1955年に大蔵省が編集した『昭和財政史4巻 臨時軍事費』に戦前の軍事費の推移が
記録されています。
同書によると、1880年代から太平洋戦争終結まで、日本の国家予算に占める「直接軍
事費」の割合は「低い時でも三割に近く、高い時には九割に近い比重」に達していました。
戦費総額を比べると、日清戦争の時期は2億3340万円、日露戦争の時期は18億2629万円でした。
それに対し、37年以降の日中全面戦争・太平洋戦争の時期は7558億8873万円。
日清戦争の3千倍以上というけた違いの額に膨らみました。
「軍備の拡大は、経済上の困難や不景気を一時的に先へ延ばすことはできても、経済上の
困難を根本的に解決するものではなく、かえって困難を大きくし、問題を複雑にするにす
ぎない」「そういう軍拡は必然的に戦争への道を促し、戦争はまたさらに次のより大きな
戦争を不可避にするものである」
記録されています。
同書によると、1880年代から太平洋戦争終結まで、日本の国家予算に占める「直接軍
事費」の割合は「低い時でも三割に近く、高い時には九割に近い比重」に達していました。
戦費総額を比べると、日清戦争の時期は2億3340万円、日露戦争の時期は18億2629万円でした。
それに対し、37年以降の日中全面戦争・太平洋戦争の時期は7558億8873万円。
日清戦争の3千倍以上というけた違いの額に膨らみました。
「軍備の拡大は、経済上の困難や不景気を一時的に先へ延ばすことはできても、経済上の
困難を根本的に解決するものではなく、かえって困難を大きくし、問題を複雑にするにす
ぎない」「そういう軍拡は必然的に戦争への道を促し、戦争はまたさらに次のより大きな
戦争を不可避にするものである」