おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

米の掛け干しと宮沢賢治

2012年10月14日 06時41分39秒 | 日記
寒くなったものだ。

もう肌着も長袖で、冬用のパジャマを着てその上にガウンを着てこれを書いている。

大袈裟だが、もう「山」は冬景色。

畑に霜が降りるのがいつなのか気になる。

畑は夏物がすっかり終り秋作に模様替え。育ちを待つばかりで、好天続きなので朝夕に水遣りが欠かせない。

よそ様は今米の収穫時で大忙しだが、米作りをしていないので今は暇。今年気付いたことだけど、熊本県内あちこちの田圃で「掛け干し」が行われていること。

農業が機械化されて収穫も大型機械で刈り取りし、米の脱穀まで自動でやってしまう。そして乾燥もライスセンターで数日間室内の気温を重油を燃やして(?)温めて乾燥させる。自動化省力化が徹底しているのだ。

今も農業は原始的で手作業で遅れているイメージがあるかもしれないが、それは勉強不足。米はコンバインで刈り取ったらその茎である藁は細かく裁断されて田圃に巻かれ、そのままにするか或は焼くかして次年度の肥料とする。

冬に向かうこの時期、私は家庭菜園でこれから藁をたくさん使いたいのだけれどなかなか手に入らない。そこで地元の農家をしている知り合いに頼んで藁を特別に軽トラ1杯分作ってもらって戴いた。ここではわらは裁断してビニルに詰めて牧畜農家に譲っているそうだ。
田圃を見ると白いビニルの筒状になったものが置いてあるのに気付くと思うがあれが牛の餌になる藁。

なにそろこの土地は寒い。大雪になった一昨年のこともある。果樹も根方を藁を巻いて暖房してやらないといけない。さくらんぼ、柿、ブルーベリー、ジュンベリー、カボス、ブドウ・・・畑も年越しの豆類(今から植える)は藁で保温。さらに里芋、山芋の貯蔵も藁を敷き詰める。藁はだいじなのだ。

収穫したものを機械で脱穀までしないで、根っこを切ったものを竿竹を組んだ棒に直径15cm位の太さに縛った稲束を掛けてそのまま何週間か干すのだ。もちろん米は付いたまま。天日で干すのが美味い米の作り味噌だってーあちこちで掛け干ししているので風景が実にのどか。まさに田園風景としてばっちり

以前高千穂行った時にこの掛け干しを見て感激したが、その3年ほど前の頃はこの辺りは掛け干しの姿はなったように思う。JAの指導なのかな?

いいことだと思う。何でもかんでも機械化・自動化っても味気ない

こういう光景はもちろん宮沢賢治も見ていたはずだ。彼は農業の専門書も書いているくらいだから指導もしていた。
鳥山敏子の「賢治の学校」を読み終えたが、彼女の賢治解説のお陰で宮沢賢治の文学の難解さが少しだけ理解できる気がする。

賢治は「宇宙人」なのだ。もちろん宇宙からやって来た変な姿をした異星人じゃなくて、地球を含めた壮大なスケールの宇宙に視野を持った「詩人strong>だったという意味。

教師をしていて彼から学んだ教え子の証言を読むと、たしかに変人で授業で山に子供たちを連れて行ったり、川遊びに誘ったり自然と結びついた授業を展開していたのだそうだ。そして山に登った時には、突然彼の中の宇宙言語が体から理解不能の言葉を発し、体も踊りだしていくような人だったようだ。

自然児で木の霊との交信、巨岩との会話ができる。鳥山に言わせると、人間の中に本当は誰にでもある「気」というものが自然の様々な事物がもっている「気」と交感が可能だという。人間が学習で習得した「知」というよりも生物としての「血」の流れに帰ることによって自然と繋がっていく。

彼の詩に出てくる言葉の難解さはどこから来るかというと「宇宙」からくる彼独特の「血」のなせる業。遠い宇宙と交信し、送られてくる「気」を受信して彼の不思議な言語が出来上がる。

詩を読んでいて途中で宇宙言語が出てくるとふいに意味が途切れて分からなくなって仕舞いがちになるが、そこはすーっと飛ばしてしっかり要点(ポイント)を押さえれば理解できるようになっている。

