宇宙に羽ばたく日まで

その日は、きっと来るだろう。
その日まで、地に足をつけて歩こう。
その日まで、皆んな仲良く手をつなごう。

私の現実

2014-02-04 18:25:06 | 学んだこと
やはり、「私の現実」というのは私の想念の産物であるな、ということをつくづく思います。

私の現実と言っても、その現実が直接私に有無をいわせずに影響を及ぼす現実もあれば、
テレビ画面の中の映像ニュースのような、影響のほとんどない現実もありますね。

直接的に体験する現実は、これはもう大部分が私自身の想念の結果でしょうし、
映像ニュースのような現実は、他の人の集合意識と少しの私の想念との結果なのでしょう。

昨夜また、UFOの夢を見ました。
UFOが大きな螺旋を描きながら、見る見る私の方に迫ってくるのです。
あっ、あぶない! と思いましたが、
私にぶつかったはずなのに、ぶつからずに透過してUFOの機体に乗って、
機体の色彩(白)と機体番号とロゴマークのようなものが見えたところで、残念ながら目が覚めてしまいました。^^
これも現実でしょうか!?

夢と現実の違いは何なのでしょうか。。

自分の発した想念はそれは「種」であるので、普通はいつかは必ずそれが蒔かれて現実化するわけで、
悪夢というのは、
3次元の物理的な現実になるのは可哀想だから、4次元の夢の現実の体験で済ませてもらっている、
ということだそうで、
そうであるならば、悪夢を見るというのはありがたいことなのですね。


話があちこちになりまとまらず、申し訳ないのですが、
先日、ほんの些細な事なのですが、因果関係としてはあり得ないような現実と対面しました。

それは、

私は妻とダンスするのは好きなのですが、競技ダンスはとても嫌いなのです。
しかし、妻が出よう出よう!と言うもので、気が進まないのですが、^^;
これも楽しむようにと与えられた事、と覚悟を決めて出ることにしています。

先日、2部門にエントリーして、4種のダンスを踊ることになり、
あまり練習も出来ていなかったので、妻との呼吸も合わず、ガタガタで、
初戦か2回戦で終わるつもりが、両部門ともなぜか3回戦まで駒が進んでしまったのです。
見ていたダンスの先輩が、「審査員、いいとこしか見ていなかったのね!」と妻に言っていたようです。

それで、朝早くから夕方まで競技会場にいることになったわけです。
私は洗心を志していますので、こういった場でも競技意識に影響を受けずに平静であるつもりでいたのですが、
まだ未熟で、その場の意識波動か雰囲気に影響されてか?、「競技は消えて無くなれ!」というようなきたない破壊意識が湧いてきたのです。

3回戦でさすがにお終いになり、そそくさと会場を後にして
帰路に妻と食事をした時は、気も治まらず、二人ともいつもの倍は食べました。
このきたない破壊意識はなかなか収めることがむつかしかったのです。

そして、翌日のことです。
孫が食事中にこぼしたものを拭き取ろうと、いつも置いてある洗面器の中の雑巾を手に取ったのです。
そうすると、奇妙なことに茶色く表面が汚れて乾いているのです。
「オカシイな? 汚れたままだれがここに置いたのだろう?」
と思って、流しで水洗いしかけると、黄色い汚水と共にプ~~ンとウ○チの臭いがするではありませんか!!
我が家でこの雑巾を扱うのは私だけなので、だれもそんなことはしないはずなのです。

そこで私は思いました。
物理的因果関係を追及することはもういいのだ。
これは、「私が競技会場で汚い想念を吸収し、その後始末を適切にしなかったこと」が物理的に表現されたのだと。。。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 分別 | トップ | 先祖供養の重要性 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

学んだこと」カテゴリの最新記事