「有名店がひしめくラーメン激戦地、東京・中野にインスタントラーメンを専門に扱う前代未聞のラーメン店が誕生し、話題となっている。」という記事。
これを読んで思い出したことが二つ。
一つは、十数年前に香港を旅行したときのこと。麺を食べさせる屋台で、一番高い品を頼んだらインスタントラーメンだったこと。
よく見れば"牛肉"という文字の後に"即"の字が入ってたんですけど、その時は店でインスタントラーメンを出すことも、香港では生麺より即席麺の方が高いことも、イメージできなかったんですね。
二つめ。インスタントラーメンを食べさせる店がイメージできなかった僕ですが、思い出せば小学生の頃、そんな店によく行っていたのでした。
当時、日用品や食料品を扱う"ハタヤ"という店がありまして、店先のインスタントラーメンを買って店主の親父に頼むと、その場で作ってくれて、奥の座敷で食べられるという仕組みでした。一緒にソーセージを買って、入れてもらったり‥。
チャルメラが25円、調理賃も25円くらいだったかなぁ。
造成されたばかりで、まだ家もほとんど建っていない入間台団地の坂を、ローラースケートで駆けめぐり、帰りに"ハタヤ"でラーメンを食べるというのが、小学校3年当時、楽しい日曜日の過ごし方でした。
昭和40年代の話ですが、こういう店って、当時は普通にあったんでしょうか‥?
これを読んで思い出したことが二つ。
一つは、十数年前に香港を旅行したときのこと。麺を食べさせる屋台で、一番高い品を頼んだらインスタントラーメンだったこと。
よく見れば"牛肉"という文字の後に"即"の字が入ってたんですけど、その時は店でインスタントラーメンを出すことも、香港では生麺より即席麺の方が高いことも、イメージできなかったんですね。
二つめ。インスタントラーメンを食べさせる店がイメージできなかった僕ですが、思い出せば小学生の頃、そんな店によく行っていたのでした。
当時、日用品や食料品を扱う"ハタヤ"という店がありまして、店先のインスタントラーメンを買って店主の親父に頼むと、その場で作ってくれて、奥の座敷で食べられるという仕組みでした。一緒にソーセージを買って、入れてもらったり‥。
チャルメラが25円、調理賃も25円くらいだったかなぁ。
造成されたばかりで、まだ家もほとんど建っていない入間台団地の坂を、ローラースケートで駆けめぐり、帰りに"ハタヤ"でラーメンを食べるというのが、小学校3年当時、楽しい日曜日の過ごし方でした。
昭和40年代の話ですが、こういう店って、当時は普通にあったんでしょうか‥?
駄菓子屋のようなパン屋で
インスタントラーメンを買って
その場でお湯を入れてもらって食う、
というのはよくありました。
今のコンビニと同じサービス。
ただ、店の前にベンチがあった。
僕が言ってる店は
カップ麺の話。
袋のラーメンを作ってくれて
しかも中の座敷まで使わせてくれるなんて
普通無いでしょ。
老夫婦が趣味やっているような店で、店主は独特の口調の名物親父でした。
儲かるはずないけど、子供が寄ってくるのが楽しかったんでしょうね。