おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

教え子も退職後の今は大事な友

2010年09月30日 06時52分12秒 | 日記

夕べからずっと冷たい雨が降り続いている。厚い雲に覆われた空を見ると今日は一日止みそうにない。


昨日は、突然卒業生がお母さんと一緒に訪ねてきた。


Sは私が担任をしていたクラスの生徒でもっとも信頼していた子。彼女もそろそろ30台の後半に差し掛かっているはず。まだ嫁に行かず同居している両親の庇護の下で元気に働いている。

Sは私と同じAB型。彼女は県下でもバドミントンでトップクラスの実力を持った生徒だった。スポーツの有力な子には豪放磊落、小事に拘泥しない性格を持った生徒が多かったように思う。
Sは性格が細やかで、物事をなんでも笑い飛ばして済ますようなタイプではなかった。世の中70億の人間がいるが、それぞれ独立した人間として親から受け継いだ遺伝的形質と独自の環境と歴史を送る中で培われた人格を有している。顔も性格も同じ人間なんて双生児でもない限り存在しないはず。しかし、Sはなぜか自分に共通するものがあって、彼女が思っていること、感じていること、悩んでいることが手に取るようにわかった。
クラブのことで悩むことも多かった。当時私は教育に全身全霊打ち込み、自分の持てる情熱を全て注いでいたように思う。時として怒鳴り、ビンタをとばすこともあった。
このクラスは私にとって最高のクラスだった。多士済々、中には反抗する子もいたがその子も卒業の日、我が家を訪れた。

私は毎日一日も欠かさずに学級通信「夢」を書き配布した。偶々昨日朝駐車場(物置兼用になっている)を整理していたら、古いダンボールに入っているビニール袋に入った分厚い「夢」の原稿の束が出てきた。当時は用紙に原稿を手書きで書いて印刷していた。もちろん教員なりたての頃はガリ版印刷だったがー
毎日書く学級通信B4版はその前のクラス担任の時から続けてきたもので、4年分7,8百枚の量になる。

大好きなクラスだったけれど、3年になって校長は「生活指導部長」に就く事を命じ担任を外れることになった。
しかし、有難いことにSは自分で学級通信「夢」を引き継いで卒業まで出し続けてくれた。

高校生の時から、何度も我が家を訪れていたので、子供のいない私達夫婦にとっては娘みたいな存在だった。お母さんも担任時代から力不足の担任を支えていただいた。お父さんはデパートに勤めておられ妻とも短い間ではあったけれど同じ職場にいた。背の高いサッカー選手だ。身長が170近い体躯と運動能力は父親譲り。バドは県内で一番強かったし、全国でも有力校、オリンピックにも5人日本代表になっている。そのチームの主力だった。

先日、クラブの卒業生が詩吟で日本一になったのでそれを祝ってやるために街に下った時、妻と彼女の店に久しぶりに行った。
「偶には気分転換に阿蘇の雄大な景色を見に来いよ。退職したので毎日家にいるので、遠慮しないで来い」
「家にいなかったら畑で作業しいるので声をかけろ」

昨日は仕事が休みだというお母さんと一緒にやってきた。辞める時には「退職祝い」をしてくださったし、何かとお世話になっている。ゆっくり話をした。帰りには今採れる野菜をダンボール箱いっぱい土産にもたせた。トマト、里芋、サツマイモ、しし唐、ゴマ、収穫して洗って乾燥させていた落花生、激辛の唐辛子、そして夏野菜の葉っぱもの。




大学を卒業する時に大阪の出版社に決まっていたけれど、熟考の末それを断って亡くなった叔父が紹介してくれた私立高校に就職をした。自分は寂しがりやなので、物を相手とする仕事よりも人間を相手にする教育の方が向いていると考えた。37年間教職を続けてきた。そして多くの出合いをし、Sとも巡り合った。選択は間違っていなかったと思う。

南阿蘇外輪山コミュ二ティー(生活共同体)の大宴会

2010年09月29日 14時16分22秒 | 日記
昨日は我が家でご近所で親しくしている6軒のご夫婦を招待して宴会を開いた。
前日まで冷たい雨がしとしと降り続けていたので、バーベキューを予定していたので天気だけが心配だったのが、朝から好天に恵まれた。

