おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

小さな村に日本社会の全体を見通す視座がある

2012年10月20日 06時40分05秒 | 日記
写真は赤いソバの畑。赤いソバは珍しい。

1万人ほどの小さな村に住んでいる。

目の前にはスカイツリーでもなく、ランドマークタワーでも、林立する高層ビルでもない阿蘇の山並みがある

一昨日はなんとNHKの「あさイチ」で長い時間かけてこの村を特集したという。

今年は7月の集中豪雨で全国に阿蘇、南阿蘇の緊急避難の情報を伝え、彼方此方にいる知人から安否確認の電話やメールが届いた。

退職して田舎に引っ込んで、社会から遮断されたような忘れ去られたような思いがどこかにあった。しかし、雨が忘却の底から私の残像を浮かび上がらせてくれたのだろう。

一昨日の「あさイチ」では何の反応もなかった。私は私で釣り場へ向かう途中、頭の中は今日の仕掛けや「釣った」魚の種類を思い浮かべていてすっかり「あさイチ」の放送を忘れてしまっていた。

現役を退いた今、流動する現実社会から遮断されたような日常生活を送っているのだが、そこには「生きるということ」への哲学的な問いが、生と死という宗教的な或は学術的な問い掛けがある。これは人間として何をしていようが、どこにいようが追いかけてくる人生の切実な問いであり、きっちり向き合わねば生らない。

高層ビルの中の豪華なマンションで札束を枕に寝起きする人間にとってもこれだけは逃げられない重い条件であり背負わされた十字架なのだ。

今朝、重松清の『ビタミンF』という短編集と太田蘭三の『死に花』の二冊を読み上げたところでまだその余韻の中でこれを書いているので少しだけ表現が重くなっている。

重松はいつも思うのだが、人間をよく観察していると思う。家族とは何か?親子の絆とは?夫婦の結びつき、出会いと別れ・・・人生の流れ行く時間の中で、じっくりと心を照らしている。特に「いじめ」の問題については考えさせられる。

大津の事件以来、いじめが全国の学校で問題化し、事件が毎日の様に新聞、TVで報道されている。重松はTV嫌いなのか見たことないのだが、是非意見を述べて欲しい。かれの話を聞きたいと強く思う。

「死に花」は映画化されたらしいが、たしかに映像に表現したら面白いと思うような痛快な冒険小説だ。しかも高齢者の仲間が起こす奇想天外な事件。最後の埋められた金貨堀りは「付けたし」で作品としては必要はなかったと思う。銀行から奪った17億3千万の後始末をじっくり書いた方がよかったのではー最後に菊島がボケて奪った銀行を訪れて「私が金を奪った犯人だ」と述べるところで終わるのだが、エピローグとしてもう一つ凝って欲しかった。

昨日は属している小さなグループの飲み会があって、12,3人ほど集まって外輪山中腹の公園で「紅葉狩り」。弁当注文して、バーベキューして大いに飲んだ。

殆ど現役を退いている者の集まりだが、こんな小さな会にも現実社会の断面が現れる。来年予定されている村議会議員の立候補予定の若者が一人の会員の「導き」で途中参加した。これに一人はすぐ反応。「なんでこんなところに選挙を持ち込むんだ」と私だけ聞こえるような声で囁いて場を離れた。

水害の後始末のボランティアに行った時、汗をかいて働いていたイケメンの青年だった。あれも「選挙」か?

私の属しているグループの親玉の会は年会費3000円を払っているのだが、会の組織がどうなっているのか、会計報告さえないので事業がどう運営されているのかも不明。実に「危ない」組織で、今問題視されているところ。この組織の三役?の二人が村会議員。

訳わかんない組織実態なのだが、だらだらした日常よりも日本社会をくっきりと映し出す矛盾体にいた方がなんやかんやあって面白い。

何にもないと「死に花」の菊島みたいにまだらボケになって、カルデラの原野を徘徊するようになるんじゃないか・・・