おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

こんな雪は見たことない

2010年12月31日 14時12分24秒 | 日記
阿蘇は大雪になった。朝いつものようにリビングの大窓のカーテンを開けると夜峰山もその向こうの五岳のうち高岳、杵島、往生、烏帽子中腹から真っ白に冠雪している。デッキも屋根があるのに雪が吹き込んで積もっている。畑など全てが雪の下。
たいへんな大晦日になった。

家にじっとしているしかないと思っていたら、妻がお節に作る煮しめ用の干し椎茸がないといい出した。
恨めしい奴だ

昼過ぎて幾らか日差しがあるので道路の雪も融けていようと妻のパジェロ(寒冷地用のタイヤを履かせている)で出かけることにした。

なにしろ積雪15cmほどはあろうかと思われる。こんな雪は初めてだ。この土地は南外輪山中腹にあるので県道までの道が酷い量の雪を被っている。1車線なので雪道対向車が来なければ何とかなると思って出発。ところが100mも行かぬ内に対向車。雪に埋もれてどこが溝かわからない。空きスペースに入り込むしかない。ところが案の定車を停めたら、次の出だしが滑ってコントロール不能。危うく登って来る車に正面からぶつかる所だった。向こう側で避けてもらい、何とか通り抜けることができた。
フウッ

買い物をする場所に行くにも、県道はみな20km位で走っている。



買い物を終えてさあ帰りも問題だぞ・・・対向車がなければいいけど、神に祈るだけー

さあ今度は登りだ。

ところが神様も寒くてお隠れになったのか、また車だ

バックして避けようとしたらまたズルッズルッと滑る。いやーな感じだ。何度も何度もトライするけど同じ。するとまた向こうが脇に寄せてくれた。ありがたい、妻は車を降りてウロウロしている。動き出したら車を停める訳にはいかない。

「すまん」と心の中で詫びながらそのまま妻を置き去りにして、家に急いだ。妻は仕方なしに2,300mほどの雪をテクテクと歩いて帰った。帰ってから家の前の道路を通行する皆さんのためにスコップで雪かきをしてあげた。こんな経験60年生きてきたけど、初めてのもの。


これこそが「自分の信じれるもの」というのはあるだろうか?

2010年12月30日 10時36分06秒 | 日記
凄い冬の嵐になっている。さっきは雷鳴が地響きを立てた。落ちかもしれない・・・

夏の落雷でパソコンがやられた。すでに修理代は保険の家財補償の方で出ることになった。新品は換えないので中古で程度のいいものを買おうと思っている。

                
        

さて、大岡昇平の『堺港攘夷始末』(中央公論社)をやっと読み終えた。小説として書いたものだろうが、長編の半分くらいは史料で検証している歴史論文といってもいいくらい実証的なものだったが、それだけに読むのに重くしんどかった。

この事件は実際に起こった事実なのだが、慶応4年(1868年)2月15日(陰暦)に起こっている。高校の日本史の教科書こ載っていない歴史の大舞台からは外れた傍流の事件なのだろうが、中身を読み進めると幾つかの重要な要素に気付く。このことは最近再読した新潮社『維新の群像』のなかで陣出達朗が『箸を渡って』という短編小説に書いている。死罪を命じられた20名の内、切腹11人が終わったところで立ち会っていたフランス側の代表のもうし入れによって中断され、待たされていた後残り9名の内の橋詰愛兵を主人公にして、その恋人おしのとの愛別離苦の話になっている。お腹に子供ができていたおしの、維新の動乱もこれから落ち着いて新しい世に踏み出していけそうな予感を抱いていたはずなのにー

事件は堺港から上陸したフランス兵に土佐の藩兵が銃を乱射し11人を殺害するという攘夷事件が起こったのだ。
新政府はすでに開国を宣言している。フランス側の猛烈な抗議で、土佐藩には多額の補償金と殺害した兵士20名の死罪を要求してくる。すでに山内容堂公は隠居しているのだが、なんといっても幕末においてこの容堂の存在感は大きい。武市も坂本龍馬も容堂には目障りだったのかもしれないし、確執は実際にあった。武市は土佐勤皇党領袖であったのだが、過激な行動で容堂の怒りを買い切腹させている。この容堂がいつか公武合体論をもって、松平春嶽とともに幕閣をリードしている。容堂は龍馬などの突き上げ、後藤象二郎の具申などから大政奉還を建白している。そして外交政策の基本路線は攘夷をすて開国へ。
その足許で攘夷が生起、事件は容堂の顔を潰したことにもなる。

