おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

今「あまちゃん」総集編やってるべ!!

2013年12月30日 09時38分55秒 | 日記
今年初めて花を咲かせてた「皇帝ダリア」。

朝8時、いつものようにNHKにチャンネルを合わせた。

定年退職してからというものNHK朝ドラを見ながら朝食を食べる習慣が出来上がった。

いろいろ見てきたけどやっぱり前回の「あまちゃん」最高だった

テレビはいつものようにちゃ♪ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・ちゃ・チャチャチャラで始まる「あまちゃん行進曲」(?)で総集編が始まった。

すべて見通しているのでストーリーはわかっている筈なのに、笑わせるし、泣かされる

海女になろうとして試金石の最初の1個が採れない何度も何度も挑戦するがだめ

きっとそういうもんだろう。プロの仕事はどんなものでも決して甘くない

海女仲間が心配してこっそり1個のウニを海中でアキのテボに入れてやる。

あんべちゃんも弁当箱のような顔だが心根が優しいのだ顔は関係ないか

ちょっと休憩してPCに向かったのは、アキちゃんが潜水夫の方へ入っていくところなので、テレビの前を離れた。

やはり私は海が好きだ。

そういえば年末番組でよいこの「いきなり黄金伝説」の特集も見た。これも海での耐久生活。濱口の「とったどー」は何度見ても興奮する

それと熊本では昨日の朝NTV系のKKTで朝から放映したが「DASU村」の総集編も見た。震災で福島浪江町の屋敷・畑がやられたので、主軸を失って彼方此方方向を探し出した。その時に場所は不明だがある無人島にスポットを当て、ここを根城に生活を築いていくというセクションが始まった。

これもこころの底に眠っている「冒険心」を煽りたて一緒になって未開?の場所を開拓しているような感覚を抱かせてくれる。

やはりこれも「そこに海があるから」と思う。

こんなに海が好きなのに今阿蘇のカルデラを形成している外輪山の中腹にいる

東野圭吾『白夜行』読了

2013年12月29日 14時35分20秒 | 日記


昨日、『白夜行』をついに読み上げた。

人気作家の東野圭吾の長編サスペンス、200万部売れたというし、映画化された作品だ。

文庫本だが850ページある。

最初だけは冗長な感じがしたのだが、これも全部後でストーリーが繋がっていく。

最初日に3,40ページほどで進んでいたものだが、後半になると次第に展開が読めてきてズズーンと作中に入り込んでしまい一日100ページを越えるスピードで読み進めていった。

読者をこういう状況に至らせるのも作家の力。

流石に人気がある筈だ。

同時に読んでいた池波正太郎の時代物。

お金を積まれ依頼されて密かに行う殺し屋を主人公にした変わったストーリーの小説だがこれも面白かった。

冬の夜長、年末はテレビは特別番組で長時間ぶっとしで放映されるのでなかなか見たいものがない。4,5時間も同じ奴を見続けるのはシンドイ。

タレントは年末・正月休みでハワイ旅行だろう。みんな早く録画して編集しているものばかり。流石に飽きる

こういう時は読書に限る。

本好きにとって読み終えた後、次にナニを選ぼうかと本棚を物色する時が楽しいものだ。



今日は寒いのだがよく晴れた。今年もあと3日。「本日やること」を紙に書き出して一つずつ実行。先ずは外回りの掃除。

隣にクヌギ林があり、風が吹き抜ける場所なので葉っぱが我が家に集中する。これを集め畑で燃やすこと。

これを書いている書斎の掃除、灯油は買いに行くのも面倒なので電話で配達を依頼。

墓掃除は昨日済ませたし、松飾=門松も昨日飾りつけを終え、玄関に据えた。竹の鋭い切り口は本職に依頼して切ってもらった。
自分で言うのも何だがいいのができた。後日掲載予定。




「昭和」の小さな思い出

2013年12月26日 07時32分50秒 | 日記


昨日NHKで福岡のライブハウス「昭和」のこと、そこに集っていた70年代のフォークのメンバー達のことを取材して放映していた。

この「昭和」から出たフォーク歌手は多い。海援隊、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛など錚々たる人々がいる。

