おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

夜峰山の山開き

2011年04月30日 06時29分43秒 | 日記

今年は移住して1年経過した阿蘇南郷谷の村で、積極的に村独自の行事に参加しようと動き始めた。

おやじの料理の会(年5回、ちょっと少ないけれどー)、週1のウォーキングの会、そして昨日は絶好の晴天に恵まれてトレッキングの催しに参加した。

村には中高年の趣味と健康づくりを目的として、年会費一人3000円の会費で「南阿蘇クラブ」という組織が作られている。

これに入るとクラブが運営するいろんな催しに参加できるのだ。

トレッキングは阿蘇中央火口丘の内、住んでいるところから目の前に見える夜峰山の山開き。




1000m足らずの標高だが山容がとても綺麗な休火山。野焼きを終え、新緑に包まれた山にみんなで登る。

昔から孤高を歩むのが好きな方で、連れ立って何かをするのは苦手だったのだが、第二の人生その生き方を変えようと決意。

男の料理の会にまで参加することにした。

登山は素人なので軽装にジョギングシューズ、帽子を被って、ナップザックを背負った服装で参加。

近所の方々と一緒に参加したのだが、集まったメンバーは老若男女合わせて総勢5、60名ほど。休日なので小学生も参加している。

下田温泉駅をスタートしてゆっくり登り始めた。木洩れ日の林の中を長い列をなして登っていく。
野草に詳しい人の説明を聞きながらゆっくりゆっくり歩を進めていく。

妻の雄姿!この日の為にホームセンターで日焼けと紫外線防止のための帽子を買った。慌てず急がず!中高年はこれでいいのだ・・・と自分に言い聞かせながら

登り途中3度の休憩を入れて、2時間ほどで頂上へ。



そこにはお母さんたちがだご汁と野草のてんぷらを作って待っていてくれた。

なにしろ天気に恵まれたので、山上からの眺望が素晴らしかった。東西18kmの南外輪山と南郷谷の全景が見渡せる。

頂上から真正面の外輪山をゆっくり見下ろすとなんと我が家が見えるではないかーこれは感激だった。



下りの1時間半がきつかった。急坂で足先にブレーキをかけながら歩くので、なかなかしんどい。

下田駅に帰り着いた時には大感激。

トマトの成長、トマっトっとじゃ???

2011年04月29日 06時43分23秒 | 日記

「テーマ」からオヤジ全開!

畑の様子を報告しよう。

長い寒い辛抱の冬がやっと明けた。

畑にも少しずつ活気が出てきた。

ジャガイモを植え、サトイモ、山芋、(こんにゃく芋はまだ植えていない)、落花生、春菊、先日はゴマを植えた。

夏野菜はまだ種から苗を育てている最中。

かぼちゃはやっと芽を出した。まだ殻から抜け出たばかりの双葉。
昔の瓜(金瓜と呼んでいた黄色いやつ)も芽が出た。しかしなかなか育っていかない。

きゅうり、トマトはまったく芽が出ない。3月27日に種を巻いたものだが、もう一月。まだ出ないのはトラブルなのか、種がだめなのか?トマトの種はたしか400円くらいしたのに?

種床といってもポットだが、毎日夕方には屋根のある場所に入れ、朝から日の当たる場所に出すし、水遣りもちゃ-んとやっているのに・・・だ

トマトは地植えのための畝に棚を作り、ネットまで張って今か今かと待ち望んでいるーのに。

木工のガーデニングテーブルやっと歪みも補正して、天板をマホガニー色と脚部をウォールナット色の防腐剤を塗って出来上がった。



天板の色、妻の望み通りに白がよかったかなあ・・・

キャンディーズのラストステージ

2011年04月27日 07時06分37秒 | 日記
一昨日、昼食時にTVを見ていたら丁度田中好子の告別式の模様が中継されていた。

田中好子、一昔前なら日本人の名前の中で恐らく同姓同名者のベストテンに入っているのではないかと思われるような、中高年者には馴染みのあるネーミング。

本名なのだろうか???