今回は新メンバー2軒を招いたので合計13人。大宴会になった。
バーベキューは専用の大型テーブル、椅子のセットがあるのだけれど8人まで、それでテーブルを接続して電気を引いて鉄板焼きで肉を焼くことにした。

妻が料理の仕込みを前日からやって、焼肉だけではなくていなり寿司、のっぺ汁、茶碗蒸し、ホルモン焼きなど用意した。そして集まった近所の皆さんもそれぞれ得意な料理を2、3品ずつ持ち寄ったのでいつもながら豪華なパーティーになった。

外でやるバーベキューも日暮れが早くなっているし、日が傾くと寒くなるので、5時からの乾杯スタート、飲んだり食ったりした後は、部屋に入って二次会としてカラオケ大会をやった。セットは妻の実家から借りてきた本格的なもの。クラリオンの1200曲いり。マイクも2機(家一機は接続ジャックが壊れていたので、楽器店でジャッキを買ってきて自分でハンダゴテを使い修理。見事に復活)用意したのでデュエットもOK.。

歌が嫌いな人もいるかもしれないので強要だけはしないように留意したが、普段歌わないという方まで参加者すべて歌った。
歌はいい、みんな朗らかになる。手拍子したり、合いの手いれたりはじめは遠慮がちだったメンバーも次第に気持ちがほぐれ、どんどんリクエストしてきて一人3,4曲、多い人では10曲位調子よく歌った。
13人というと大人数なので、リビングテーブル一つでは足りず、後一つテーブルを並べて置いた。幸い椅子だけは人数分揃ったので、ちょっとしたスナックに変身して、大賑わいの一晩だった。
Hさん、調子よく飲み、歌っていたし、しっかり話もしていたのに、日付が変わろうとする頃急にダウン。歩くのもよろよろで奥さんと娘さんに担がれながら帰宅。そういえば我が家に初めて呼んで食事したときも、帰りはよろよろ千鳥足でその時も私が家まで送っていった。陽気なお父さんで、先日テレ朝「人生の楽園」に出演。
一人で豪邸を建築したUさんも今夜が初デビュー。いつもの豪快な U 節(話の方)と低音の魅力で石原裕次郎を聞かせてくれた。リクエストの「赤と黒のブルース」が入っていなかったので悔いが残られたのではないかー
朝からわざわざ昨晩のお礼を述べに来られ、今までコーヒータイムしていた。U さんも帰りは足がもつれていた。

そういえば鹿児島出身のHさんも「さつまの女」もなかったな。借りている機材なのでご容赦あれ

私はギターにフォークは座がしらけると思い、吉幾三の「酒よ」、「酔歌」とチョーヨンピル「釜山港に帰れ」を歌う。
ライブハウス「尚廉」ではけっして歌おうとはしない妻も昨日は岡村孝子の歌を気持ちよく歌ったのでGOOD

お隣のHさんは70歳。元中学校長をされていた。時々畑のご指導もしていただいている。ただお酒を飲まれないということで、焼酎の大酒飲みの我々の飲み会にはお誘いしてこなかったのだが、今回声をかけたら喜んで下さり、用があって他出されていたのだが、ちゃーんと5時前には帰宅され参加された。勤勉実直な先生なのだが、宴会では意外によく話をされ、二次会では歌も数曲歌われた。

日付が変わって暫くしてお開きなったが、女衆はそれからが大活躍。後片付けをてきぱきとしていただいた。こういう「もやい」が田舎には絶対必要。
いざという時には、遠い田舎で病院もなければ、親戚だっていない。みんなが助け合い支えあっていかないと生活できないのだ。「南阿蘇外輪山”人生の楽園”コミュニュティー(生活共同体)」、今後も続いていく。

