たまに寺社仏閣に行ったりすると、石段が中途半端で(うまくいえない・・・)、歩きにくいと感じる。
普通の階段のように足を左右交互に足を使うのではなく(うまくいえない・・・)、どちらか片方だけ上げてばかりになり、それがリズムを狂わし歩きにくく感じさせる。
つまり、普通は
┌┘ ← こうなんだけど
お寺さんの階段には
┌──┘ ← こういうのが多いってこと。
で、なんでなんだろうと前から思っていたのだが
ふと、今日さきほど気がついた。
これ、ヴィパッサナー瞑想でいうところの「歩く瞑想」のためじゃないのか?と。
歩く瞑想についてはこちらを → スマナサーラ長老の初期仏教についてのページ
お坊さんが、ゆっくりゆっくり、瞑想しながら、片足ずつ静かに動かして歩く姿を想像すると、なんとなく腑に落ちるものがある。
これが現代の普通の階段では、むしろ歩く瞑想はしにくいだろうなぁとも。
もしこれが当たっていれば、参拝者もせっかちに足早にゼェゼェ言いながら登るのではなく、ゆっくり一段ずつ止まるくらいの感じで登るのがいいのかもしれない。
ま、そんなことやってたら登りきれないようなところもあるけどね。
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おもしろいですね。なるほど、と思いました。
確かに歩くにくいです。
足元を見ながら歩くことに集中しなくてはいけません。
山登りとかも同じ効果があるのかもしれませんね。
瞑想のページも興味深かったです。
そういう心が備われば、自分や人を許しありのままを愛すことが
自然にできるようになるんだろうなと思いました。
お寺はいいんですが、観光地化してるのは考えものですね。
静かな寂れた山寺など、心が落ち着きます。