「母に感謝する」ということは、ふつうの人にとっては当然のことなのだろう。
しかし、私のようにかつて愛されなかった人間にとっては、それは虫酸が走る言葉なのである。
ところが、である。
今月に入ったあたりからだろうか、あれほど憎んできた母に対して、そして、母以外の祖父母やさらにその先祖について、漠然とだが、感謝の念のようなものを感じるようになってきた。
自分でも驚いている。
ついこの間までは、母はすでに亡くなっているにもかかわらず、「死ね!地獄に落ちろ!」と思っていたのに、いまは「仕方なかったんだね」「それなりに頑張ってくれたんだね」と思えるようになってきた。
両親を憎み始めて20数年。
あまりに長い道のりではあったが、憎しみと呪いの人生に終止符が打たれようとしているのかもしれない。
これには、父が高齢になって衰えてきたことも関係しているだろう。
父は元気にしてくれているが、最近少し食が細くなってきているような気がして心配だ。
なにせ、78歳である。
最近、私は不安発作のようなものを起こすようになってきた。
それは、父が遠からぬ将来、いなくなってしまうということに対する不安のような気がする。
亡くなった母も、あるいは心の底では私に対する愛情があったのかもしれない。
そんなかつては考えもできなかったことについて、最近はしみじみとした感慨を持つようになった。
時間の経過にともない自分自身がすでに、かつての私を愛していなかった親の年齢を超えたというのも大きいかもしれない。
なんにせよ、私は生まれて初めて「母に感謝する」ようになった。
それは寿ぐべきことである。
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