「いったん死んでみると、生きていたころの、どんなにつまらない一日でも…まぶしく輝いて見える」。静謐(せいひつ)の中の、祈りのようなメッセージ。蜷川幸雄三回忌追悼公演・井上ひさし遺作「ムサシ」です。演者の口を通して、故人が語っているような錯覚を覚えました
▼舞台は宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘で幕が開きます。それから6年後、小次郎は生きていて再び武蔵と相まみえるという物語。しかし、たたかいは一向に始まりません。「恨みの鎖」を断とうとする者たちに、あの手この手で阻まれるのです
▼作者の井上ひさしは生前、2009年の初演に向け、対談でこう語っています。「『ムサシ』を書きあげないと、死んでも死にきれない」。その翌年、死去。自分の命の限界を自覚していたのでしょうか
▼演出の蜷川幸雄は10年のロンドン公演に際し、ひさしの思いを代弁。「報復の連鎖はどのようにしたら断ち切ることができるかと考えたのだと思います」。亡霊たちがこの世に思い残したことを語る「夢幻能」の形式で、重いテーマの中に笑いを盛り込みました
▼鳴りやまない拍手。カーテンコールの総立ち。2人の“遺言”を、観客は真っすぐに受け止めたようです。これまで延べ5カ国10都市で上演し、約17万人を動員。「剣よりも力強い日本の詩的作品」(ニューヨーク・ポスト紙)と海外でも評価が高い
▼東京公演を終えた舞台は、3月3日から埼玉、大阪、上海を巡演します。平和への思いが世界に届くことを願いつつ。