもござれなのだ。
ここは2階なのだが、下がラーメン屋になっている。それも有名な「天和(てんほう)」。昨日は流石に我慢したが、飲んで歌った後のラーメンが五臓六腑に染み渡るのだ。ここ知る人ぞ知る名店。
退職して阿蘇の住人なってからは、なかなか市内に飲みに出ることがなくなるので寂しい思いをしている。泊りがけで来ようかとも話しているが、年金生活者にとって「贅沢は敵!!」難しいだろうな・・・
弁解ではないのだけれど、昨夜はバスにもタクシーにも乗らず、行きも帰りも歩いた。
写真は先日園外保育で行った熊本城。やはり近世のお城は凄い。この建築技術(石工も含め)も日本が誇る伝統文化だ。
行きつけの店でもう通いだして5年くらいになるか・・・店を仕切っていた私と同名の職人さんがいた。面白い人で、まな板の傍にはいつも酒のコップが置かれていた。
昔気質の堅物で、職人を仕切っていたがある日、自転車で帰宅途上酔っ払っていて側溝に転落。発見された時には冷たくなっていたという。
その後はオーナーの息子がその後を継いで頑張ってきた。
人気のある店ではあるけど、なかなか若い職人が集まらず若く後を継いだ店長のYちゃんも苦労が絶えなかった。私の高校を理由(わけ)あって中退した男の子がここに勤め始めたが、修業の途中で下拵えだけの仕事に嫌気がさして、すぐ辞めてしまった。縁のある若者だったのでいつも声をかけて励ましていた。「お前の握る寿司を食えるようになる日を楽しみにしているぞ」と。ある日、店に行くと彼が居ない。「○○、どうしたの?」と尋ねると、「随分引き止めたのですが辞めました。」という。残念であり、店長には恐縮だ。
ここに勤めていたアルバイトの中国人のSさんとも知り合った。国立K大文学部に留学していた彼女、とても気立てがよく美人でもあってよくいろんな話をした。ご両親が来日され、店に来られた時にお会いして酒を酌み交わして、肝胆相照らす仲になった。しかし、卒業して帰国。彼女は北京から何度も電話をくれたり、メールを送ってくれた。
ここに来ると、寿司のセット(10種位、1貫ずつ)を頼み、しめ鯖の刺身、ナマコ酢、赤だし、イカのげそのあぶりを頼む。そして生ビールを2杯。後は芋焼酎2杯。なにしろここはうまいし、安いのだ。夫婦二人で飲んで食べて5,6千円。カウンターで店長と話しながら食べるのが何といっても楽しいし、彼の包丁捌きを見ているのが嬉しい。いつも思うのだが、寿司職人は日本に伝わる伝統文化の一つで見事なものだと感心する。世界に広がっていったことも肯ける。
ここで腹を満たしてから、「尚廉」というライブハウスに行く。ここも4,5年通っている。マスターの家族が南阿蘇の我が家を何度か訪ねてきてくれた。奥さんが高校の後輩でもある。ここでギターの弾き語りを5,6曲歌う。
マスター人間の出来た人で、客に満遍なく気を配る。一見の客にも「どうぞ歌って下さい」と勧める。ギターが出来ない人は見事なギターで伴奏もやってくれる。彼は楽器万能でキーボードからドラムス、ベースなんでもござれなのだ。
ここは2階なのだが、下がラーメン屋になっている。それも有名な「天和(てんほう)」。昨日は流石に我慢したが、飲んで歌った後のラーメンが五臓六腑に染み渡るのだ。ここ知る人ぞ知る名店。
退職して阿蘇の住人なってからは、なかなか市内に飲みに出ることがなくなるので寂しい思いをしている。泊りがけで来ようかとも話しているが、年金生活者にとって「贅沢は敵!!」難しいだろうな・・・
弁解ではないのだけれど、昨夜はバスにもタクシーにも乗らず、行きも帰りも歩いた。
写真は先日園外保育で行った熊本城。やはり近世のお城は凄い。この建築技術(石工も含め)も日本が誇る伝統文化だ。