私が鹿児島大学に入った時期は学園紛争で東大が入試を取り止めた歴史上かつてない事態に追い込まれた時だった。

鹿大でも全学巻き込んだ紛争が続いていた。

鹿大全共闘は革マル派で、共産党系の民青組織も強く対立が深かった。私の教育学部は民青支配で私は民青が嫌いだったので近付かなかった。

今思うとそれよりも「日本赤軍派」のオルグがすぐそこまで迫ってきていた。これに吸い寄せられていったのが岡本公三だった。

所謂一本釣りというやつで、ある日突然キャンバスから消えたかと思ったら「テルアビブのテロ事件」を起こして世界に驚愕を与えた。

この頃に「ベトナムに平和を!市民連合」通称「べ平連」というノンセクトの組織ができて活動を始めていた。セクトがだんだん先鋭化し、武装闘争も激しくなり、しかも熾烈なセクト間対立を深めていく中でノンセクトは魅力があった。

そしてその影響下に東京ではフォークゲリラが出現していた。

日本で最初のフォーク歌手といえる人物は高石友也だろう。かれの「友よ」がどれだけ当時歌われたか

そして岡林が彗星の如く現れた。「山谷ブルース」、「チューリップのアップリケ」など社会で最底辺に沈みそれでも微かな希望を抱いて生きる人達への賛歌と被差別への差別を訴える歌も歌たっていた。

この歌を聴いて私もフォークを始めた。大学の書道部という地味なクラブのなかでこっそり先輩と二人のバンドを作って活動を始めた。

そしてフォークで社会へ若者のストレートな思いを伝えようとで広島フォーク村が作られ、鹿児島でも作ることになった。私もその創設に関わったのだ。

私のデュオグループはサイモンとガーファンクルのコピーから入って、メンバーに当地の女子音大の二人を加え、さらに農学部の先輩でベースが加わり5人編成となった。バンド名は「カントリーメン」。

鹿児島の童謡などもレパートリーに入れて活動し、少しずつ認知され、人気も出て、彼方此方に呼ばれて歌った。そしてヤマハのポップコンに鹿児島代表で出場。福岡の九電ホールだったと思う。ステージに立った。

レベルの高いこの大会、「スター」になった人は綺羅星の如し!

その夜、博多の夜の町に出た。目的は有名な「昭和」。客席も多くないこじんまりとしたライブハウスで入るとすぐマスターらしい人がやってきて、今日ポップコンに出ていらしゃいましたね、後で演奏をお願いしますと乞われ演奏した。

たった1回きりのステージだったけれども忘れない

テレビでは少しだけ年齢が下だが同じような「昔ギター青年」達が次から次に出てきた。プロへの道を諦め、仕事一筋に30年、歌を忘れたカナリア達が集い、歌い始めたという。

年齢がやはり親の介護世代、歌は恋愛でもなくプロテストでもなく、親の「介護」という問題=自分の迎える終末を含め生と死を考えるものに変わった。

同じような歩みをしている私だが、歌の方向性は違っている。私は再びプロテストソングを地味に「押し出すことなく」ひっそりと時代の危うさを歌っている。最近ではYOU TUBEで聞いたスティービー・ワンダーのディランのカバー「風に吹かれて」を聴いて物凄いショックを受けた。

歌い手によってその歌=作品によってメッセージは聴いている人の胸の中にたしかに飛び込んでくるということ。風に吹かれて押し流されていくのではなく、あくまで自分らしさ=アイデンティティーを貫き通すことの難しさと貴重を思う。

戦争に強制的に借り出され、知らぬ相手に銃口を向け、倒すために発砲するようなー、帰還できない片道の燃料を積んで当たりもしない敵艦突入をさせられていった特攻隊の隊員を二度と生み出してはならない。

