(6)東北の旅 H,25,8,25~27日 nikonD3S
青柳家は元々佐竹義重に仕えていましたが、後に佐竹氏の与力大名だった芦名氏の家臣となりました。
佐竹氏が秋田へ国替えになると、芦名氏は角館へ1万5千石を与えられ、青柳家もこれに随従します。
芦名氏断絶後、青柳家は佐竹北家に仕えました。
現在の屋敷には「馬つなぎ石」や「馬乗り石」、黒塀には「武者窓」と呼ばれる屋敷内から外部を覗き見る出窓も設えています。
薬医門には棟札が残されており、万延元(1860)年に造られた事が分かっています。
現在、3000坪の敷地内には、母家、武器庫、青柳庵(秋田蘭画)、秋田郷土館、武家道具館、企画展示館、ハイカラ館などの資料館があります。
秋田蘭画を確立した小田野直武は、青柳家と姻戚関係にあり、敷地内には銅像や、青柳庵ミュージアムで作品を見ることができます。
角館・武家屋敷・・青柳家の武器庫
青柳家の母屋から出て隣に武器庫があります。とても古くて趣のある蔵です。
青柳家:企画展示室でテーマは「写された幕末」だった。
徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年 ‐ 1868 年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。