さあ、宮沢賢治を引っ張り出して読んでみようっとー


米の掛け干しと宮沢賢治

2012年10月14日 06時41分39秒 | 日記
寒くなったものだ。

もう肌着も長袖で、冬用のパジャマを着てその上にガウンを着てこれを書いている。

大袈裟だが、もう「山」は冬景色。

畑に霜が降りるのがいつなのか気になる。

畑は夏物がすっかり終り秋作に模様替え。育ちを待つばかりで、好天続きなので朝夕に水遣りが欠かせない。

よそ様は今米の収穫時で大忙しだが、米作りをしていないので今は暇。今年気付いたことだけど、熊本県内あちこちの田圃で「掛け干し」が行われていること。

農業が機械化されて収穫も大型機械で刈り取りし、米の脱穀まで自動でやってしまう。そして乾燥もライスセンターで数日間室内の気温を重油を燃やして(?)温めて乾燥させる。自動化省力化が徹底しているのだ。

今も農業は原始的で手作業で遅れているイメージがあるかもしれないが、それは勉強不足。米はコンバインで刈り取ったらその茎である藁は細かく裁断されて田圃に巻かれ、そのままにするか或は焼くかして次年度の肥料とする。

冬に向かうこの時期、私は家庭菜園でこれから藁をたくさん使いたいのだけれどなかなか手に入らない。そこで地元の農家をしている知り合いに頼んで藁を特別に軽トラ1杯分作ってもらって戴いた。ここではわらは裁断してビニルに詰めて牧畜農家に譲っているそうだ。
田圃を見ると白いビニルの筒状になったものが置いてあるのに気付くと思うがあれが牛の餌になる藁。

なにそろこの土地は寒い。大雪になった一昨年のこともある。果樹も根方を藁を巻いて暖房してやらないといけない。さくらんぼ、柿、ブルーベリー、ジュンベリー、カボス、ブドウ・・・畑も年越しの豆類(今から植える)は藁で保温。さらに里芋、山芋の貯蔵も藁を敷き詰める。藁はだいじなのだ。

収穫したものを機械で脱穀までしないで、根っこを切ったものを竿竹を組んだ棒に直径15cm位の太さに縛った稲束を掛けてそのまま何週間か干すのだ。もちろん米は付いたまま。天日で干すのが美味い米の作り味噌だってーあちこちで掛け干ししているので風景が実にのどか。まさに田園風景としてばっちり

以前高千穂行った時にこの掛け干しを見て感激したが、その3年ほど前の頃はこの辺りは掛け干しの姿はなったように思う。JAの指導なのかな?

いいことだと思う。何でもかんでも機械化・自動化っても味気ない

こういう光景はもちろん宮沢賢治も見ていたはずだ。彼は農業の専門書も書いているくらいだから指導もしていた。
鳥山敏子の「賢治の学校」を読み終えたが、彼女の賢治解説のお陰で宮沢賢治の文学の難解さが少しだけ理解できる気がする。

賢治は「宇宙人」なのだ。もちろん宇宙からやって来た変な姿をした異星人じゃなくて、地球を含めた壮大なスケールの宇宙に視野を持った「詩人strong>だったという意味。

教師をしていて彼から学んだ教え子の証言を読むと、たしかに変人で授業で山に子供たちを連れて行ったり、川遊びに誘ったり自然と結びついた授業を展開していたのだそうだ。そして山に登った時には、突然彼の中の宇宙言語が体から理解不能の言葉を発し、体も踊りだしていくような人だったようだ。

自然児で木の霊との交信、巨岩との会話ができる。鳥山に言わせると、人間の中に本当は誰にでもある「気」というものが自然の様々な事物がもっている「気」と交感が可能だという。人間が学習で習得した「知」というよりも生物としての「血」の流れに帰ることによって自然と繋がっていく。

彼の詩に出てくる言葉の難解さはどこから来るかというと「宇宙」からくる彼独特の「血」のなせる業。遠い宇宙と交信し、送られてくる「気」を受信して彼の不思議な言語が出来上がる。

詩を読んでいて途中で宇宙言語が出てくるとふいに意味が途切れて分からなくなって仕舞いがちになるが、そこはすーっと飛ばしてしっかり要点(ポイント)を押さえれば理解できるようになっている。

さあ、宮沢賢治を引っ張り出して読んでみようっとー