『尚廉』で本物ブルースバンドとセッション

2010年09月28日 07時20分17秒 | 日記
土曜日は、卒業生の詩吟日本一のお祝い会をするために街に下りた。
夫婦で心から祝ってやろうと馴染みの居酒屋を予約、その晩は飲んで帰れないのでホテルを取った。
市内のホテルに泊まって飲むのは二回目。はじめの時と違うホテルで白川沿いにある古いビジネスホテル。ネットで調べてツインではここが一番安かった。中心街まで歩いていける場所にあるのが取り得。

店はよく知っている店長で、お土産に野菜を一杯持って行くことにした。少し早いのだが里芋を掘り、トマト、チンゲン菜、しし唐、おくら、水前寺菜、出来立てのゴマを一瓶、重かったけれど久しぶりに行くので、喜んでもらおうと重い袋を下げていった。

快挙を祝した後、母子を見送って、ライブハウスの「尚廉」に向かった。土曜日になると大賑わいになる。いつもは土曜は避けて通っていた。
ドアを開けるとやはり賑わいが耳目にすぐ届いた。
大阪からの客がいて、プロのブルースバンドをやっているという。その3人組とセッションすることになった。マスターのHさんがこういう演奏の組み合わせを仕切ってくれる。
ブルースの曲も持っているけど、まずはいつもの「生活の柄」と「教訓」を歌う。やはりかれらの演奏はうまい。エレキのリードとベースとドラムだけなのだが、慣れていてスーッと入ってくれる。
久しぶりに気持ちよく歌った。

その後彼らのブルースを聞いた。日本ではブルースといえば本場横浜となぜか大阪を意識する。京阪にはいろんなブルースバンドが上田正樹のサウスツーサウス、憂歌団などブルースには関西弁がなぜか合う。
アメリカの黒人ブルースのアーティストはギターアドリブを歌のフレーズとフレーズの間に入れる。ギターが体の一部になっていて、指が6本の弦を仕切るフレット間を自在に行き交う。
B・Bキングなどの歌を聞くとギターだけではなくて、歌にも深い味わいがある。

ジャズやブルースというジャンルはアメリカの人種差別の歴史と深い関連があって、その悲哀と苦渋のなかから日々の労働の辛苦を痛切に物語る言葉が旋律に乗っていった。フォークもカントリーもアメリカ建国と開拓そして近代化の歴史と重なっている。
日本で言えば民謡がそうだし演歌がそれに当たるといえよう。韓国パンソリにも痛切な響きがある。
日々この土地で生き、酸いも苦きも噛みしめながら身につけた感情、感覚、思いが歌になって迸る。そういう歌が人の心を打つのだ。人の曲のコピーでは巧さは感じても心に響かない。
高田渡の歌がけっして巧くはないのに心に響くのはその生き方への共感があるから。かれが歌う「生活の柄」を作った詩人山之口獏は彼の人生そのものが詩人の浮浪の徒だったから。
自分の本物の歌っていったい何なのだ?

作物は人間同様生きている!

2010年09月27日 09時11分14秒 | 日記
昨夕から雨が降り出した。作物にとってはいい雨になると思う。
まだ残っているゴマの一部を刈り取る作業をした。その途中からの細雨、それでも作業は続けた。刈り取って後残った根を抜いて、取り払ったゴマの葉を集め、抜いた後の畝を整地しておく。

ゴマは手がかかる。しかし、自分で作ったゴマの風味の豊かさといったら、市販のものの比ではない。今年は去年の成功に気をよくしてたいへんな量のゴマを植えた。種を植えて苗が芽を出した時、雨、風で危うくなった時もけれど、しっかりフォローしてきたので、大収穫につながった。

畑の仕事をしていて実感することがある。当たり前のことだけれど、作物は生きている!
トマトを大玉の品種と実にトマトそれも3種類を植えたたのだが、この夏よく実った。お客が来る度に、袋いっぱいのトマトを土産に持たせることができた。車や保険の営業で訪れる方にもトマトや茄子を持たせた。

専業で作っているわけではないから、種から作るとできすぎる。余った実りをみすみす腐らせるわけにはいかない。これは育ってくれた作物に失礼だ。喜んでくれる方がいい。その笑顔が苦労を吹き飛ばしてくれる。
先日も市内に飲み行った時、馴染みの居酒屋のマスターYさんに10種類くらいの野菜をその日刈り取って大きな袋に入れ渡した。とても喜んでくれた。翌日は奥さんまでお礼の電話をくれた。