こういう歌を歌う人間は今どこのステージにも呼ばれない。筋を曲げなかった高田渡は偉かったと思う。

同好の士と組んで音楽を作っていくというのは楽しいものだ。「思い」を胸に秘め、来年は地元でオヤジバンドをやろうかと思っている。

妻、親の介護で実家へ

2013年12月25日 10時20分49秒 | 日記


22日から23日まで妻の実家に泊まりに行った。

両親が年老いて介護が必要になっていて、80代後半の夫婦が二人で生活している。

この年齢になると高齢者夫婦だけでは日常生活に支障をきたしてしまう。現在、ヘルパー、デイケア、ショートホームステイと利用しているが、家に帰る時には家族の介護が必要になるのだ。

現在は娘達3人が世話をしている。その中心は私の妻で、ヘルパー2級の資格を持っている事、私の両親の介護経験があること、両親が厚い信頼を寄せていることで、週に1、2日は泊り掛けで介護している。

一緒に泊まる事もあるのだが、私が行っても役に立たないし、余計面倒になるのでほとんど妻だけ行くことになっている。

昨日も一人で食事を作り、洗濯をし、食器の後片付けをして寝た。

昼は何とかインスタントラーメンに具としてたくさんの野菜を入れ、頂きモノのハムを入れそれだけで我慢。

問題は夕食だった。

風呂に入る前に飯を準備。「米適量に、水適当」

出来上がりを見ると見た目は普通だが少し柔らかかった。

問題は惣菜。畑から抜いてきた極小のゴボウをキンピラにして食べようかーと料理本で調べその通りにして作ったのだが、

結果はまったくキンピラの味がしなかった

偶々電子レンジに妻の作った料理の残りが入っていたので、これをメーンとしたけど、これでは気持ちが満足しない

少なくとも私は料理教室にもう3年通っているのだ

そこでそうだ難しい料理である「卵焼き」を作ろう。これなら何とかー

卵を溶いて砂糖を入れ、葱を刻み投入。フライパンで焼こうと流し込む。

ところが・・・

なかなか巧く丸められない先生の教訓を思い出しながらやろうとしたが失敗作品は人に見せられないグロテスクな形状の「卵焼き」になってしまった。

生野菜は畑から採りいれたのでよく洗ってマヨネーズと「ポン酢」を入れて食べた。

昨夜は見た目も味も最悪の結果に終わった。

男ってだめだ。食材を準備するのも面倒くさいし、料理はいいとして後片付けという難題がある。

>男やもめにウジが湧くというが、そこまではいかないとしても人間としての無力に打ちひしがれている

さらに夜中から腹が痛みだした。「サイテー

南の国の冬支度

2013年12月21日 15時47分18秒 | 日記
雪がチラついている。

熊本といえば夏の暑さが有名だが、この阿蘇の地は県の中でも寒さが一段と厳しい土地だ。

今日はリビングのテーブルを仕舞い、替わって掘り炬燵をセットした。フロアは夏はフラットにしてテーブル掛け、冬だけ掘り炬燵。

この作業が簡単ではない!

駐車場奥に仕舞っていたコタツーといっても掘り炬燵用にサイズを合わせた普通のテーブルを掘った床に落とし込むのだーを取り出してテーブルと入れ替える。半年の間、炬燵の上にはいろんな物が載っている。下には妻の車の春夏秋用のタイヤ。現在タイヤははスタッドレスを履いている。

夫婦力を合わせて作業したので片付け掃除まで入れて2時間で終了。

炬燵の火(電力)は使わない。石油ファンヒーターの吐き出し口に専用アルミパイプを据えるのだ。こうすると熱い風が炬燵の中へ入ってくる。炬燵は「殻」だけ。

石油ストーブ2台とこの足許の暖房で冬は暖房は



昨日、最後の忘年会だったが、帰りの車の中で突然酔いが回り、一緒に出た隣のHさんの肩を担がれて帰宅。
いつもと違う濃い焼酎にいつもの芋ではなく米焼酎だったのがいけなかった

酒は過ぎたることなく心地よく飲むべし