さて、スーちゃんの死去はまた一つ「昭和」という時代の象徴が消えたという感がある。

オリコン調べで昭和歌謡曲カラオケトップ20というものを見ると、20傑に次の歌手が入っている。

石原裕次郎(2曲!すごい)、尾崎豊、テレサ・テン、河島英五この4人が鬼籍に入っている。

最近ではコント55号の坂上二郎、演出家和田勉、俳優であり声優だった細川俊之、TVプロデューサー横沢彪、ダークダックスの高見澤宏、ロカビリー歌手山下敬二郎・・・

どの人をとり上げても昭和を彩る芸能人だ。

コント55号のコントは絶妙の笑いがあった。特に二郎さんのボケは軽妙洒脱で、欽ちゃんのツッコミとよく合っていた。

横沢彪は今も続く「笑っていいとも」のプロシュースをしていたし、たけしやさんまを芸能界の前面に押し出した「オレたちひょうきん族」のプロデューサー。

時代は変わる。平成になってすでに23年だ。平成元年生まれがとうに二十歳を越している。

ス-ちゃんの最期の幕引きは見事だった。葬儀参列者への御礼の言葉を末期がんで苦しみの極にあったと思われる病床でテープに吹き込んでいた弱弱しいが女優としてカメラを意識しての本当に最期の舞台だったのだろう。

ご主人の挨拶の中のスタート・カットの掛け声も情愛が籠もっていた。

そして圧巻だったのはミキちゃんの弔辞。最近読んだどの本よりも一つひとつの言葉がこころにすーっと入ってきたし、胸を打った。

キャンディーズとしては昭和53年、後楽園球場コンサートが最後だったそうだが、本当のラストステージはあの告別式だったのではないだろうか。

スーちゃんはエンターテイナーとしてそのステージを緻密に作り上げた。見事な仕事だった。

この生き方・死に方はだれでもできることではないと思う。

木工で疲れたばい!

2011年04月26日 06時43分24秒 | 日記
ガーデニングテーブルを作り始めた。

天板までは何とかうまくいったと思う。



問題は脚部

幸い駐車場建築の際に残った長い100mmの角柱が残っていたので、4等分して脚にすることにした。

脚部は天板を支える支柱になるのだが、脚がぐら付いてはいけない。

4本の脚がしっかり安定した状態、決してぐら付かないこと。

そのために横に支えの板をほぞを切って入れることにした。これが昨日の最大の難関事。

ジグソーとドリルとノミを使ったのだが、問題はジグソーだった。便利だと思い購入したのだが、扱いが難しい

先ずドリルで穴を開けそこにジグソーの刃を差し込んで鉛筆で下書きしたほぞ穴を切っていく。

これが な か な か 切れんとたい

ジグソーを角柱に平行に切り上げていこうとしたのだが、うまくいかない。

何度も何度も挑戦してうまくいったかと思った瞬間、トラブル
ジグソーの刃がグニャリと曲がってしまった。
あーあ折角このために買った替刃なのに・・・
これが二回続いた。替刃二枚だいなし・・・

この作業、一番の山だった。なにしろ力がいるし、ジグソーの振動ってすごい。これが体全体に響いて具合が悪くなった。
どうもあの振動、狭心症持ちの私にはイケナイみたい。

一休み。

次の難題は柱が荒材であるために磨かなければならない。カンナをかけて、仕上にペーパーで磨き上げる。
口で言うのは簡単なのだけれど、これも「 や お い か ん と た い 」(うまくいかない)

そして何とかできたものがこれ



これを妻に自慢げに見せたのだが、反応は予想通り ヒ ヤ ヤ カ 

何故か触れてほしくない所を攻める。

天板を揺すると少しぐら付くのだ。確かに気付いていたまだ二本支えの横支柱?が入っていない。
余りにもきつい作業だったもので、嫌になって省略した所だ。「 K U S O 

時間はいっぱいある。明日また取り外して、ジグソーを使わずノミ一本でほぞを切り仕上よう。

それからもう一つ鋭い指摘があった。
出来上がったものがテーブルとしては高すぎること。
これは脚の下の方を切れば済むこと。

残った仕事は横支柱入れと脚きりとペンキ塗り。

やるぞー  ォ - ォ