goo blog サービス終了のお知らせ 

あなたにもできる!ハーバード留学!!~アラフォーからのボストン留学体験記

アラフォー研究者のボストン留学体験ブログ。
研究・生活・英語・ITを中心に留学ライフハックスをお教えします!

ものづくりのための研究ノート013:脱構築ということ(村上春樹研究002)

2013-12-28 12:38:39 | ものづくりのための研究ノート


 
脱構築といっても本気でポストモダンの話をするのではないが、前のブログに今の延長線上でよいのだろうか?ということを書いた。天下国家の話だと楽だけど、自分に振り返ってみると、結構難しい話だ。前の成功体験に引きずられるという話はよく聞くが、そんなに成功していなくても、よく慣れたやり方を変えるって、かなり勇気がいる。留学もそうだけど、環境を変えるというのは、なれたやり方を一度見直してみるきっかけという意味で意義深いのではないか?イチローとか松井もそうだけど、大リーグで成功した野球選手をみていると、何らかの形でこれまでのやり方を脱構築している気がする。

最近村上春樹のインタビュー本を読んでいるが、彼もその辺よくわかっていて、常に新しいものを取り入れるということをよほど気にかけているらしい。脱構築ということを強調するコメントがほんの端々に散見される。

(マイルスディビスを評して)
一九四五年から八〇年ごろまでの三十五年間、彼はつねにだ一線でやってきた。なぜそれができたかというと、つねに後ろは振り返らず、新しいものをインテイクし、それを煮詰め、煮詰めきったところで新しいインテイク、というダイナミズムを維持していたから。
マイルス・ディビスの素晴らしさは、新しいものをの取り入れ方のダイナミックさとネジの締め方の厳しさ、その二つにあったんです。

(文学の方向性について)
結局、今の世界が経験していることは何かというと、再編成ですよね。冷戦後の世界体制の再編成や経済の再編成、テクノロジーの再編成があって、当然文学というものも再編成されていかざるを得ない。


世界の多くの人々にとっては、フィクションなんて読まなければ読まないで済ませられるものものなのです。だから、フィクション問い物自体が、根本的なところで変化を遂げているのです。僕らは読者の首根っこをおさえて、こっちまでひっぱってきて無理にでも本を読んでもらわなくてはならない。
(中略)
現代の小説家はあらゆる手法を用いることを求められています。音楽だとか、ビデオゲームだとか、とにかくほかのいろんな分野における固有のテクニックをね。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より

脱構築自体も難しいし、「改革なくして成長なし」ではないけれど、脱構築しないと環境の推移に適応できないとしても、脱構築した後うまく適応できるとは限らない。

自分自身に当てはめても、変えなければいけないという漠然とした思いはあるものの、どの方向へ、どんな形でというクリアな考えは浮かばない。
いろいろとあり方を考える時期ではあるのだけれど。。

文体を変更した作家カポーティがその後の文筆活動に成功しなかったエピソードに村上春樹は

創作家は、別に幸福な状況がもたらされることを第一義として人生の方向を選び、前に進んでいくわけではない。(「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」より)。

身のひきしまる言葉だと思う。


ものづくりのための研究ノート012:ニューヨークでモダニズムについて考える

2013-12-26 13:24:09 | ものづくりのための研究ノート


ニューヨークに行ったときに読んでいた本で面白かったものにニューヨーク美術案内がある。ニューヨーク在住の著名な画家の千住博さんとジャーナリストの野地さんがニューヨークの様々なアートシーンの見方を紹介したものだ。今回は時間がなくてまわれなかったのだけれど、メトロポリタン美術館やMoMAをはじめニューヨークの美術館や画廊を回りたくさせてくれる一冊である。

本論とは関係ないがちょっと印象に残り、考えるきっかけになったのが、MoMAに関連して、モダニズムについて千住博が語っている部分である(*)。

モダニズムという言葉は非常に定義しにくい言葉で、さらにそれに引き続く会念であるポストモダニズムの定義が素人目には混沌としているので、個人的には避けていたのだけど、千住博の語り口はうまくそこを表現している。

MoMAの中心に置いてあるニューマンの「ブロークン・オバリスク」という彫刻についてのもの、これはモダニズムに対する反抗とか挑戦を意味する彫刻で、モダニズムの芸術を集めたMoMAにはふさわしくないはずであるが、MoMAはそれを理解しつつも一番目立つ場所にこれを置いているのがこの美術館の懐の深いところというくだりである。

 「モダニズムとは人間の知恵を限界まで信じる考え方です。

 人間が信じる科学、政治、経済があれば世界をよりよくすることができるというのがモダニズムであり、ニューマンはそれに疑問をいだいたのでしょう。

 そしてそんなものは人間の傲慢にすぎないと一刀両断しているのではないでしょうか。彼はモダニズムの象徴であるオベリスクを地面に突き刺し、モダニズムの終焉を表しました。(「ニューヨーク美術案内」より)」

モダニズムは工業化社会までで今はポストモダニズムだという意見もあるが、この定義が正しければIT社会になったとはいえ、方向性は変わっていない。我々はモダニズムの延長線上にいる気がする。

そしてそこまで枠を広げなくても医学・医療はモダニズムの真ん中にいる。パラフレーズしてみると、ドキッとする文章になる。

 「人間が信じる科学があれば医療(健康)をよりよくすることができるというのがモダニズムであり、ニューマンはそれに疑問を抱いたのでしょう。そしてそんなものは人間の傲慢に過ぎないと一刀両断しているのではないでしょうか?」