土佐藩堺守備隊6番隊、8番隊都合29名がフランス兵11人を銃殺した事件。事後の談判で結局20名の死罪が決定する。そして二人の隊長以外は軽格の武士で、土佐では同じ武士とはいえ上士と下士とは雲泥の身分差別があった。殆どの守備兵は足軽で、しかし、彼らは幕末に醸成された尊王攘夷思想に強く影響されていた。特に隊長の箕浦猪之吉が理論的急先鋒で、形としては兵士は発砲命令に従っただけであった。しかし、フランス側はあの龍馬も大事にしていたという『万国公法』を楯に処分を要求してくる。困り果てた政府は20名の切腹と賠償を決定するのだが、当時の武士に死は常に日常のもので死生は一如。切腹に臆することはなかった。けれど実は従容として腹を切って死んだいったもの達は名字帯刀の許される武士身分への昇格が約束されていたのだ。虎は死して後に皮を留め、人は死して名を残す。

ところが死刑執行の場面で「事件」(フランス側は予定通り=既定路線であったらしい)が起こる。11人が見事に腹掻っ捌いて死んでいった直後、フランスは死刑執行の中止を申し出る。死んだは者は確かに名を残した。それぞれを辞世も書き残している。しかし、残った9人はどうなったのか?
刑は死罪から「流罪」となって、土佐に送還されるのだが、かれらの武士への昇格の希望は達せられなかったのだ。

当時の死刑(切腹の場合)執行は残酷であった。十文字に切り裂いたお腹から臓腑を引き出して首を打たれつつも周囲に投げ出すというということをやったらしい。なんともはや・・・

命よりも信じられるもの。尊王攘夷の場合、天皇であり日本民族の独立の維持。それはそのまま日清日露から太平洋戦争へと受け継がれていく。そして敗戦。天皇は「人間宣言」、神=現人神から人間天皇へ、立憲民主国家日本の誕生だった。しかし、どこかに置き去りにしてきたものがあるのではないだろうかー
韓流のアイドルの尻振りダンスを見て狂喜している若者を見ていると、レールを踏み違えてしまったという気がする。

かくすればかくなるものと知りながら 止むに止まれぬ 大和魂 (松陰)

こういうパトスがどこに行ったのか?

来年はもう一度「民主」という言葉なり、「民族」、「国家」という言葉の意味について再考してみたい。

外を見るとまた雪が降って来た。静かな雪だ。

まるで引き篭もり状態

2010年12月28日 07時20分03秒 | 日記
道路の雪は消えたけれど、我が家の畑は一面雪に覆われたまま。二日の間、家に閉じ篭っていた。

狭い家に一日中じっとしていると、まるで流鏑閉居させられているみたい。

年末TVを見ていると時間の随分経った古い録画ばかり。「特集」攻めで辟易している。

商業番組でマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」を見た。さすがに音楽性豊かだし、なによりダンスが巧い。
映画の構成はなくなる直前のリハだけではなく前のステージフィルムを交差させていたので、若干混乱する所もあったけれど、楽しかった。まさに突出した天才エンターティナーだ。

TV(民放)の宿命でCMが不意に入ってくるのが噴飯もので、感情が高揚してくるところで馬鹿みたいなコマーシャルが杯ってプッツン。こういう作品はBSでCMなしで通しで見ないと面白みがない。
年末はBSに限る

といっても我が家では贅沢は「最大に敵」、BSの契約をしていないのだ

昨日はNHKでコロッケの特集をやった。これもこの春の公演の録画。
コロッケ上京する直前にアルバイトしていたスナックにたまたま入って、かれのパフォーマンスを見せてもらった。その時にこれから東京行って勝負するっていってたけれど、有限実行し、苦労を重ねながら今に至っている。ずっと応援しているのだが、いちばんいいところは努力家で、常に先を見ていること。先日の物まねグランプリでは決勝まで進んでいながら、戦略を間違った。髪の毛を上げて笑いを誘うようなネタはあの場面では不要だった。ものまねだけで勝負すればよかったものにー

「坂の上の雲」面白いのだが、次回は来年の暮れだって・・・馬鹿にしている

紅白、知らないメンバーもいるのだが、どうも納得できないのは「パヒューム」という3人組の女性ボーカルグループ。といっても歌声をミキシングでバイアスをかけて電子音になっていること。それって「歌っていること」になるの?歌?少なくとも自分の裸の声ではない。好きな人もいるのだろうが、どっか違う所ですきな人達の前でだけ披露すればいいのにー

最後にハンリュウの若い子達のえげつないステージになんで日本人があんな熱狂するのだろう。エロ丸だしで、軽薄な踊り、そして外貨稼ぎの出稼ぎ者にわが国のお人好し達が群れている姿を見るのが悲しい。
韓流スターの追いかけおばさん、昔だったら国辱と非難されている。時代はとんでもない方向にいちもく進んでいる気がする。
ちょっと年忘れの毒吐きになった。雪で閉じ篭っていた所為でストレスが溜まっちゃった。