トマトの話をしようとしていたところだ。
トマトは強い生命力を持っている。わが畑では買ったトマトの苗は6,7株なのだが、今では溢れかえっている。何故かというと、トマトのワキメを切り取った時に、強そうな枝は切り口をナイフで斜めに鋭く切って空いた場所に刺しているだけで、いつかちゃんと実を付けてくれる。
ところがだ、生命力が強すぎて実を付けるのは良いが枝がどんどん伸びていく。そして一方では、トマトの実が熟しても採り入れに追いつかないと実が柔らかくなってポトリと落ちてしまう。ここから生命の不思議さ・・・自然発生的に落ちたトマトの実の中にある種が地面に落下して弾けそれが根付いて茎を伸ばしていつか一人前?になる。
こうして畑ではトマトが夏の王様になっていく。

余りにも株が増えすぎると手入れが行き届かなくなる。枝は支柱をさしてもらえず、上に伸びたいのに自重で地面に這うようになる。
流石に畝と畝との間は通路でもあるので、そこにトマトの茎が伸びていくので、仕方ないから支柱を補完してやる。アサヒモで誘引し、手を加えると翌日から見違えるほど生き生きとしてくるのだ。そして実りも全然違ってくる。
すなわち作物は人の手=愛情が加えられるとそれを知っていてちゃーんと応えてくれる。放って置くのと手を入れるのとでは実りが激変するので応えは明白。
植物にもいのちがあって、人間との無言の会話をしているのだと思う。

さあて、朝飯も食ったし、畑に下りて作物たちに「ご機嫌伺い」するかー雨で元気を吸ったはず。
朝から、家のニンジンとその葉っぱとレタスと小松菜を千切ってジューサーにかけて飲んだ。
フレッシュな力をもらって今日も元気に仕事?をしよう。

写真はおくらの花。綺麗でしょう・・・

「ゲゲゲー」終わる、涙涙!

2010年09月26日 16時13分46秒 | 日記
水木しげるの奥さんが描いたの小説の朝ドラ化作品「げげげの女房」が金曜日に終わってしまった。

国民的漫画作家である水木しげるの物語なのだが、こんなに人気が出るとははじめ製作担当者も考えていなかったのではないかー。
後半視聴率はうなぎ上り、TBSそのほか民放でこのNHKのドラマについての特集を何度も組むという異例の展開だった。
実物の水木しげる夫婦、それに娘が何度も各局のテレビに出演し、またしげるの出身地鳥取の境港は「げげげ」の大ブームで年間250万人?が訪れて商工会はホクホクという。日本人ってやっぱ軽薄短小、熱しやすく醒めやすいところがある。さてドラマが終わった今後どうなることか?

朝ドラは定年退職したから、毎日見る機会に恵まれたということもあるが、だんだんと面白みが出てきて、毎日必ずこれを見てから畑に降りることにした。「げげげ」視聴が日課になっていた。
なんでこんなに国民に受けたのだろう?

やはり高齢化があり、60歳以上が3500万人、総人口の27%を占める時代となった今、ドラマの舞台が戦争、戦後、高度成長・・・と続く昭和の時代を背景に物語が展開していったことで、この高齢の人々にとってすごい郷愁があったこと。田舎の素朴な方言によって、人情を暖かく描いていること。今の時代のチャラチャラ世相と相反する落ち着いた生き方への共感があったのではないかー。反目、古いと感じる若い人も多かったのかもしれないがー

主人公の妻ふみえさん役松下奈緒は最初違和感があってこのブログにも「ミスキャスト」だと何度も書いた。しかし、時を降るにつれて、次第にいい感じになってきて、後では逆に彼女でよかったとさへ思うようになった。
NHKの歌番組にも司会で出ていたけれど、とても感じがよくて意外?にもMC上手で、このままいけば紅白司会の可能性もあるのではないかなー

次回は好きな俳優安田成美が出るので、また見ると思うけどさてどうなることか???