だからといって代替医療に走るのはいささか安直であるが、この主張あながち間違ってはいない(*)。

例えば新しい手法を生み出し続けるアメリカ医療もモダニズムの極みだと思うけれど(**)、アメリカは世界で一番医療にお金をつかっていながら、乳児死亡率はギリシアに劣るという統計がある。そんな統計だけでなく、アメリカで暮らす一般人にも体感的にはアメリカの医療はアクセシビリティーも含めて考えるとそんなに良いシステムではない。

ただモダニズムを全否定できるほど我々は強くない。モダニズムで突き進むだけ突き進んでも、それで解決不可能な問題があることを認識するというか負けを認めること。またモダニズムで解決不可能な部分をくみ取るシステムをつくることが必要なんじゃないかなと思う(***)。

とまあ、いろいろ考えさせられる旅でした。

(*)古くはRole of Medicineという古典があり、この本によるとたとえば「結核の死亡率は栄養状態の改善が一番寄与しており、ストレプトマイシンの発見の寄与はそんなに大きくない」とか。

(**)医学の研究を行うというのも上の定義からするとモダニズムだが、人々の健康のために個々の研究がすべて必要かといわれると、なかなか難しい。

(***)この部分っていわゆるアンメットニーズという部分になるのだろうか?(図は日本製薬工業会の資料より)

日本の医療だと(だけでもないかもしれないが)、この部分は医師の人間力(カリスマ性?)とか権威とか、コメディカルの人間力とか、宗教的なものでカバーされてきた気がする。明確なシステム化は無理としても医療者のスキルとしては体系化できるのではないか?

旅行006:ニューヨークの印象3日目

2013-12-26 12:46:27 | 旅行
ニューヨークの5番街を初めて歩く。
スタバが至る所にあり、H&MがありZARAがあり、GucciがありCartierがある。どこかで見た風景。改めて東京だなと思う。

世界の一番良いものを集め、発信する力がこの街にはある。東京がこことうり二つなのもニューヨークの発信力の高さがあるのはいうまでもない。一方であまりにも日本人がアメリカをお手本にしすぎたのではないかと思う。東京だけでなく、日本の大都市も似たような風景になってきた。

人間の営みのすべてについてアメリカをお手本にしたらどうなるかは、今のアメリカの現状が教えてくれる。ユニクロが5番街にあるのも、今までの日本の姿勢の延長線上にあるものでないといいのだけれど。。

旅行005:ニューヨークの印象2日目

2013-12-26 12:22:08 | 旅行
ニューヨークに来て、改めて東京のすごさがわかる気がする。
来る前は文化や経済の世界の中心を見てみたいなと思っていたけれど、来てみるとどこかで見たようなというような感じがして、大きな感動がない。結構東京でも有名なラーメン店が出店していたり、紀伊国屋があったりと、よいものならば、コアなものまで、世界中津々浦々からいろいろな事物が集約されているのはすばらしいのはいうまでもない。しかしハイエンドな人がみると違うのかもしれないが、一般人の感覚では東京と比べてそう目新しいものはない。すべての感動がせいぜい東京の1.5から2倍という感じである。

これが適切なたとえかどうかわからないが、ニューヨークの摩天楼の夜景を見たくてロックフェラーセンターの展望台に上ってみた。確かにエンパイヤステートビルからダウンタウンに向けての夜景は素晴らしい。でもこれって東京の夜景とそうかわらないよねっていう感じだ。
似たようなことを竹中平蔵さんが著書「イノベーション仕事術」で述べていた。

 夜に地球の衛星写真を撮ると、私たちの星は20-30の灯りの塊でできていることがわかります。この灯りの塊(集積)が「メガ・リージョン」と呼ばれるものですが、世界のイノベーションの多くはこうした灯りの塊(集積)の中から生まれていることが明らかになっています。

 その中で最も大きな灯りの塊は、東京を中心とする地域です。アメリカ東海岸のニューヨーク・ボストン・ワシントンDCを上回っているのです
竹中式 イノベーション仕事術より)。

そんな東京が身近にある日本というのはある意味すごいことだし、そんな中で生きてきた僕たちの世代はある意味幸せでもあり不幸せでもある気がする(*)。

(*)学生時代に、ニューヨークで乳がんの闘病生活をしながらジャーナリストとしても活動した千葉敦子さんのエッセイをいくつか読んだのを思い出した。彼女がニューヨークで晩年を送ったのも、闘病生活とともに仕事のしやすさというものがあったのかもしれないが、やはりニューヨークでの生活に大きな魅力があったのだと思う。

彼女のエッセイ集の一つ「ニューヨークの24時間」はそんな魅力的な生活の紹介であった。

「ワープロは必需品、留守番電話は秘書代わり、掃除をしながらラジオのニュースを聞き、洗擢の合間に短い原稿を書き、週に一度は音楽会や芝居に出かける。限りある人生をかいに時間管理し、工夫し、充実させ、楽しむべきか―。忙しい人や忙しがっている人たちにとても役立つフリージャーナリストのニューヨーク生活術。」と本の紹介にもあるが。そんな感動は僕らにはないな。


旅行004:ニューヨークの印象一日目

2013-12-26 12:14:26 | 旅行
 車の渋滞に、やたらうるさいクラクション、人の群れに、どこか苛立った空気。8か月のボストン暮らしでちょっと大都市というものを忘れていたせいか、いささかニューヨークの空気に面食らってしまう。そういえば東京もこうだったなと思いつつ、こんなとこには住みたくないなと思ってしまう。