阿蘇は大雪

2010年12月27日 09時18分22秒 | 日記
昨日から雪が降り続いている。

今朝起きたら、夜中に降った雪でさらに積雪。その高さ10cm位になっている。

阿蘇南郷谷に移住して8ヶ月、高地に居住しているのでつらいのは寒さ。しかし不思議なもので今朝大雪なのに外の気温ちょうど0度、暖房を入れる前のリビングの室温9.9度あった。以外に気温が下がっていないのだ。しかし、昨夜雪が降り続いた。気温が低下し、地面が凍ってその上に雪が降り続くので積もる筈だ。





今日は墓参りの予定だったのだが、雪で午後までに融ければいいのだが、このままだと用心して延期するしかない。450mくらいの所なので道が凍結していたり、雪道に轍ができて下り斜面ズルズルと滑ったりするのが恐い。車がコントロールを失ってすべってしまう恐怖は体験済み。君子危うきに近寄らずだ。

畑も完全に雪に埋もれている。親戚や亡くなった先輩の家に野菜を持って行きたいのだが、閉じ込められているので仕方ない。

こんな日は静かに読書するの越したことはない。
今五木寛之の「不安の力」(集英社)、村史(中世に入ったところでノートを取りながら読んでいるので時間がかかる)、大岡昇平の「堺港攘夷始末」(中央公論社)を読んでいる。

五木が書いているエイジング論、まったく同感だ。いまや国民挙って「若さ志向」に雪崩れ込んでいる。

年相応という言葉があるが、年を取ることが罪悪であるかのように年を隠し、服装や化粧で隠そうとする。若く健康であることは結構なことだ。それ自体は否定するようなことではない。元気溌剌として、勢いがあること、肌が瑞々しくしかもぴちぴちと張り詰めている。羨ましいと思う。
しかし、年を取っていくと肌が衰え、皺が寄り(寄る年波には勝てないと昔からいうではないか)髪も次第に抜けて薄くなっていく。体型にも変化が出てくる。
これが「見苦しい」と排除されていく。

20台の半ばくらいの女性がよく口にする、「もう年なので・・・」
馬鹿は休み休み言え!!20台なんてまだ蒙古斑点の消えていないガキじゃないか。
年齢を一つ一つ積み重ねていって相応の年齢になっていく。私は満60歳。アラカンにはアラカンの重みというもんがある。その重さは82.5kgという数字に表されているではないか
「違うかっ

一人ひとりが「ONLY ONE」なのだ。キムタクもちょっと老けたなあー
でもその容色の衰えは生物として自然であり、それは内実の魅力を減退させるわけではない

国民的志向が一直線に同じ方向に向いてくるのは恐いことだ。価値観というものは多様であるべきだ。自分の自分らしさ=アイデンティティーを見つめ磨く努力をこそしていくことが大事だ。


真央ちゃん頑張れーっ!!

2010年12月26日 11時29分57秒 | 日記
昨日、全日本フィギアスケート選手権のショート女子を見た。

村上佳菜子ちゃんも可愛かったけど、「つっこけた(熊本弁で転んだこと)」で伸びなかったけど浅田真央ちゃんはここ一番見事に復活した。

佳菜ちゃんはやっとシニアに上ったばかりで高1になったところかな、体も気持ちも幼い。真央ちゃんは少し上だけどさすが貫禄のスケートだった、昨日はー。

彼女はスタイルが抜群、顔は実に日本人の顔といっても大陸渡来型と思う面立ちなのだが、日本人らしい感性を感じる。スランプでこけてばかりだった今年、インタビューで必死に涙をこらえている姿は見ているものを悲しがらせたし深い同情を感じた。だから応援したくなる。キムヨナは見ていると冷静だが常に客観的で、内側の感情をけっして外に見せず、作った表情を貫徹するまさに「鉄の女」、可愛げがないので好かん

問題は今夜だ。フリーでどんな演技をするのか?楽しみー。頑張れ、真央ちゃん

                      

ところでマオついでにあの小林麻央どうしているのだろうか?やんちゃ海老蔵とは傍目で見ているかぎり「合わない」と思うのだ。失礼だが「時間の問題だ」と・・・
麻央ちゃんにはもっとまじめで知性的な男性がいい。一時の気の迷いだと思うのだが・・・



さて、フリー最後に出てきた村主章枝さんは客観的に見て素晴らしい演技だった。ジャンプ全てきれいに決まっていたし、表現が29歳の大人の色気があって華麗な演技だった。顔も色っぽい
ところが、ジャンプの踏み切りが規則違反とやらで大きな減点だとかー点数67点はいってると思ったのに、10点以上も下回って、5位。あれはおかしい。もう年増はすっこんでろというわけかちゃんと評価してやらないとアマチュアスポーツ人が遊びたいのに我慢して練習に打ち込んでいるのだから、可哀想だよ。麻央ちゃんはCMで稼いでいるだろうけど、村主さんはスケート以外ではお目にかかれない。要するにわき目を振らずに頑張っているということだ。浅田真央も村上佳菜子も村主章枝も頑張れ

あれっ、鈴木は美姫ティーは?
これは「好み」の問題